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前編
第二十ニ話 幽霊少女
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*
例の遺跡から百メートル、藪の小島があり、この島の内部がどうなっているが気になるが、植物はみっちり詰まっているうえ獣道は見当たらない。彼女は、ぐるりと迂回して目的地へ向かった。
そして、目的の窪み。崖のぎりぎりに立つ。急な坂道と、地形のずれが合わさって出来た谷間の端。紙でスパッと指を切った傷口に見える。だから、くぼみというよりも割れ目かもしれない。その裂け目には、期待していたような地層はない。
落下しないように、重心を心の片隅に置きながら、身を乗り出すようにして深さ二メートルの底を確認する。転がり込んだ噴石が堆積しているのではないか、と。
彼女は悲鳴を上げた。
心臓へ冷たい液体が流入する。谷底で冷たい白色をした子供が膝を抱えていたのだ。その血の気のなさ、ふやけたような肌の色。病的な肌の白さ。まさか、死んでいるのだろうか。
「助けて」
気が付くと少女と目が合っていた。トウゴマの花みたいな、真っ赤な瞳だった。
幽霊の二文字が、彼女の海馬から剥離して、脳髄の表層にぷかぷかと浮かんだ。その子の浮世離れした幽玄さ。真っ白な肌、真っ赤な光彩、そして、真っ白な髪、真っ赤な唇。幽霊が胸で浅く呼吸をしている。
「おい、大丈夫か」
「お姉さん。助けてよ、お願い。落っこちて上がれなくなったの。私の妹を助けなきゃいけないのに」
清家は、この子を助けるべきか迷った。しかし、足踏みをしていて、手遅れになるのも問題だ。見るからに体調は悪そうだし、そうでなくても、天然の落とし穴でいずれ餓死してしまう。
清家は決心した。
「助けてやる」
手袋を脱ぐ。中指に二本格納できるよう二回り大きいので、するりと抜けた。指を他人に見られるのは恥ずかしいのだが、しかし、つかみ損ねて怪我されるよりもずっと良かった。崖のへりに腹ばいになり、利き手である右手の 六本指を伸ばす。
「お姉さん、その指」
そんなことをいわれても、清家は思う。お互い様だろう、と言いかけてやめた。その痛みは誰よりも知っている。ずっと苦しい思いをしてきたのだ。人と違うと、いろいろ苦労する。
「我慢してくれ。少しだけだ」
学生時代、手をつなぐ際、まるで汚いものを掴むかのようにする同級生の様子。学校は、彼女が手袋を装着することを許さなかった。校則で授業中に手袋をしてはならない決まりはない。しかし、禁止したのである。
清家は心底馬鹿らしかった。そんな不合理は、おぞましいことおびただしく世界に氾濫している。彼女が倒立しているのか、はたまた彼女以外が転倒しているのか区別がつかない。
「そうじゃなくて」
「引き上げる」
よっと、右手を引き寄せると少女の両足が浮いた。子供は十二歳かそこらで、やせ型なので、体重も十キロからに十キロしかない。加えて、彼女は日ごろから運動をしている。これくらい、なんのその。
「お姉さんはここにいてはいけないと思う」
助けられている身分で注文の多い子供だ、とこの火山学者は思った。しかし、真剣さからして、少女もまた清家をどこかから引き上げんとしているのかもしれない。
「子供がこんな森の中にいる方が問題だろう」
崖の上に完全に引き上げる。その反動で少女は、彼女の胸元に倒れ込んだ。学者の上に童女が覆いかぶさる構図は、浮世絵を彷彿とさせる。絹のような髪の毛は、金魚の尾ひれ式にぱっと開いた。付け根まで白いので、染めたわけではないらしい。
「右足が戻ってくる」
「右足とは、一体なんのことだ」
清家は少女を抱きかかえるように起き上がった。いつまでも、覆いかぶさられていたら胸が苦しくなるし、第一、この幽霊少女は自力で起き上がるそぶりを見せなかった。少女はずっと氷の無表情で、人形とそう変わらない。
「私みたいに使役されているの。その彼、右足がないの。ずっと生贄を探している」
「さっぱりだな」
清家は興味ないことには、とことん興味を示さない。
「とにかく、山を下りて欲しい。ここを真っすぐ下ったら、藪に穴が開いているから、そこから逃げて」
「私たちはそこから来たんだ」
「妹のために掘ったの。でも間に合わなかった。儀式のために囚われている。清められている。早く助け出さないと。あっ、ねえ、お姉さん。入口は隠しておいた」
少女のやや鋭い目はばっくりと見開かれた。瞳の色は心臓色で、見つけられるとゾクリとする。
「いいや。そもそも覆いもなにもなかったはずだが」
「猪にやられたのかも。帰るときに、わからないように閉じておいて」
「注文が多いな」
彼女の言葉に、少女は目を伏せた。
「拾われたときから、ずっと命令しかされてこなかったから。私、使役されているの。妹を生きながらえさせるため。最近、約束を反故にされたから、やめたんだけど」
「契約違反でストライキ中か。最近の子供はずいぶん大変だな」
彼女は鼻を鳴らした。
「そう、大変なの。だから早く山を下りて」
「お前も一緒にこい」
こんな森に子供を置いていくなんて、どうかしている。それに、黒井が探しているという子供は、彼女かもしれない。
「今日、妹を助けないと、彼に殺されちゃう。だから逃がすまでは、ここを離れられない」
「一緒に来るんだ」
学者が手首を掴もうとすると、素早く回避。少女はむっとしてから、脱兎のごとく駆け出した。とても素早く、森に慣れていることがわかる。裸足でよくもまあ、疾走できるものだ、清家は感心する。その姿は、やがて木々の重なりで見えなくなった。
