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第119話 壊すと決めた朝
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私は、ゆういちとの夢での再会を終え――
自室のベッドで、はっと目を覚ました。
まだ外は暗い。
窓の向こうは夜と朝の境目で、空の色だけが、薄く、薄く変わっていく。
胸の奥が、ざらついている。
甘い匂いも、唇の感触も、抱きしめた熱も――
全部、まだ残っているのに。
(……なのに)
私は、静かだった。
泣かない。
震えない。
叫ばない。
ただ、頭の中だけが――
不気味なほど、冷たく整理されていく。
EESステージ3。
あの夢での再会を境に、私は確かに移行していた。
EESステージ2から――ステージ3へ。
――脳のリミッターが外れる。
――身体能力が、極限まで解放される。
人間は、本来、自分自身に“制限”をかけている。
力を振るえば相手を傷つけるかもしれない。
本気でぶつかれば、壊してしまうかもしれない。
そんな無意識の「躊躇」が、自然とブレーキになる。
けれど――
ステージ3は違う。
リミッターは、存在しない。
セーブも、効かない。
私は自分の手を、じっと見つめた。
ゆっくりと、開いて――閉じる。
その動き一つひとつが、やけに軽い。
「……すごいわ……」
思わず、声が漏れた。
「負ける気がしない」
冗談でも、強がりでもなかった。
ただ、事実を確認するような感覚だった。
身体が、明らかに“違う”。
私は、施設にいた頃の記憶を思い出す。
一度だけ、組み手をした“彼”。
踏み込んだ瞬間。
次の瞬間には、私は床に転がされていた。
あまりにも一方的で、あまりにも速くて。
何が起きたのかすら、理解できなかった。
見下ろしてきた彼の目は、冷たく、絶望的で――
まるで、「同じ人間を見る目」じゃなかった。
後になって聞いた話だ。
あの男は、私と変わらないあの年齢で、すでにステージ3へ到達していたらしい。
……今思えば。
普通じゃない。
いや――“異常”としか言いようがない。
そして、今。
私は、その領域に――
足を踏み入れてしまった。
私はベッドから降りて、制服に着替えた。
ブレザーの袖を通す音が、やけに大きく響く。
スカートのプリーツを整える指先は、驚くほど落ち着いていた。
鏡の中の私は、いつも通りの顔をしていた。
頬は、赤くない。
目も、潤んでいない。
呼吸も、心拍も――驚くほど落ち着いている。
外側だけを見れば、何一つ変わっていない。
昨日までと、同じ私。
――けれど。
胸の奥では、冷たく、重い闇が静かに渦を巻いていた。
音もなく、感情も伴わず、ただ確実に広がっていく黒。
これから向かう先なんて、もう考える必要はなかった。
迷いも、葛藤も、選択肢も――すべて消えた。
「あの女を壊す」
ただ、それだけだった。
(……でも)
もう、それは
“ゆういちを奪われた”という単純な愛の喪失なんかじゃない。
あの女の言葉。
一つひとつが、私の中に深く突き刺さっていた。
――「誰かを信じるとは、誰かの未来を諦めないこと」
……ふざけないで。
そんなの、ただの綺麗事だ。
理想論だ。
裏切られたことも、捨てられたこともない人間が、無責任に口にできる、
中身のない“美しいだけの暴論”。
信じれば、救われる?
未来を諦めなければ、報われる?
