対人恐怖症のメンダーと辺境の騎士 ~この恋は、世界のほころびを繕う~

Moonshine

文字の大きさ
30 / 87
テムジンの牧場

しおりを挟む
一方その頃牛舎では。

「な、最高だろう? この世で一番美味い飲み物はうちの牧場の搾りたての牛乳だ!ほら、遠慮しないでもっと飲んでくれ」

慣れた手つきで、ここの牧場で一番美味しい牛乳を出すというメルちゃんという牛の乳を絞ると、次々にテムジンは手渡していく。

(確かに美味い。素晴らしく美味い。だけれど、これでもう4杯は飲まされているんだ・・)

体の大きなカイルですら3杯めでもう目を白黒させているような大きな瓶に入った牛乳を、これでもか、これでもかとマティアスは渡されているのだ。

そうだというのにさあ飲め!と、どんどんテムジンはメルちゃんの牛乳を搾り続けている。
ついに5杯目を振舞ってくれようとしたテムジンに、有能な軍人であるマティアスは、切り札を使った。

「そ、そうだ! こんな素晴らしく新鮮で美味い牛乳は、新鮮な搾りたてを今すぐドルマに持っていかないと!」

そうしてテムジンの手から牛乳の瓶をひったくると、並々と牛乳が注がれた瓶を持って、丘の上の幌馬車を目指して走ってマティアスは牛舎から逃げたのだ。

「お前気が効くな! 絶対ドルマちゃんも喜ぶって! 何せ俺の牧場の牛乳は世界一なんだ、おかわりを絞ったら俺もいくよ!」

「おお! マティ、そりゃいい考えだ、じゃ、じゃあ俺とハンザはおばさんのミルクプリン作りを手伝わないといけないから、ちょっと台所に行くわ!」

「早くいきましょカイル、おばさん一人で台所仕事は申し訳ないわ!! マティさんドルマをよろしくね!」

待ってましたとばかりにカイルはハンザの手をとって光の速さでテムジンのおばさんが作業をしている台所に逃げこんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「わー!!!ばあちゃんそこで何やってるんだ! そこに入っちゃダメだ!! おいみんなばあちゃん見てないとダメだろう!」

丘の中腹で、マティアスの後ろからテムジンの必死の声が、丘をの急斜面を上るマティアスの後ろから聞こえてきた。マティアスはテムジンを撒こうと必死で丘を走りながら牛乳をこぼさないようにしていたので、丘の向こうで何が起こっているのか、全く注意を払っていなかった。

(一体何事だ)

マティアスがテムジンの声に牛乳瓶から顔を上げて丘の上の幌馬車を見上げると、なんとドルマの隠れている幌馬車の中から、幽鬼のごとくふらりと、髪のボサボサの老女が出てきたのだ!

(・・ドルマ!)

テムジンとマティアスは顔を見合わせると、二人で大急ぎで急斜面の丘を駆け上がり、マティアスは幌馬車に、テムジンはフラフラとどこかに行こうとしている老女の手を掴んだ。

