隣の席のオッドアイギャルは俺の心の声が聞こえるらしい

夕凪けい

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第120話 安城恵梨香 vs 本郷愛理  ― 理想と支配 ―

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「おじょ~さん♪」

明るく、どこか無邪気に聞こえる声。
けれど――胸の奥を、ひやりと撫でる冷たさがあった。

「あ~そび~ましょ?」

軽い調子のはずなのに。
その言葉の裏側には、獲物を見つけた捕食者の確信が滲んでいる。

――逃がさない。
そんな殺意が最初から、そのつもりで来ている。

私は、ゆっくりと立ち上がり、彼女を正面から見据えた。

「あなた……誰?」

問いかける声は、自然と低くなる。

「帰りなさい。
他校の生徒が、勝手に道場に足を踏み入れるのは禁止よ」

淡々と、事実だけを告げる。
剣道部として、学園の生徒として――それ以上でも、それ以下でもない対応。

けれど。

彼女はその言葉を聞くと、
ふふっ、と呆れたように笑って言った

「ねぇ……私と勝負しない?」

私は思わず、眉をひそめた。

「……勝負?」

その言葉を、私は戯言として受け取り、
淡々とそう返した。

「ふざけないで。
学校の許可もなく、試合なんてできないわ」

一拍置いて、彼女の手元――竹刀に視線を落とす。

「それに、あなた……素人でしょ?」

人は、ある程度研鑽してきたものには、否応なく“気配”が滲む。
経験者特有の、言葉にできない雰囲気――いわば、積み重ねの重さ。

けれど、彼女からは、それがまるで感じられなかった。

竹刀の扱いは軽く、まるで玩具でも振るうかのよう。
試合をしに来たというのに、身に纏っているのは制服のまま。

どう見ても、剣道を積み重ねてきた人間のそれではない。

……にもかかわらず。

彼女には、圧倒的な“何か”があった。

理由は分からない。
けれど、直感が告げている。

どんな状況でも、どんな相手でも、
自分が勝つと疑わずに信じている。

他人に期待しない。
信じるのは、自分の力だけ。

その在り方こそが――
彼女を“強者”たらしめていた。

彼女は、目を細めながら、私の問いに嘲笑うように答えた。

「確かに……剣道なんて、やってこなかったわ」

あまりにも素直な返答。
そのせいで、かえって胸の奥に不気味さが刺さる。

そして――

ほんの一拍、間を置いて。
彼女は、楽しそうに笑った。

「でもね」

その視線が、まっすぐ私を射抜く。

「アンタよりは……強いよ?」

――空気が、変わった。

「私とアンタじゃ、文字通り“ステージ”が違うの。
人間として、ね?」

その言葉の意味を、私はすぐには理解できなかった。
けれど――単なる虚勢や、まやかしとも思えなかった。

道場の静寂が、ぎしりと軋む。

冗談とも、挑発ともつかないその一言。
それなのに、なぜか。

胸の奥が、ざわりと嫌な音を立てた。

この女――
やっぱり普通じゃない。

そう――本能が、告げていた。

「……駄目よ。帰りなさい」

私は、はっきりと彼女の要求を退けた。
これ以上、取り合う理由はない。

ここは剣道部の道場だ。
私的な感情で、無許可の勝負をする場所じゃない。

――そのはずだった。

「ふーん……」

彼女は、つまらなさそうに肩をすくめる。

「なんだ。やらないの?」

軽い口調。
けれど、その一言には、露骨な失望が滲んでいた。

「なんか、興ざめだなぁ」

その言葉と同時に――
彼女は、にやりと笑った。

違う。
興ざめなんて、していない。

むしろ彼女は、最初から分かっている。
私が――この場から、決して引けないことを。

まるで、私の思考の行き先まで見通しているかのように。
逃げ道が、最初から存在しないことを知っているかのように。

そして彼女は、ぽつりと。
本当に、何でもないことのように言った。

「私の“ゆういち”を変えた女の子に、ちょっと興味があったのに」

――その瞬間。

その名前に胸の奥が、反射的に跳ねた。

(……今、なんて言った?)

彼女は、もうこちらに背を向けている。
用は済んだと言わんばかりに、道場の出口へと歩き出す。

「……待ちなさい」

気づけば、声が出ていた。
自分でも驚くほど、早かった。

彼女の足が、ぴたりと止まる。

「……あなた」

一拍。
言葉を選ぶ余裕なんて、もうなかった。

「名前は?」

――振り返る。

その動きは、あまりにも自然で。
まるで、最初からそう呼び止められることを知っていたかのようだった。

彼女は、ゆっくりとこちらを向く。

そして――
満面の笑みで、言った。

「本郷愛理よ」

その名前が、道場の空気に落ちる。

「よろしくね?」

無邪気に、楽しそうに。

「安城恵梨香」

この女は最初からわかっていた。
私が、彼の名前を聞いて呼び止めることを。

本郷愛理。
その名を聞いただけで、胸の奥がざわついた。

神田君の――初恋。
そして、彼の心に深い苦しみと傷を残した“トラウマ”。

理性では分かっている。
冷静になるべきだ。関わるべき相手ではない、と。

それでも。

(……私は彼女を許せない)