――そんな保証、どこにもない。
それは――
私が。
「お母さんは、きっと帰ってくる」
そう信じたかったのに、
最後まで信じきることができなかった、
あの頃の私に向けられた――
紛れもない、侮辱だった。
(……違う)
(信じられなかったんじゃない)
(信じたら、もっと苦しくなるから)
(信じ続けたら――壊れてしまうから)
夢の中で再会したお母さんは、
もう別の家庭を持っていた。
そこには、私の居場所なんて最初から存在していなかった。
――結末は、もう分かっていた。
あの頃の私にとって、
「信じ続ける」なんて選択肢は、なかった。
それは希望じゃない。
ただ、傷口を広げる行為だ。
だから私は、諦めた。
諦めることで、期待を手放した。
期待を手放すことで、絶望を避けた。
諦めたから――
私は、壊れずに済んだ。
諦めたから――
私は、生き延びることができた。
それなのに――
その“生き方”を、あの金髪の女は、軽い言葉で踏みにじった。
私は玄関の鍵を開ける。
金属の音が、やけに澄んで聞こえる。
扉を押し開けて、階段を降りた。
気温が心地よく、爽やかな風が吹く。
肌を撫でる風は、まるで祝福みたいに優しい。
――まるで、私の心とは対照的だった。
私は歩く。
足音だけが、静かな住宅街に溶けていく。
そして。
角を曲がった、その先に――
一人の影が立っていた。
真田蓮也。
私の、たった一人の血の繋がらない家族。
「……よぉ」
声は、驚くほど落ち着いていた。
彼は妙に吹っ切れたような表情で、私を見ている。
怒りも、戸惑いもない。
ただ、何かを決めきった人間特有の、静かな目だった。
「何か用? 蓮也」
声は、驚くほど平坦だった。
感情を削ぎ落とし、温度だけを残した声。
もし、私の行く先を邪魔するつもりなら――
それが、たった一人の“家族”である彼でも、容赦はしない。
……もう、このときの私は、以前の私じゃなかった。
苦しみを分かち合い、
同じ夜を越えてきた存在すら切り捨てられるほど、
私は非情になっていた。
そこに、迷いはない。
躊躇も、未練もない。
自分が向かっている先が“闇”だということくらい、
とっくに分かっている。
分かっていて――
それでも、足を止めなかった。
蓮也は、そんな私の顔を見て――
まるで全部見抜いているかのように、静かに手を差し伸べてきた。
私は、その手を一瞥して、言った。
「……何? その手」
一拍置いて、冷たく続ける。
「もしかして、私の今の苦しみを肩代わりしようとしてるの?」
その瞬間、胸の奥から怒りが込み上げた。
「ふざけないで。
もう、あんたが肩代わりできるような苦しみじゃない」
私は、吐き捨てるように言った。
それでも――
蓮也は、声を荒げなかった。
「違うよ……愛理」
穏やかな声だった。
それが、余計に胸に刺さる。
「俺、気づいたんだ」
彼は、少しだけ視線を落としてから、続ける。
「苦しみを、ただ肩代わりするだけじゃ……ダメなんだって」
「一緒にいるだけじゃ足りない。
相手を正面から理解して……一緒に戦わなきゃ、意味がない」
「自己犠牲じゃ真に人は救えないことに」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
蓮也は、一拍置いて、はっきりと言う。
「愛理のやったことは、肯定できない」
「これからやろうとしてることも……たぶん、肯定できない」
それでも――
彼は、私から目を逸らさなかった。
「けど、愛理は……俺の、たった一人の大切な家族だ」
その一言が、私の中の闇に、静かに触れた。
「だからさ」
蓮也は、苦笑して言う。
「一緒に地獄まで落ちてやるよ」
(……そして、そんな間違った選択をした俺と愛理を、きっと――安城さんが止めてくれる)
(最後を彼女に任せるなんて……
やっぱり、俺は弱いな)
蓮也のその優しさが――
私の心の奥で渦巻く、闇に、ゆっくりと染み込んでいった。
「……そう。わかったわ」
私は、蓮也と静かに握手を交わした。
けれど、そのときの私には――
その行為に込められた優しさ、ほんのかすかな光明すら、感じ取ることができなかった。
そのまま歩きながら、
