「隠れ有能主人公が勇者パーティから追放される話」(作者:オレ)の無能勇者に転生しました

湖町はの

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【前日譚】夜明け前が一番暗い

人形 ―クラウスとベルンハルトの約束―

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第37話「皇帝と勇者と退任について」/ 第39話「皇帝と勇者と人形公爵について」あたりの補完

【※ベネトナシュ公爵×ベルンハルト/クラウス×ベルンハルトです。どちらも軽く触れたり手にキスをしたりする程度の接触があります。性行為などはありません】

人形公爵、私的な呼び出しについての話です



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 クラウス・ベネトナシュは、執務室のソファーに腰掛ける白い人影に腰を折った。

「度々お呼び立てしてしまい申し訳ございません、ベルンハルト様」

「いいえ、ベネトナシュ卿。僕の恩人たる貴方のお誘いとあらば、いつだって馳せ参じますよ」

 ベルンハルト・ミルザム――いまや勇者となった彼は、薄く微笑んでクラウスを見下ろした。

「ベルンハルト様……今日も僕に、“予言“をください」

「ははっ……本当に、物好きなお方だ」

 眉を顰めるベルンハルトの言葉には嘲罵の響きが混じるが、クラウスはそれを享受する。
 彼から与えられるものは、クラウスにとってはどんなものでも至宝になるのだから。

「はい。僕は哀れで、しかも愚かな男なのです。貴方に一生を捧げることだけが僕の悦びです」

「……少し、お父上に似てきましたね」

 ベルンハルトの言葉に、クラウスは彼と初めて出会った日のことを思い出した。

 
 クラウス・ベネトナシュがベルンハルト・ミルザムと初めて出会ったのは、彼がまだ十二になったばかりの頃のことだった。



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 裏庭で独り、青い花が揺れるのを眺めていたクラウスは人の気配を感じ、咄嗟に木の裏へと身を隠した。
 
「旦那様が新しいを連れてきたわ」

 女の声。
 なんだ侍女か、と安堵して、それでも見つからぬようにこっそりとその姿を盗み見る。

 黒いお仕着せに身を包んだ、二人の若く美しい少女が立っていた。

「今度はミルザム伯爵のご子息ですって」

「あら……確か一人息子じゃなかった? 伯爵は後継者をどうなさるおつもりなのかしら」

「シャウラ子爵家から養子を取るそうよ。だから――もう、要らなくなったのね」

 少女たちは、麗しい顔を醜く歪めて笑う。
 この裏庭は本来立ち入りが禁じられていて、それ故にクラウスにとっての秘密基地であり、時折こうして少女たちの“社交場“にもなるのだ。

 高い笑い声は耳障りだ。
 クラウスは溜息を吐くと、静かにその場を離れた。



 ◆



 部屋に戻ろうとするのを、背後から呼び止められる。

「――クラウス様」

「……なあに、オスカー」

 神妙な声に対抗するように、歳に似合わない舌足らずで名前を呼んだ。

 オスカーは、ベネトナシュ公爵家の執事。クラウスの父よりも年嵩だと言うのに、紅顔の美少年の面影を残している。

「旦那様がお呼びです。――私室へ、お越しになるようにと」

 そのオスカーは、刻まれつつある眉間の皺を深めて告げてきた。

 その表情を見れば用件には見当がつく。 
 新しい人形を、実の息子にも見せびらすつもりなのであろう。

 吐き気を覚えつつも、頷く。

「わかった。すぐに行くよ」



 ◆



「旦那様。クラウス様をお連れいたしました」

「入りなさい」

 促されて父の私室に入る。
 ここへ足を踏み入れるのは何年振りだろう、と考えるよりも先に、クラウスの目に一人の少年の姿が飛び込んできた。

 裏庭に咲き乱れる青い花と同じ色をした瞳。それを縁取る長い睫毛と、小さな頭を王冠のごとく覆っているのは煌めく黄金。
 白い肌を黒いレースの衣装に包んだその姿は、天使のように美しかった。