胸の奥で、感情が荒れ狂う。
まるで、抑え込んでいた何かが一気に溢れ出すように。

私はもう――口を開いていた。

「……勝負って、何をするのかしら?」

自分でも驚くほど、声は静かだった。

彼女は、まるで待っていましたと言わんばかりに、にこっと無邪気な笑みを浮かべる。

「剣道で対決って、どう?」

――一瞬、言葉を失った。

剣道。
それは、私にとって圧倒的に有利な領域。

「……あなた、正気?」

思わずそう問い返す。

だが、彼女は動じない。
むしろ、楽しそうに唇の端を吊り上げて、こう続けた。

「ルールは簡単。
 お互いが倒れるまで。防具も、なし」

「……そうね」

彼女はポケットに手を入れ、一枚のコインを取り出した。
指先でそれを弄びながら、私の目をじっと見つめて言う。

「このコインが地面に落ちたら、勝負開始ってどう?」

彼女は、淡々とそう言った。

私はその提案を一度、頭の中で反芻する。
概ね、受け入れられる内容だった。

――ただ一点を除いて。

「……わかったわ」

そう前置きしてから、はっきりと告げる。

「でも、防具はつけなさい」

声は低く、はっきりとしていた。
どれほど怒りが身体を支配しても、それだけは譲れなかった。

その言葉に、彼女は――
まるで戯れるみたいに、愛らしく答えた。

「愛理、いらな~い♡」

そして、何でもないことのように続ける。

「大丈夫よ。アンタ程度じゃ、私に一太刀も浴びせられないから」

一拍。

「それとも――負けた時の言い訳にする?」

口元が、歪む。

「“相手が防具をつけてなかったから、本気を出せませんでした”って?」

その言葉を聞いた瞬間、
私は――ゆっくりと目を閉じた。

瞼の裏に浮かぶのは、神田君の笑顔。

いつも私を一番可愛いと言ってくれる、あの無防備な愛らしさ。
どんな時でも、迷いなく私の味方でいてくれる優しさ。

彼の存在を、胸の奥で確かに感じたその瞬間――
何かが、静かに定まる。

もう、迷いはなかった。
一度、大きく息を吸い、
深く、深く吐き出す。

そして、答えた。

「……わかった」

一拍、間を置いて――言い切る。

「かまわないわ」

そう答えた自分の声は、
思っていた以上に――冷たく、澄んでいた。

私は、剣道を誇りにしてきた。
誰よりも真摯に向き合い、愚直なほど積み重ねてきた。

それを――
誰かを傷つけるために使おうとしている。

本来なら、決して選んではいけない道だ。

けれど。

その誇りよりも。
その年月よりも。

神田君が傷つけられ、
苦しめられたという事実の方が――
今の私には、あまりにも重かった。

だから私は、選んだ。

過去の自分が積み上げてきた誇りを、この手で手放し――
彼のために、戦うと。

私と彼女は、無言で準備を始める。
竹刀を取り、間合いを測る。

その準備の最中でも、どうしても胸の奥に引っかかるものがあった。

――聞かなければならない。

私は、彼女に視線を向ける。

「……どうして」

自然と、声が落ちた。

「どうして、神田君を傷つけたの?」

如月さんから、あの再会の日のことは聞いている。

なぜ彼を振ったのか。
なぜ、親友と付き合っている“フリ”までして、彼を追い詰めたのか。

理由は、断片的には知っている。

それでも――
誰かの言葉をそのまま信じることは、したくなかった。

自分の心で、彼女を見たかった。
その表情を。
その声を。
その覚悟を。

彼女は、裁かれるべき人間なのか。
それとも――。

彼女は、静かに微笑んで言った。

「ゆういちを、愛しているからよ」

その距離では、彼女の心の声は聞こえない。
けれど――その言葉に、嘘は感じられなかった。

だからこそ。

胸の奥が、きつく締めつけられる。

私は拳をぎゅっと握りしめ、
胸の奥に溜まったものを吐き出すように言った。

「……誰かを傷つけることが、愛?」

一拍。

「ふざけないで」

そして、はっきりと告げる。

「そんな歪んだ愛――私が、否定するわ」

彼女は、右手の竹刀を左手にトントンと打ち付けながら、平然と答える。

「それはね」

「愛を失う痛みを、知らない人間の理想論よ」

淡々と。
切り捨てるように。

「綺麗なだけで、なにも価値がない」
「中身のない空っぽの言葉」

そのまま、彼女は続けた。

「私ね、小さい頃に母親に捨てられたの」

淡々とした声だった。
告白というより、事実の列挙に近い。

「そして、お母さんは新しい家庭を持って……今は幸せに暮らしてる」

一瞬だけ、視線が伏せられる。

「私という人間を、踏み台にしてね」

彼女はそう言って、手にした竹刀へと目を落とした。
