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伍、襲撃
襲撃③
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方針決まって、それから約二週間。
月見里は追試だけを華麗にこなし、パタリと学校に現れなくなった。それでもさしたる問題として上がらないのは、品行方正の彼女ならではだ。体調不良の欠席で通るらしい。
一方アオは、月見里の協力要請に承諾してしまったことを、後々になって何度もぼやいた。
そして俺は俺で、できるだけ平静を装っての生活。期末試験を終えた学校は夏休みを待つばかりで、先生も生徒もそれになりに気が抜けている。一日の中で一番真剣になっているのは、もしかしたら、夜に行うユエの訓練かもしれなかった。
三者三様の二週間。その間、空の月はまるでカウントダウンのようにゆっくりと満ちた。
やがてきたるは七月十七日、革命当日。俺たちは月見里宅のマンション屋上に集まる。時刻は午後九時。めでたく梅雨の明けた空は雲一つない快晴で、大きな円い、透き通るような白月が、夜のキャンバスにぽっかりと浮かんでいる。
「本当にあの月に行くのか……。ま、あれか。乗り掛かった舟ってやつだな」
飛び降りるは清水の舞台、なんて想像してみるけれど、実際、ここはそれよりももっと高い。屋上庭園の端から望む夜景は、街明かり一つひとつがまるで澄んだ鈴の音のように遠くから目に届く。それはいつだったかテレビで見たことのある、海ほたるだか夜光虫だかの輝いている夜の海に似ている気がした。
「美しいと、思いませんか」
背の高い欄干を握りながら、隣に立ったのは月見里だった。
「夜の街明かりというものを、私はとても、美しいと思うのです」
今日の彼女はいつもの制服姿ではなく、シンプルな白いワンピースを着ている。さらに頭にはツバ広の白い帽子。足元は動きやすそうな白いウェッジソールサンダル。驚くほどに白一色だが、聞いたところによれば、これは月へ渡ったあとに自身をカモフラージュするための迷彩なのだそうだ。事前に指示を受けた俺も、白いフード付きのパーカーを着ている。
今、空高く暗い夜の中に佇む月見里は、自ら強く光を放つ白い星のようでもあった。
「街の明かりは、人が生きている証。その明かりの数だけ、この地上では誰かが生きている」
「まあ、そうだな」
「幾千、幾万、幾億の人々。彼らには皆、それぞれ自分の居場所があるのでしょうか」
居場所……か。それはたぶん俺が、アオが、月見里が、ずっと求めてきたものだ。
「どうだろうな。明るいところは苦手だって人も、たぶんいるだろうしな」
「その通りですね。きっと私たちのような地兎でなくとも、自分の居場所を見つけられずに、人間に紛れるようにして生きている人もいるのでしょう。人の世界は、それほどに広い」
身じろぎ一つせず、遠くの夜景を焦がれるように見つめたまま、彼女は続けた。
「今からはもう遠い昔、眠りにつく前の私は、口々に化物と呼ばれていました。月に住めず、人間に紛れて地上で生きる地兎の中でも、私はとりわけ、はみ出し者でしたから」
想像に難くない。何せ彼女は特別だ。俺が彼女を人間だと思っていたときから、そして今も、その印象は欠片ほども変わっていない。彼女は人間の中でも、地兎の中でも特別だった。きっと彼女という存在そのものが特別なのだ。彼女の生まれと、今日までの彼女の時間が、彼女をそういうふうに形作った。
「宮東さん、知っていますか? 獣たちは戯れ合い、触れ合うことで互いの力を測ります。けれど、犬と狼とでそれはできません。猫と虎とでも、それはできません。人と兎も、地兎と天兎も同様です。皆々、生きる世界の違う者たちですから」
ただ、特別とはときに異端で、そして孤独だ。その苦しみの中を生き抜くには強さがいる。だからきっと彼女は強い。これほどに強い。
彼女は静かに身を捻り、その強い眼差しを俺へと向けた。
「ですが、私たちにとって、それは今日まで。地兎と天兎は、これから同じ世界で生きることになります」
「……失敗する未来は、見えてないんだな」
「当然です。そんな未来はありません」