 きっと彼が、ベルンハルト・ミルザム――父の新しい人形なのだろうと思い至り、思わず表情を歪めそうになる。

 ああ、こんなにも幼い少年が、こんな場所へと連れてこられるなんて。

 なんたる悲劇か、と嘆くクラウスを他所に、父は――ベネトナシュ公爵は上機嫌に笑った。

「紹介しよう、ベルンハルト。これは私の次男だ」

「……クラウスです」

 きっと公爵は息子の名前など覚えていやしない、とクラウスは先んじて名乗る。

 ベルンハルトはクラウスと公爵とを交互に見つめた。
 公爵家の次男クラウスへのその態度は不敬とも取られかねないが、クラウスには彼を咎める気はない。

 この部屋の――否、この屋敷の支配者たる公爵がクラウスの存在を無視するようにベルンハルトだけを見つめているのだ。

 彼からすれば、どう出るべきか考えあぐねるのも無理はないだろう。
 
「ベルンハルト。彼はいずれ君の義兄あにになるんだ。そして私が君の父になる」

 公爵は特徴に乏しい顔に心からの喜色を浮かべた。

「とは言ってもクラウスは成人したら家を出るから、兄弟として過ごす時間はないだろうけどね」

 彼を、美しい天使を喰い殺す時を今か今かと待ち侘びるその笑みは、醜い。
 
 己にもその血が流れていることに、クラウスは絶望した。
 今すぐ立ち去りたいが、公爵の許しが出ぬ限りは敵わない。ただ黙って、公爵と彼との歪な一対いっついを見つめるほかなかった。
 

「公爵様。お願いがあります」

 沈黙を破るように、ベルンハルトはその細い肩に乗せられた公爵の手を取り、微笑む。
 
「ん? なんだね。なんでも言いなさい」

「僕、クラウス様と二人でお話がしたいです」

 僕と?
 クラウスは思いがけぬ言葉に声を上げかけた。

「だって、クラウス様はいずれ、僕のお兄様になるのでしょう? なのに話す機会がないだなんて……。折角こうしてお目に掛かることができたのですから、少しぐらいお兄様と親交を深めたいです」

