対人恐怖症のメンダーと辺境の騎士 ~この恋は、世界のほころびを繕う~

Moonshine

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テムジンの牧場

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皆の声がゆっくりと遠のいてゆく。
ようやく一人で落ち着ける時間がやってきた様子だ。

ドルマはハンザの事も、マティも、カイルも、ユールもそれからもちろんテムジンも大好きだ。
テムジンのご家族も、ドルマを温かく迎えてくれてとても嬉しい。

だが、どんな相手であっても、やはりドルマにとって人とは恐ろしい存在だ。理屈ではない。

(さあ、やっと一人になる事ができたわ)

緊張して固くなっていた体がゆっくりと弛緩してゆくのが感じる。
パタン、と行儀悪く荷台の中で倒れ込むと、また行儀悪くずるずると端に置いておいた大きな鞄を引き寄せた。

ドルマが持参したこの大きなカバンの中には、頼まれていた孤児院の繕い物がいっぱいだ。
孤児院はこの牧場と、要塞の間くらいの場所にあるので、ついでに繕い物を渡しに寄ってくれると、親切にテムジンが言ってくれたのだ。

(みんなが帰ってくるまで、あともう少し繕いができるわね)

中身はあらかた繕いは終えたものばかりだが、何せ孤児院からの預かりものはボロボロの服ばかり。
繕い仕事にはキリがない。
ドルマは、みんなを待っている間、細かい手が入りきれていない子供の服の部分に、もう少し繕いを施す事にした。

まだ牛乳も飲んでいないし、ミルクプリンも食べていない、している事はいつも通りの継ぎだがドルマはもう大満足だ。
幌馬車の隙間から見える青い空、緑の牧場。たくさんの羊や牛がのんびりと歩いている景色はとても美しい。

大きく牧場の清廉な空気を胸いっぱいに吸い込むと、満足な気持ちで静かに針を進めていく。
針をすすめていくと、緊張していた気持ちもいつもの通りに落ち着いてゆく。
針と糸は、ドルマの気心の知れた友達なのだ。

(ああ、この子たちはベルトを本当にいつも乱暴に扱うわね。補強しすぎてもう別物になってるわ。お姉ちゃんたちのスカートはさすがに丈が短くなってきたわ。ギリギリまで布を出してスカートの丈を長くしてあげたいけど、流石にこれ以上は無理かしら)

どのくらい時間がたっただろうか。
静かに繕い物の布に向き合っていたドルマの耳に、羊の鳴き声に混じって何かガタゴトと音がするのが聞こえた。

(ん? 何かしら。ハンザもう帰ってきたのかな)

ドルマが布から顔を上げると、ドルマはそのまま泡を吹いて失神するかと思うほどに驚いた!

なんと急に、幌馬車の布が降ろされて、閉じられていただけの入り口からぬっと、見知らぬ老女が入ってきたのだ。

ドルマは混乱して固まってしまい、そのまま動くことができない!

「だ・・だ、だ、だ・・」

ドルマは何かを言おうとするが、口も固まってしまって、叫び声もあげられずにその場で震えて硬直することしかできなかった。

老女はそのままスタスタと幌馬車の奥に入ってきて、ドルマに全く気にかける様子もなく、さも当然のようにドルマの横に腰掛けた。

ドルマは真っ青に震えながら、隣にすわる老女の顔をそっと見てみる。

どうも様子がおかしい。

その老女は、ドルマを見ているようで、ドルマを見ていないのだ。
その灰色の瞳はうつろで、何も写していないように見えた。
髪はボサボサで、靴が片方脱げている。

(あ・・きっと、テムジンさんが言っていた、おばあちゃんだわ・・)

確か、ボケてしまってテムジンの名前すら忘れてしまったという女性だ。
怯えて固まっているドルマの横で、ブツブツと何か独り言を言いながら、女性はドルマの繕い物に手を伸ばした。

「えっと、あの・・」

大いにパニックに陥っているドルマを、この女性はどうやら誰か別の人として認識しているらしい。
床に散らばっている継だらけの子供達のスカートをつまむとドルマに言った。

