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15.葛藤と……
しおりを挟む【コルドー氏は分かっていたのであろうか。分かった上で、私にあのような現実を突き付けたのであろうか。もしそうだとしたら、憎まざるを得なくなる。コルドー氏を、そして――アナ・ヴァンデンハークを。そう思っていた。その時の私には、それが当然の流れであると思われた】――アルフレッド・マチスの手記より。
第六月の第三安息日――その昼間。
その日も勇者は、アナと共に孤児院を訪れていた。
それはすなわち、お目付け役であるところのアルもまた同行するということであり、彼にとっては頭痛の種となるのであった。かれこれ、アナの出自が判明してから二週間が経過している。その間、アルは考え込むことが多くなっていた。
【自分はどうすればいいのか】――と。
手記にはその苦悩が、克明に綴られている。
アナを殺したい、という憎悪。それは許されない、という理性。
そして、それと並びに【現状のアナの立場がネックになっている】とも記されていた。勇者の思いつきの行動であるとしても、幸か不幸か、それが自分を繋ぎ止める鎖になっている。そのように、アルは考えているのであった。
今のアナを衝動的に殺害しては、自らの首を絞めることとなる。
これまで積み上げてきたモノをすべて、血で濡らす結果となってしまう。それは父と、そして母との約束を反故にする結末であった。それだけは、避けなければならない。だが、そうだとしても――。
「……………………くっ!」
アルは楽しげに遊んでいる勇者とアナ、孤児院の子供たちを見て唇を噛んだ。
それは、あまりにも大きすぎたから。両親を殺害したのは、穢れた血を持つ者であるという事実。その積年の恨みによって、自らの思想は築き上げられていた。そのためであろう――幾たび振り払おうとも、アルの心には黒い悪魔が巣食う。
――葛藤。ジレンマであった。
一方を立てれば、片方が成り立たない。
しかし今、この胸にある感情を押し殺しては、自分が壊れてしまう。そのことだけはハッキリとしていた。結論を出さなければ、自分か、理想かを……。
アルは、急いていた。
その場でうずくまるようにして、焦っていたのである。
【必ず結論を出さなければならない】と、そう考えていたのであった。
「あの人は、本当に気楽でいいモノだな……」
その時、不意にアルはハヤトを見てそう呟く。
視線の先にいる醜男は小さな子供たちに囲まれ、上に乗られ、弄ばれていた。
しかし、そこに浮かんでいる表情はとても暢気なモノ。何を考えているのか分からない――否。アレは確実に、何も考えていないのだろう、と。アルは思った。
「次! 勇者が魔物、俺が勇者! アナ姉ちゃんがアミスの女神様だ!」
「了解にござる、ブフォwww勇者が魔物www草不可避www」
「め、女神様!? ――あ、アタシが!?」
孤児の一人がそう言って、配役を決定した。
しかし勇者が魔物として狩られるのは、いかがなモノか。
「………………はぁ」
その様子を見て、アルは深くため息をついた。
どうにもあの勇者を見ていると、真剣に考えている自分が馬鹿らしくなる。そう、賢者は感じていた。この二週間で共に街へ出る日も何度かあった。その折に気付かされたのは、あの勇者が誰に対しても分け隔てなく接している、ということ。
この世界の常識に、慣習に縛られない自由さ。
そのことに忌々しさを抱きながらも、どこか羨ましく、アルは感じていた。
自分あるモノを彼は持っている。恵まれているのだと、そう考えて――。
「あ! すみません。ボール取ってください!」
「え……?」
――いたところである。
気付けばアルの足元には、一つの薄汚れたボールが転がっていた。
そして彼に向かって、それを取ってくれと要求する孤児。アルはどこか気乗りはしないモノの、自然な流れでそれを拾った――が、その時。
「――――――――!?」
眩暈が――アルを襲った。
天と地が逆転する。右と左が分からなくなる。
原因はすぐに分かった。このボールに触れたことで、心が拒絶反応を示したのだ。穢れた血の者が使っていたそれに触れた瞬間に、潜在意識が覚醒する。
触れてはならなかった。
関わってはならなかった。
穢れた血の者はすべて――コロサナケレバ、ナラナイノダカラ――と。
「――――――――」
吐き気がした。
それを感じた瞬間に、アルは駆け出していた。
ただただ走って、ただ走って、どこまでも走った。
そして、逃げるようにして草木の生い茂る場所へと飛び込んだ。
「げぇっ……かはっ……!」
酸っぱい臭いが鼻腔を刺激する。
胃液が逆流し、喉が焼けるような感覚がした。
アルはそれらをどうにか押し留めようと、必死になる。
「違うんだ、私は……! 誰かを殺したいなんて、思ってなんか――!」
言い聞かせる。
それが、たとえ綺麗事であっても。
アルは自分の純潔な魂を守ろうと躍起になっていた。誰かを傷つけるなんて、間違っている。しかし、穢れた血を持つ者が憎いのだ。そんな矛盾を心の奥底に仕舞い込む。綺麗なままの自分であるために。そして、この国を背負う者としてあるべき姿となるために。
アルにはもう、何が正しいのか、分からなくなっていた。
父の掲げた思想を受け継ぎ、この世界の理に準ずるか。
それとも今、心の隅に宿った微かな光。綺麗事とも取れる【幼心に思い至った結論】に立ち返るのか。どちらを選べばいいのか、分からなくなっていた。
「私は、どう……すれば――」
「――答えは、とっくに出てるんじゃないでござるか?」
「えっ……!?」
とうとう弱音を口に出しかけた。
その時だった。いつになく真剣な口調で、その男が現れたのは。
「そんなになるまで、一人で抱え込んでいたなりね……苦しかったでござろう?」
勇者――ハヤトが、後ろに立っていた。
その隣には、どこか申し訳なさそうなアナの姿もある。
アルはそれを見て瞬間、動揺する――が、即座に荒んだ心を取り繕ろった。ハヤトなどに、弱い部分なんて見せられない。そう考えたと書かれていた。
「何でも、ありませんよ。少し気分が悪くなっただけで……」
そう、アルは言う。
しかしそれを聞いたハヤトは、無言で首を左右に振った。そして――。
「少しだけで良いでござる。拙者の話を聞いてほしいでござるよ」
――彼は、どこか慈愛に満ちた表情でそう続けるのである。
そこには断ることなど許されない、いいや。断ることの出来ない優しさが溢れていた。あったのは、ただ真っすぐに賢者の心身を案じる心だけ。
打算など微塵もなく。そこにいる者を救わんとする、意思のみ。
アルは、いつの間にか頷いていた。
それを認めた勇者は、ゆっくりと賢者の元へと歩み寄る。
そうして、話し始めたのである。
考えてみれば、これが二人の初めての会話であったのかもしれない……。
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