久遠の花

りずべす

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プロローグ   ~僕が、彼女に出会ってから~

二〇二四 文月―末

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 ――キーンコーン……。
 鐘が鳴っていた。教師の声が教室の隅々まで響き渡る中、それを真っ向から遮るように、聞き慣れたリズムの良い音階が校舎全体に響いている。
「なんだ……もう時間か。切りの悪いところで終わると、次回が面倒なんだがなぁ」
 室内の全員に聞こえるようなわかりやすい声で放たれる呟きに、周りの皆はげんなりする。
 夏真っ盛り。梅雨が明け、夏季休業も明日に迫る今日この日に、いったいどれほどの数の高校生が、殊勝にも授業に耳を傾けるのだろう。しかも高校二年生の教室である。夏だけでなく中弛みも真っ盛り。おそらくはほとんど、いや、ほぼ全てと言って良いだろう数の生徒が、目の前で餌をお預けされた犬のような感覚で夏休みを待っているに違いなかった。
 もちろん僕も、その一人に含まれないと胸を張れる自信なんて、持ち合わせていやしない。皆と同じく、教壇から降る呪詛の終わりを切に待ち望んでいるのだ。
 しかしそういう望みに限って、恨めしくも事は上手く運ばないものである。
「済まないが、少し延長させてくれ。都合上、ここで終わるのはどうも良くない」
 予想的中。夏休みはまだしも、休み時間まで遠のいてゆくとんだ仕打ちだ。額から汗が一雫流れ落ちる中、今しばらく苦行は終了の気配を見せない。
 窓の外では、陽炎が揺らついていた。数日前までの雨ばかりの毎日もじめじめしていて嫌気が差したが、こと日光だけは雲が遮断してくれていたことを、今頃になって初めて体感する。働いているのかそうでないのかわからない空調を尻目に、照りつける太陽の光を視界に入れるだけで、体温が上がる気がしてどうしようもない。
 あぁ……暑い。それに、とても退屈だ……。
 そう思って僕が首を垂れ、机上に投げ出してしまいそうになったとき、教室の一角から落ち着いた声が上がる。
「先生、次の時間は体育館で終業式です。延長するよりも、各自の予習に念を押して、今回は終わられた方が良いかと思いますが、どうでしょう」
 その言葉は、クラスの委員長である織戸という男子生徒によって告げられる、授業の延長を止めたい皆の心の声を代弁したものだった。ここにいる教師以外の全員が、口には出さないけれども、態度と表情でその要望の受理を望んでいる。
 彼は優秀だ。成績も人望もある。そんな彼の言葉は、この学校というコミュニティにおいて大きな力を持つようだった。
 教師は最後に、次の終業式には遅れないようにとだけ告げて、渋々と教室を出ていった。
 すると途端に、教室はみるみる活気を帯びる。雑談に花を咲かせたくて仕方のない周りの皆たちは、移動の準備をしつつもあれこれと口を開いて、語るに忙しいようだった。
 ただ、僕はもっぱらそれに耳を傾けるだけ。頬杖をついて、気のない視線を空気に溶かすだけである。
「織戸ー! ファインプレーだな!」
「ほんと! マジよくやったって感じ!」
 一際目立って聞こえるのは、さきほどの委員長の行為に対する賞賛の声だ。彼を含めた仲の良い数人で集まって笑っている。こんな情景は、容易く予想できたものだろう。
 またあるいは、過ぎたことには目を向けずに先のことを話す人たちもいる。隣の女子グループの声量も負けてはいない。
「終業式って言ってもねー。結局は、夏休みにどうとかこうとかっていう話でしょー?」
「そうそう。自覚と節度のある行動を、とかいうやつよ。休みのたびに聞かされるんだもんねー。もう覚えましたって言いたくなるよねー」
 気怠そうに話す彼女たちは、今から必要な体育館用のシューズを片手に提げ、手鏡と手櫛で容姿を整えている様子だった。
「まあまあ、言わない言わない。それをさらっと聞き流すのも、夏休みの一環じゃないの。どっか遊びに行く予定とか考えてれば、すぐに終わるよ……ってあれー、おかしいなぁ」
 うち一人の女生徒が、自分のロッカーを探りながら返答する。僕にはわからないけれども、多くの人が集まる場所に行くためには、彼女らなりの準備があるらしい。
