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第9話 ミーシャの結婚 -1-
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「ミーシャ、お前は何を考えているんだ!」
屋敷に戻った途端に、夫のアンディは大声で怒鳴りちらした。夜会で侯爵夫人としてふさわしい振る舞いができていなかったとなじられ、頬を叩かれた。
「この馬鹿が!!」
「ごめんなさい、アンディ、許して」
ミーシャは頭を抱えて、ひたすら謝った。夫の怒りが収まるまでこうしてやり過ごすしかない。
「わかればいいんだよ。ほら、さっさと来い」
痛いくらいの力で腕を掴まれ、半分引きずられながらベッドまで連れていかれた。有無を言わさず、ドレスをはぎ取らる。
乱暴に扱われ、ことが済むと、半裸状態で夫婦の寝室から追い出された。いつものことながら、ミーシャはこれがみじめでたまらなかった。夫の腕の中で朝まで過ごしたことなどない。
アンディが優しかったのは結婚式までだった。
容姿端麗、優雅な物腰、女性の扱いもスマートな侯爵家の次期当主。社交界の女性たちの憧れの的だった男性を手に入れたと有頂天だったのに、その幸せは幻に過ぎなかった。
釣った魚に餌をやらない、のレベルではなかった。アンディにとってミーシャは”物”だった。ダメなところがあれは殴って矯正すればいい、ただの便利な道具。
返事の仕方がよくないと平手打ちをしてくる。着ているドレスが趣味じゃないと突き飛ばされる。夜の夫婦生活も一方的で自分が満足したら終わり。
はじめのころは、言い返したり、否定もしてみた。しかし、アンディは激高するだけだった。ミーシャの言葉など聞いちゃいない。
結婚してすぐに夫は愛人を囲い始めた。アンディのかつての婚約者だったローラに面差しが似ている平民の女性だという。以前から関係は持っていたらしい。
俺の心は愛人のものだ。ミーシャを選んだのは、見た目が良くて、なんでも言うことを聞く扱いやすい女だからだ。侯爵夫人としてお飾り妻でいてくれればいい――――。 夫にはっきりそう言われた。
愛人にはねだられるままにドレスや宝石を与えるのに、ミーシャには花一輪くれたことはない。アンディの買ってきた愛人のためのプレゼントを自分宛てだと思い、開封して殴られたこともある。
夫の両親は息子の横暴さを知っても何も言わなかった。むしろ嫁なら夫の言いつけに従えとミーシャを叱った。
女友達にも相談しにくかった。ほんのり濁せば男なんてそんなものと言われてしまうし、かといって何もかもを包み隠さずに打ち明けることもできなかった。自分があまりにも哀れすぎて。
カルヴィンはミーシャがボークラーク家に入ったのと同時に西の領主館へ住まいを移してしまったが、こまめに本邸に戻ってきていた。会うたびに熱く注がれる恋慕の情に心が満たされた。
彼はわたしが人妻になっても好きでいてくれる。
アンディによって傷つけられたプライドは、カルヴィンから向けられる愛で修復することができた。
カルヴィンが結婚してもそれは変わらなかった。義父の誕生日パーティでは、となりに妻のエリーゼがいても情熱的な視線を送ってきた。
だからウェルズリー伯爵邸での夜会でカルヴィンに会えるのが楽しみでたまらなかった。
――――嘘でしょ。あれが、カル?
数か月ぶりに見たカルヴィンは、服装も小物もヘアスタイルも洗練されて見違えるほど格好良くなっていた。立ち振る舞いに余裕が出て、色気すら感じられる。他の令嬢たちからも注目を集めていた。
そんな素敵な男性が愛しているのは、このわたし。そう優越感を感じられるはずだったのに。
それなのに。
カルヴィンはちっともミーシャを見ようとしない。最初の挨拶ではいつも通り優しく微笑んでくれたが、それ以降は目を合わせてもくれなくなった。
ねえ、カル、私はここよ、ここにいるのに。カル、私を見て。カル、お願いだから、また熱く私を見つめてよ。
何度も心で訴えた。
あなたが好きなのはわたしでしょう?
