恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

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アンチノック・スターチスの誤算

4.

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 まさか、こんなタイミングで再会するとは思いもしなかった。

 恭介が利用しているだろう駅の近くにあった喫茶店は、少し古びているせいか客は少ない。本来なら、入口のドアが押すタイプなのか引くタイプなのかも知らないままやり過ごしていたに違いない、昔ながらの店だった。
 流行りのチェーン店と違うのは、照明のデザインがまばらなのと、オーダーしたコーヒーのカップも、その中身の量さえもひとつひとつ違うところだろうか。未だにブラック珈琲独特の苦味には慣れない拓真はミルクの他に砂糖も入れたいところだったが、手を伸ばすには少し無粋で、取ってくれと気軽にお願いできる程の関係にはなりきれていない大人が目の前に着席しているため、伸ばしかけた指は何も掴めないまま太股の上に戻された。
 実はハーフだと言われても、納得いく反面どこか違和感もある。そんな不思議な雰囲気を持つその男は、艶やかなプラチナブロンドを惜しげもなく掻きむしっている。知り合って間もない上に一方的に助けられてばかりの拓真からすれば「そんなことをしたら禿げますよ」なんて軽口を叩けるような立場でもなく、毛質の良い髪が寝起きの猫のようにあちこちに跳ねるのをただぼんやりと見守るより他に術がなかった。
「そんな乱暴にすると禿げるよ烏丸さん」
 対して、拓真程ではないがそれなりの窮地にそれなりの回数は守ってもらっただろう大人相手に何の気後れもなくそう嘯いた鳴海は、綺麗にカールした睫毛の端を引っ張りながら頬杖をついている。
「うわ、枝毛発見」
その麗しい唇から放たれたのは、会話にまるで参加する気のない一人言だった。
 これは自分がしっかりしていなければ話が進まない。拓真が静かにそう悟った瞬間だった。
「あの、烏丸さん」
 改めて切り出した。それは横断歩道を渡る前に片手を挙げる小学生のような、折り目正しい声だった。
「僕達、恭介さんに依頼をしたくて来たんですが……」
 もともとそのつもりで訪れた土屋邸には、その主どころかやたらと存在感のあるアシスタントのアルバイトである圭吾の姿もなく、縁側で、家主の居ぬ間に忍び込んだ野良猫のように昼寝をしている烏丸がいるだけだった。
 事情を話して中で待たせてもらおうと思った矢先に、それまで高価なブランドスーツを何の拘りもなくブランケット代わりに踏み潰していた烏丸が飛び上がらんばかりに跳ね起き、拓真たちの姿を見るや否や首根っこをひっ掴んで外へと飛び出したのだった。あまりの急な大移動にもともとの性格もあってか特に抗うことなく引き摺られるままにしていた拓真と、均等な足取りでその後を冷静に追って来た鳴海の行き着いた先がこの古めかしい――いわば由緒正しい喫茶店だった。
「恭介は買い物に出掛けているよ。依頼なら悪いけれど、」
 言い掛けて、烏丸は口をつぐんだ。隠しておきたいものに、上から布を掛けているような不自然さのある沈黙だった。
「あの……?」
「いや……代わりにそれ、俺が受けるよ」
「烏丸さんが……!?」
 散々かき混ぜた髪を後ろに流しながらそんなことを言うので、拓真はたった今請け負ったであろう人物の名前を改めて確認せずにはいられなかった。
「こう見えて、俺は恭介の師匠だからね。あの子に教えたことは勿論、それ以上のこともそつなくはこなせるよ。不服かい?」
「いえ、そんな……!」
 烏丸の立てた代替案は不服どころかお釣りを払わなければならない程の厚遇だ。ぴしりと背筋を伸ばした拓真は、再び折り目正しい仕草で頭を下げる。
「よ、よろしくお願いしま……」
「俺は反対~」
 親指の爪で中指の爪を弾きながら鳴海が言った。心底つまらなさそうな声だった。
「烏丸さんもさ、どういう内容か聞く前に引き受けちゃうのって、どうかと思うよ?」
 穏やかな声に滲む、冬の朝のように、動くのさえ躊躇うような冷たい空気。拓真は静かに唾液を嚥下した。そこには気安く触れられない何かがあった。
「どういう意味だ?」
「いち君と、結婚したいんだって」
 鼻で笑いながら鳴海が言った。まるで紙屑をゴミ箱に放り投げるような言い方だった。
「お前がか?」
「願ったら、叶えてくれるの?」
 片眉をあげて、鳴海が聞く。小馬鹿にしているようにも、僅かな期待も含まれているようにも聞こえる声だった。
「……お前じゃないなら、そっちの」
 烏丸が角砂糖の入った小瓶を中央に運びながら言った。
「幸薄そうな女か」
「幽霊に、幸薄いも濃いもないと思うけど……」
 鳴海が揚げ足をとるように嘯いた。