「ばあちゃん、ダメじゃないか、ここに入っちゃ!ああかわいそうに、ドルマちゃんごめんよ、びっくりしだろう」

「おばあちゃん! どこに行ったかと思ったらこんなところにいたのね、随分探したのよ」

テムジンの悲鳴を弟妹達が聞き駆けつけて、幌馬車から降りてきた老女の右と左の手を引いた。

「ばあちゃん、ほら怖くないから、ああ、どこで脱いじゃったんだろう、靴も脱げてるじゃないか。家で足を洗ってあげるから一緒にに家に戻ろうな・・ばあちゃん?」

テムジンがそう言って祖母の肩を抱いたその時だ。
いつも何を言っても、ただ虚空を見ているだけの祖母の目に、光が宿っているのが見えたのだ。

老女はしっかりとした話し方で、己を囲む子供達の顔を見ながらこう言ったのだ。

「あらまあアニカにチンギス、一体全体そんな大声をあげてどうしたっていうの? チンギスは学舎の時間じゃないの? アニカ、顔に粉がついてるわよ、しょうがないわね」

「ば、ばあちゃん?」

テムジンはギョッとして祖母の顔を見た。
その凛とした顔つきは、確かに、テムジンが小さかった頃によく知っている強く、厳しく、愛に溢れた賢い女性のそれだったのだ。

「アニカ、今日あなたは牛の体を洗ったの? 羊はちゃんと数を数えた? チンギスはちゃんと学舎では喧嘩をしなかった? お前は本当に喧嘩っ早いからね」

アニカとチンギスは、信じられないものを見たかのように二人顔を合わせると、顔を歪ませておばあちゃんを抱きしめて号泣し始めた。

「うわーん、おばあちゃん、記憶がもとに戻ったのね!」
「ばあちゃん、ばあちゃん、会いたかったよ!」

テムジンは目の前の光景が信じられない。
テムジンの祖母がまともに会話ができなくなってから、もう五年は経つのだ。最近では孫達の名前も顔も思い出せなくなった。
おばあちゃんっ子だったテムジンは、震える声を抑えながら、ゆっくりと話しかけた。

「ば・・ばあちゃん、なあ、俺が誰かわかるか」

女性はゆっくりと顔をあげてテムジンを見つめると、優しく微笑んで言った。

「馬鹿なことをおいいでないよ。お前は私の可愛いテムジンじゃないか。随分と大きく逞しくなったけど、私の可愛いテムジンだよ。見間違えるもんか」

テムジンは溢れる思いに耐えかねて、弟妹と一緒に祖母に抱きついて、号泣した。

「ばあちゃん、ばあちゃん!! 俺は騎士になったんだよ! まだ見習いだけどな」

「そう・・なんだか私がぼんやりと夢の世界にいる間に、お前は随分と立派になったのね。お母さんの言うことをよく聞いて、立派な騎士になるのよ」

テムジンは子供のようにぐずぐずと泣いた。

「なるよ・・俺が立派な騎士になって、家族を守るんだ・・」

テムジンの祖父は、五年前の魔獣の襲撃の際の傷が元でこの世を去った。
そしてそれ以来、夫を深く愛していたテムジンの祖母は、すっかりと現実ではない世界の住人となって今に至るのだ。

愛おしそうにテムジンの髪を撫でると、言った。

「たくさん牛乳を飲んで、大きくなるのよ。お前は赤ん坊の頃は弱くて体が小さくて、本当に心配したわ。お前がこんなに強く大きくなったのは、ここの世界で一番美味しい牛乳のおかげなんだから」

丘の下から、女性の叫び声が聞こえてきた。

「おばあちゃん、そっちに行ったらダメだって!!幌馬車の中にいる女の子は対人恐怖なのよ!!」

ぜいぜいと息せきをきって丘の下から走ってくるのはテムジンの母だ。
おそらく子供達の叫び声が丘の下の家の台所まで聞こえたのだろう。
エプロンもつけたままで、甘いバニラの香を漂わせている。プリンを作っていた最中なのだろう。

「まあオドナ。なんだいそんな大声をあげて、はしたない」

「お、お、お母さん!」

テムジンの母は、悲鳴のような金切り声を上げた。

老女は愛おしそうにテムジンの母を見つめて、続けた。

「なんだか今までずっと夢の中にいた気がするわ。オドナ、お前はしばらく見ない間に随分と立派な母に、女性になったのね」

「お、お母さん・・まさか記憶が戻ったの? ねえお母さん、お母さん!!奇跡が起こったの??」

老女は目を瞑ると、感動に震えて泣きじゃくる娘を胸に抱きしめて、独り言のようにつぶやいた。

「オドナ。愛してるわ。家族みんなを世界で一番愛してるわ」

「お母さん!!」
「おばあちゃん!!」

テムジンと家族は老女を囲んで号泣してその場に崩れていった。

どのくらいの間そうしていただろう。

奇跡はほんの一瞬の出来事だったらしい。
気がつけば、老女の瞳は光を失い、灰色に変わって、不思議そうに己を取り囲む涙の顔を一人一人眺めながら、言った。

「・・誰かねお前さんたちは」

オドナも、家族もその言葉で理解した。
記憶はまだ戻らない。
今、この瞬間だけ、神様が何かの気まぐれを起こして、この老女の記憶を戻してくれたのだ。

おそらく奇跡はもう起こるまい。

だがそれでも、老女の心には、家族に対する愛で満ちていた。
たった一瞬の奇跡。だが、そのたった一瞬の奇跡の瞬間に、この老女は家族に向けて、心からの愛を告げたのだ。

オドナは涙を拭くと、空に向かって感謝を述べた。

(神様、一瞬だけ母を返してくださって、ありがとう)