俺は少しだけ迷って、でもどうしても気になったから、訊いた。
「怖くは……ないのか?」
すると彼女はゆっくりと目を瞑る。
「……怖いです、とても。けれど私は、自分がその恐怖から逃げてしまうことの方が、もっと怖かった。いつの日かこの胸に妥協が生まれ、もういいと思ってしまうようになり、私の全てを賭けられなくなってしまうことの方が……もっとずっと、怖かったのです」
それはなんて赤裸々で、でも真摯で美しく、素直な想いだったろう。おそらく月見山がこれまで一人抱えてきたであろう苦悩を、緩やかに優しく昇華させたような、そんな答えだった。
彼女は再び目を見開き、紅く深く輝く瞳を、俺へと向ける。
「ですから、こうして今日という日を迎えることができ、宮東さんとアオさんの協力を得て、全力で望む未来に向かっていく。こんなに嬉しいことはありません。お二方に、そして――」
彼女が身を翻すのにつられて、俺も同じく後ろを振り返る。するとそこには、場を埋め尽くすほどの、たくさんの地兎がいる。
「我ら黒き同志。これまで関わった全ての仲間に、感謝しています」
広がる屋上庭園いっぱい、これでもほんの一部なのだそうだ。今この瞬間、別の場所から俺たちと同じように月へ向かう地兎もたくさんいると聞く。
わかっている。きっとみんな、怖いはずだ。もちろん俺だって怖い。
でも、これは月見里のため。そして、たぶん……。
地兎の群の中から、ひときわ輝く銀髪を揺らし歩いてくるアオ。彼女のためでもあるはずだ。
「熱苦しい話してるわね、あんたたち。もう立ってるだけで十分暑いってのに」
挨拶代わりの軽口。七月の熱帯夜はアオの機嫌を損ねている。
対して月見里はニコリと笑った。
「あなたもここにいる以上、もうその仲間の一員ですよ」
まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。少しだけ意外そうな顔をしたアオは、すぐに呆れて銀髪をくしゃっと握ると小さく零した。「はぁ……ほんと、残念ながらね」と。
そしてくるりと踵を返して言う。
「まあいいわ。そろそろ準備、しなさいよね」
アオは白い花々に囲まれた敷石を、まるでランウェイでも歩くかのように颯爽と戻っていく。
月見里は追試だけを華麗にこなし、パタリと学校に現れなくなった。それでもさしたる問題として上がらないのは、品行方正の彼女ならではだ。体調不良の欠席で通るらしい。
一方アオは、月見里の協力要請に承諾してしまったことを、後々になって何度もぼやいた。
そして俺は俺で、できるだけ平静を装っての生活。期末試験を終えた学校は夏休みを待つばかりで、先生も生徒もそれになりに気が抜けている。一日の中で一番真剣になっているのは、もしかしたら、夜に行うユエの訓練かもしれなかった。
三者三様の二週間。その間、空の月はまるでカウントダウンのようにゆっくりと満ちた。
やがてきたるは七月十七日、革命当日。俺たちは月見里宅のマンション屋上に集まる。時刻は午後九時。めでたく梅雨の明けた空は雲一つない快晴で、大きな円い、透き通るような白月が、夜のキャンバスにぽっかりと浮かんでいる。
「本当にあの月に行くのか……。ま、あれか。乗り掛かった舟ってやつだな」
飛び降りるは清水の舞台、なんて想像してみるけれど、実際、ここはそれよりももっと高い。屋上庭園の端から望む夜景は、街明かり一つひとつがまるで澄んだ鈴の音のように遠くから目に届く。それはいつだったかテレビで見たことのある、海ほたるだか夜光虫だかの輝いている夜の海に似ている気がした。
「美しいと、思いませんか」
背の高い欄干を握りながら、隣に立ったのは月見里だった。
「夜の街明かりというものを、私はとても、美しいと思うのです」
今日の彼女はいつもの制服姿ではなく、シンプルな白いワンピースを着ている。さらに頭にはツバ広の白い帽子。足元は動きやすそうな白いウェッジソールサンダル。驚くほどに白一色だが、聞いたところによれば、これは月へ渡ったあとに自身をカモフラージュするための迷彩なのだそうだ。事前に指示を受けた俺も、白いフード付きのパーカーを着ている。
今、空高く暗い夜の中に佇む月見里は、自ら強く光を放つ白い星のようでもあった。