私はこれから自分が何をしようとしているのかを、淡々と蓮也に話した。
彼は、肯定も否定もしない。
ただ、隣を歩きながら、黙って聞いていた。
――まず、金髪の少女が今どこにいるのか。
分かっている情報は、十分だった。
名字は「安城」。
ゆういちと同じクラスの一年生。
金髪で、オッドアイ。
この条件が揃えば、答えに辿り着くのは――簡単だ。
道中を見渡すと、
部活へ向かうらしい愛聖学園の男子生徒が、一人歩いているのが目に入った。
私は、音もなく彼の前に立ち、仮面を被るようににっこりと微笑む。
「おに~さん。
私人探ししてるんだけど、ちょっといい?」
当然、彼は一瞬で身構えた。
初対面の人間に対する、無意識の警戒。
――だから。
私は、彼の目をじっと見つめ、能力を発動する。
人は、初対面の相手に必ず警戒心を抱く。
私の能力は、その“無意識”にそっと触れ、書き換える。
目の前の少女は、あなたにとって害のない存在。
警戒する必要はない――そう、思い込ませる。
男子生徒の瞳が、一瞬だけ虚ろになる。
けれど、すぐに焦点を取り戻し、穏やかな声で言った。
「……どうかしましたか?」
私は、自然な調子で尋ねる。
「私人探ししてるんだけどね。
安城さんって人、知らない?」
「特徴は金髪で、オッドアイの女の子なんだけど……
今日、学校にいるか分かる?」
今日は土曜日。
もし部活があるなら、彼女は学校にいるはず。
場所さえ分かれば――辿り着ける。
警戒心の消えた彼は、笑顔で答えた。
「あっ、それ――安城恵梨香さんですよ」
「剣道部の……」
その名前を聞いた瞬間、
胸の奥が、わずかにざわめいた。
私は、さりげなく首を傾げる。
「へぇ……剣道部なんだ?」
「うち、剣道強いんですよ。
たぶん、もう学校に来てると思います」
その言葉が、耳の奥で反響する。
――もう、学校にいる。
胸の奥が、くすりと擽られた。
嫌な予感でも、恐怖でもない。
それは――
狩りの獲物を見つけたときの、
静かな高揚に近い感覚だった。
その言葉に、胸の奥がくすぐられる。
「そうなんだ」
私は、楽しそうに笑って、さらに尋ねた。
「じゃあ……彼女、剣道強いんじゃない?」
男子生徒は、少し声を潜めて言った。
「中学時代、全国優勝までしてて……
“心眼の剣姫”って呼ばれてたらしいですよ」
――心眼の剣姫。
その言葉が、胸の奥で反響する。
思わず、喉の奥から小さな笑いが漏れた。
「……ふふ」
なんて素敵な肩書き。
「ありがとうね。すごく助かったわ」
私は、軽く手を振り、その場を離れる。
そのまま、蓮也のもとへ戻りながら――
胸の内では、はっきりとした高揚が渦巻いていた。
金髪。
オッドアイ。
剣道部。
“心眼の剣姫”。
条件は、すべて揃った。
――あとは、会うだけ。
そう思った瞬間、胸の奥が静かに熱を帯びた。
逃げ場はもうない。後戻りもできない。
私と蓮也は、何の躊躇もなく愛聖学園の校門をくぐった。
「おい!君!」
低く張りのある声が、背中に突き刺さる。
振り返ると、警備員の男がこちらを睨んでいた。
――当然だ。
秀英学園の制服を着た人間が、朝早くから愛聖学園に入ろうとしているのだから。
私は足を止め、ゆっくりと彼を見つめ返す。
視線を合わせる。
ただ、それだけ。
(……邪魔)
感情を押し殺し、能力を使った。
秀英学園の生徒が愛聖学園に入ることは、何もおかしなことじゃない。
その“当たり前”を、彼の無意識に滑り込ませる。
危機管理能力。
疑念。
違和感。
――それらを、ほんの少しだけ、緩める。
警備員の男は、一拍置いて瞬きをした。
「……いや、なにもない。通っていいよ」
そう言って、何事もなかったかのように視線を逸らす。
私は何も答えず、そのまま歩き出した。
朝が早いせいか、校内に人影はほとんどない。
私と蓮也は、同じ要領で通りすがりの生徒に声をかけ、剣道部の道場の場所を聞き出した。
――あともう少しで会える。
道場に辿り着くと、入口の脇に立てかけられた竹刀が目に入る。
私は迷わず一本を手に取った。
軽い。
けれど、確かな重さがあった。
「……恐らく、ゆういちがここに来るわ」
私は、背後にいる蓮也に言う。
「邪魔されたくないの。ここから先、行かせないで」
