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【番外編】アダムの後悔-1-
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本館の大広間で大灯台から伝えられた絶望的な戦況を聞いたアダムは、名誉より己の安全を優先した。
戦闘の支度をするふりをして自室へ戻り、換金できそうな金目の物を旅行鞄に詰め込んだ。訝しがる護衛や引き留めようとする侍女たちを振り切ると、持てるだけの荷物を馬車に乗せ、シンディを連れてタウンゼント領を後にした。
王都にはタウンハウスがあるが、もし敵国の艦隊が港の占拠に成功したら、大量の兵士が侵略のために王城へ攻め上るだろう。城下町が戦火にさらされることは間違いない。危険を回避するために王都とは逆の方角にある、妻シンディの実家を目指した。
シンディは家督を継いでいる長兄夫婦とは折り合いが悪かったが、グレモア帝国から宣戦布告があったという一報はノース領にも届いており、緊急事態ということでとりあえず受け入れてもらうことができた。
しかし、何日たっても戦争は始まらなかった。
その代わり、アダムのもとに届いたのは、襲来した敵国の世界最強と謳われた海軍をタウンゼント公爵とその子息のイーサンがわずか数時間で打ち破ったという知らせだった。国を救った功績を称えられ、国王陛下から名誉ある勲章を授けられたという。
アダムは予期していなかった事態に青ざめていたが、退屈な田舎に飽き飽きしていたシンディは、戦争が回避されたならば王都で暮したいと言い出した。
年の離れた長兄は、若いころから奔放で身勝手な妹に対して腹を立てていた。結婚すれば少しは落ち着くかと思ったが、前夫のロレリア伯爵がいながらも年下の男に手を出し、勝手に離婚し勝手に再婚した。新しい夫も身分こそ高いが、妹と同様の目先の快楽がすべてというタイプだった。
浮ついた妹を躾直すチャンスと領地なら住むことを許した。王都に行きたければ好きにすればいいが、金銭的な援助は一切行わない。
アダムがタウンゼント家を出るときに金貨や宝石など手持ちの金目物はできるだけ持ち出したし、自分名義の現金資産もあるから夫婦だけで王都で暮すことはできる。しかし、シンディが望む生活水準を維持しようと思えば二年ともたない。
もっとも、アダムとシンディが王都に戻ったところで、かつてのように社交界でもてはやされることはない。タウンゼント家の武勇伝はあっという間に貴族社会に広がったが、それと同時にアダムの逃亡劇も知れ渡ってしまったからだ。のこのこと夜会へ出かけても笑いものになるだけだろう。
シンディの実家に逃げ込んだことは、ノース家によりすでにタウンゼント家へ伝えられていた。せめて詫びにくるようにと公爵は最大限の譲歩をしたが、アダムが応じることはなかった。いまさらどの面を下げて帰れるというのか、プライドの高いアダムには到底受け入れられることではなかった。
最終通告を無視したことでアダムは廃嫡となり、イーサンが正式な後継者に指名された。
完全に行き場を失ったアダムだったが、最後の情けとしてシンディの長兄よりノース家の領地の一部を分け与えられた。飛び地になった小さな村で、主な産業は林業と牧羊。自然が豊かといえば聞こえがいいが、手つかずの山と森しかないド田舎だった。朝は羊のメェメェと鳴く声で起こされる。
粗末な領主館はタウンゼント家の本館の広さの十分の一もない。内装も質素で、古びた家具と安っぽい調度品があるだけ。従者や侍女も必要最小限の人数しかおらず、出される食事も侘しいものだった。
生活に使える予算もごくわずかなので、新しく服を仕立てることもできない。もっとも、流行の服を身に纏ったところで行く場所などない。領地内にかろうじてある小さな商店街に着飾って出かけても滑稽なだけだ。
