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10.孤児院へ

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 日は頂点から少し傾き、大地を照らしている。
 空には雲一つなかったが、アルの心の内はちっとも晴れやかではなかった。
 その原因については、もはや語る必要もないだろう。言うまでもなく【あの大馬鹿勇者】が、それであった。結局、露店市を一通り見てみたものの、ハヤトとアナの姿は認められなかったのである。見るからに怪しいあの男の容姿、それを基に聞き込みをしてみても成果は得られなかった。

 もしかしたら、あの時すでに市場から離れてしまっていたのかもしれない。
 その可能性を考えれば、今回は完全に後手に回ってしまったということになる。アルは唇を噛みながら、らしくない舌打ちを一つ。そして、気持ちを落ち着けようと深呼吸をした。しかしそれでも、ささくれ立った感情は中々に押し込み切れず、思考を鈍らせる。

 ――どうしたものか、と。
 アルは一度、往来の只中で立ち止まった。

「そもそも、アイツの行きそうな場所に心当たりが……」

 そして、そう口にする。
 それもそのはず、であった。異世界からやってきたハヤトが、この世界でいく場所など思い浮かぶはずがないのである。今日この日まで、彼は城の中から一歩も外へ出たことがなかったのだ。そうなってくると、行きたいと希望する地など、あるはずもなく――。

「――あ、そうか」

 そこまで考えて、アルは一つ思い当たった。
 何も探しているのは、ハヤトのことだけではない。彼の隣には、メイドのアナがいるはずなのであった。この王都で生まれ育った彼女なら、どこか行きたい場所があるかもしれない。

「何をやっているんだ、私は……!」

 どうしてその可能性に、今まで気が付かなかったのか。
 アルは自分を責めた。しかし、今はそんなことをしている場合ではない。
 賢者はすぐに、マイナスな方向へ行きたがる思考を持ち上げて、今まで眼中にも入れなかった――いいや。あえて入れようとしてこなかった少女のことを考えた。

 彼女なら、どこへ行きたがるだろうか。
 どこへ、ハヤトのことを連れて行きたがるであろうか。
 そう考えるとすぐに、アルの思考は一つの手がかりを探し当てた。

「……孤児院か!」

 そう。そこは、アナが生まれ育った場所。
 彼女がこの王都で、城以外に唯一、身を寄せることの出来る場所。
 元騎士団のコルドー氏の経営する、穢れた血を持つ子供たちが集まる場所であった。貧困層の者が住まう王都の南部。そこにある孤児院が、有力であると考えられた。そうとなったら、急がなければならない。

「くそっ、手間をかけさせて……っ!」

 アルは珍しい悪態を吐くと、駆け出した。
 人の波を掻き分ける。そして、一直線に目的地へと向かうのであった。


◆◇◆


『アルフレッド。穢れた血を持つ者たちとは、決して関わってはならないぞ』
『どうしてなのですか? お父様』

 幼いアルは、父の言葉にそう問いかけた。
 すると返ってきたのは、何を当たり前のことを、といった言葉。

『そんなことは、聞くまでもないことだ。常識である。ただ、そのように覚えておけばそれで良い。お前は賢い――だから過ちを犯すことはないと、そう思うがな』
『分かり、ました……』

 それに、少年は頷いた。
 父の言葉は絶対なのである。今まで教えてもらった魔法の理論はすべて正しかったし、数学や天文学、おおよそ知識と呼べる事柄において、彼には微塵も狂いがなかった。偉大なる存在。アルの父は彼には劣るものの、歴史に名を残すであろう傑物と呼ばれていたのだから。

 そんな父の背中を見て、いつかは超えるのだと。
 アルはそう心に誓いながら生きてきた。それこそが、若くして亡くなった父に出来る、最高の親孝行であると信じて。

「……………………」

 どうして今、そんなことを思い出すのであろうか。
 いや、分かっていた。それはきっと、父に対する背徳感から。
 今まさに自分は、父の言葉に逆らおうとしていた。どんなことがあっても近寄りもしなかった、穢れた血の者たちが住む場所へ、自分は足を踏み入れようとしているのだ。それは理屈や道理などで説明できるものではなく、潜在的な意識を基にしてくる反応であった。

 しかし、今ばかりはそう言っていられない。
 世界の命運とそれを天秤にかけて、針がそちらに傾くことはあり得ない。したがってアルは、尊敬する父に心からの謝罪を抱きつつ、前へと進むのであった。

 そうすると間もなく、たどり着いたのは広い庭のある質素な家の前。
 やはり平民、富裕層が住まう北部とは異なり、建ち並ぶ家々はボロボロであった。それはこの家――コルドー氏の孤児院も例外ではない。苔の生え、蔦が伸び放題となった壁はもう、その下地が見えなくなっていた。屋根には錆びのような汚れも見て取れ、雨漏りをしているであろうと思われる。

 ――とても、人が暮らせる環境ではない。
 少なくともアルにとっては、そのように思われた。
 それだというのに、何故だろうか。アルはこの時に【不思議な温かさ】を感じていた。正体不明なその感情のうねりによって、彼はそこから目を逸らすことが出来ない。したがって、背後から迫る存在に気付くことがなく……。

「おいコラ、てめぇ。ここに何の用だ?」
「え……っ!?」

 野太い声の人物に話しかけられ、無警戒に振り返った。
 するとそこには、

「貴方は、コルドー……先輩」
「あん? なんだァ、誰かと思えばマチスのとこの坊主か」





 一人の男性――元騎士団のコルドーが、立っていた。
 厳つい面構えに相応しい、粗暴な口振り。そして、その大きな身体にアルは懐かしさを抱くのであった……。


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