上 下
92 / 110
第十六章『真実と嘘』

しおりを挟む
不安と焦りが、鋼鉄の縄のようにハルトの胸をきつくしめつけた。

底冷えするような空気に白い吐息が上がり、寒さと息苦しさが肺を突き刺してくる。

この先に何が待ち受けるのかも見当がつかない。


しかし、四肢にはエネルギーが満ちていた。

大事な友達の無事を自分で確かめる――そのために、

ケントたちと全力をつくして古びた城の廊下を走るだけで、

仲間の存在のありがたみが身にしみる。


「スズカちゃん、どこにいるんだっけー!?」


薄暗い廊下の先をじっと見すえながら、ケントが聞いた。


「さっき聞いたろ。二階の奥。つまりこの先!」

と、タスクが簡潔に答えた。


「そっか!  なら迷わないよね!」


「アカネさんも忘れてたんですか!?」


先頭を走っているのはハルトだった。

はじめはケントとタスクが並んで先頭に立っていたが、

ハルトがあとから自然と前に出て、東京四人組を先導していた。

五人のすぐ後ろを、フリッタが追尾していく。


ハルトたちは今、壮大な城の東側の外壁にそってのびる通路を疾駆していた。

寒々とした夜に寂れた城は、

今にも天井からバラバラと壊れてしまいそうで居心地が悪かった。


奥まで広く崩れ去った壁のむこうに、先の戦いでガオルが放った青い炎の海と、

その蒼炎にのまれる廃墟の様子がよく見える。

冷たく輝く蒼炎は、まるで闇の世界からもたらされた悪魔の炎ようで、

ぞっとするような不穏さをはらんでいた。


その青い光の海の上を、赤と黒の二つの点が

幾度もぶつかり合いながら飛んでいるのが見えた――フラップとガオルだ。


まるで彗星同士の争いだった。

フラップは赤い体毛から淡い赤色の光を、

ガオルは頭部のたてがみから青白い光を発散させ、

それをおたがいに炎のように体にまとって戦っているのだ。

フラップの金色の竜気砲と、ガオルの青い炎がひらめき、

幾度も交差するのも見える。

壮絶な竜同士のぶつかり合い――その光景は、ハルトたちの足を止めさせ、

崩れた足場の縁から釘づけにさせるほどだった。


「すごい、戦いだよね……」

タスクが息をのむようにつぶやいた。


「それはそうなんだけど――」


ハルトはフラップの戦う姿に、

言葉にできない恐ろしさと妙な胸騒ぎをおぼえていた。


「フラップ……まるで……化け物みたいだ……」


「フラップちゃんちの家系はネ――」


ハルトの背後から、フリッタがふいに口を開いた。


「オハコビ竜の世界でも、トップクラスの戦闘能力を誇る血筋ナノ。

お父さんのフレドリクソンさんは警備部員のでネ、

ものすごい戦闘能力の持ち主って言われてた。

それこそ、今のフーゴ総官よりもずっとネ」


「それマジで!?」

ケントが目を丸くした。


「でも、五年前に亡くなっちゃったノ……その頃の警備部総官が引退した時、

その座は間違いなくフレドリクソンさんだって言われてたから、

警備部は騒然としちゃったらしくて」


「そうかあ。フラップは、そのお父さんの力を受け継いでるってことなのね」

と、アカネが聞いた。


「だあネエ」

フリッタが鼻息まじりに答えた。


「カンペキに受け継いでるってカンジ。

それなのに、フラップは警備部じゃなくて、

戦う機会のごく少ないお運び部に入った」


「どうして?」ハルトは聞いた。


「ウ~ン――アタシもくわしい理由は知らないけど……嫌なんだってサ。

あんなふうに、怪物っぽい戦士になっちゃうのが。

警備部に入ると、あの力を発揮することを期待される機会が多くなるって言って、

その昔、フーゴ総官のスカウトも断ったぐらい」


「フラップ、戦いそのものが嫌なのかな……」


ハルトはそう言いながら、

昨日の夜にフラップがスズカを優しく抱きしめた場面を思い出していた。


      ――大丈夫、スズカさんはいい子だよ。


あの時に見せた包容力と愛情深さが、フラップの象徴だった。

そんな彼が、怒りのあまり恐るべき戦いの猛者へと変貌したのは、

まさに衝撃の一言だった。だから、

あれがフラップの本当の姿だとは、ハルトにはどうしても信じられなかった。


「そ、それよかさ、急いだほうがよくねえ!?」


ケントが行く手のほうを指さしながら叫んだ。


「そうですね。スズカさん、早くしないと頭が空っぽになっちゃいますから!」


トキオの軽い言い方が少しシャクだったが、ハルトは忘れることにした。

ハルトたちは再び通路を急いだ――。


「ああっ、ヤバすぎる!」


アカネが金切り声で悲鳴を上げ、ハルトたちは急停止した。


前方の下り階段の下から、

緑のジャケットを着た人間や亜人が何人も上がってくるのが見えたのだ。

クロワキ氏の部下たちだ。異変に気づいて飛んできたに違いない。

先頭に立った三人の部下たちが、

子どもたちを発見するなり血相を変えて口々に叫びだした。

――いたぞ、ツアー客たちだ!  ここから先へ行かせるな!  つかまえろ――。


「ようこそオキャクサマぁ~!」


突然、黄色い巨体がハルトたちの頭上をひゅうと飛んでいった――

フリッタが何人ものエンジニア部員の前に躍り出たのだ。

フリッタは両手と両翼を目いっぱい広げると、

まるでネットのような具合でエンジニア部員たちを受け止め、

階段のほうへ押しもどしていった。


「とおせんぼう無用でございまあす!