蓮也は目を閉じ、短い沈黙のあと、静かに頷いた。
「ああ……わかった」
それ以上、何も聞かない。
それが、今の彼なりの覚悟だった。
私は、ゆっくりと道場の中へ足を踏み入れる。
胸の奥で渦巻くのは、怒り。
嫉妬。
そして――ようやく会えるという、歪んだ高揚感。
静まり返った道場の中央。
そこに――一人の少女がいた。
金色の髪。
正座したまま、目を閉じ、呼吸を整えている。
空気が、張りつめている。
まるで、彼女の周囲だけ時間が切り取られたみたいに。
(……やっと、見つけたわ)
私は、右手で竹刀を持ち、軽く左手にトン、トン、と当てながら歩み寄る。
わざと、間延びした声で呼びかけた。
「おじょ~さん♪」
間。
「あ~そび~ましょ?」
その瞬間。
少女の目が、ゆっくりと開いた。
瑠璃色と、琥珀色。
二つの異なる光を宿したオッドアイが、道場に差し込む朝の光と影を、静かに映し出す。
――綺麗。
そして、同時に。
――気に入らない。
これが。
私と、安城恵梨香の――
最初の出会いだった。
自室のベッドで、はっと目を覚ました。
まだ外は暗い。
窓の向こうは夜と朝の境目で、空の色だけが、薄く、薄く変わっていく。
胸の奥が、ざらついている。
甘い匂いも、唇の感触も、抱きしめた熱も――
全部、まだ残っているのに。
(……なのに)
私は、静かだった。
泣かない。
震えない。
叫ばない。
ただ、頭の中だけが――
不気味なほど、冷たく整理されていく。
EESステージ3。
あの夢での再会を境に、私は確かに移行していた。
EESステージ2から――ステージ3へ。
――脳のリミッターが外れる。
――身体能力が、極限まで解放される。
人間は、本来、自分自身に“制限”をかけている。
力を振るえば相手を傷つけるかもしれない。
本気でぶつかれば、壊してしまうかもしれない。
そんな無意識の「躊躇」が、自然とブレーキになる。
けれど――
ステージ3は違う。
リミッターは、存在しない。
セーブも、効かない。
私は自分の手を、じっと見つめた。
ゆっくりと、開いて――閉じる。
その動き一つひとつが、やけに軽い。
「……すごいわ……」
思わず、声が漏れた。
「負ける気がしない」
冗談でも、強がりでもなかった。
ただ、事実を確認するような感覚だった。
身体が、明らかに“違う”。
私は、施設にいた頃の記憶を思い出す。
一度だけ、組み手をした“彼”。
踏み込んだ瞬間。
次の瞬間には、私は床に転がされていた。
あまりにも一方的で、あまりにも速くて。
何が起きたのかすら、理解できなかった。
見下ろしてきた彼の目は、冷たく、絶望的で――
まるで、「同じ人間を見る目」じゃなかった。
後になって聞いた話だ。
あの男は、私と変わらないあの年齢で、すでにステージ3へ到達していたらしい。
……今思えば。
普通じゃない。
いや――“異常”としか言いようがない。
そして、今。
私は、その領域に――
足を踏み入れてしまった。
私はベッドから降りて、制服に着替えた。
ブレザーの袖を通す音が、やけに大きく響く。
スカートのプリーツを整える指先は、驚くほど落ち着いていた。
鏡の中の私は、いつも通りの顔をしていた。
頬は、赤くない。
目も、潤んでいない。
呼吸も、心拍も――驚くほど落ち着いている。
外側だけを見れば、何一つ変わっていない。
昨日までと、同じ私。
――けれど。
胸の奥では、冷たく、重い闇が静かに渦を巻いていた。
音もなく、感情も伴わず、ただ確実に広がっていく黒。
これから向かう先なんて、もう考える必要はなかった。
迷いも、葛藤も、選択肢も――すべて消えた。
「あの女を壊す」
ただ、それだけだった。
(……でも)
もう、それは
“ゆういちを奪われた”という単純な愛の喪失なんかじゃない。
あの女の言葉。
一つひとつが、私の中に深く突き刺さっていた。
――「誰かを信じるとは、誰かの未来を諦めないこと」
……ふざけないで。
そんなの、ただの綺麗事だ。
理想論だ。
裏切られたことも、捨てられたこともない人間が、無責任に口にできる、
中身のない“美しいだけの暴論”。
信じれば、救われる?
未来を諦めなければ、報われる?
