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【2】王様と賢い跡継ぎ
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「赤鷲様、お体の具合が悪いというのは本当ですか!」
王の寝室に駆け込んで来た青年は、赤鷲の代理として留守を任されていた早鶫だった。利発そうに整った顔立ちは、心労と責務でいつもよりやつれていた。彼は、血の繋がらない王の跡継ぎとして赤鷲とともにこの宮で暮らしている。
赤鷲は戻って早々、森で怪我をしたと言って人払いをして自室にこもってしまった。執務中にその話を知って酷く動揺した早鶫だったが、これも王のためと不安な心を抑えて代わりの政務をつとめていたのも有能な彼自身だ。
本当は早く王に会いに行きたかったのだが、王自身が手が空いたらでよいと言伝をよこしたせいで、愚直な早鶫は結局本日分の執務が終わる今まで訪ねることができずにいた。
「おお、つぐみ。留守の間に苦労をかけたな」
寝台から身を起こしていたのは、王である赤鷲だった。彼は今でも、幼い頃からの愛称で早鶫を呼ぶ。寝台横の椅子には、白い髪を結い上げた美貌の男が赤鷲に付き添うように腰掛けていた。
見慣れない美しい男の姿に早鶫は一瞬訝しげな目を向けたが、すぐに赤鷲に向き直る。
「私のことよりお身体は無事なんですか? 皆、本当に心配しているんですよ」
「無事と言えば、ほとんどは無事なんだが……」
闊達な王にしては、珍しく歯切れが悪い。しかし出立した時よりも少し痩せたようではあるが、確かに表情や声にも特に弱っている様子はない。顔を見ることができたせいもあり、早鶫の不安は半減した。
「留守を任せたせいで、ずいぶん忙しく働かせてしまったようだな。跡継ぎのお前が何でもできるものだから、つい頼ってばかりで済まないと思っているよ」
「いいえ! 早鶫は赤鷲様を支えるためにここにいるんですから、こんなことは当然です。それより、森で何かあったのですか? 伴をしていた従者達も何も言いませんし、医師も寄せ付けていないと聞きました」
「ああ、実は事情があってな。早鶫、お前には先に話しておこうと思っていたんだ」
王から頼られているという実感に、早鶫の胸が高鳴る。だが赤鷲は横にいる白い男にちらりと目線を向けた。男は鷹揚に二人のやりとりを眺めている。
「……先ほどから気になっていたのですが、この方は一体どなたですか? 医師ではないようですが」
「それが──」
「……そういったわけで、彼──月鳥は、俺の魂を繋ぐためにしばらく共にいてくれるそうだ」
赤鷲がこれまでのいきさつを、『魂を繋ぐ』についての詳細を避けて説明すると、早鶫は驚きに目を見張った。
「そんな……意識を失って目覚めないってどういうことですか!? 赤鷲様は王なんですよ! どうしてそう御身を大切になさらないのです!」
「んん!? あ、ああ。そうだな、お前にも心配をかけてしまった。正直それより先に月鳥の正体に驚くものだとばかり思ったが……」
「当然驚きましたよ。驚きましたが、赤鷲様はそんな嘘を突き通せる器用な方ではありませんから、単に事実なのだと思って聞いていました」
「そういうものなのか……?」
信頼があるということなのか不器用さを責められているのか、判断できずに赤鷲は首をひねる。
「それよりも、もう勝手にそんな危険な真似をするのはお辞め下さいね」
「すまない。だがもし何かあっても跡継ぎにはつぐみもいるし……国の皆も賢いお前が王になるのを楽しみにしているし……そろそろお前に譲っても問題ないかと……」
「跡継ぎがいることでご自分を大切になさらないなら、私は跡を継ぐの辞めます!」
「それは困る、辞めないでくれ!」
さすがにそれをされては、この小国にとって大きな損失だ。赤鷲は思わず早鶫の両腕を縋るように掴む。
「う……嘘ですけど……辞めませんけど……」
途端に何故か、早鶫がそわそわと落ち着きを失いだす。
「それはよかった! だが心配をかけたことは悪かった。今後は気を付けることにしよう」
「それは……そうして下さい……。あの……赤鷲様、そんなにお顔が近いと……」
頬を赤らめた早鶫がうろうろと視線をさまよわせていると、赤鷲が突然がくりと上半身の重みを預けてきた。
「あ、赤鷲様!?」
「す、まない、つぐみ……時折、『これ』が起こる……」
早鶫はすぐに先ほどの赤鷲の話を思い出した。真剣な顔で、白い男に素早く顔を向ける。
「月鳥様!」
「大きい声を出さなくても聞こえる。月鳥に代われ」
立ち上がった月鳥は、早鶫にもたれかかった大柄な体を引き受けると、白く長い指先で赤鷲の顎をくいと引き上げた。
「赤鷲」
名を呼び、口付ける。
