月に兎がおりまして

りずべす

文字の大きさ
14 / 36
貳、ユエ

ユエ③

しおりを挟む
 地兎と交戦した高架下から真東に離れて自宅へ向かう。まばらな街灯だけが照らす暗い夜道を、俺とアオはゆっくり歩いた。俺の歩調が遅いのは単に疲れたからだが、アオの方はどうやら、今も周囲を警戒しているらしかった。白銀の髪に隠した耳が、時折動いているとわかる。
「なあ、アオ……聞いてもいいか?」
「んー? 何よー」
 アオはあまり警戒を表に出さない、緩い答え方をした。
「さっきの光が、その、ユエ……なんだよな?」
「そうだって言ったじゃない。より正確には、手鏡に蓄えられていたのはあくまで月の光であって、それを一度あたしが吸収して自身のユエに変えて、使ったわけだけどね」
 彼女にとっては当たり前のことだったのだろう。なんでもない顔でつらつらと述べる。しかし途中で俺の質問の意図を読んだのか、小さな八重歯を出して笑った。
「ああ。そういえばあんた、ユエのこと信じてなかったんだったわねぇ?」
 それ見たことかと言わんばかりのニヤけ顔だったが、俺は依然、神妙な表情を崩せない。
「……そう、だな。正直、半信半疑だった。でも今日、信じたよ」
「そうよねそうよね。そりゃあ信じるでしょ。何しろ直接、その目で見たんだからさ」
「いや、それもあるけど……」
 俺は言葉を切り、連なる街灯と街灯の間、暗い道の上で足を止めた。
「俺……その光のこと、前から知ってたんだ」
 アオを正視して、右の人差し指を一本、目の前で立てる。
 街灯の光の下で振り返った彼女は、わかりやすく両眼を見張った。
「あんた、それ……ユエ?」
 彼女の視線は俺の指先に注がれている。俺の、淡い光を放つ指先に。
「それが俺にはわからなかったけど……さっきのお前を見て、同じものなんじゃないかって思った。こうやって指先に光を灯すくらいなら、昔からできるんだ。たぶん、生まれたときから」
「……驚いたわ。そりゃ人間だって、まったくユエを宿してないわけじゃないけど……まさか、意図的に使役できる人がいるなんて」
「お前がそう言うなら、じゃあやっぱり……この力は、ユエなんだな」
 先の戦いのとき、実のところ俺は、荒い息を吐きながら多くのことに同時に驚いていた。地兎の存在とその奇襲に、アオの並外れた身体能力に、そして、彼女が纏う俺の見知った光に。
「お前はもう、気づいてるかもしれないけど……」俺は少しだけ俯いて切り出す。「俺の家には両親がいない」
「……そうね。あの家は、ほとんどあんたの匂いしかしないし……まあ、なんとなくは」
 互いの声量は、すぐ目の前の相手にだけ聞こえるくらいの小さなものだったが、それでもこのしんとした夜道では、静かな水面に広がる波紋のようによく通った。
「俺の両親は、ずっと昔、俺を捨てて出ていったんだ。これが理由で」
 俺は指先の光をもう一度だけ見つめ、ふっと消す。それから再び歩き出してアオの横に並ぶ。
「まだガキだった俺は、これが人にとって異質な力だってことを知らなかった。みんなより足が速い。みんなより頭がいい。そんな、ちょっとした自分の特技みたいなものだと思ってた」
 でも違った。これは人間として、種としての境界線を跨ぎかねないものだった。少なくとも俺の両親にとってはそうだったのだ。生まれてきた自分たちの子供が、人ならざる力を使う。とすれば、そいつはいったい何者か。
 ――化物。
 そんな言葉を向けられたことも、あったかもしれない。
「……自分と違う。他と違う。それが受け入れられない奴は、どこにだっているものよ」
 そうかもしれない。納得は、あまりしてないけれど。
「とにかく、この力が人を遠ざけるってわかってからは、もう使わないようにしたよ。夜道で使っても懐中電灯にすら劣る代物だ。大して役には立たないし、隠そうと思えば簡単だった」
 一人になってしまった俺は、母方の祖父であるじじいに引き取られてこの街に来た。
「でも、そんで全部元通りってわけにはいかない。出てった両親は戻ってこない。俺のせいで壊れた家族は元に戻らない。結果、見事に捻くれて、毎日、喧嘩三昧だ」
「幼い頃からの孤独……か。まあ、辛くなかったはずはないわね」
 アオは無表情で瞼を伏せた。その同意を、同調を、同情を、努めて表情には出すまいとした結果なのだろうと、俺は思った。
「孤独なんて、別にそんな大それたもんじゃない。ただ、寂しかっただけだ。兎だけじゃなくて、たぶん人間も、寂しいのは苦手だから……ただ寂しくて、駄々をこねていただけなんだ」
「いいえ。違うわ、紫苑。それを孤独というのよ。寂しくて、その叫びすら誰にも聞いてもらえないこと。それこそを、孤独というの。何も兎や人間だけじゃない。みんな同じよ。孤独に打ち勝つ生き物なんて、この世界にはいないんだから」
「……そうか」
 アオは、伏した瞳で前を見据えてはいたけれど、本当はそこに、もっと別のものを映しているようにも感じられた。
 家に近づくにつれて道幅が狭くなり、街灯の数も減る。空の半月の光が際立つようになる。
 いくらかの無言の時間を経て、それからアオは、妙に明るい声で尋ねた。
「ねぇ。このこと、菫司はどこまで知ってるのよ?」
 そう、俺がわざわざこんな話を出した理由――本題はそれだ。
「じじいは全部知ってるよ。全部知ってて、その上で俺をあの家に引き取って、付かず離れずのいい距離で育ててくれた。だから、その……感謝してるんだ」
 俺はちらりと横目でアオの顔を盗み見る。
「お前はたぶんいい奴だし、さっきも助けてくれたから、疑ってるわけじゃあないんだが……」
「安心しなさい。あたしは菫司に――あんたの家族に危害を加えたりはしないわ。それに、さっきの奇襲は十中八九、あたしを狙ってのものでしょう。しかも、あたしが地上に来てるって情報を入手して、闇夜に紛れて探していたら、たまたま見つけた。そんな場当たり的な感じね」
「そう……なのか?」
「そ」
 というか、敵対するような存在が近くにいるなら、初めからもっと注意深く行動すべきだったのではないだろうか。こいつは普段から割と好き勝手に外をフラフラ出歩いているのだが。
「ま、あたしの言葉をどこまで信じるかは、あんた次第だけど……地兎は、人の群に隠れて生きる身の上よ。だからあまり目立つようなことはできないはず。ところで紫苑、菫司がいるのは、この夜道のように人目の少ない場所なのかしら?」
「……いや、じじいがいるのは、街で一番大きな病院だ。いつでも人目はあると思う」
 当然、職員は多いし、夜間であっても警備も当直もいるはずだ。
「じゃ、よっぽど心配はないでしょう」
 アオのその言葉に、嘘はなさそうだった。彼女は唇の端をクッと引き上げて笑顔を作る。
「しっかし、驚いたのはやっぱりあんたね。あたし、あんたのこともっと知りたくなっちゃったわ。明日、菫司に色々と訊いてみようかしら」
 それについては、いくらでも訊いてもらって構わない。おそらくじじいなら、訊かなくてもホイホイと有る事無い事喋るだろう。あれはそういう男だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

