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第9話 孤児院と貝殻肥料-2-
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「あの建物は何ですか?」
「ああ。工場だよ」
孤児院の外門から百メートルほど離れたところに、明らかに使われていないであろうレンガ造りの建造物があった。
ふたりでなんとなくそちらの方向に歩きだす。
建物自体は新しいようだが、長らく放置されていたのか、壁は汚れ、蔦が好き放題に伸びて絡みついている。周辺は手入れされていない樹木が生い茂り、日光は遮られ、晴天のはずなのに薄暗い。
イーサンが錆ついた金属製の扉を押すと、ギイイイイイと耳障りな音を立てた。
広い室内はがらんとしていた。窓には雨戸が打ち付けられ、太陽の光はわずかしか届いていない。
薄暗い中を進むと、敷き詰められた石畳に靴のかかとがコツンコツンと音を立てる。天上が半円のトンネルのようになっているからだろうか、やけに音が反響する。
天気はいいはずなのに、心なしか空気が冷たい気がして、マリアナは両腕で自分の身体を抱きしめた。
「寂しいところですね。それに肌寒いような……。当然、気のせいでしょうけど」
「いや……。かつて、ここで起きたことを思えば、気のせいではないかもしれない」
「起きたことって、なんでしょうか」
「……聞きたいかい?」
「……はい」
イーサンは一呼吸おくと、目を伏せ、声を絞り出すように話し始めた。
「ここはその昔、武装した強盗集団が押し入ってね、経営者一家が襲われたんだ。強盗は女子供も容赦なく惨殺した。あたり一面が血の海で、それは凄惨な殺害現場だったらしい」
「えっ?」
「それ以降、夜な夜な亡霊が現れるようになり、買い手がつかずに放置されている」
「……ぼ、亡霊ですか?」
「ああ。一家全員が非業の死を遂げたんだ。いまだ恨みを持っているんだろう。興味本位でここを訪れた者たちはもれなく呪われるそうだ」
「そんな、呪いって……」
その瞬間、バンッ!と大きな音がした。
「きゃあ!」と悲鳴を上げ、マリアナはイーサンにしがみつく。
恐々顔をあげると、亡霊の気配などみじんもない。開けっ放しだった入り口のドアが強風で激しく閉まっただけだった。
イーサンは顔を背け、肩を震わせて笑いをこらえている。
「もしかして、騙したんですか!」
「すまない」
「非業の死というのは嘘なんですか?」
「人が亡くなったのは本当だよ。ここは着工してすぐに経営者が亡くなって工事がストップしてしまったんだ。ただ、その経営者は九十歳を超えるご老体でね、手がけた事業が頓挫して無念ではあるだろうけど、死因は老衰だからおそらく呪われる心配はないと思うよ」
「酷いです! ほんとに怖かったのに!」
「いや、悪かった。ほんの冗談のつもりだったんだよ。まさか信じるとは思わなくて」
たいして悪いとは思っていないのだろう、謝罪の言葉とは裏腹にまだ笑っている。
「もう!」
ぷいっと横を向く。
「お詫びをするから機嫌なおして」
そう言って連れてこられたのは大通りにある洒落たカフェだった。ケーキスタンドにずらっと並べられた何種類ものカラフルなケーキたちと琥珀色の香り高き紅茶。思わずマリアナの目が輝く。
「これで許してもらえるといいんだけど」
「今回はこれで胡麻化されてあげます」
迷いながら、好みのケーキを取り分ける。
秘書になってからイーサンと一緒に食事をとる機会は何度もあったが、執務室で書類に目を通しながら片手でサンドウィッチをつまんだり、取引先との会食だったりで、なかば仕事の延長のようなものだった。お洒落なカフェで二人きり。こんなデートのようなティータイムは初めてかもしれない。
――――デート??
そっと店内を見回すと、客は男女の二人組ばかりだ。
もしかして、わたしたちも夫婦とか恋人同士に見られてるの?
