アデルの子

新子珠子

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第二章 深窓の君

58. 視野

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 ぽう、とセレダの手のひらが淡く光り、僕が吐き出したものが呼応するようにしゅるしゅると動き出す。彼は僕からそっと離れるとサイドボードに置いた魔鉱石の瓶を手に取った。そして、導くように丁寧な手つきでそれを瓶の中に誘導していく。僕は何とも言えない気持ちでその光景を眺めていた。

 きゅ、という瓶が閉まる音がすると、彼は大切そうに木箱に瓶を収納し、こちらに振り返った。

「すみません、大丈夫でしたか」
「あ……うん……」

 そこでようやく自身の衣服が乱れたままだった事を思い出す。僕はもたもたと下着とスラックスを整え始めた。セレダは僕の衣服を整えるのを手伝った後、自身の衣服を簡単に整え始める。彼はいつもと同じ様に静かに身動ぎをしているだけだが、先程までしていた行為のせいかとても色っぽく見えた。
 僕は妙にドキドキしてしまい思わず視線を逸らす。先ほどまで濃く触れ合っていたのに、イったのと同時にすぐに離れてしまったのがなんだか無性に肌さみしくて、俯いて彼の支度が終わるのを待った。

「……ティト様?」

 青緑色の虹彩に黄色が差したような不思議な瞳が心配そうに僕を覗き込む。

「どうされました?お加減が悪いですか」
「いや、……大丈夫」

 歯切れ悪く答える僕の様子を探る様に、彼はじっと僕を見つめる。

「念のため、少し横になりましょうか」
「本当に大丈夫なんだ」
「でも……」
「セレダ……」
「はい」

 僕は少しだけ顔を上げ、彼を見つめ返した。

「…………もう一度……キスをしては駄目だろうか」

 僕がそう言うと、彼は驚いた様に目を見開いた。僕は自分の言葉に驚き、はっ、として思わずたじろぐ。

「あ……ごめん……変な事を、今のは聞かなかった事にして」
「……いえ……しましょうか」

 僕が、え、と声を上げると、セレダはそっと僕の頬に触れた。僕は慌てて項垂れる様に首を振る。

「ごめん、今のは嘘だ。無理にキスなんてしなくていい」
「無理に、じゃありませんよ」

 彼は万華鏡の様な瞳を細め、ゆっくりと微笑む。そして、僕の顔を上に向けさせた。

「ティト様は……キスがお好きなんですか」
「……そう、かも」

 コツンと額を合わせ、彼の手に頬を包まれる。

「可愛いですね……」

 彼は微笑んで、囁く様にそう言った。その声は甘さを孕んでいる様に思えて、僕はくらくらとして、その温度を確かめる様に彼の唇を追った。 







――――――――――――――――――


 寄付の練習が終わると、セレダはお茶を淹れてくれた。出された紅茶は僕好みの良い香りの紅茶だった。きっとこれもセレダが茶葉を選んでくれたのだろう。
 僕は熱々の紅茶を口に含み、ほう、と息を吐く。そこでようやく僕は落ち着いて息を吐いた気がした。

「お加減はいかがですか」
「うん、大丈夫だよ」

 僕がそう答えるとセレダはもう一度様子を確認する様に僕を見た。

「フェラでイくのはやっぱり難しそうでしたかね」

 相変わらずセレダの話し方は天気の話をするかの様にあっさりしている。僕はどぎまぎしながら言葉を探した。

「…………いや……その、さっきはすごく緊張してたんだ。でもセレダと触れ合ったら安心できて……ちゃんと気持ちよくなったから……次は大丈夫かも、しれない」
「なるほど……」

 彼はティーカップを片手に頷くと、微笑んだ。

「では、次はキスをしてから試してみましょう」
「…………うん」

 僕は恥ずかしくて本当に小さな声で頷く。彼の不思議な瞳に見透かされてしまいそうで、そのまま誤魔化す様に紅茶を口にした。

「それと……今日のティト様の精子はどうしましょうか、このまま寄付することも出来ますけど……」
「……ん?」

 どういう意味か分からず、ぱちりと瞬きをすると、彼は僕が意味を分かっていない事を察したのかもう一度口を開いた。

「ティト様の寄付の義務が発生するのは春の成人の儀礼以降ですので、練習で寄付をするかどうかはご自身で決めていただいた方が良いかなと思っているんです」
「……僕が決めて良いの?」
「ええ」
「まだ寄付をしたくないと言ったらどうなる?」
「今回のものは処分をさせていただきます」
「そう……」

 僕は少し悩んだ後、ゆっくりと彼を見る。

「できればしばらく寄付は待って欲しい……かな、筋は通したいんだ」

 僕はまだリノと身体を重ねてはいない。自分たちに子が出来るまで待ってほしいと言うのは無理だとしても、婚約者であるリノと身体を重ねるより前に、誰かが自分の子を宿す可能性が出来てしまうのは少し嫌だった。
 セレダは僕の答えを予想していたのか、困った様子もなく頷いた。