――ホラ、みんなっ、今のうちにっ……!」


フリッタは、十数人のエンジニア部員たちと体と体で競り合っていた。


「「フリッタぁ!」」


ケントとアカネが同時に叫んだ。


「止まちゃダメ!  帰ったらっ、アタシとあの子がっ……

すっごいお楽しみをっ、用意してるんだからサ!」


フリッタはヒト相手に全力になれず、一進一退の攻防になっていた。


「なんのことだよ、ソレー!」

「というか、あの子ってだれよ~!」


ケントとアカネはあたふたしていた。


「スズカちゃん助けて……早くっ、戻ってくるんだヨッ!」


フリッタの声音が、いつになく真剣になっていた。


「行こう二人とも!  急ぐんだ!」

タスクがよびかけた。


「ありがとね、フリッタぁー!」

アカネが半べそになって叫んだ。


ハルトたちは城の奥にむかって走った。

ケントとアカネが何度もちらちらと後ろをふり返ったが、ひたすら走り続けた。

途中、いくつかの扉が通路の左右に見えたが、

どれも鉄製ではなく木製だったので、みんな無視した。


「おやおや、何やら騒がしいと思えば……」


左に曲がる角に差しさかったところで、一人の人間の男が姿を現した。

その後ろに鷹男、黒バラ女、水色のカバのような男、魚人の女性と、

四名の亜人たちを率いている。彼らも全員、エンジニア部員の服装だった。

ハルトたちはまたもや急停止を余儀なくされた。


「なんとツアー客のみなさんがおいでとは。

今年のクロワキさんときたら、どうやら身の程知らずな子たちを

集めてしまったようですねえ」


人間の男は、オールバックヘアーの大男だった。

ハルトたちは名前と顔が一致しないので分からないが、ビケットである。

後ろの九名とともに、タワーでスズカとクロワキ氏の前に現れた人物だ。


「おじさんたち、そこどいてほしいんだけど!」


ハルトはいらだって地団駄をふみ、つい生意気な口調で言ってしまった。


「ふふふ、それは無理なご相談ですよ……

この奥には、クロワキさんのクライアントにとって大切なお嬢さんが、

静かにお休みなさっているんですからねえ」


ビケットは、クロワキ氏よりも鼻につく軽率な口調で答えた。


「クライアントって、ガオルのことだね?」


「おじさんたち、あいつのことそうよんでるんだ。ヘンなの!」


タスクもハルトに感化されて軽口をたたいた。


「われわれにとっては――」


まるで軽い演説でもはじめるみたいに、ビケットは両腕を広げて話しだした。


「あなたがたもクライアントにあたるのですが、

ここをお通しすることは、その……できかねますねえ。

われわれの勝手で、責任を負わされるのはクロワキさんです。

ガオル様に憎しみにさらされておいでですからねえ――

どんな仕打ちを受けられるか見当もつきません」


「そのクロワキさんだけど――」

