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第一章『姿の見えない竜』

3(挿絵あり)

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「オオカミ?  日本の野生オオカミは、とっくの昔に絶滅してるはずだよ」

「それがさ、いるらしいんだよ。まだこの山の中に、オオカミが」


わざとらしくあたりをはばかるようなタスクの小声に、

ハルトは信じられずに唇をへの字にした。


「それもさあ、ただのオオカミじゃねえの。なあ、トキオ?」


「はい、ケントさん。ぼくたち四人が知っているのは、

あざやかでカラフルな毛につつまれた、それは不思議なオオカミなんです」


「カラフル、な……?」


「あのね、一瞬でいろんな色に変色する毛を生やしているの。

まばたきする間に、まるで芸人が早着替えするみたいにね。

……赤、青、黄色、ほかにも緑とか紫とか」


そんなアカネの言葉を聞いた瞬間、

ハルトはまるで、頭をぱあん!  と横殴りされたような気がした。

ああ、もう少しで年上のでたらめを真に受けるところだった。


「いやいやいや!  いないでしょ。

野生のオオカミってところから、すでにありえない」


ハルトは目の前のハエをはらうように手をふった。


「でもよう、全部ありえないかどうかは、分からないと思うぜ?  

これさ、このあたりでわりとよく知られている噂なんだよ。なあ、みんな?」


タスク、アカネ、トキオの三人は、そろってうなずいた。


「まだ言ってなかったかな。ぼくたち、東京の学校で、

幻の動物研究会っていうのを設立してるんだ。学校側非公認だけどね。

で去年の学期末、ぼくらは、関東地方にいる幻の動物の情報を集めていた時、

このあたりに伝わる奇妙なオオカミの噂を知ったんだ」


「そのオオカミが撮られた写真は?」


「残念なことに、ないんです。一枚も。あるのは真実味のない目撃証言だけで。

でもぼくたち、そのオオカミに会いたくて、今年で二度目の参加なんです」


「会うのが目的なの?  一枚も写真に撮られたことのないオオカミなのに。

スマホで撮ったりとか、しないの?」


「しない、しない」
と、ケントたちはみんなでにこやかに答えた。


「写真を撮ることに注力したら、

一瞬の出会いの素晴らしさが味わえないですから」


なにそれ、変なの。

けれど、どこかかっこいい。それにみんな楽しそうだ。


「ほかに変わった謎とか、ない?」


「あるとすれば、あれかしらン。

ほら、このサマーキャンプって、全国から小学生の参加を募集してるでしょ。

そのわりには、ものすごく抽選が厳しいって噂だよ」


「そーそー!  今年も何千人も応募したって話だけど、

今回抽選で決まったのは、たったの二十四人だってよ」


何千人の中から、たったの二十四人!  そんなに倍率の高い抽選だったのか。

あれ、でもおかしいぞ。今回のキャンプ参加者は、全員で二十八人のはずだ。

そのうちの四人は、いったいどんな方法でこのキャンプに参加できたんだろう?


「その抽選の厳しさを裏づけるのが、やっぱりあれだよなあ。

ハルトくんも、応募するときに答えただろ。あのアンケート」

「ん、え、あぁ……」


考え事をしていたところに、タスクが話しかけてきたので、

返事があいまいになってしまったが、質問の中身は分かっていた。
 

ハルトは、新学期前の春休みのことを思い出した。

このキャンプに参加するため、取りよせた応募用紙には二種類あった。

一枚は、名前や住所などの個人情報を書くもの。

そしてもう一枚は、アンケートになっていた。


ところが、そのアンケートが奇妙奇天烈だった。

八十近くもある質問事項がびっしりとならんでいて、

大きな三つ折りの横書き用紙だった。

食べ物などの好き嫌いを問うものと、性格を問うものがだいたいを占めていた。


高いところは好きか、心から空を飛んでみたいか、という質問もあった。

これはサマーキャンプの趣旨を考えればべつにおかしくない。

でも、遊園地の絶叫マシンはへっちゃらか、

毛におおわれた巨大動物に抱っこされても平気か、

といった意味の分からない質問もあって、少し驚いた。

春休みの夜、寝る間を惜しんで全問回答したのは、ちょっとした思い出だ。


「明らかにおかしなアンケートだったよね、あれ?」
 

ハルトが聞き返すと、ケントたち一同は、

新しい理解者を得たような嬉しさをにじませながら、何度もうなずいた。


「スズカちゃんも、ハルトくんと同じ反応するかしら?」


「どーだかなー。あの子さ、

なんだかおれらのこと嫌ってるような感じするから、話しかけづらいんだよなあ」


「無口だし、きっと大勢といっしょに話すの、慣れていないんじゃないかい?」


「でも、きれいな子ですよね。話しかけずにいられないというか……

あの、そろそろ戻りませんか。

スズカさん、たぶんさびしがっていると思いますし」


「トキオが一人にさせたようなもんでしょうが!」


東京の四人組に急かされ、ハルトもキャンプ場に戻ることにした。

明日こそ、また同じ時間にここで竜の姿を激写したいところだけれど、

パラグライダー体験会がかぶるからそうはいかない。

時間をずらしてでも、再挑戦するしかないだろう。


ケントたちに続いて崖を立ち去ろうとしたその時だ。

ふいに後ろから吹きつけてきた強風に、ハルトはピタリと足を止めてしまった。


(なんだ……?)


ただの風じゃない。

背後におおいかぶさるような巨大な気配を感じる。

これはなんなんだ?  視線をむけられている?




「ぼくの姿は、撮らせてあげませんよ」



生温かい吐息のような空気とともに、すぐ耳元から声がした。

女の人みたいに高く、しっとりとして優しそうな声が――。


「だ、だれ!?」


勢いよく振り返ったハルトの大声に、ケントたちはパチクリとまばたきをした。


「おい、何かいたのかよ?」

「あ、れ……?」


いない。あの大きな気配の主が。

まるで風に吹き散られたみたいに、

ハルトのそばから跡形もなく消え失せたようだった。


「ねえ、だれか見た?  ぼくのすぐ後ろに、何かがいたんだ。

熊みたいな大きな生き物の気配がして……」


「――ううん、何もいなかったけど」


何事もなさそうに首をふるアカネの様子が、なんだか奇妙だった。


「か、隠してないよね?  たしかにいたんだ。

言葉でからかってきたんだよ。自分の姿は撮らせないって……」

「空耳じゃないのかい?」

「そうですよ。風がみずから言葉を話すわけありませんし。ねえ?」


トキオの同意をもとめる声に、ケントもタスクもアカネもうなずいた。


そんな。あれが気のせいだって言うのか。

あの生々しい空耳の正体――きっと、例の写真に写った竜のささやきに違いない。


やっぱりいるんだ、このキャンプ場のどこかに。

明日こそ、絶対にその姿をカメラにおさめてやる!  でも……。


(そんな竜が、そもそもどうして、こんな長野のキャンプ場にいるんだろう?)


ハルトは、キャンプ場へと降りる道へとむかう。

まだ見ぬ生物への興味はつきない。
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