「そうですか、承知いたしました。では今回のものは処分させていただきますね」
「うん、手間をかけさせてごめんね」
「いいえ、そんな事はございませんよ」

 セレダは淡く微笑むと立ち上がり、木箱から僕の吐き出したものを入れた瓶を取り出す。
 すると、何かを思い至ったのか、彼は瓶を見つめたまま、はた、と止まってしまった。不思議に思い、彼を呼ぶと神妙な面持ちでこちらに振り返った。

「どうしたの?」
「……ティト様、ご無理を承知でお願い事があるのですが……」
「うん、何かな」

 セレダは僕の足元に膝跨くと真剣な表情で僕を見上げた。

「練習の間のティト様の精子を……研究に使わせていただけないでしょうか」
「……研究?」
「はい、アデルの精子は加護として与えるだけでいっぱいいっぱいで、研究に回ってくる検体はごく僅かなんです。特に貴族出身の方の検体は今ではほとんどないのが現状です。出生率の低下や加護の出生率の低さの解明の為によろしければ検体として使用させていただかないでしょうか……もちろんご提供いただいたものを無断で加護で使用するなどといったことは決して致しません」

 セレダは丁寧にそう言った。その様子は飄々としたいつもの雰囲気とは全然違っていた。
 僕は彼をじっと見つめ返し、小さく頷いて口を開く。

「寄付として使用しないのなら構わないよ」
「本当……ですか」
「うん」

 僕が即答したからか、セレダは少し心配そうに僕を見た。

「その……クローデル侯爵やリノ様にご相談しなくてもよろしいのでしょうか」
「構わない、協力したいと思ったから。僕の判断で決めるよ」

 僕がそう答えると、彼は深く礼をした。

「……ありがとうございます、必ず将来の為に活用させていただきます」
「うん、お願いします」






――――――――――――――――――


 後日、検体の提供についての誓約書と研究チームの責任者と対面する場を用意してくれる事になり、そろそろ帰宅する事になった。
 セレダは預けていたジャケットとコートをワードローブから取り出す。その表情はどことなく明るく、彼は僕の身支度を手伝いながら口を開いた。

「ティト様のおかげで加護の研究も違うアプローチが始まったんです」
「違うアプローチ?」
「ええ、加護の見学の際にティト様はフェロモンを出されましたよね」
「あぁ……うん」
「あの時……フェロモンを感じた際のジェイデンの魔力の巡り方が今までとは明らかに違っていたんです。僕もかなりの加護に携わって来ましたが初めての事でした。もちろんあの時起こった出来事については話しておりませんが、別件として直属の上司に話をしまして……加護の研究に取り入れられようとしている段階です」
「えぇ、そうなんだ……」
「はい、加護はまだ始まったばかりの制度で発展途上です。もしかすると…ティト様のお陰で制度が一歩前進するかもしれません」
「それは……すごい事だね」
「ええ、本当にティト様のご助力のお陰です」
「僕は何もしていないよ」

 僕が身支度をしながらそう答えると、ドレッサー越しに彼が微笑むのが見えた。僕は同じ様に鏡越しに彼に微笑み返す。

「僕の寄付の義務が始まったら、折を見てオーウェン公爵は寄付も引退されると聞いているんだ」
「はい、そのように僕たちも聞いています」
「うん、でも僕の寄付の評価額はきっとオーウェン公爵よりも随分低いはずだ。だから僕は義務回数よりもなるべく多く寄付をしたいと思っている」
「そう、ですか」
「だから春以降の余剰分については加護に回すのか、研究に回すのかは医院の判断に任せるよ。僕は寄付をするだけで、その先の事は将来の為に一番良い選択肢で活用してほしい」

 セレダは少し驚いた様な表情で頷いた。今日の練習でもいっぱいいっぱいだった僕がそんな事を考えているとは思ってもいなかったのだろう。僕は何となく居心地が悪くて笑う。

「ごめん、まだ上手く寄付もできないのに大きなことを言っても仕方がないと思うけど、一応そう言うつもりがあるから、承知しておいて欲しかったんだ」
「いえ、とてもありがたいです。ありがとうございます」

 僕はコートに袖を通し、ゆっくりと彼の方に振り返る。

「でもそうする為にはしばらくはセレダに手伝って貰わないと難しそうだと今日……分かった。だから本当に申し訳ないけど寄付はセレダに協力して欲しい」
「はい、もちろんです」
「クローデル領でセレダに教えてもらった事は忘れていないよ。僕がちゃんとアデルとして役目を果たせるようになったら、セレダには研究職に戻ってもらえるように僕からもアプローチを掛けるつもりだ」
「え……?」

 セレダはまるで何のことか分からないという様な声を上げた。僕はきょとんと彼を見返す。

「なるべく寄付に関わらなくて良い様に研究職に就いたのだと教えてくれたでしょう」
「それは……そうですが…………僕はティト様のお手伝いをする事を嫌だとは思っていませんし……何よりティト様にそんな事までしていただく訳にはいきません」
「ううん、僕がそうしたいんだよ」

 僕がやんわりとそう答えると、彼は何故か少し困った様に眉を下げた。彼は一度口を開きかけたが、迷う様な素振りを見せ、そのままゆっくりと礼をした。

「お許しいただける間は……誠心誠意お手伝いをさせていただきます」
「……うん、ありがとう。頼りにしているよ」
「…………はい」

 彼は先程よりは伏目がちに僅かに微笑んだ。

 
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