しかし、彼のまなざしは妻に注がれ、妻だけに笑いかけていた。会うたびに見せてくれていた、カルのひたむきな瞳は、せつなげな表情は、どこへいってしまったの?
ミーシャのものだったはずの男は、夜会のあいだ中、片時も離れずにエリーゼをエスコートしていた。踊っているときも、飲み物を楽しむときも、常に妻を気遣い、そばに寄り添う。絵にかいたような愛妻家の夫と溺愛される妻。まわりもお似合いの夫婦だと褒めそやしていた。
夫のアンディはミーシャをほったらかしだ。最近、社交界デビューをしたばかりのうら若い令嬢を熱心に口説いている。誰にも相手にされず、壁の花でいるしかない自分が情けなくてたまらなかった。
帰り際、カルヴィンがひとりでいるのを見かけて思わず声をかけてしまった。聞けば、妻の失くしたイヤリングを探しに来たという。
「どこに落としたのかわからないのでしょう? そんな小さなものが見つかるとも思えないわ」
そういうと
「それなら仕方ないな。また買ってあげることにするよ」
あっさり答える。
「カルったら、そんなにしょっちゅうプレゼントして欲しいとエリーゼさんに言われているの?」
カルヴィンは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いや、僕が勝手に贈り物をしているんだよ。妻はねだってはくれないから、似合いそうなものを見つけるとつい買ってしまうんだ。むしろ、無駄遣いするなと叱られている。エリーゼはしっかりしているからね」
わたしはアンディから誕生日プレゼントすらもらったことがないのに、エリーゼはそんなに大切にされているの?
ミーシャはこぶしを握り締めた。沸き起こる嫉妬心を抑えられなかった。
あとから現れたくせに、わたしの大事なカルを奪うなんて許せない。
思わず、お茶に誘っていた。
カルは渡さない。
彼はずっとずっと私を愛してくれていないとだめなの。たとえ何があっても。
屋敷に戻った途端に、夫のアンディは大声で怒鳴りちらした。夜会で侯爵夫人としてふさわしい振る舞いができていなかったとなじられ、頬を叩かれた。
「この馬鹿が!!」
「ごめんなさい、アンディ、許して」
ミーシャは頭を抱えて、ひたすら謝った。夫の怒りが収まるまでこうしてやり過ごすしかない。
「わかればいいんだよ。ほら、さっさと来い」
痛いくらいの力で腕を掴まれ、半分引きずられながらベッドまで連れていかれた。有無を言わさず、ドレスをはぎ取らる。
乱暴に扱われ、ことが済むと、半裸状態で夫婦の寝室から追い出された。いつものことながら、ミーシャはこれがみじめでたまらなかった。夫の腕の中で朝まで過ごしたことなどない。
アンディが優しかったのは結婚式までだった。
容姿端麗、優雅な物腰、女性の扱いもスマートな侯爵家の次期当主。社交界の女性たちの憧れの的だった男性を手に入れたと有頂天だったのに、その幸せは幻に過ぎなかった。
釣った魚に餌をやらない、のレベルではなかった。アンディにとってミーシャは”物”だった。ダメなところがあれは殴って矯正すればいい、ただの便利な道具。
返事の仕方がよくないと平手打ちをしてくる。着ているドレスが趣味じゃないと突き飛ばされる。夜の夫婦生活も一方的で自分が満足したら終わり。
はじめのころは、言い返したり、否定もしてみた。しかし、アンディは激高するだけだった。ミーシャの言葉など聞いちゃいない。
結婚してすぐに夫は愛人を囲い始めた。アンディのかつての婚約者だったローラに面差しが似ている平民の女性だという。以前から関係は持っていたらしい。
俺の心は愛人のものだ。ミーシャを選んだのは、見た目が良くて、なんでも言うことを聞く扱いやすい女だからだ。侯爵夫人としてお飾り妻でいてくれればいい――――。 夫にはっきりそう言われた。