「街の明かりは、人が生きている証。その明かりの数だけ、この地上では誰かが生きている」
「まあ、そうだな」
「幾千、幾万、幾億の人々。彼らには皆、それぞれ自分の居場所があるのでしょうか」
居場所……か。それはたぶん俺が、アオが、月見里が、ずっと求めてきたものだ。
「どうだろうな。明るいところは苦手だって人も、たぶんいるだろうしな」
「その通りですね。きっと私たちのような地兎でなくとも、自分の居場所を見つけられずに、人間に紛れるようにして生きている人もいるのでしょう。人の世界は、それほどに広い」
身じろぎ一つせず、遠くの夜景を焦がれるように見つめたまま、彼女は続けた。
「今からはもう遠い昔、眠りにつく前の私は、口々に化物と呼ばれていました。月に住めず、人間に紛れて地上で生きる地兎の中でも、私はとりわけ、はみ出し者でしたから」
想像に難くない。何せ彼女は特別だ。俺が彼女を人間だと思っていたときから、そして今も、その印象は欠片ほども変わっていない。彼女は人間の中でも、地兎の中でも特別だった。きっと彼女という存在そのものが特別なのだ。彼女の生まれと、今日までの彼女の時間が、彼女をそういうふうに形作った。
「宮東さん、知っていますか? 獣たちは戯れ合い、触れ合うことで互いの力を測ります。けれど、犬と狼とでそれはできません。猫と虎とでも、それはできません。人と兎も、地兎と天兎も同様です。皆々、生きる世界の違う者たちですから」
ただ、特別とはときに異端で、そして孤独だ。その苦しみの中を生き抜くには強さがいる。だからきっと彼女は強い。これほどに強い。
彼女は静かに身を捻り、その強い眼差しを俺へと向けた。
「ですが、私たちにとって、それは今日まで。地兎と天兎は、これから同じ世界で生きることになります」
「……失敗する未来は、見えてないんだな」
「当然です。そんな未来はありません」
俺は少しだけ迷って、でもどうしても気になったから、訊いた。
「怖くは……ないのか?」
すると彼女はゆっくりと目を瞑る。
「……怖いです、とても。けれど私は、自分がその恐怖から逃げてしまうことの方が、もっと怖かった。いつの日かこの胸に妥協が生まれ、もういいと思ってしまうようになり、私の全てを賭けられなくなってしまうことの方が……もっとずっと、怖かったのです」
それはなんて赤裸々で、でも真摯で美しく、素直な想いだったろう。おそらく月見山がこれまで一人抱えてきたであろう苦悩を、緩やかに優しく昇華させたような、そんな答えだった。
彼女は再び目を見開き、紅く深く輝く瞳を、俺へと向ける。
「ですから、こうして今日という日を迎えることができ、宮東さんとアオさんの協力を得て、全力で望む未来に向かっていく。こんなに嬉しいことはありません。お二方に、そして――」
彼女が身を翻すのにつられて、俺も同じく後ろを振り返る。するとそこには、場を埋め尽くすほどの、たくさんの地兎がいる。
「我ら黒き同志。これまで関わった全ての仲間に、感謝しています」
広がる屋上庭園いっぱい、これでもほんの一部なのだそうだ。今この瞬間、別の場所から俺たちと同じように月へ向かう地兎もたくさんいると聞く。
わかっている。きっとみんな、怖いはずだ。もちろん俺だって怖い。
でも、これは月見里のため。そして、たぶん……。
地兎の群の中から、ひときわ輝く銀髪を揺らし歩いてくるアオ。彼女のためでもあるはずだ。
「熱苦しい話してるわね、あんたたち。もう立ってるだけで十分暑いってのに」
挨拶代わりの軽口。七月の熱帯夜はアオの機嫌を損ねている。
対して月見里はニコリと笑った。
「あなたもここにいる以上、もうその仲間の一員ですよ」
まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。少しだけ意外そうな顔をしたアオは、すぐに呆れて銀髪をくしゃっと握ると小さく零した。「はぁ……ほんと、残念ながらね」と。
そしてくるりと踵を返して言う。
「まあいいわ。そろそろ準備、しなさいよね」
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