例の遺跡から百メートル、藪の小島があり、この島の内部がどうなっているが気になるが、植物はみっちり詰まっているうえ獣道は見当たらない。彼女は、ぐるりと迂回して目的地へ向かった。
そして、目的の窪み。崖のぎりぎりに立つ。急な坂道と、地形のずれが合わさって出来た谷間の端。紙でスパッと指を切った傷口に見える。だから、くぼみというよりも割れ目かもしれない。その裂け目には、期待していたような地層はない。
落下しないように、重心を心の片隅に置きながら、身を乗り出すようにして深さ二メートルの底を確認する。転がり込んだ噴石が堆積しているのではないか、と。
彼女は悲鳴を上げた。
心臓へ冷たい液体が流入する。谷底で冷たい白色をした子供が膝を抱えていたのだ。その血の気のなさ、ふやけたような肌の色。病的な肌の白さ。まさか、死んでいるのだろうか。
「助けて」
気が付くと少女と目が合っていた。トウゴマの花みたいな、真っ赤な瞳だった。
幽霊の二文字が、彼女の海馬から剥離して、脳髄の表層にぷかぷかと浮かんだ。その子の浮世離れした幽玄さ。真っ白な肌、真っ赤な光彩、そして、真っ白な髪、真っ赤な唇。幽霊が胸で浅く呼吸をしている。
「おい、大丈夫か」
「お姉さん。助けてよ、お願い。落っこちて上がれなくなったの。私の妹を助けなきゃいけないのに」
清家は、この子を助けるべきか迷った。しかし、足踏みをしていて、手遅れになるのも問題だ。見るからに体調は悪そうだし、そうでなくても、天然の落とし穴でいずれ餓死してしまう。
清家は決心した。
「助けてやる」
手袋を脱ぐ。中指に二本格納できるよう二回り大きいので、するりと抜けた。指を他人に見られるのは恥ずかしいのだが、しかし、つかみ損ねて怪我されるよりもずっと良かった。崖のへりに腹ばいになり、利き手である右手の 六本指を伸ばす。
「お姉さん、その指」
そんなことをいわれても、清家は思う。お互い様だろう、と言いかけてやめた。その痛みは誰よりも知っている。ずっと苦しい思いをしてきたのだ。人と違うと、いろいろ苦労する。
「我慢してくれ。少しだけだ」
学生時代、手をつなぐ際、まるで汚いものを掴むかのようにする同級生の様子。学校は、彼女が手袋を装着することを許さなかった。校則で授業中に手袋をしてはならない決まりはない。しかし、禁止したのである。
清家は心底馬鹿らしかった。そんな不合理は、おぞましいことおびただしく世界に氾濫している。彼女が倒立しているのか、はたまた彼女以外が転倒しているのか区別がつかない。
「そうじゃなくて」
「引き上げる」
よっと、右手を引き寄せると少女の両足が浮いた。子供は十二歳かそこらで、やせ型なので、体重も十キロからに十キロしかない。加えて、彼女は日ごろから運動をしている。これくらい、なんのその。
「お姉さんはここにいてはいけないと思う」
助けられている身分で注文の多い子供だ、とこの火山学者は思った。しかし、真剣さからして、少女もまた清家をどこかから引き上げんとしているのかもしれない。
「子供がこんな森の中にいる方が問題だろう」
崖の上に完全に引き上げる。その反動で少女は、彼女の胸元に倒れ込んだ。学者の上に童女が覆いかぶさる構図は、浮世絵を彷彿とさせる。絹のような髪の毛は、金魚の尾ひれ式にぱっと開いた。付け根まで白いので、染めたわけではないらしい。
「右足が戻ってくる」
「右足とは、一体なんのことだ」
清家は少女を抱きかかえるように起き上がった。いつまでも、覆いかぶさられていたら胸が苦しくなるし、第一、この幽霊少女は自力で起き上がるそぶりを見せなかった。少女はずっと氷の無表情で、人形とそう変わらない。
「私みたいに使役されているの。その彼、右足がないの。ずっと生贄を探している」
「さっぱりだな」
清家は興味ないことには、とことん興味を示さない。
「とにかく、山を下りて欲しい。ここを真っすぐ下ったら、藪に穴が開いているから、そこから逃げて」
「私たちはそこから来たんだ」
「妹のために掘ったの。でも間に合わなかった。儀式のために囚われている。清められている。早く助け出さないと。あっ、ねえ、お姉さん。入口は隠しておいた」
少女のやや鋭い目はばっくりと見開かれた。瞳の色は心臓色で、見つけられるとゾクリとする。
「いいや。そもそも覆いもなにもなかったはずだが」
「猪にやられたのかも。帰るときに、わからないように閉じておいて」
「注文が多いな」
彼女の言葉に、少女は目を伏せた。
「拾われたときから、ずっと命令しかされてこなかったから。私、使役されているの。妹を生きながらえさせるため。最近、約束を反故にされたから、やめたんだけど」
「契約違反でストライキ中か。最近の子供はずいぶん大変だな」
彼女は鼻を鳴らした。
「そう、大変なの。だから早く山を下りて」
「お前も一緒にこい」
こんな森に子供を置いていくなんて、どうかしている。それに、黒井が探しているという子供は、彼女かもしれない。
「今日、妹を助けないと、彼に殺されちゃう。だから逃がすまでは、ここを離れられない」
「一緒に来るんだ」
学者が手首を掴もうとすると、素早く回避。少女はむっとしてから、脱兎のごとく駆け出した。とても素早く、森に慣れていることがわかる。裸足でよくもまあ、疾走できるものだ、清家は感心する。その姿は、やがて木々の重なりで見えなくなった。
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