――そんな保証、どこにもない。
それは――
私が。
「お母さんは、きっと帰ってくる」
そう信じたかったのに、
最後まで信じきることができなかった、
あの頃の私に向けられた――
紛れもない、侮辱だった。
(……違う)
(信じられなかったんじゃない)
(信じたら、もっと苦しくなるから)
(信じ続けたら――壊れてしまうから)
夢の中で再会したお母さんは、
もう別の家庭を持っていた。
そこには、私の居場所なんて最初から存在していなかった。
――結末は、もう分かっていた。
あの頃の私にとって、
「信じ続ける」なんて選択肢は、なかった。
それは希望じゃない。
ただ、傷口を広げる行為だ。
だから私は、諦めた。
諦めることで、期待を手放した。
期待を手放すことで、絶望を避けた。
諦めたから――
私は、壊れずに済んだ。
諦めたから――
私は、生き延びることができた。
それなのに――
その“生き方”を、あの金髪の女は、軽い言葉で踏みにじった。
私は玄関の鍵を開ける。
金属の音が、やけに澄んで聞こえる。
扉を押し開けて、階段を降りた。
気温が心地よく、爽やかな風が吹く。
肌を撫でる風は、まるで祝福みたいに優しい。
――まるで、私の心とは対照的だった。
私は歩く。
足音だけが、静かな住宅街に溶けていく。
そして。
角を曲がった、その先に――
一人の影が立っていた。
真田蓮也。
私の、たった一人の血の繋がらない家族。
「……よぉ」
声は、驚くほど落ち着いていた。
彼は妙に吹っ切れたような表情で、私を見ている。
怒りも、戸惑いもない。
ただ、何かを決めきった人間特有の、静かな目だった。
「何か用? 蓮也」
声は、驚くほど平坦だった。
感情を削ぎ落とし、温度だけを残した声。
もし、私の行く先を邪魔するつもりなら――
それが、たった一人の“家族”である彼でも、容赦はしない。
……もう、このときの私は、以前の私じゃなかった。
苦しみを分かち合い、
同じ夜を越えてきた存在すら切り捨てられるほど、
私は非情になっていた。
そこに、迷いはない。
躊躇も、未練もない。
自分が向かっている先が“闇”だということくらい、
とっくに分かっている。
分かっていて――
それでも、足を止めなかった。
蓮也は、そんな私の顔を見て――
まるで全部見抜いているかのように、静かに手を差し伸べてきた。
私は、その手を一瞥して、言った。
「……何? その手」
一拍置いて、冷たく続ける。
「もしかして、私の今の苦しみを肩代わりしようとしてるの?」
その瞬間、胸の奥から怒りが込み上げた。
「ふざけないで。
もう、あんたが肩代わりできるような苦しみじゃない」
私は、吐き捨てるように言った。
それでも――
蓮也は、声を荒げなかった。
「違うよ……愛理」
穏やかな声だった。
それが、余計に胸に刺さる。
「俺、気づいたんだ」
彼は、少しだけ視線を落としてから、続ける。
「苦しみを、ただ肩代わりするだけじゃ……ダメなんだって」
「一緒にいるだけじゃ足りない。
相手を正面から理解して……一緒に戦わなきゃ、意味がない」
「自己犠牲じゃ真に人は救えないことに」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
蓮也は、一拍置いて、はっきりと言う。
「愛理のやったことは、肯定できない」
「これからやろうとしてることも……たぶん、肯定できない」
それでも――
彼は、私から目を逸らさなかった。
「けど、愛理は……俺の、たった一人の大切な家族だ」
その一言が、私の中の闇に、静かに触れた。
「だからさ」
蓮也は、苦笑して言う。
「一緒に地獄まで落ちてやるよ」
(……そして、そんな間違った選択をした俺と愛理を、きっと――安城さんが止めてくれる)
(最後を彼女に任せるなんて……
やっぱり、俺は弱いな)
蓮也のその優しさが――
私の心の奥で渦巻く、闇に、ゆっくりと染み込んでいった。
「……そう。わかったわ」
私は、蓮也と静かに握手を交わした。
けれど、そのときの私には――
その行為に込められた優しさ、ほんのかすかな光明すら、感じ取ることができなかった。
そのまま歩きながら、
私はこれから自分が何をしようとしているのかを、淡々と蓮也に話した。
彼は、肯定も否定もしない。
ただ、隣を歩きながら、黙って聞いていた。
――まず、金髪の少女が今どこにいるのか。
分かっている情報は、十分だった。
名字は「安城」。
ゆういちと同じクラスの一年生。
金髪で、オッドアイ。
この条件が揃えば、答えに辿り着くのは――簡単だ。
道中を見渡すと、
部活へ向かうらしい愛聖学園の男子生徒が、一人歩いているのが目に入った。
私は、音もなく彼の前に立ち、仮面を被るようににっこりと微笑む。
「おに~さん。