そうして同じく涙を振り払ったテムジンは、笑顔を見せていった。

「さあ、おばあちゃん、部屋に帰ろう。ミルクプリンを作ってるんだ」

テムジンと弟妹達は、おばあちゃんの手をとって、丘の下に連れてゆく。

そこでふと、オドナは何かに気がついた。

「あれお母さん、それ繕ってもらったの?」

母の肩にかかっていたショールだ。木の枝か何かに引っ掛けて、端がほつれていたのだ。
継ぎを当てないとと思いつつも、日常の家事のあれこれで忙しく、苦手な針仕事まで手が回っていなかったのだ。

近づいてよくショールを見ると、とても丁寧な針仕事で、感心するほど綺麗に継がれている。

そしてオドナは思い出した。

(ドルマちゃんの仕事は制服の修繕だと、そうテムジンは言っていたわね。身につけていると、小さな幸せを運んでくれるような、そんな素晴らしい継ぎを施してくれると)

オドナはこれ以上ドルマを怯えさせないように、幌馬車に向かって何も言わず、ただ一礼をした。

しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

婚約破棄までの168時間 悪役令嬢は断罪を回避したいだけなのに、無関心王子が突然溺愛してきて困惑しています

みゅー
恋愛
アレクサンドラ・デュカス公爵令嬢は舞踏会で、ある男爵令嬢から突然『悪役令嬢』として断罪されてしまう。 そして身に覚えのない罪を着せられ、婚約者である王太子殿下には婚約の破棄を言い渡された。 それでもアレクサンドラは、いつか無実を証明できる日が来ると信じて屈辱に耐えていた。 だが、無情にもそれを証明するまもなく男爵令嬢の手にかかり最悪の最期を迎えることになった。 ところが目覚めると自室のベッドの上におり、断罪されたはずの舞踏会から1週間前に戻っていた。 アレクサンドラにとって断罪される日まではたったの一週間しか残されていない。   こうして、その一週間でアレクサンドラは自身の身の潔白を証明するため奮闘することになるのだが……。 甘めな話になるのは20話以降です。

【完結】妹に存在を奪われた令嬢は知らない 〜彼女が刺繍に託した「たすけて」に、彼が気付いてくれていたことを〜

桜野なつみ
恋愛
存在を消された伯爵家の長女・ビオラ。声を失った彼女が、唯一想いを託せたのは針と糸だった。 白いビオラの刺繍に縫い込まれた「たすけて」の影文字。 それを見つけたのは、彼女の母の刺繍に人生を変えられた青年だった──。 言葉を失った少女と、針の声を聴く男が紡ぐ、静かな愛の物語。

【完結】一番腹黒いのはだあれ?

やまぐちこはる
恋愛
■□■ 貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。 三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。 しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。 ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。

異世界転生公爵令嬢は、オタク知識で世界を救う。

ふわふわ
恋愛
過労死したオタク女子SE・桜井美咲は、アストラル王国の公爵令嬢エリアナとして転生。 前世知識フル装備でEDTA(重金属解毒)、ペニシリン、輸血、輪作・土壌改良、下水道整備、時計や文字の改良まで――「ラノベで読んだ」「ゲームで見た」を現実にして、疫病と貧困にあえぐ世界を丸ごとアップデートしていく。 婚約破棄→ザマァから始まり、医学革命・農業革命・衛生革命で「狂気のお嬢様」呼ばわりから一転“聖女様”に。 国家間の緊張が高まる中、平和のために隣国アリディアの第一王子レオナルド(5歳→6歳)と政略婚約→結婚へ。 無邪気で健気な“甘えん坊王子”に日々萌え悶えつつも、彼の未来の王としての成長を支え合う「清らかで温かい夫婦日常」と「社会を良くする小さな革命」を描く、爽快×癒しの異世界恋愛ザマァ物語。