何をするのか知らされていなかった早鶫が動揺して椅子にぶつかったことで大きめの音を立てたが、その意図は理解できたためそれ以外の邪魔はせずに踏みとどまった。
「……表に出られずにいたのは、こういうことだ」
「納得しました……」
意識を取り戻し落ち着いた赤鷲の言葉に、早鶫は静かに頷いた。
小さいとはいえ一国の王が突然意識を失う病だと思われるのも、人前で話していて突然口づけを始める放蕩者だと思われるのも、どちらも人々を不安にさらすという問題があるだろう。
「悪いが、しばらくは人前に出る政務はつぐみに任せることになる。頼めるか」
「言ったでしょう? そのために私がいるんですよ」
「頼もしいな。勿論、こちらでやれそうな執務は遠慮なく回してくれ。表向きは静養と言うことにしておくが、長時間人前に出ているのが難しいだけで、全く動けないわけではないからな」
「赤鷲様にはそうしていただけると助かります。やれることはやっていただかないと」
「つぐみ……早鶫、もしかしてまだ怒っているのか?」
「いいえ? 特に何も」
いつもより素っ気なく見える早鶫の態度に、赤鷲は困った様子で顎を掻いた。
「赤鷲の身については案ずることはない。月鳥がいる」
月鳥が、早鶫に向かって話しかける。
「それよりも、我を信用してよいのか。お前はもっと赤鷲の周りを警戒する人間だろうと思ったが」
「化生の者は言葉の嘘をつかないとも聞いたことがあります。それに赤鷲様はあなたを信頼している。そしてあなたはおそらく、私の小細工程度で命を落とすような存在ではないでしょう」
「やすやすと信用したわけではないが、ひとまずは疑わずにおくのを選んだということか。赤鷲からお前の話は聞いていたが、いささか考えを改める必要がありそうだ」
「赤鷲様は何と?」
「小さい頃は赤鷲に頬ずりされると髭が痛いと嫌がったので、早鶫のために髭を剃っていたことがあると」
「その話は今関係あります!? 赤鷲様もいつの話をしてるんですか!?」
「すまない、つい懐かしい話をしたくなった……」
早鶫は赤鷲を軽く睨んだ後、少し考えるそぶりを見せた。
「……でも、そうですね」
そう言って、今度は月鳥に向き直る。
「もしあなたが赤鷲様を誑かしてこの国に悪さをするようなら、その時は私が赤鷲様からすぐさま王位を簒奪しますよ」
「成る程、我ではなく赤鷲を追い落とすか」
月鳥は楽しげに目を細めた。
「赤鷲様ほどではありませんが、私にもそれなりに人望がありますので」
「赤鷲はよい跡継ぎを持ったな」
「よく言われます」
月鳥からの賛辞に早鶫は涼やかに笑い、赤鷲は──やけに自慢げな顔をした。
王の寝室に駆け込んで来た青年は、赤鷲の代理として留守を任されていた早鶫だった。利発そうに整った顔立ちは、心労と責務でいつもよりやつれていた。彼は、血の繋がらない王の跡継ぎとして赤鷲とともにこの宮で暮らしている。
赤鷲は戻って早々、森で怪我をしたと言って人払いをして自室にこもってしまった。執務中にその話を知って酷く動揺した早鶫だったが、これも王のためと不安な心を抑えて代わりの政務をつとめていたのも有能な彼自身だ。
本当は早く王に会いに行きたかったのだが、王自身が手が空いたらでよいと言伝をよこしたせいで、愚直な早鶫は結局本日分の執務が終わる今まで訪ねることができずにいた。
「おお、つぐみ。留守の間に苦労をかけたな」
寝台から身を起こしていたのは、王である赤鷲だった。彼は今でも、幼い頃からの愛称で早鶫を呼ぶ。寝台横の椅子には、白い髪を結い上げた美貌の男が赤鷲に付き添うように腰掛けていた。
見慣れない美しい男の姿に早鶫は一瞬訝しげな目を向けたが、すぐに赤鷲に向き直る。
「私のことよりお身体は無事なんですか? 皆、本当に心配しているんですよ」
「無事と言えば、ほとんどは無事なんだが……」
闊達な王にしては、珍しく歯切れが悪い。しかし出立した時よりも少し痩せたようではあるが、確かに表情や声にも特に弱っている様子はない。顔を見ることができたせいもあり、早鶫の不安は半減した。
「留守を任せたせいで、ずいぶん忙しく働かせてしまったようだな。跡継ぎのお前が何でもできるものだから、つい頼ってばかりで済まないと思っているよ」
「いいえ! 早鶫は赤鷲様を支えるためにここにいるんですから、こんなことは当然です。それより、森で何かあったのですか? 伴をしていた従者達も何も言いませんし、医師も寄せ付けていないと聞きました」
「ああ、実は事情があってな。早鶫、お前には先に話しておこうと思っていたんだ」
王から頼られているという実感に、早鶫の胸が高鳴る。だが赤鷲は横にいる白い男にちらりと目線を向けた。男は鷹揚に二人のやりとりを眺めている。
「……先ほどから気になっていたのですが、この方は一体どなたですか? 医師ではないようですが」
「それが──」
「……そういったわけで、彼──月鳥は、俺の魂を繋ぐためにしばらく共にいてくれるそうだ」
