緑の指を持つ娘

Moonshine

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温室には

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「それで、アン王女のポーションお褒めをもらったそうですね」

来年度の魔術院の予算会議の帰り道に、一緒に出席していたナーランダは、そうノエルに話しかけた。魔術院の予算は王家から出される。
王家の会計担当は非常に細かい事で有名なのだが、今日はすんなりと予算の増額の許しがでたのだ。

おそらくは、ノエルの供給したポーションが評価されている事が一つの理由だろう。

「ああ。あの薬嫌いのアン王女が、私のポーションであれば飲んでくれるとか。それからあの気分むらの激しい王女が、ポーションを摂取した後は落ち着くので、入眠前に飲んでいただくととても助かるとメイドが言っていた」

「ポーションの配合を変えたわけ・・ではありませんね」

「お前も知っている配合だ。ただ、材料だ」

ナーランダの眉が、ぴくりと動いた。

「全ての材料を、ベスの温室育ちのものに切り替えた。スミレは鎮静効果もあるけれど、ほぼ香りと味の為に配合しただけの材料だというのに、Sクラスまで育った結果、どうやら薬効が発動している様子だ」

すみれの薬効は、鎮静。
小さな子供の体に負担なく、口に優しく、眠りの世界に誘ってくれる。

ナーランダは興味深そうに話しを聞いていたが、

「ノエル様ご自身で利用されましたか?」

そう秘密の話をするように、声をひそめた。

「ああ。だが私に必要なのは導入剤ではない。紫の薬だ」

「あのように強い薬を毎日服用されては、そのうち健康を害します」

ナーランダは少し強い口調でたしなめた。
ノエルは深刻な不眠症で長年苦しんでいる。強い魔術を掛けた紫入りのポーションを摂取する事で無理やり数時間だけ眠りについているが、副作用も強い。

ノエルは答えを返さなかった。そして話題を変える為に急にナーランダに話を振った。

「所で、あの温室にあるソファは、お前のソファだろう」

ロドニーが眠っていたソファだ。
ナーランダは悪戯がバレた子供のような顔をして、白状した。

「ええ。私の古いソファです。あの温室があまりに居心地が良いので、長居するための道具が欲しくてベスに貰ってもらいました。今では昼寝をしに時々通っていますが、私の提供したソファだというのに先客が多くてね」

その先客は、ほとんどロドニーだろうことは簡単に想像できた。
ここの所ロドニーは実に生き生きとした顔色をしていて、バラ色の子供の頬のような頬を取り戻していたのだ。

「私が昼寝をする時に、色々と私の体調に合わせてくれているのか、温室の鉢植えを足元だの頭の側だのにベスが持ってきてくれるのですが、これがまた絶妙な配置なんですよ。本当にあの温室で一眠りすると、いろんなものが許されて流れていく気がして、全てが回復して午後から新しい人間になった気がするのです」

「…神話の、女神の泉のような場所だな」

どんな傷でも回復するという、創生神話の女神の泉を思い出す。
瀕死の傷をおった勇者が立ち寄った女神の泉で回復し、そして敵を倒すという話だ。

ナーランダはつぶやいた。

「あの娘は不思議な娘です。あの娘は、植物に毎朝、今日はどうして欲しいか聞くんだとか。そして聞いたことを実行しているだけだと、そう言っていました。私が疲れて温室のソファに腰掛けていると、同じように私の心と体に声をかけるそうですよ。どうして欲しいのかと。そしたら、私が元の状態に戻るのに必要なものが、わかると言っていました。大体は、ゆっくり睡眠をとって、苦目のハーブティーでデトックスが必要だと答えるそうですがね」

そして、思い出したかのようにクック、と笑うと続けた。

「昼寝から目覚めたら、光の溢れた、虹の踊る温室で、ベスが笑ってハーブティーを入れてくれるんです。運が良ければ、あの娘の得意だという田舎のクッキーまで出してくれて。生き返るとは、この事かと思います。不思議でしょうノエル様。あの魔力も持たない田舎の娘の育てる植物が、ことごとくS級に育つ理由が、私には今痛いほどわかります」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次の日。