そう考えたとたんに、今置かれた状況を意識してしまい、心臓がドドドドと早鐘を打ちはじめた。
イーサンの方に目をやると、カップを片手に窓の外の景色を眺めていた。
澄んだ若草色の瞳、通った鼻筋、シャープなあごのライン。なんてきれいな横顔だろうと、思わず見惚れてしまう。
嵐の夜の海で初めてイーサンを見たとき一瞬で心を奪われたことを思い出す。もともと一目惚れするくらい好みの顔立ちなのだ。こんな素敵な恋人がいたらどんなに幸せだろう。
――――えっ! 恋人って!!
「どれが美味しい?」
「え、ええ。みんな、どれも美味しいです。このアップルパイはメルが大好きだと思います」
妄想に耽っていたところにふいに話しかけられて、マリアナは自分でもよくわからない返事をしてしまった。
「それなら北館のみんなのぶんも土産に買っていこうか」
イーサンは店員を呼ぶと、持ち帰り用にケーキを包んでくれるように頼んだ。
こうしていつも使用人にも分け隔てなく接してくれる。貴族らしくないとウォルターには叱られているようだけど、マリアナはこういう優しいところも好きだと思う。
――――好き? ……好きって?? いや、待って、待って。
落ち着いて思考の整理をしないと。
わたしはアダム様に復讐すると決めた。あの身勝手男をぎゃふんと言わせるためには、イーサン様が必要なのだ。
イーサン様はすごく優しい。そして、聡明で、努力家。尊敬の気持ちを抱いているのは確かだ。でも、それは領主にふさわしいというだけだ。レティシア姉さんだって言っていたではないか。上に立つ人物としてイーサンが適任なのか見極めろと。
そう、この『好き』は敬愛の念であって、恋慕の情とは違う。そもそも今は恋愛などしている場合ではない。復讐という目的にただ邁進するのみ。
――――よし、自問自答はおしまい
高ぶった気持ちを落ち着かせるために、マリアナは残りの紅茶を一気に飲み干した。
「ああ。工場だよ」
孤児院の外門から百メートルほど離れたところに、明らかに使われていないであろうレンガ造りの建造物があった。
ふたりでなんとなくそちらの方向に歩きだす。
建物自体は新しいようだが、長らく放置されていたのか、壁は汚れ、蔦が好き放題に伸びて絡みついている。周辺は手入れされていない樹木が生い茂り、日光は遮られ、晴天のはずなのに薄暗い。
イーサンが錆ついた金属製の扉を押すと、ギイイイイイと耳障りな音を立てた。
広い室内はがらんとしていた。窓には雨戸が打ち付けられ、太陽の光はわずかしか届いていない。
薄暗い中を進むと、敷き詰められた石畳に靴のかかとがコツンコツンと音を立てる。天上が半円のトンネルのようになっているからだろうか、やけに音が反響する。
天気はいいはずなのに、心なしか空気が冷たい気がして、マリアナは両腕で自分の身体を抱きしめた。
「寂しいところですね。それに肌寒いような……。当然、気のせいでしょうけど」
「いや……。かつて、ここで起きたことを思えば、気のせいではないかもしれない」
「起きたことって、なんでしょうか」
「……聞きたいかい?」
「……はい」
イーサンは一呼吸おくと、目を伏せ、声を絞り出すように話し始めた。
「ここはその昔、武装した強盗集団が押し入ってね、経営者一家が襲われたんだ。強盗は女子供も容赦なく惨殺した。あたり一面が血の海で、それは凄惨な殺害現場だったらしい」
「えっ?」
「それ以降、夜な夜な亡霊が現れるようになり、買い手がつかずに放置されている」
「……ぼ、亡霊ですか?」
「ああ。一家全員が非業の死を遂げたんだ。いまだ恨みを持っているんだろう。興味本位でここを訪れた者たちはもれなく呪われるそうだ」
「そんな、呪いって……」
その瞬間、バンッ!と大きな音がした。