公爵家での暮らしが懐かしい。広大な敷地に建てられた大きな屋敷、贅を尽くした豪華な内装、手入れの行き届いた芸術的な庭園、傅く多くの使用人たち。王城での社交パーティ、秘密裏に行われる禁断の夜会。狐狩り、音楽会、観劇にカジノとあらゆる娯楽を楽しんだ。
シンディとも喧嘩が絶えなかった。弟よりも活躍して敵艦を追い払ったならもっと豪華な暮らしができたのにあなたが逃亡したのが悪い、王都やタウンゼント領に戻れないなら弟のように事業を成功させて金をたくさん稼いで来いと毎日のように罵声を浴びせてくる。
アダムも、お前こそ兄から金を搾り取って来いと言い返すが、二人の仲が険悪になるだけで貧相な生活は何も変わらなかった。
日増しにアダムは人生に絶望していった。
――――どうして俺がこんな目にあわなければならないんだ
本来だったら、父親のもとで公爵家の将来を担う跡継ぎとして華々しい人生を送っていたはずだ。自分の居場所を奪ったイーサンへの恨みがワインの澱のように溜まってゆく。どす黒い感情が徐々にアダムの心を蝕んでいった。
子供のころから目ざわりでしかなかった、同じ顔を持つ双子の弟。
学業でも芸術面でもアダムは秀でたものを持っており、同世代の子供たちと比べて常に頭一つ抜きんでていた。自分は特別な存在なのだと信じたかったのに、そんなアダムの思いをイーサンはいつも打ち砕いてきた。何をやってもアダムと同等かそれ以上の結果を残す。剣術に至ってはイーサンに勝てたことは一度もなかった。
名門貴族タウンゼント公爵家の跡取りであること、それだけが唯一変わることなないアダムのよすがだった。それすら忌々しい弟が手中に収めてしまった。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。
――――イーサンさえいなければ
そう、イーサンがいなくなれば、また公爵家に戻れるかもしれない。
タウンゼント家の係累は女子ばかりで男子は少ないから、養子をとるにも苦労するだろう。直系の自分が跡取りに返り咲くチャンスは十分にある、そう考え始めたら止まらなくなった。
アダムがいるべき場所を、憎い弟から取り返す。それは紛れもない正義だ。
戦闘の支度をするふりをして自室へ戻り、換金できそうな金目の物を旅行鞄に詰め込んだ。訝しがる護衛や引き留めようとする侍女たちを振り切ると、持てるだけの荷物を馬車に乗せ、シンディを連れてタウンゼント領を後にした。
王都にはタウンハウスがあるが、もし敵国の艦隊が港の占拠に成功したら、大量の兵士が侵略のために王城へ攻め上るだろう。城下町が戦火にさらされることは間違いない。危険を回避するために王都とは逆の方角にある、妻シンディの実家を目指した。
シンディは家督を継いでいる長兄夫婦とは折り合いが悪かったが、グレモア帝国から宣戦布告があったという一報はノース領にも届いており、緊急事態ということでとりあえず受け入れてもらうことができた。
しかし、何日たっても戦争は始まらなかった。
その代わり、アダムのもとに届いたのは、襲来した敵国の世界最強と謳われた海軍をタウンゼント公爵とその子息のイーサンがわずか数時間で打ち破ったという知らせだった。国を救った功績を称えられ、国王陛下から名誉ある勲章を授けられたという。
アダムは予期していなかった事態に青ざめていたが、退屈な田舎に飽き飽きしていたシンディは、戦争が回避されたならば王都で暮したいと言い出した。
年の離れた長兄は、若いころから奔放で身勝手な妹に対して腹を立てていた。結婚すれば少しは落ち着くかと思ったが、前夫のロレリア伯爵がいながらも年下の男に手を出し、勝手に離婚し勝手に再婚した。新しい夫も身分こそ高いが、妹と同様の目先の快楽がすべてというタイプだった。
浮ついた妹を躾直すチャンスと領地なら住むことを許した。王都に行きたければ好きにすればいいが、金銭的な援助は一切行わない。