「それもそっかー。ってかさ、そろそろ行かない? 並ぶの遅れると怒られそうだし。そもそもあんたは、さっきから何やってんの?」
「いや、体育館シューズが見当たんなくってさー。どこやったのかなーって」
「あ、そういえば前になくしたって言ってなかった? あれから見つかってないんでしょ?」
 周りからは次第に人が薄れてゆき、出遅れているらしい彼女たちの会話はより鮮明になって僕まで届く。未だに頬杖をついてボーッとしている僕も僕で、早いところ教室を出た方が良いのだけれど……。悠長なのはお互い様だ。
「あれっ! そうだっけ!」
「うわ、またなくしたの? 体育館シューズなんて大きなもの、普通なくならないでしょ。しょっちゅう鏡とかピンとかなくすの見てるけど、体育館シューズはさすがに驚くわ」
「うーん……仕方ないから今日はなしで我慢するかー……」
 そうしてようやく、雑談中の最後の集団になっていた彼女たちも教室をあとにしてゆく。体育館シューズをなくしたらしい女生徒は、あまりショックそうではないが面倒そうな顔をしていた。
 僕は、その会話の先が気になったわけではないけれども、目的地が同じということもあって、少しの距離を空けつつ彼女たちに続いた。
 すると、話の行先は思わぬ方向へ進んでいく。
「あー、そういえばさー。こんな話、聞いたことない? この街に、何でも探してくれる探しもののプロがいるって」
「何それ、知らない。何かの噂?」
「それがさ、結構マジで伝わってる話らしいよ。どこまで本当かわからないけど、ここ何十年か、この街での行方不明者とか失踪事件の類で未解決のやつってないらしくて、そのプロが頑張ってんじゃないかって」
 話題についての率直な印象としては、都市伝説か何かのようなものかと思った。話半分の面白半分、そんな口調と反応が目立つ感じだ。
「けど、行方不明者なんてそうそう出ないし、出てもだいたいは見つかるものでしょ? 何もこの街だけの話じゃないんじゃ……」
「聞いた話よ、聞いた話。いや、だからさー、あんたも体育館シューズ探してもらったら?」
「ヤダそれ、冗談きついよー。いいもん、休み明けには新しいの買っとくし!」
「買えばいいってもんでもなくない? これを機にそそっかしい性格直したら? そうしたら、あんたに物貸すのも安心だしさ」
「えー、それって前にピン借りたときのことー? あれはさ、ごめんって謝ったじゃないの」
 そして、笑いながら彼女たちは体育館へ向かって進む。
 一方、僕はその話を聞いて歩みを止めてしまっていた。
 疑問だったのだ。その具体的な内容としては、あまりの中身のなさが疑問だった。都市伝説なんてものは、基本的には誰かが興味本位ででっち上げたもので、それが噂に変わったものだと思う。だからほとんどの場合において、内容は極めて精巧たり得るはずだ。人の興味を引き、語り継がれていくために、隙のない完成された話でなければならない。
 けれども、さきほどの噂はどうだろう。あまりにも情報量の少ない話。曖昧で浮ついた、掴みどころのない話だ。有り体に言ってしまえば、つまりは面白さに欠けるということになる。
 しかしながら、ゆえに僕にはそれが引っかかったというわけだ。
 創作でない噂話。だとすればその正体が何なのか。それを考えたとき、答えは自ずと頭の中に浮かんできた。あるいは、浮かんできてしまったと言うべきかもしれない。
 このとき、僕のこの先の予定が決まった。きっと僕は浮かべた答えを確かめるために、今日の放課後、一つの寄り道をするのだろう。
 無意識にそう思ったとき、口からは軽いため息が漏れていた。
 まあ誰に強制されるでもなく、それはあくまで自発的な行為であるのだけれど、だとしてもあまり乗り気はしない。脳裏に浮かんだこれから足を運ぶ先は、僕にとってそういう場所だった。嫌いでも面倒でもないが 、訪れるには少しエネルギーを要する。そんなところ。
 それからは長ったらしい終業式をやり過ごして、帰りのホームルームを終えるとすぐに学校を出る。部活に行く生徒、お喋りをする生徒、誰かと待ち合わせをする生徒。様々な人たちの間を縫うようにくぐり抜け、僕は真っ先に校門を飛び出してゆく。
 そう遠くもない場所だ。走り続けたって息はもつ。軽いカバンを担ぎざまに肩に背負い、僕は目的とする場所へと駆けていった。
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