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第4話 斬る!斬る!斬る!
しおりを挟む宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスは、粘り強い女だった。
初めてエドガルドに殺された後、同じ3時間のループを、8回、繰り返した。だが、結果はいつも同じだった。
エミリアを襲おうとすると、どこからともなくあの近衛師団長が現れて、それを阻止する。神殿の裏庭でも、場所を変えてみても、同じことが起こった。
何度も何度も斬られて痛みを味わうのが厭で、最後の1回は例の自害用の毒薬を携え、近衛師団長が現れて破滅が確定した瞬間に毒薬をあおっていたくらいだ。今まで、エミリアを殺すときに邪魔が入ることなどなかったのに、あれ以来、エミリアを殺そうとすると、必ず彼が現れる。
(きっと運命のシナリオが変わったんだ…他の方法を考えるべきか。)
110回目の覚醒の朝、父宰相と共に朝食を摂りながら、ティナは心ここにあらずだった。
とはいえ、ここでエミリアを殺害しなければ、1年後、必ず彼女は台頭してくる。神の寵愛を得た聖女として。
神の寵愛、となると世俗の権力を超えた神秘の領域だ。ティナの力で妨げることは難しそうだ。
では、自らの手を汚すのではなく、他の方法でエミリアを殺害するか。たとえば権力をもった父に頼んで、謀殺してもらう…とか。
「ティナ、お前、食欲がないんじゃないか?体調がすぐれないのかね?」
目の前に座っている父の声に、ティナは我に返った。
父親の、見るからに人の良さそうな顔に、不安がありありと滲んでいる。
(このお父様に人殺しを頼むのは、無理よね…。)
貴い生まれでありながら気立て優しく心は清く、人望で宰相まで上り詰めたようなこの父は、邪悪なはかりごとや不正や権謀術数とは程遠い人物でもあった。異世界転移しこの身体に憑依したティナにとって実の父でも何でもないが、100回を超えるループの中で、その善良な人間性はいやというほどよく分かっている。
そんな彼に、宰相の権力を使って神官を一人謀殺してくれなんて、到底頼めることではない。やはり直接、ティナの手で、エミリアを殺さなくてはならない。
ティナは、内心でため息をついた。ティナが自らエミリアを殺さなければならない。だが、エミリアを殺そうとすると必ずやエドガルドの邪魔が入る。それはつまり、近衛師団長エドガルドをも凌ぐ剣の腕を身につける必要があるということを意味していた。
王国随一の剣士をも倒す、剣の実力。どうしたらよいだろうか、とティナは考えを巡らせる。
…というより、少し前から、一つアイデアがあった。我ながら、気が狂いそうではあるが、確実に剣の腕を上げる方法が一つだけある。
物思いに耽っていると、隣で給仕をしてくれていた女中頭のリタまで、不安そうな眼差しを向けてきた。
「お嬢様は最近、よく眠れていないのではないですか?なにかお悩みがあるなら、このリタにお話しくださいまし。」
基本的にグレンテス家の使用人たちは当主であるカリストと、その一人娘のティナに固い忠誠を誓っている。リタなどは、ティナの母に当たる人物が死んだあと、母親同然にティナを育ててくれたという。
善良で、いつも変わらぬ愛を注いでくれる父も、使用人たちも、ティナが破滅するときには同時に破滅を迎えるのだ。
…父の謀叛で破滅を迎えるたび、ティナはいつも思う。
この善良な父親が、国庫の財など着服するはずがない。
一族が忠誠を誓った王家に兵を向けるなど、できるはずもない。
だからきっと、すべてあの女…エミリアが仕組んだことなのだろう、と。
(やはりエミリア、あれは生かしておいてはならない…私のためにも、お父様のためにも。)
ティナは決意した。どんなに険しい道のりでも、乗り越えて見せる。父のために、使用人たちのために。また何より、永遠の孤独にさいなまれる、自分のために。