愛人にはねだられるままにドレスや宝石を与えるのに、ミーシャには花一輪くれたことはない。アンディの買ってきた愛人のためのプレゼントを自分宛てだと思い、開封して殴られたこともある。
夫の両親は息子の横暴さを知っても何も言わなかった。むしろ嫁なら夫の言いつけに従えとミーシャを叱った。
女友達にも相談しにくかった。ほんのり濁せば男なんてそんなものと言われてしまうし、かといって何もかもを包み隠さずに打ち明けることもできなかった。自分があまりにも哀れすぎて。
カルヴィンはミーシャがボークラーク家に入ったのと同時に西の領主館へ住まいを移してしまったが、こまめに本邸に戻ってきていた。会うたびに熱く注がれる恋慕の情に心が満たされた。
彼はわたしが人妻になっても好きでいてくれる。
アンディによって傷つけられたプライドは、カルヴィンから向けられる愛で修復することができた。
カルヴィンが結婚してもそれは変わらなかった。義父の誕生日パーティでは、となりに妻のエリーゼがいても情熱的な視線を送ってきた。
だからウェルズリー伯爵邸での夜会でカルヴィンに会えるのが楽しみでたまらなかった。
――――嘘でしょ。あれが、カル?
数か月ぶりに見たカルヴィンは、服装も小物もヘアスタイルも洗練されて見違えるほど格好良くなっていた。立ち振る舞いに余裕が出て、色気すら感じられる。他の令嬢たちからも注目を集めていた。
そんな素敵な男性が愛しているのは、このわたし。そう優越感を感じられるはずだったのに。
それなのに。
カルヴィンはちっともミーシャを見ようとしない。最初の挨拶ではいつも通り優しく微笑んでくれたが、それ以降は目を合わせてもくれなくなった。
ねえ、カル、私はここよ、ここにいるのに。カル、私を見て。カル、お願いだから、また熱く私を見つめてよ。
何度も心で訴えた。
あなたが好きなのはわたしでしょう?
しかし、彼のまなざしは妻に注がれ、妻だけに笑いかけていた。会うたびに見せてくれていた、カルのひたむきな瞳は、せつなげな表情は、どこへいってしまったの?
ミーシャのものだったはずの男は、夜会のあいだ中、片時も離れずにエリーゼをエスコートしていた。踊っているときも、飲み物を楽しむときも、常に妻を気遣い、そばに寄り添う。絵にかいたような愛妻家の夫と溺愛される妻。まわりもお似合いの夫婦だと褒めそやしていた。
夫のアンディはミーシャをほったらかしだ。最近、社交界デビューをしたばかりのうら若い令嬢を熱心に口説いている。誰にも相手にされず、壁の花でいるしかない自分が情けなくてたまらなかった。
帰り際、カルヴィンがひとりでいるのを見かけて思わず声をかけてしまった。聞けば、妻の失くしたイヤリングを探しに来たという。
「どこに落としたのかわからないのでしょう? そんな小さなものが見つかるとも思えないわ」
そういうと
「それなら仕方ないな。また買ってあげることにするよ」
あっさり答える。
「カルったら、そんなにしょっちゅうプレゼントして欲しいとエリーゼさんに言われているの?」
カルヴィンは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いや、僕が勝手に贈り物をしているんだよ。妻はねだってはくれないから、似合いそうなものを見つけるとつい買ってしまうんだ。むしろ、無駄遣いするなと叱られている。エリーゼはしっかりしているからね」
わたしはアンディから誕生日プレゼントすらもらったことがないのに、エリーゼはそんなに大切にされているの?
ミーシャはこぶしを握り締めた。沸き起こる嫉妬心を抑えられなかった。
あとから現れたくせに、わたしの大事なカルを奪うなんて許せない。
思わず、お茶に誘っていた。
カルは渡さない。
彼はずっとずっと私を愛してくれていないとだめなの。たとえ何があっても。
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