【完結】レイハート公爵夫人の時戻し

風見ゆうみ
恋愛
公爵夫人である母が亡くなったのは、私、ソラリアが二歳になり、妹のソレイユが生まれてすぐのことだ。だから、母の記憶はないに等しい。 そんな母が私宛に残していたものがあった。 青色の押し花付きの白い封筒に入った便箋が三枚。 一枚目には【愛するソラリアへ】三枚目に【母より】それ以外、何も書かれていなかった。 父の死後、女性は爵位を継ぐことができないため、私は公爵代理として、領民のために尽くした。 十九歳になった私は、婚約者に婿入りしてもらい、彼に公爵の爵位を継いでもらった。幸せな日々が続くかと思ったが、彼との子供を授かったとわかった数日後、私は夫と実の妹に殺されてしまう。 けれど、気がついた時には、ちょうど一年前になる初夜の晩に戻っており、空白だったはずの母からの手紙が読めるようになっていた。 殺されたことで羊の形をした使い魔が見えるようになっただけでなく『時戻しの魔法』を使えるようになった私は、爵位を取り返し、妹と夫を家から追い出すことに決める。だが、気弱な夫は「ソラリアを愛している。別れたくない」と泣くばかりで、離婚を認めてくれず――。

せっかく傾国級の美人に生まれたのですから、ホントにやらなきゃ損ですよ?

志波 連
恋愛
病弱な父親とまだ学生の弟を抱えた没落寸前のオースティン伯爵家令嬢であるルシアに縁談が来た。相手は学生時代、一方的に憧れていた上級生であるエルランド伯爵家の嫡男ルイス。 父の看病と伯爵家業務で忙しく、結婚は諦めていたルシアだったが、結婚すれば多額の資金援助を受けられるという条件に、嫁ぐ決意を固める。 多忙を理由に顔合わせにも婚約式にも出てこないルイス。不信感を抱くが、弟のためには絶対に援助が必要だと考えるルシアは、黙って全てを受け入れた。 オースティン伯爵の健康状態を考慮して半年後に結婚式をあげることになり、ルイスが住んでいるエルランド伯爵家のタウンハウスに同居するためにやってきたルシア。 それでも帰ってこない夫に泣くことも怒ることも縋ることもせず、非道な夫を庇い続けるルシアの姿に深く同情した使用人たちは遂に立ち上がる。 この作品は小説家になろう及びpixivでも掲載しています ホットランキング1位!ありがとうございます!皆様のおかげです!感謝します!

【完結】姉に婚約者を奪われ、役立たずと言われ家からも追放されたので、隣国で幸せに生きます

よどら文鳥
恋愛
「リリーナ、俺はお前の姉と結婚することにした。だからお前との婚約は取り消しにさせろ」  婚約者だったザグローム様は婚約破棄が当然のように言ってきました。 「ようやくお前でも家のために役立つ日がきたかと思ったが、所詮は役立たずだったか……」 「リリーナは伯爵家にとって必要ない子なの」  両親からもゴミのように扱われています。そして役に立たないと、家から追放されることが決まりました。  お姉様からは用が済んだからと捨てられます。 「あなたの手柄は全部私が貰ってきたから、今回の婚約も私のもの。当然の流れよね。だから謝罪するつもりはないわよ」 「平民になっても公爵婦人になる私からは何の援助もしないけど、立派に生きて頂戴ね」  ですが、これでようやく理不尽な家からも解放されて自由になれました。  唯一の味方になってくれた執事の助言と支援によって、隣国の公爵家へ向かうことになりました。  ここから私の人生が大きく変わっていきます。

私のお金が欲しい伯爵様は離婚してくれません

みみぢあん
恋愛
祖父の葬儀から帰ったアデルは、それまで優しかった夫のピエールに、愛人と暮らすから伯爵夫人の部屋を出ろと命令される。 急に変わった夫の裏切りに激怒したアデルは『離婚してあげる』と夫に言うが… 夫は裕福な祖父の遺産相続人となったアデルとは離婚しないと言いはなつ。 実家へ連れ帰ろうと護衛騎士のクロヴィスがアデルをむかえに来るが… 帰る途中で襲撃され、2人は命の危険にさらされる。

処理中です...