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第29話 不意を突かれると100倍ときめく

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ヒムヤルの街をでるとしばらくは砂漠が続く。
ハリソン王子の体力も考え、移動のためにラクダを買った。
必要な時に買い、目的地に着いたら売るというのは、西の大陸では当たり前に行われている。

地平線の彼方までどこまでも続く赤い砂丘。
流砂が作る風紋は毎日表情を変える。自然が作り出す芸術は気まぐれで、見ていて飽きることがない。
強風によって大地から吹き上げられた砂塵は、そのまま風にのって海に運ばれる。
砂漠の砂に踏まれるミネラルは他の大陸まで届き、遠い国の森林を肥やしているのだ。

そして、はるか先に見える山並み。
巨大な壁のようにそそり立つトライフ山脈は2000メートル級の山々が連なる西の大陸の最高峰だ。
一か所、槍のように尖って突き出た岩があり、それには、とある女性の名前が付けられている。

この地方に伝わる男女の悲恋の物語をサリッドが教えてくれた。

ある部族の娘と、遊牧民の男が出会い、恋に落ちる。
二人は深く愛し合うようになった。
しかし季節が変われば遊牧民はほかの土地に移動しなければならない。
男は娘についてきてほしいといったが、部族のおさである父親は決して許さないし、娘自身にも村を離れる勇気はなかった。
遊牧民の男がこの地に残ることを娘は望んだが、男はこれまでの生活を捨てることはできなかった。
来年の再会を約束して、二人は離れ離れになる。
そして1年後、男はこの地を訪れるが、娘の村はなくなっていた。
部族同士の争いが起こり、村は焼かれてしまったのだ。生き残った人々はどこか安住の地を求めて旅立ったという。
男は絶望した。そして片時も娘のことを忘れることはなかった。
そして幾年かの歳月が過ぎ、男がふらりと訪れた村で二人はふたたび巡り合う。
しかし、娘は重い病にかかり臨終の床にあった。
男は娘を看取ると、砂漠のどこにいても見れるようにとトライフ山脈の頂に娘の亡骸を葬った。


日も暮れ始めたころ、小さなオアシスを見つけた。
野営の準備に取り掛かる。
王子も積極的に手伝うようになっていた。
サリッドに習って火も起こせるようになったし、出された食事に文句を言うこともなくなった。
それどころか、時には食事当番を買って出ることもある。
初めての野営の時は座り込んで何もしようとしなかったのに、ずいぶん変わったものだ。

ラクダに水を飲ませ、休ませる。
太陽が間もなく姿を隠そうとするこの時刻の空は、濃紺、青、橙色がアンバランスに混じりあう。妖しくも美しい。

やがて黒一色の時間が訪れる。
今夜は三日月で、月の光が少ない分、余計に星がくっきり見える。
すーっと糸を引くように星が流れた。

「あ! 流れ星」

私は夜空を指さす。
ふたつ、みっつ、と、さらに星が流れる。
光り輝く糸はどんどん数を増し、やがて雨のように地上に降り注いだ。
流星群だ!
突然始まった天体ショーに、王子は立ち上がって見入っていた。

「すごい、余はこんなもの、初めて見るぞ!」

今にも飛び跳ねんばかりに興奮している王子の背中をながめながら、私も星を観察する。

サリッドはとなりに座ると、私の腕をつっつく。
そちらを向くと、口元に人差し指をあて「シー」っというジェスチャーをしていた。

彼は顔を近づけてくると、そっと唇を重ねてきた。
彼の唇と、私の唇が触れあう。
お互いの体温を伝え合うかのような、ほのかで優しいキスは砂糖菓子を溶かしたような甘さ。
あまりの気持ちよさに思わず声が出そうになる。

その時、

「おおっ!すごいぞ!!」

王子がはしゃいだ声を出した。
私たちは、慌てて離れる。
王子は振り返ると

「今の見たか? 特大の流れ星だったな!」

嬉しそうに笑っていた。

「ええ、本当に」

満天の星空を仰ぎ見る。

「一生、忘れられないステキな夜になったわ」


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