「オドナ、いくら戦争中で物資が足りないと言っても娘にみっともない格好をさせるんじゃないよ。あの子はもうすぐ年頃になるのにこんなスカートではかわいそうだろう」

(オ、オドナって誰だろう・・)

どきどきと鳴る心臓を抑えながら、ドルマはまだ目の前で起こっている事が消化できないでいる。

どうやらこの女性は明らかに、この世に存在する世界とは違った世界軸で生きている様子だ。
この女性のいう戦争とは、おそらく先の戦争の事だ。
先の戦争は30年前の事だとドルマは聞いている。おそらくこの女性は、その頃の記憶の中の時間に生きている。

(夢の中を生きているのね)

そう思うとその側からドルマの胸の動悸も恐怖も、体の強張りもなんとなく緩んで行って、見知らぬ女性がドルマのそばで座っているというのに、怖いという気持ちはどこかに行ってしまった。

この女性にとって、ドルマは存在していない時空の存在なのだ。
いつも自分の存在を隠して生きているドルマにとって、それはなんとも不思議な心地のするものだった。

そして、女性は今度は男の子の布のベルトを摘んで言った。

「ああ、ここに継ぎを当てたんだね。ほら貸してみなさい。上手に繕っているけどね、うちの子達は乱暴なんだよ。オゴタイは右手をベルトの中に入れる癖があるだろう、ここはしっかり太めに継がないとね」

そして女性はまた骨ばった手をうろうろとさせて、今度は女の子のスカートを触っていたかと思うと、ふと何かを思い出したかのように急に立ち上がった。
そして幌馬車に積んでいた荷物をカバーしていた使い古しのシーツをビリビリ!と破いて、ものすごい勢いでスカートに縫い付け始めた。

「ひ!あの、あの・・」

布を裂く大きな音にオロオロして、ドルマはそれ以上何も言えない。
女性は淡々と、だが何かの目的があるように、確かな手つきで白い布をスカートに縫い付けてゆき、やがてスカートの裾には古いシーツでできた美しいフリルがついた。

女性は諭すようにドルマに言った。

「ほら、オドナ。こうしたら地味な青いスカートでも少し華やかになっただろう、丈もこうして長くするんだよ。娘ざかりの女の子には、ちょっと無理してでも可愛い格好をさせてやりなさい・・でもお前、それにしてもいつの間にこんなに継ぎが丁寧で上手になったのかねえ、お前の針仕事は少し乱暴だったのにね、よく人の事をおもっている丁寧な針だよ」

そしてスカートにフリルをつけ終わったらすっかり満足したのか、今度は急に針を止めて、虚空を見つめたかと思うと、スカートにフリルを施していた事などさっぱり忘れたかの如く、そのままパッタリと、針を手にしたまま急に眠りについた。

(えっと・・寝たの・・かな?)

眠っている間に針を指に刺すと危ないので、そっとドルマは女性の手からスカートと針を引き取る。
スカートに施されたフリルの縫い目は大きいながらも、きちんと真っ直ぐに、確かな縫い目で縫われている。

(私が繕っただけのスカートより、確かに丈も長くなったし、可愛くなったわ。きっとみんな喜ぶわ)

ドルマは眠る女性の顔を、まじまじと見てみた。
そこには随分と深いシワが刻まれていた。そしてあらためてその手をみてみる。骨ばった手はしっかりと固い。働き者の手だ。

テムジンはずいぶんおばあちゃんっ子だったと言っていたが、この女性は深く家族を愛して、よく働いてきた人生を歩んできたのだろう。
記憶が混濁している今でも、子供に寄り添って生きてきたその生き様が針仕事になってまだ、その手に生き様の名残を残していた様子だ。

目の前で無邪気に眠る女性は、古いショールを身にまとっていた。
ショールの端はほつれて、糸が出てきている。

(ありがとう、テムジンのおばあさん)

そっとショールを女性の肩から外すと、ドルマは針と糸を手に取る。
この女性の記憶の奥底にある、家族への、子供達への愛へ敬意を込めて。

ドルマは静かになった幌馬車の中で、一人ゆっくりとショールを繕い始めた。

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