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第42話 【番外編】ハリソン王子の退屈な日常-4- 最終話  

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「キャアアア!」

突如、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。

「だ、誰かぁ!!助けて!泥棒よ!!」

男が老婦人からバッグを奪い取ると、走って逃げだした。
ひったくりか⁈
隣に座っていたシェリルが、立ち上がると勢いよく駆けだした。

「待ちなさい!!」

スカートを翻し、男を追いかけてゆく。

「おい! シェリル!」

余も急いでその後を追った。

角を曲がったところで、ようやく追いついた。
荷物を取り返そうと、もみ合うひったくり犯とシェリル。

「返しなさいよ!」

シェリルはバッグを抱きかかえるようにして、男からもぎ取った。

「この女!! いい加減にしろ!! 邪魔するんじゃねえ!」

犯人は懐からナイフを取り出すと、大きく振り回した。

「キャア!」

後ずさるシェリル。

「やめろ!!!」

余が男を怒鳴りつけると、

「うるせえ!!」

ナイフをこちらに向けた。

両手を開き、顔の高さまで上げる。

「落ち着け、ナイフを捨てるんだ」
「うるせえって言ってるだろ! わからねえのか!!」

説得に応じる気はなさそうだ。

「わあああああ!」

獣のように叫びながら、男はナイフを突き出し向かってきた。
すばやく男の左側に回り、相手の二の腕を押すように、外側から自分の腕を叩きつける。
刃の方向が逸れた瞬間に、ナイフを持った手首を掴むと、男はバランスを崩し、前のめりに転倒した。
手首を離さず、そのまま後方にねじり上げる。
背中に乗り、全体重をかけた。
ナイフを取り上げ、遠くに放り投げる。
騒ぎを聞きつけ集まってきた人たちに護衛官を呼ぶように頼んだ。

心臓がどくどく脈打っている。
ぶっつけ本番だったが、まさか上手くいくとは思わなかった。
砂漠の旅から戻ってきてから帰国までの間、ディルイーヤ王宮騎士団の騎士たちに護身術の稽古をつけてもらっていたが、こんなところで役に立つとは。

すぐに護衛官はやってきた。ひったくり犯を引き渡し、老婦人のバッグも預けた。
シェリルはその場に立ったまま呆然としていた。

「シェリル、正義感が強いのはいい。でも、相手のことがわからないのに深追いするな! 危険だろう、何かあったらどうするんだ!」

怒りながら、そういえばレイシーとサリッドにも同じように注意されたことがあったと思い出した。
こんな気持ちだったのか。過去の自分の言動を反省する。

「ごめんなさい」

さっきまでの元気はどこへやら、しゅんとしてしまった。

「いや、すまない言い過ぎた」
「ううん、ハリーの言うとおりだわ。わたしが軽率だったの」

シェリルはうつむいたまま、顔を上げようとしない。

「君も刃物を向けられて怖かっただろう。それなのに気持ちも考えずに一方的に𠮟りつけて悪かった」
「うん、怖かった」

大きな瞳から大粒の涙があふれ出した。

「すごく、怖かったの」

シェリルを抱き寄せると、彼女はわんわんと泣き始めた。
余はただ、彼女の背中をなでるしかできなかった。


「落ち着いたか?」
「うん」

シェリルはハンカチで涙を拭う。目が赤く腫れている。

「あー、その、何か食べる元気はあるか?」
「え?」
「このまま泣き顔で別れるのは辛すぎる。出来たら、最後は君の笑顔で一日を終わりたいんだ。君を落ち込ませる原因を作った私が言うのもなんだが」

シェリルは相好を崩した。

「泣いたらお腹が空いたわ。なにか美味しいものが食べたいの。食事に連れて行ってくれる?」
「ああ、喜んで」
「そうだわ、大事なこと言っていなかった!」

まっすぐに見つめてくる、その瞳に吸い込まれそうになる。

「ハリー、助けてくれてありがとうね。びっくりしちゃったけど、すごく格好良かったよ」





無断で城を抜け出して以降、さらに監視が厳しくなった。誇張ではなく24時間誰かしら張り付いている。
国王主催の夜会の今はさすがに見張りはいないが、だからといって抜け出すわけにもいくまい。
これも政務の一つ。貴族といい関係を保つのも王族には大切なことだ。真面目に仕事をこなそうと思う。

「ハリソン王子殿下、少しよろしいでしょうか」
「これは、ボールドウィン伯爵」

ポーラとレイシーの父親から声をかけられた。

「ぜひ、姪を紹介させていただきたく。地方の女学院に通っていましたが、どうしても王都で学び直したいといいだしまして、1年間我が家で預かることになりました」

そう言って一人の令嬢を手招きした。

「こちらはシェリル・ミットフォード 。ブロックウッド領の領主、ダニエル・ミットフォード侯爵の長女になります」
「あら、ハリーじゃない。どうしたのよ、こんなところで」
「こ、こら、王子殿下に何を失礼な口の利き方を!」

慌てた伯爵は姪を𠮟りつけた。

「伯父さまったら、王子って何なのよ?」
「ハリソン殿下、田舎者ゆえ、作法を心得ておらず申し訳ありません」
「いや、構わぬ。気にしないでくれ」

きょとんとしているシェリル。

笑いが抑えられなかった。
レイシーの従姉妹なのか。血は争えないものだ。

「シェリル、そなたに嘘をついていたことを謝らなければならない」
「え?」
「ハリーは偽名だ。余の本当の名前はハリソン・ティモシー・カールトン・ウェルズリー。コルトレーン王国の第一王子だ」

さすがに度胸のいいシェリルでも驚いたようだ。

「そんな、わたしったら、王子様に道案内させたり、食事を奢らせてしまったの? なんて失礼なことを」
「いや、レイシーに比べたら可愛いものだ。失礼のうちに入らないから気に病むことはない」
「あら、殿下は、レイシーお姉さまとお知り合いなんですか?」
「よく知っている。彼女ほど面白い女性はそうはいないと思っていたが、君も引けは取らないようだ」
「ええ。ポーラお姉さまより、私の方がレイシーお姉さまと性格がそっくりだと親族からはよく言われます」
「確かにそのようだな」



ーーーーもし私に運命の相手がいるというなら、必ず自分からつかみに行くわ



レイシーの声が聞こえた気がした。


「シェリル嬢、ぜひ一曲踊ってもらえないだろうか」

手を差し出した。

「それともダンスより、街歩きのほうがいいだろうか? ボンボンショコラが有名なショコラティエの店はどうだろう。きっと気に入ると思う」

シェリルはにっこりと微笑む。

「ええ、また食べ歩きしましょう、ハリー。でも、今度は遅刻しないでよね!」


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