まるで刃のないそれに、過去の自分を重ねているかのように。

「……世の中ね」

小さく息を吐き、続ける。

「耳障りのいい“綺麗な理想”で、溢れてるわ」

彼女は、どこか遠くを見るようにそう言った。

「でも、その理想を語っている人たちのほとんどは――地獄を知らない」

彼女は、そう言って小さく肩をすくめた。

「……当然よね」

淡々とした声だった。

「地獄のような苦しみなんて、ほとんどの人には起こらないもの」
「そんなものを“本当に”味わうのは……ごく僅かな人間だけよ」

淡々と。
感情を乗せることなく、ただ事実を並べるように。

「本当に、絶望を知った人間はね……口を閉ざすのよ」

その瞬間、
彼女の手が、竹刀をきゅっと握りしめるのが分かった。

「平穏で、穏やかで」
「同じ絶望を、二度と味わわないように」

一拍。

「ただ――それだけを願って、生きる」
「普通の人が当たり前のように手にしているはずの幸せが、
 いつの間にか、ひどく敷居の高いものにさえ見えてしまうの」

その言葉には、嘆きも、怒りもなかった。
あるのは――冷え切った確信だけ。

「そしてね」

彼女は、こちらをまっすぐに見据える。

「絶望を知って、口を閉ざした人間ほど」
「地獄を知らない人たちが語る“綺麗なだけの理想”に、惹かれてしまうの」

まるで、
――それが当然の心理であるかのように。

「そうなってほしいっていう……せめてもの願望の、表れなのよ」

一拍。

「自分にはどうしようもできない理不尽に、打ちひしがれて」
「もう……すがるしか、なくなるから」

彼女は、小さく息を吐いた。
それは溜息というより――
感情を切り離すための、整理された呼吸だった。

「でも……心のどこかでは、わかってる」

視線は逸らさない。

「そんな理想が、叶わないことくらい」

静寂が、落ちる。

「……私、思うの」

彼女は、ゆっくりと言葉を選びながら、告げた。

「理想なんてね――」
「苦しみに苛まれた人間が」
「現実から目を逸らすために作り出した……」

そして、はっきりと。

「都合のいい、現実逃避よ」

彼女は、静かに――言い切った

「だから私は、綺麗なだけの理想が大嫌いなの」
「――その“綺麗さ”が」
「自分自身を、静かに壊していくことも知らずにね」

淡々とした声だった。
そこに、怒りはない。
嘆きも、悲しみも、もう残っていない。

あるのは――
一度、完全に壊れきった人間だけが辿り着く、冷え切った確信。

彼女は続ける。

「私はね、現実から逃げなかった」
「逃げずに、ちゃんと向き合ってきたの」

淡々と語られる言葉は、
それ自体が彼女の人生の総括みたいだった。

「そして……答えを見つけたの」

一拍。

「――もう、失わないために」
「愛は、支配するものだって」

竹刀を握る指に、力がこもる。

「そのために誰かを傷つけることがあっても」
「それは、尊い犠牲よ」

私は――
その言葉を、黙って受け止めることができなかった。

胸の奥で、何かが強く反発する。
だから、はっきりと言う。

「いいえ」

声は、不思議なほど落ち着いていた。

「愛は、支配するものじゃないわ」

一歩、前に出る。

「誰かを傷つけて成り立つ愛なんて……」
「そんなものは、愛じゃない」

彼女を真っ直ぐに見据えたまま、私は続けた。

「理想っていうのはね」

ほんの一瞬、息を吸う。
そして――竹刀の先端を、静かに彼女へ向けた。

「苦しみに苛まれた人間が、
 現実から目を逸らすために作り出した
 都合のいい現実逃避なんかじゃない」

間を置いて、言葉を選ぶように――
それでも、はっきりと告げる。

「苦しみに意味を見出した人間だけが、
 辿り着ける――
 “現実”よ」

言い切った瞬間、
道場の空気が、ぴんと張りつめた。
価値観と価値観が、
もう言葉では交わらない距離まで、近づいていた。

彼女は、どこか呆れたように笑う。

「ふふっ……どうも、あなたとは話が合わないわね」

一拍置いて、彼女は続ける。

「まぁ、いいわ」

そう言って――
竹刀を、ゆっくりと下ろした。

「この勝負で決めましょ。
 勝った方が――正しいってことで」

そう言って、親指でコインを宙に弾く。
きらり、と光を反射して、
コインが地面に落ちた、その瞬間。

私たちは同時に、踏み込んだ。

バン――
乾いた衝撃が、道場に響く。

竹刀同士が激しくぶつかり合い、
私達の距離が一気に詰まる。

その瞬間。

彼女の声が、はっきりと聞こえた。

(――あなたを、私の正しさで支配する)
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