まだ見ぬ未来へ駆け抜けて!

小林汐希
ライト文芸
2年5組の生徒:松本花菜(17歳 高校2年生) 2年5組の担任:長谷川啓太(23歳 教師歴1年目) 幼い頃から、様々な悩みを抱えながら過ごしてきた花菜。 それは幼い頃に父との離別を経験した家庭環境だったり、小学校の最後に作ってしまった体の古傷であったり。 学校外の時間を一人で過ごすことになった彼女の唯一、かつ絶対的な味方でいてくれたのが、近所に住む啓太お兄ちゃんだった。 しかし年の離れた二人の関係では仕方ないとはいえ、啓太の大学進学や環境変化とともに、その時間は終わりを迎えてしまう。 ふさぎ込む花菜を前に、啓太は最後に「必ず迎えに来る」という言葉を残して街を離れた。 言葉を受け取った花菜は、自分を泣かせないための慰めだったという諦めも入りつつ、一方で微かな希望として心の中で温め続けていた。 数年の時を経て二人が再び顔を合わせたものの、もはや運命の意地悪とでもいうべき「担任教師と生徒」という関係。 最初は様子伺いだったけれど、往時の気持ちが変わっていないことを再確認してからは、「一人じゃない」と嬉しいこと・辛いことも乗り越えていく二人には少しずつ背中を押してくれる味方も増えていく。 再会した当初は「おとなしい終末的運命キャラ」になっていた花菜も次第に自信を取り戻し、新米教師の啓太も花菜のサポートを裏で受けつつ堂々と教壇に立ち続けた。 そんな互いを支えあった二人の前に開けた世界は……。 たった一つだけの約束を胸に、嬉しいときは一緒に喜び、悲しいときは支えあって走り抜けた二人の物語です。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

処理中です...