赤鷲がこれまでのいきさつを、『魂を繋ぐ』についての詳細を避けて説明すると、早鶫は驚きに目を見張った。
「そんな……意識を失って目覚めないってどういうことですか!? 赤鷲様は王なんですよ! どうしてそう御身を大切になさらないのです!」
「んん!? あ、ああ。そうだな、お前にも心配をかけてしまった。正直それより先に月鳥の正体に驚くものだとばかり思ったが……」
「当然驚きましたよ。驚きましたが、赤鷲様はそんな嘘を突き通せる器用な方ではありませんから、単に事実なのだと思って聞いていました」
「そういうものなのか……?」
信頼があるということなのか不器用さを責められているのか、判断できずに赤鷲は首をひねる。
「それよりも、もう勝手にそんな危険な真似をするのはお辞め下さいね」
「すまない。だがもし何かあっても跡継ぎにはつぐみもいるし……国の皆も賢いお前が王になるのを楽しみにしているし……そろそろお前に譲っても問題ないかと……」
「跡継ぎがいることでご自分を大切になさらないなら、私は跡を継ぐの辞めます!」
「それは困る、辞めないでくれ!」
さすがにそれをされては、この小国にとって大きな損失だ。赤鷲は思わず早鶫の両腕を縋るように掴む。
「う……嘘ですけど……辞めませんけど……」
途端に何故か、早鶫がそわそわと落ち着きを失いだす。
「それはよかった! だが心配をかけたことは悪かった。今後は気を付けることにしよう」
「それは……そうして下さい……。あの……赤鷲様、そんなにお顔が近いと……」
頬を赤らめた早鶫がうろうろと視線をさまよわせていると、赤鷲が突然がくりと上半身の重みを預けてきた。
「あ、赤鷲様!?」
「す、まない、つぐみ……時折、『これ』が起こる……」
早鶫はすぐに先ほどの赤鷲の話を思い出した。真剣な顔で、白い男に素早く顔を向ける。
「月鳥様!」
「大きい声を出さなくても聞こえる。月鳥に代われ」
立ち上がった月鳥は、早鶫にもたれかかった大柄な体を引き受けると、白く長い指先で赤鷲の顎をくいと引き上げた。
「赤鷲」
名を呼び、口付ける。
何をするのか知らされていなかった早鶫が動揺して椅子にぶつかったことで大きめの音を立てたが、その意図は理解できたためそれ以外の邪魔はせずに踏みとどまった。
「……表に出られずにいたのは、こういうことだ」
「納得しました……」
意識を取り戻し落ち着いた赤鷲の言葉に、早鶫は静かに頷いた。
小さいとはいえ一国の王が突然意識を失う病だと思われるのも、人前で話していて突然口づけを始める放蕩者だと思われるのも、どちらも人々を不安にさらすという問題があるだろう。
「悪いが、しばらくは人前に出る政務はつぐみに任せることになる。頼めるか」
「言ったでしょう? そのために私がいるんですよ」
「頼もしいな。勿論、こちらでやれそうな執務は遠慮なく回してくれ。表向きは静養と言うことにしておくが、長時間人前に出ているのが難しいだけで、全く動けないわけではないからな」
「赤鷲様にはそうしていただけると助かります。やれることはやっていただかないと」
「つぐみ……早鶫、もしかしてまだ怒っているのか?」
「いいえ? 特に何も」
いつもより素っ気なく見える早鶫の態度に、赤鷲は困った様子で顎を掻いた。
「赤鷲の身については案ずることはない。月鳥がいる」
月鳥が、早鶫に向かって話しかける。
「それよりも、我を信用してよいのか。お前はもっと赤鷲の周りを警戒する人間だろうと思ったが」
「化生の者は言葉の嘘をつかないとも聞いたことがあります。それに赤鷲様はあなたを信頼している。そしてあなたはおそらく、私の小細工程度で命を落とすような存在ではないでしょう」
「やすやすと信用したわけではないが、ひとまずは疑わずにおくのを選んだということか。赤鷲からお前の話は聞いていたが、いささか考えを改める必要がありそうだ」
「赤鷲様は何と?」
「小さい頃は赤鷲に頬ずりされると髭が痛いと嫌がったので、早鶫のために髭を剃っていたことがあると」
「その話は今関係あります!? 赤鷲様もいつの話をしてるんですか!?」
「すまない、つい懐かしい話をしたくなった……」
早鶫は赤鷲を軽く睨んだ後、少し考えるそぶりを見せた。
「……でも、そうですね」
そう言って、今度は月鳥に向き直る。
「もしあなたが赤鷲様を誑かしてこの国に悪さをするようなら、その時は私が赤鷲様からすぐさま王位を簒奪しますよ」
「成る程、我ではなく赤鷲を追い落とすか」
月鳥は楽しげに目を細めた。
「赤鷲様ほどではありませんが、私にもそれなりに人望がありますので」
「赤鷲はよい跡継ぎを持ったな」
「よく言われます」
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