アダムがタウンゼント家を出るときに金貨や宝石など手持ちの金目物はできるだけ持ち出したし、自分名義の現金資産もあるから夫婦だけで王都で暮すことはできる。しかし、シンディが望む生活水準を維持しようと思えば二年ともたない。
もっとも、アダムとシンディが王都に戻ったところで、かつてのように社交界でもてはやされることはない。タウンゼント家の武勇伝はあっという間に貴族社会に広がったが、それと同時にアダムの逃亡劇も知れ渡ってしまったからだ。のこのこと夜会へ出かけても笑いものになるだけだろう。
シンディの実家に逃げ込んだことは、ノース家によりすでにタウンゼント家へ伝えられていた。せめて詫びにくるようにと公爵は最大限の譲歩をしたが、アダムが応じることはなかった。いまさらどの面を下げて帰れるというのか、プライドの高いアダムには到底受け入れられることではなかった。
最終通告を無視したことでアダムは廃嫡となり、イーサンが正式な後継者に指名された。
完全に行き場を失ったアダムだったが、最後の情けとしてシンディの長兄よりノース家の領地の一部を分け与えられた。飛び地になった小さな村で、主な産業は林業と牧羊。自然が豊かといえば聞こえがいいが、手つかずの山と森しかないド田舎だった。朝は羊のメェメェと鳴く声で起こされる。
粗末な領主館はタウンゼント家の本館の広さの十分の一もない。内装も質素で、古びた家具と安っぽい調度品があるだけ。従者や侍女も必要最小限の人数しかおらず、出される食事も侘しいものだった。
生活に使える予算もごくわずかなので、新しく服を仕立てることもできない。もっとも、流行の服を身に纏ったところで行く場所などない。領地内にかろうじてある小さな商店街に着飾って出かけても滑稽なだけだ。
公爵家での暮らしが懐かしい。広大な敷地に建てられた大きな屋敷、贅を尽くした豪華な内装、手入れの行き届いた芸術的な庭園、傅く多くの使用人たち。王城での社交パーティ、秘密裏に行われる禁断の夜会。狐狩り、音楽会、観劇にカジノとあらゆる娯楽を楽しんだ。
シンディとも喧嘩が絶えなかった。弟よりも活躍して敵艦を追い払ったならもっと豪華な暮らしができたのにあなたが逃亡したのが悪い、王都やタウンゼント領に戻れないなら弟のように事業を成功させて金をたくさん稼いで来いと毎日のように罵声を浴びせてくる。
アダムも、お前こそ兄から金を搾り取って来いと言い返すが、二人の仲が険悪になるだけで貧相な生活は何も変わらなかった。
日増しにアダムは人生に絶望していった。
――――どうして俺がこんな目にあわなければならないんだ
本来だったら、父親のもとで公爵家の将来を担う跡継ぎとして華々しい人生を送っていたはずだ。自分の居場所を奪ったイーサンへの恨みがワインの澱のように溜まってゆく。どす黒い感情が徐々にアダムの心を蝕んでいった。
子供のころから目ざわりでしかなかった、同じ顔を持つ双子の弟。
学業でも芸術面でもアダムは秀でたものを持っており、同世代の子供たちと比べて常に頭一つ抜きんでていた。自分は特別な存在なのだと信じたかったのに、そんなアダムの思いをイーサンはいつも打ち砕いてきた。何をやってもアダムと同等かそれ以上の結果を残す。剣術に至ってはイーサンに勝てたことは一度もなかった。
名門貴族タウンゼント公爵家の跡取りであること、それだけが唯一変わることなないアダムのよすがだった。それすら忌々しい弟が手中に収めてしまった。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。
――――イーサンさえいなければ
そう、イーサンがいなくなれば、また公爵家に戻れるかもしれない。
タウンゼント家の係累は女子ばかりで男子は少ないから、養子をとるにも苦労するだろう。直系の自分が跡取りに返り咲くチャンスは十分にある、そう考え始めたら止まらなくなった。
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