そのためには、エミリアを…ひいては近衛師団長エドガルドを凌ぐ剣の剣技を身につける必要がある。ほかでもない、ティナ自身が。
幸いなことに、時間はいくらでもある。なんといっても幸福な結末まで無限回のループが、自分には用意されているのだから。
覚悟を決めたティナは、掌を合わせた。まるで、いいことを思い付いた、と言わんばかりに。
(いいこと、どころか、我ながら狂った思いつきなんだけれど…。)
「確かに最近、少し寝付きが悪いやもしれません…運動不足なのかも。そうだ、お父様、剣術を習うことはできないかしら。」
◆◆◆
早速次の日から、ティナは剣の稽古を始めた。親バカの父は最初懸念を示したが(剣なんて危ないし、怪我をしたらどうするのか)、健康のためにも、また護身のためにも、剣を嗜みたい…という娘の強い要望に折れて、腕の良い先生を連れてきてくれた。
剣術を習う。当然、18歳の誕生日までの約1年では、物にならないだろう。それは、ティナにも分かっている。
だが、今までの110回のループについて、記憶はすべて蓄積されている。毒薬を精製する技術なども、そのなかで身に付けた。貴族のテーブルマナーや、この世界では欠かせない乗馬の技術。今までのループの中で体に刻み込まれた記憶は、次のループに引き継がれている。
…ということは、何度もループを繰り返し、数十年分の鍛練を重ねれば、いつかエドガルドを凌ぐ剣の力量を手にすることができるのではないか?それが、ティナの思いついたアイデアだった。
宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスは、優秀な女性ではなかった。
そもそも、優秀な女性は、110回も同じ失敗を繰り返したりしない。
だが、ティナは、粘り強い女だった。
幸福な結末を迎えるまで、何度も無限にループする。
ならば、それを利用しない手はない。
ティナは、ふうっと息を吸い、気を溜めながら、剣を振り下ろした。
リタは、基礎の素振りを繰り返すティナを見て、呆れ果ててため息をつく。
「お嬢様のそんなはしたない姿を見たら、王太子がどう思われるか…。」
王太子。幸福な結末を迎えたければ、エミリアの付け入る隙がないほど、王太子の寵愛を確固たるものにすればいいのではないか?そうすれば、婚約破棄をされることもない…そんなことは、とっくの昔に考えた。何度も試みた。四六時中、王太子にべったりと侍ってみたり。逆に、少し突き放してみたり。
何度かは、親同士の決めた婚約などなくとも、本当に愛していると、囁いてもくれた。
だが、彼は必ず、ティナを裏切った。
必ずだ。1回の例外もない。薔薇の園で口づけを交わし、深紅の薔薇を髪に差してくれた、あの101回目のループでさえ、エミリアが現れた瞬間、彼はティナを捨て、エミリアを選んだ。それが、彼の運命なのだと言わんばかりに。
(エミリアは神殿に仕える聖女…嘘などつかない。)
王太子の声が、ティナの脳内に響く。ティナはもう一度、剣を振り下ろした。
(エミリアは嘘をつかない。でも、わたしは嘘をついている、と。わたしより、エミリアを信じるのか。あんなに愛してくれたのに。)
ぶん、ぶん、と剣を振りながら、ティナは気づいた。
自分は、傷ついているのだ。
王太子が、何度繰り返しても、必ずティナを裏切ることに。
エミリアの言葉はたやすく信じるのに、婚約の契りを交わし、かつては愛し合ったはずのティナの言葉には耳も傾けようとしないことに。
王太子の愛など、元の世界に戻るために必要な条件のひとつ、くらいに考えていたつもりだった。だが、やはり人間として触れ合い、育んだ関係を、一方的に踏みにじられること…そしてそれが何度も繰り返されることに、知らないうちに傷ついていたのだと…ティナは初めて自覚した。
(エミリアも、エドガルドも、レオンシオも…みんな、斬る!斬る!斬る!)
いっそうの気迫を込めて、ティナは素振りに励んだ。
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