恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

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アンリミテッド・スノーマンの情景

3.

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「紫野岡君も食べる?」
 肩に届くか届かないかのセミロングか、目の前でさらりと揺れて首筋に掛かる。彼女が小首を傾げた瞬間にふわりと、苺の香りが鼻を掠めた。まるで香水のような人工的な香料の発信源は、たった今目の前で揺れた彼女の髪の毛からでも白いうなじからでもなく、差し出されたスナック菓子からだと遅れて気づく。
「ありがとう」
 こんな時は下手に断ったりせずに、勧められたもののごく僅かだけを受けとるのがベター。口角を意識的にあげ、圭吾は隙のない仕草で目の前の箱から一本を抜き取った。
 一口齧ると、特有の甘味料と共に苺に寄せた香りが鼻腔を抜けてゆく。想像した通りの味に、別段感動を覚えるでもなく租借した。そういえば、二つ年上のくせに二つ年上とは思えない程子供っぽい彼は、いつも和菓子を食べていたっけ、などととりとめもないことを思い出す。
 フランスパンとヘーゼルナッツカフェという単語を得意気に口にしていたあたり洋菓子を全く知らないということはよもやないだろうが、食べたことがあるのかどうかは正直怪しいところだ。あのベタベタに甘やかす烏丸とかいう師匠の手によって和菓子ばかりを食べさせられただろう幼少期を過ごしていたのなら、この非常識と思われるような推測も存外的外れではないのかもしれない。
「紫野岡君って、あんまり行事に参加しないから……一緒の班になれてラッキーだったな」
 名前を呼ばれたことにさえ一拍遅れて気がついたので、その後に続く言葉を聞き逃しそうになった。はにかむように目を伏せて、いじらしい感情を伝えてくる彼女の思惑は火を見るよりも明らかだったけれど。気づかない振りをして、そうなんだと相槌を打つ。
 話を広げるコツは、投げられた話題にプラスして、質問を付け足し返すこと。それを意図的に放棄した圭吾は、敢えて生返事のような応えのみに止め会話のラリーに終止符を打った。下ろされたシャッターの奥を覗く度胸まではなかったらしい可憐な少女が、僅かに傷ついたような顔で目を伏せる。
「えっと……僕も普段参加しない分、みんなとうまく話せるか不安だったから。切っ掛けもらえて助かったかも。ありがとう」
 咄嗟に罪悪感が込み上げて、圭吾は取り繕うようにフォローを付け足す。おどけたように齧りかけのポッキーを顔の横で揺らして見せれば、心を許している人間のとる、くだけた態度に見えたのだろう。陰りを帯びた頬に赤みが戻り、笑ってくれたのでホッとする。
(いつもはもっと、うまくできていたのに)
 角が立たないよう愛想を振り撒いて、気づかれない程度の適度な距離をあける。それは圭吾にとって被り慣れた猫であり、意識せずとも身に付いた処世術だった。
 それなのにどうしてか、今日の自分は他のことにまるで心を砕けない。
(頭の中、あの人のことばっかりだ……)
 長い間、自分の方になんか決して振り向いてくれなかった、黒い着物の背中を思い出す。頑なだった彼が、漸く手を伸ばしてくれたのはつい先日のこと。まろい頬を子猫のように擦り寄せて、圭吾がいなければ生きていけないなどと、まるで脳みそをまるごと溶かすような甘ったるい言葉を耳元で囁いてくるのだから。あれ以来ずっと圭吾は、頭の一部がふわふわしたままだった。

 ――あの日。
 一人でいじけて、自暴自棄になって。従順な動物霊に自分を隠すことだけを命じて殻に閉じ籠ることを選んだ圭吾の元に、駆け寄ってくれたお節介な級友と、上司――そして、その彼と強い絆で結ばれた動物霊。
 欲しくて欲しくて仕方なかったそれを目の前にぶら下げるようにして現れた恭介に、もしかしたら他意などなかったのかもしれないが、あてこすりのように共に寄り添う一人と一匹が視界に入り、圭吾はいよいよ自分の中の薄暗い感情を隠すことも飲み込むこともやめ、ただ放棄した。
 初めて自身の指示に逆らった白虎の心情を思うと泣きたくなるような気持ちになはなったが、ここまで付き合ってもらえたことにせめてもの恩義を返すべく、逃げることも隠れることもやめたのだ。いっそ恭介にこの首を斬り落としてもらうくらいの覚悟で、無防備に頭を垂れたというのに。
 その首を差し出された恭介は、処刑のための斧を持つこともせず、いつものように突き放すこともせず――ただ甘えてくれた。するりと首に腕を回し、脳髄を直撃する程のとびっきり甘い声で囁かれた言葉は、いっぺんに圭吾をだめにしてしまった。
 今思い出しても、首の後ろにぞくりと快感が走り抜けるような幸福だった。ぽやぽやと浮かれる脳みそを振って、圭吾はにやけそうな口を覆い隠すように頬杖をつく。
 途端にあの神社が恋しくなったが、新幹線は都会へと向け走り出したばかりだ。圭吾の思惑はどうあれ、二泊三日の修学旅行が縮むことはないし、今が初日の午前十時二十分ということも動かせない現実だった。
 下手に、ギリギリまで恭介にくっついていたのもよくなかった、かもしれない。
 その気にさえなれば、容易くうなじに唇を這わせることもできるぐらいの距離感から動かない圭吾を、突き放しきることもできずにただ肩を震わせて、ひたすら従順だった恭介が頭から離れないのだ。あんないい気分にさせておいて、本気で逃げることさえ諦めている癖に、ときどき困ったようにこちらを振り向きながら、掠れた声で嗜めるように自分の名前を呼ぶだけだなんて――ああ、心底たまらない。
 本当に離してやれなくなることが怖くて、旅立つ直前にするりと離れた後は、無意識に手が伸びてしまわぬよう、ろくに恭介の顔も見ないまま背を向けてしまった。普段と変わらない態度を徹底したつもりだが、それにしてはやや感じが悪かったのかもしれない。どうやら相変わらずクールな後輩だという結論で恭介の中では片付いているようだったが、それがありがたくもあり――少し、もどかしくもあった。
 どっぷりと甘いシロップにでも浸かってしまったような幸福から抜けきらない頭で、何度も時計を確認してしまう――あと、二日と十時間四十分。
(長いな……)
 掌にはまだ、あどけない恭介の体温が残っているような錯覚さえした。儚いそれを逃がすまいとでもするかのごとく、圭吾は無意識に掌を握り込んだ。
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