〝不躾なことをお願いしていると重々承知しています〟
 半年前のファッション誌が鎮座している棚の隣で、女が深々と頭を下げた。黒く艶やかな髪をさらりと揺らし、お辞儀のお手本のようなしなやかさで頭を下げる。
〝ですが……幽霊となって、一人きりさ迷っている私を……気に掛けてくださり、優しい言葉で寄り添ってくれたのは一之進様だけでした〟
「言っとくけど、いち君は誰にでも優しいからね。君だけが特別って訳じゃないから」
 棘のある声で牽制しながらも、その言葉は見事なブーメランとなって鳴海の胸に突き刺さる。プイ、と横を向いてストローを齧った。僅かなオレンジの香料が、鼻の奥に届いて顔を顰める。
〝死んでから、だけではありません……生前も、あんな風に優しくしていただけたのは、一之進様だけです〟
 うっとりと、女が幸せそうに笑った。何もわかっていない、箱入り娘の考えそうなことだと鳴海は思った。
〝私、どうしても一之進様と結婚したいんです〟
「……めちゃくちゃだよ。だって君、死んでるんでしょ?」
 尚も鳴海が食い下がるが、女も怯むことなく言い返す。
〝私の故郷には、むかさり絵馬という風習が存在します〟
「むかさり絵馬?」
 一人言のように烏丸がそう呟いた。
「聞いたことがあるな……確か若くして亡くなった魂同士を、慰めるために執り行う結婚式のようなものだったか……」
「そんな……!」
 本当に、実現するための方法があるだなんて。
 鳴海は愕然とした。
 世界で一番一之進のことが好きな自分には、何一つ手段なんかないのに。
〝俺は良いぜ〟
 それまで沈黙を保っていた一之進が切り出した。まるで夕飯の献立を決める時のような、大いなる決意も豊かな愛情もない淡々とした声だった。
「何考えてるの」
〝確かに、拓真の守護霊の任務についたばかりで無責任だとは思ってるけど〟
「そんなこと言ってるんじゃないよ、わかるでしょ」
〝拓真の許可が出るなら、俺はその女と結婚することにしても良いぜ〟
 不意に重大な結論を出す役目として水を向けられ、拓真は慌てて頭を回転させる。
「そんな、許可だなんて……それは一之進が決めることだよ」
〝なら決まりだな〟
「冗談でしょ!」
 ついに我慢がならなくなって、鳴海はバンと机を叩いた。それはすっかり水分を失った観葉植物の表面に付着した、蓄積年数の長い埃さえも落とす程の大きな音だった。
「結婚だよ!? 誰かと一生を共にする相手を決めてるの、わかってる!? そんな二つ返事でオーケーするだなんて、それこそ無責任にも程があるでしょ!?」
〝その女が俺で良いって言ってて、俺も特に不足はねェ。それ以外で何が問題あるってんだ?〟
「その女!」
 鳴海は高らかに叫んだ。
「名前も知らないのに、よく結婚しようなんて思うよね!」
〝……それって、そんなに珍しいことか?〟
「なっ……」
 開いた口が塞がらないという体験を、身をもって味わった。一之進が何も不思議に思っていない。嫌味でも喧嘩腰にでもなく素直な質問だったのがその証拠だ。
〝俺らが生きてた時代じゃ、よくあることだぜ。お前とは、〟
「やめてよ」
 敏い鳴海は、一之進がどんな言葉を続けようとしたのかわかっていた。
〝俺たちは本当に、住む世界が違うんだろ。生きてた頃も、死んだ今も〟
 さっきのはそうではなかったけれど、今回は、明確な意地悪が含まれた声だった。
「やめてよ……」
〝良いことなんかないぜ。そんなふうに、違う世界にいる相手にすり寄ったって〟
「やめてったら!」
 鳴海は立ち上がった。自分の中で、一番大事なものを軽んじられている。その発言が純粋に許せなかった。
 立ち上がって、何かをしようと思った訳じゃない。その先に言いたいこともまだまとまっていなかったし、後から考えたら一発くらいビンタもお見舞いしてやりたかったけど、利き手を高らかに挙げることさえ、混乱した頭には思いつきもしなかった。
〝俺は、その女と結婚する〟
 鳴海を見ずに、一之進が言った。
〝……俺は、お前を好きにならねェよ〟
 いちいち言われなくたって、鳴海の目の前で、平気で他の女と添い遂げるなどと嘯くのだから見込みはないとわかっている。なのに丁寧に止めを刺してくるのだ。諦めるには――この恋心を完全に殺すには、あまりにも優しい声で。
「……もういい」
 わかった、なんて言いたくはなかった。何一つ理解なんかできない。ただでさえ他の誰かに譲る気なんかないのに、愛情の欠片もない女と寄り添う未来を、手放しで祝福しなければならない現状に、わかったなどとは口が裂けても言いたくはなかった。
「勝手にしたら」
 指定鞄を右手に握り、胸に抱えるようにして店を飛び出す。リュックとしての機能があるそれを、肩に背負う時間すら耐えられなかったのだ。
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