 ね、と公爵に許諾を促すその響きは、楽園の蛇の誘いの如く甘美だった。

「……ああ。いいよ、勿論だとも。クラウス、彼に屋敷を案内してやりなさい」

 抗える者など、いるはずがない。
 それはたる公爵とて。

「はい。行きましょう、ベルンハルト様」

 当然、クラウスも同じだった。


 
 ◆



 どこにしようか、と悩んだ末にクラウスが彼を連れて行ったのは裏庭だ。

 彼の青い瞳と同じ色の花の咲き乱れる禁域で交わされる言葉なら、万が一誰かの耳に入ったとしても、公爵にまで届くことはない。


「ベルンハルト・ミルザム。君は、ここがどこだか理解しているのか」

 上擦った声が思いの外高圧的になったが、口から飛び出してしまったものはもう戻らない。
 クラウスは、彼の言葉をただじっと待った。
 
「ええ、クラウス様。ここはベネトナシュ公爵の――いいえ、のお屋敷です」

 人形公爵――それは、ベネトナシュ公爵の蔑称だ。


 公爵には悪癖がある。
 金に物を言わせ、麗しい少年たちを自らの所有物にし、辱め、貶めて。

 そうして、生きた人形にするのだ。

 人形の多くは孤児院の出身だったが、稀に彼のように親に売られる貴族の子弟もいた。

 だから、貴族の間でもこの醜聞は知れ渡っている。
 だが――貴族たちは公爵を糾弾しない。自らに火の粉が降りかからない限り、彼等にとっては対岸の火事。

 ただ密やかに、その悪趣味を笑うだけ。
 

「三階には、行ったのか」

 クラウスは呻くように言った。

 返事など求めていない。
 願わくは、なにも知らないでいて欲しいと思った。

「ええ。勿論。僕が公爵様の息子になった暁には、僕もあそこに並ぶのですから」

 期待を打ち砕くように、ベルンハルトは平然と告げた。笑ってすらみせた。

「逃げる気は、ないのかい」

「おかしなことを……僕にとって、逃げ出して……そうして辿り着いたのが此処です。まるで楽園ですね」

 あの場所を、三階を見た上でそんなことを言うのか。
 クラウスは、きつく唇を噛み締め、拳を握る。

 
 ――三階。
 
 それはこの公爵家の数ある禁域の最たるものだ。
 そこは人形になった少年たちの中でも、特に公爵の寵愛を受ける者たちが暮らす場所。

 確かに、孤児の少年たちにとってみれば楽園かもしれない。
 しばしその身を公爵に捧げれば、後は安寧と贅沢が保障されているのだから。

 だが――公爵が好むのは年若い少年だけだ。
 いずれ楽園の天使たちはその身を追放される。

 彼らの末路が幸せなものでないことは想像に難くない。

 
 学のない、乞食も同然の少年たちは何も知らずに仮初の幸せに酔えるかも知れぬ。けれど彼は、ベルンハルトは伯爵家の生まれだ。わからぬ筈がないのだ。

 だと言うのに。
 
「此処が……こんな場所が、楽園だって? 地獄だってもっとマシだろうさ。君は頭がおかしいんじゃないのか」

 クラウスは罵声をあげた。
 彼がその幼い身に背負ったものを考え、そうせずにはいられなかったのだ。

 ベルンハルトは顔を上げた。
 そうして嘲笑った。

「ははっ……此処が地獄だなんて……。クラウス様は、幸せにお育ちになったのですね」

 麗しい顔を侮蔑と憐憫に歪めても――彼は、哀しいほどに美しかった。


 この美しさをあの獣のような父の手で穢させてなるものか。そう決意し、クラウスは口を開く。

「……ベルンハルト様。僕は、貴方を決して人形などにはさせません」

「へぇ……どうやって? お父上の首でも落としてくださるのですか」

 ベルンハルトは身を屈めると、青い花に顔を寄せる。

「貴方が望むならそれもいいでしょう。ですが……それでは、貴方は伯爵家を出ることはできない」

 彼は、逃げ出した末に此処へ行き着いたのだと述べた。何処から逃げたのかと言えば、一つしかない。
 ――彼を売り払い、代わりの後継者を擁立した彼の父からであろう。

 ミルザム伯爵がベルンハルトを蛇蝎の如く嫌っていることは、貴族の間では公爵家の汚点と同じぐらいに有名だ。
 
 流石に――金に困っているわけでもあるまいに実の息子を地獄へ堕とす真似をするほどに嫌悪しているとは、誰も思ってもいないだろうが。

「だから、僕が貴方を、もっと広い世界にお連れします。貴方が誰からも認められるような、そんな世界を僕が創ってみせます」

「――出来ませんよ」
 
 クラウスの戯言を、ベルンハルトは花の命を枯らすついでに一蹴する。

「公爵と伯爵とを出し抜くのには、我々は幼すぎる」

「そうですね。……ですから、ベルンハルト様。あと、五年……いや、四年で構いません。しばしの間、生家で耐え忍んでください」

 クラウスは縋り付くようにベルンハルトの手を取り、花を手折ったその小さな白い掌へ口付けた。

「酷なことを申し上げているのはわかっています。ですがどうか……僕に、生きる希望をください」

「希望……?」

「はい。貴方を、貴方のお役に立てるかもしれない……そう思うことが、そのために邁進するのを許されることが、僕の生きる理由になるのです」

 クラウスの懇願に、ベルンハルトはまた哄笑し、それから静かに囁いた。

「……わかりました。あと四年。期待せずにお待ちしておりますよ、クラウスお兄様」



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「――“クラウス・ベネトナシュは、その命のある限り、ベルンハルト・ミルザムに忠誠を誓うだろう“」

 ベルンハルトの澄んだ声で与えられる、“予言“。

 これは彼の能力スキルを用いたものではない。ただの言葉だ。ただの無意味な儀式。

「ありがとうございます。本当に申し訳ないと、思っているんです。このような徒労に何度も……」

「……いえ。貴方は僕をお父上から、ミルザム伯爵から護ってくださった方なのですから。この程度でよいのならば、いくらでもお付き合いいたしますよ」


 ベルンハルトの言葉に甘え、クラウスによる彼への“私的な呼び出し“は幾度となく繰り返された。

 なんと恥知らずな欲望だろうと思いつつも、クラウスは、彼からの支配を望む心を抑えきれずにいたのだ。


 けれど、本当は。
 本当の欲望はもっと恥知らずで、肥大していた。

 
 ――笑いかけて欲しかった。
 あの日のように、「お兄様」と呼んで――そうして心から、笑って欲しかった。



 そのことにクラウスが気がついたのは、全てが手遅れになった後のことだ。
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