ハルトは静かな口調で言った。


「さっき、ガオルにパラライズ銃を撃ったんだ。

自分の過ちとむき合うためにさ……反撃を受けてたけど」


「おおっと!  それは本当ですか?」


ビケットの顔が動揺でゆがんだ――が、そう見えたのはわずかな間だけだった。

ビケットはふるふると首をふると、また平静な表情を浮かべてこう言った。


「いや……だとしても、みなさんをお通しできませんよ。

クロワキさんはガオル様を快く思っておられませんでしたが、

部下であるわれわれは違います。われわれは、

ガオル様の忠実なしもべになると決めたんです。ねえ?」


後ろになら四人の亜人が、不敵に笑いながらうなずいた。


「われわれは、オハコビ竜の中に、

あのようなしびれる存在を見たことがありません。

身震いするほど敬愛に値する存在でしてねえ。

そういうわけなので、ガオル様のほうに不利が働くようなことは、

竜の牙にかけられてもできないんですよ」


「クロワキさんは、ガオルに無理やり用件を押しつけられて、

辛い思いをしていたんだ。それなのにおじさんたちは!」


ハルトは、目の前の大人たちを一人ずつぶん殴ってやりたい衝動に駆られた――

そう、自分の前で別次元の怪物と化したフラップのように。


しかし、大人相手では勝ち目がない。

今のハルトたちには守り手もいない。いったいどうすればいい?


「ではでは、みなさん。無茶な真似はやめにして、

大人しくわれわれと地下牢に来てくださ――

おごぉぉお!?」


いきなり、ビケットたち五名の体がカッと閃いた。

子どもたちの背後から飛んできた白い閃光に当てられたのだ。

子どもたちは腕で顔をおおった――。


どさっ!

数秒後、ビケットたちが床に倒れる音がした。

いったい何が起きたのかと、子どもたちは恐る恐る目を開いた。


「え、ええっ!?」


道をふさいで立っていたビケットたちが、すやすやと寝息を立てて寝転がっていた。

ビケットはといえば、鷹男の腹の上に頭を乗っけて気持ちよさそうな寝相だ。


そのビケットたちの間に、

一匹の小さな動物がハルトたちに背をむけて浮かんでいた。

全身真っ白で、生まれて日の浅い赤ん坊の犬のようにふわふわな体毛。

小鳥のような小さな翼を生やし、

頭にはらせん状にねじれた小さな琥珀色の角が二本――。


「何、この……ちっちゃい……えっ、オハコビ竜?」


アカネが不思議そうな声で言った。


フラップを十分の一くらいに縮めた白いオハコビ竜が、

くるっと子どもたちのほうにむいた。


「ようやく会えたのう、地上界の子どもたち!」


小さなオハコビ竜は、幼い子どもらしい快活な声を発した。

一糸まとわぬ白い体毛が月夜の薄明りの中でほのかに輝き、

くりくりとした黒い目が黒真珠のように光っている。


「待たせたな。真打ち登場じゃ!」
しおりを挟む

処理中です...