私人探ししてるんだけど、ちょっといい?」
当然、彼は一瞬で身構えた。
初対面の人間に対する、無意識の警戒。
――だから。
私は、彼の目をじっと見つめ、能力を発動する。
人は、初対面の相手に必ず警戒心を抱く。
私の能力は、その“無意識”にそっと触れ、書き換える。
目の前の少女は、あなたにとって害のない存在。
警戒する必要はない――そう、思い込ませる。
男子生徒の瞳が、一瞬だけ虚ろになる。
けれど、すぐに焦点を取り戻し、穏やかな声で言った。
「……どうかしましたか?」
私は、自然な調子で尋ねる。
「私人探ししてるんだけどね。
安城さんって人、知らない?」
「特徴は金髪で、オッドアイの女の子なんだけど……
今日、学校にいるか分かる?」
今日は土曜日。
もし部活があるなら、彼女は学校にいるはず。
場所さえ分かれば――辿り着ける。
警戒心の消えた彼は、笑顔で答えた。
「あっ、それ――安城恵梨香さんですよ」
「剣道部の……」
その名前を聞いた瞬間、
胸の奥が、わずかにざわめいた。
私は、さりげなく首を傾げる。
「へぇ……剣道部なんだ?」
「うち、剣道強いんですよ。
たぶん、もう学校に来てると思います」
その言葉が、耳の奥で反響する。
――もう、学校にいる。
胸の奥が、くすりと擽られた。
嫌な予感でも、恐怖でもない。
それは――
狩りの獲物を見つけたときの、
静かな高揚に近い感覚だった。
その言葉に、胸の奥がくすぐられる。
「そうなんだ」
私は、楽しそうに笑って、さらに尋ねた。
「じゃあ……彼女、剣道強いんじゃない?」
男子生徒は、少し声を潜めて言った。
「中学時代、全国優勝までしてて……
“心眼の剣姫”って呼ばれてたらしいですよ」
――心眼の剣姫。
その言葉が、胸の奥で反響する。
思わず、喉の奥から小さな笑いが漏れた。
「……ふふ」
なんて素敵な肩書き。
「ありがとうね。すごく助かったわ」
私は、軽く手を振り、その場を離れる。
そのまま、蓮也のもとへ戻りながら――
胸の内では、はっきりとした高揚が渦巻いていた。
金髪。
オッドアイ。
剣道部。
“心眼の剣姫”。
条件は、すべて揃った。
――あとは、会うだけ。
そう思った瞬間、胸の奥が静かに熱を帯びた。
逃げ場はもうない。後戻りもできない。
私と蓮也は、何の躊躇もなく愛聖学園の校門をくぐった。
「おい!君!」
低く張りのある声が、背中に突き刺さる。
振り返ると、警備員の男がこちらを睨んでいた。
――当然だ。
秀英学園の制服を着た人間が、朝早くから愛聖学園に入ろうとしているのだから。
私は足を止め、ゆっくりと彼を見つめ返す。
視線を合わせる。
ただ、それだけ。
(……邪魔)
感情を押し殺し、能力を使った。
秀英学園の生徒が愛聖学園に入ることは、何もおかしなことじゃない。
その“当たり前”を、彼の無意識に滑り込ませる。
危機管理能力。
疑念。
違和感。
――それらを、ほんの少しだけ、緩める。
警備員の男は、一拍置いて瞬きをした。
「……いや、なにもない。通っていいよ」
そう言って、何事もなかったかのように視線を逸らす。
私は何も答えず、そのまま歩き出した。
朝が早いせいか、校内に人影はほとんどない。
私と蓮也は、同じ要領で通りすがりの生徒に声をかけ、剣道部の道場の場所を聞き出した。
――あともう少しで会える。
道場に辿り着くと、入口の脇に立てかけられた竹刀が目に入る。
私は迷わず一本を手に取った。
軽い。
けれど、確かな重さがあった。
「……恐らく、ゆういちがここに来るわ」
私は、背後にいる蓮也に言う。
「邪魔されたくないの。ここから先、行かせないで」
蓮也は目を閉じ、短い沈黙のあと、静かに頷いた。
「ああ……わかった」
それ以上、何も聞かない。
それが、今の彼なりの覚悟だった。
私は、ゆっくりと道場の中へ足を踏み入れる。
胸の奥で渦巻くのは、怒り。
嫉妬。
そして――ようやく会えるという、歪んだ高揚感。
静まり返った道場の中央。
そこに――一人の少女がいた。
金色の髪。
正座したまま、目を閉じ、呼吸を整えている。
空気が、張りつめている。
まるで、彼女の周囲だけ時間が切り取られたみたいに。
(……やっと、見つけたわ)
私は、右手で竹刀を持ち、軽く左手にトン、トン、と当てながら歩み寄る。
わざと、間延びした声で呼びかけた。
「おじょ~さん♪」
間。
「あ~そび~ましょ?」
その瞬間。
少女の目が、ゆっくりと開いた。
瑠璃色と、琥珀色。
二つの異なる光を宿したオッドアイが、道場に差し込む朝の光と影を、静かに映し出す。
――綺麗。
そして、同時に。
――気に入らない。
これが。
私と、安城恵梨香の――
最初の出会いだった。
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