「きゃあ!」と悲鳴を上げ、マリアナはイーサンにしがみつく。
恐々顔をあげると、亡霊の気配などみじんもない。開けっ放しだった入り口のドアが強風で激しく閉まっただけだった。
イーサンは顔を背け、肩を震わせて笑いをこらえている。
「もしかして、騙したんですか!」
「すまない」
「非業の死というのは嘘なんですか?」
「人が亡くなったのは本当だよ。ここは着工してすぐに経営者が亡くなって工事がストップしてしまったんだ。ただ、その経営者は九十歳を超えるご老体でね、手がけた事業が頓挫して無念ではあるだろうけど、死因は老衰だからおそらく呪われる心配はないと思うよ」
「酷いです! ほんとに怖かったのに!」
「いや、悪かった。ほんの冗談のつもりだったんだよ。まさか信じるとは思わなくて」
たいして悪いとは思っていないのだろう、謝罪の言葉とは裏腹にまだ笑っている。
「もう!」
ぷいっと横を向く。
「お詫びをするから機嫌なおして」
そう言って連れてこられたのは大通りにある洒落たカフェだった。ケーキスタンドにずらっと並べられた何種類ものカラフルなケーキたちと琥珀色の香り高き紅茶。思わずマリアナの目が輝く。
「これで許してもらえるといいんだけど」
「今回はこれで胡麻化されてあげます」
迷いながら、好みのケーキを取り分ける。
秘書になってからイーサンと一緒に食事をとる機会は何度もあったが、執務室で書類に目を通しながら片手でサンドウィッチをつまんだり、取引先との会食だったりで、なかば仕事の延長のようなものだった。お洒落なカフェで二人きり。こんなデートのようなティータイムは初めてかもしれない。
――――デート??
そっと店内を見回すと、客は男女の二人組ばかりだ。
もしかして、わたしたちも夫婦とか恋人同士に見られてるの?
そう考えたとたんに、今置かれた状況を意識してしまい、心臓がドドドドと早鐘を打ちはじめた。
イーサンの方に目をやると、カップを片手に窓の外の景色を眺めていた。
澄んだ若草色の瞳、通った鼻筋、シャープなあごのライン。なんてきれいな横顔だろうと、思わず見惚れてしまう。
嵐の夜の海で初めてイーサンを見たとき一瞬で心を奪われたことを思い出す。もともと一目惚れするくらい好みの顔立ちなのだ。こんな素敵な恋人がいたらどんなに幸せだろう。
――――えっ! 恋人って!!
「どれが美味しい?」
「え、ええ。みんな、どれも美味しいです。このアップルパイはメルが大好きだと思います」
妄想に耽っていたところにふいに話しかけられて、マリアナは自分でもよくわからない返事をしてしまった。
「それなら北館のみんなのぶんも土産に買っていこうか」
イーサンは店員を呼ぶと、持ち帰り用にケーキを包んでくれるように頼んだ。
こうしていつも使用人にも分け隔てなく接してくれる。貴族らしくないとウォルターには叱られているようだけど、マリアナはこういう優しいところも好きだと思う。
――――好き? ……好きって?? いや、待って、待って。
落ち着いて思考の整理をしないと。
わたしはアダム様に復讐すると決めた。あの身勝手男をぎゃふんと言わせるためには、イーサン様が必要なのだ。
イーサン様はすごく優しい。そして、聡明で、努力家。尊敬の気持ちを抱いているのは確かだ。でも、それは領主にふさわしいというだけだ。レティシア姉さんだって言っていたではないか。上に立つ人物としてイーサンが適任なのか見極めろと。
そう、この『好き』は敬愛の念であって、恋慕の情とは違う。そもそも今は恋愛などしている場合ではない。復讐という目的にただ邁進するのみ。
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