温室の様子を見に、ノエルはベスのもとを訪ねていった。
特に温室に用事はないが、部下が皆口を揃えてベスの温室の居心地の良さと、心や体の調子が整ったと訴えているのだ。べスの育てる植物の質の高さの秘密がそこにあるのかもしれない。

(いってみるか・・)

前触れもださずにノエルは温室を訪ねる事にする。
何か、べスには秘密があるのかもしれない。そうノエルは考えたのだ。
ナーランダもロドニーも、みな宮廷魔術師というこの国の中でも数えるほども存在しない優秀な魔術師だ。

(あの優秀な魔術院のみながそろいもそろって昼寝に向かうなど、何か中毒性のある植物の栽培がおこなわれているのかもしれない)

だがノエルの予想に反して実に意外なことに、ベスはその日は温室の中にすらいなかったのだ。
ノエルが近づくと、べスは温室の外で例の太った野良猫と遊んでいた。
魔獣ではない。正真正銘の、ただの野良猫だ。

べスはノエルに気がついた様子だ。

「あ、ノエル様。今日は温室に入れてあげられませんよ」

「なぜだ?」

「今、メイドのミッチが入ってます」

「それが、何か問題があるのか?」

そして、声をひそめた。

「あの娘、流産したばかりなんです。一生懸命立ち直ろうとしているんです。今はノエル様の温室の中で、自分一人で、自分の悲しみの心と体に向かい合いたいって言うものだから」

ちょっとそっとしてあげてください。
そうべスは言った。

王宮メイドのミッチが王妃の部屋で突然倒れた事は、ノエルも少し聞いていた。特に事件性がなかったので今まですっかり忘れていた。

ミッチは王妃付きのメイドで、時々魔術院にポーションを受け取りに、王妃の遣いとしてやってくる事がある。
その時にでもべスに、この温室に招待されたのだろう。

「そんな精神状態の娘を、温室に一人にしていても大丈夫か?」

母や姉などの信用できる女手のある場所で、ゆっくり回復をした方がいいとノエルは思うが、べスはノエルの思いとは違った言葉を返してきた。

「一人でいても、植物と動物が寄り添っていれば、一人ではないわ。人と一緒にいるのは、今は却って辛いのよ。人ではないものに寄り添ってもらって、十分準備が整ったら、その次やっと人が寄り添ってあげられる。それからようやく、人は立ち直ると思うの。今日はまだ、誰にもそばに寄って欲しくないはずよ」

でも、まずは心ゆくまで悲しむだけ悲しんで、準備ができるまで十分に悲しみの底にいないといけない。それが終わったら、やっと前に進む事ができるの。

そうつぶやくべスの顔は、まるで賢者のごとくだった。
ソファの影の上に動いているのがミッチだろう。体を抱えて嗚咽しているのが遠くからでもそのシルエットで見える。心が痛くなる。

べスは続けた。

「ミッチのご主人にはちゃんとわかってもらってます。植物ってね、ノエル様。優しいのよ。うちの植物たちはみんな元気で幸せな子たちばかりだから、痛みを抱えている生き物に、ちゃんと力を貸してくれるのよ。元気な植物のそばにいるだけで、癒える傷というものが、あるんです」

ノエルは、ナーランダが言っていたことを少し思い出した。

「・・そうか、それでお前の植物を使うと、全てポーションの効能がとてつもなく、高くなるのだな」

「気前良く与える事ができる生き物は、幸せな生き物だけです。幸せな命に囲まれていると、傷ついた生き物も、やがて元々のあるべき自分の形を思い出します」

そして、ノエルは少し微笑んで、ベスに聞いた。

「お前は、幸せなのか?だからこんなに、惜しみなく与える事ができるのか?」

ベスは大きな笑顔を見せると、躊躇することなく言った。

「幸せですよ。だって」

大きく息を吸った。

「生きているから」

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