センチネルバースの証文

無花果

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学園という箱庭で

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「みて!先輩あくびしてる~」
「かわいくない!?」
「やばい、連れ帰って寝せたい!」
「どこに?!」
「キャー!」「やだ~」

罪のない少女たちは観衆を置き去りにして高らかに恋を謳う。晴れの日も雨の日も曇りの日も、毎日がわくわくする物語の第一話。ヒロインの見る世界は幸福と可能性に満ちている。
ショーンは存外、彼女達の自己中心的な振る舞いが嫌いでないが、恋の対象が自分となると少々むずがゆいものがあり、盛大な欠伸で滲み出した涙を拭うに拭えず俯いた。それら全てを見ていた友人は呆れ気味だ。

「おい、その、はにかんじゃうところもな、罪深いぞ!かわいいか!」
「ショーンかわいいな~」
「ちょ、やめて……!」
「はー、かわいい!」

「「「カワイイーー」」」

大人達には眩暈を覚えるような強烈な青春の光を放つ若人の、はた迷惑な黄色い歓声が朝の通学路を彩る。

季節は巡りショーンは17歳になった。

半寮制の私立学園で、通学組のいち学生として過ごす時間はショーンの陽の刻である。未来と希望に溢れる健全な世界がショーンの心の支柱となって、成熟したいちガイドとして生きる陰の刻を支える。

いっぱしのガイドと認められて、ザラ以外にも数人のセンチネルと仮契約を結ぶようになった今も、相変わらず契約者との駆け引きに神経をすり減らす日々は続き、その苦しみをひと時忘れさせてくれる、学友と少年らしく過ごす何気ない時間がショーンの宝物であり最大の癒しだった。


黒板のカツカツと鳴る音と、抑揚を抑えた調子がどうにも眠気を誘う教師の声が、広い教室に響く。整然と並べられた机に大人しくおさまる生徒たちは一様に背中を向けて、ショーンを囲う結界を形成する。守られているような不思議な安心感が船を漕ぐのを助ける。

腹の虫が3時間目の途中からずっと待ち望んでいた昼休憩まではあとわずか。

やがて終業の鐘が鳴ると、生徒は思い思いに休息を楽しむために移動を始めた。

「あ、ヴィーナスだ」

「本当だ、どこ行くんだろ」 

子犬みたいに無害な友人達が窓際に集まってソワソワとはしゃいでいる。

「何見てんの?」

振り返る友人は物知り顔でショーンを引き寄せた。

「ショーンは、ヴィーナス知らない?」

「ほら、あそこ」

もう一人が指さした先、二階の教室から見下ろす昇降口には、生成りのシャツに細身のジーンズを身につけたスラリと華奢な人物がひとり。その淡い金髪と抜けるように白い肌が妖精じみている。歩く姿は雌鹿のように優美で躍動的だった。皆、息を殺して見守った。

「すげー美人だったろ?」

行ってしまったその人の後ろ姿を目で追いながら、ショーンは口の聞き方を忘れたように黙って首を縦に揺すった。ザラとは対照的な儚げな美人だった。

「びっくりするよなー」

姿が見えなくなってもぼんやりと窓の外に目を向けるショーンを、友人たちはまだ何か曰くありげにニヤニヤと見ている。

「男だとはなー」

「なー」

はじめ、何を言っているのか理解できずに呆けていたショーンがやっと表情を変えた。

「ええ!?」

レイの性別を知ったショーンは不本意にも、得意気なクラスメイトに期待通りの鳩豆顔を披露してしまったのだった。

「——目がさ、アースアイなんだって。青なのに黄色が混ざってて、衛星写真の地球みたいな目なんだって!」

「へー!近くでみたいな!」

「おれもおれも」

「……でもさ、ちょっと怖くね?同じ人間か疑っちゃうキレーさじゃん?怒らせたら何か恐ろしい事が起こりそう……」

「あーあるある。オレらは画面越しに愛でるべきであって、お触りは厳禁だ」

「神罰が下る」

「天誅を受ける」

ショーンは友人達のノリにたまに付いて行けなくなる。

「……お前ら……それでいいのか」

訓練の甲斐あってまあまあ図太く成長したショーンだが、先の言葉は友人の平凡ゆえの選民思想を刺激して、非凡な者への嫉妬に火をつけたようだ。剣呑な眼差しの友人がショーンに迫る。

「ぁあん?お前、ちっと顔が良くて、スタイルがよくて、性格がよくて、成績がよくて、運動ができて、みんなに好かれてるからってなぁ……!調子に……」

が、次第に気勢を殺いだ友人は、顎に手をやり、しみじみとショーンを見る。

「……調子に、………乗らないの?ショーン、もうちょっと調子ぶっこいたら?」

「あるある。ショーンもわりと人間っぽくないよな」

少年三人が寄り合って話し合う。

「お触りは厳禁か?」

「天がゆるさんか?」

「……否、ショーンはスキンシップ好きだ。存分に可愛がってやれ!」

また勢いを取り戻した友人達は、全員でショーンに襲いかかった。

「は~~~!ショーンはかわいいなー!よーしよしよし」

にじり寄る三人からの総攻撃に、主に髪の毛を揉みくちゃにされた。じゃれ合いに笑いころげる時間が本当に楽しくて、脳裏に焼きついた孤高の背中が、何処か寂しげだったと感じるのは、ショーンの願望の為せる業だろうか。


彼の名前はレイ・ダウンズ。
ショーンと同学年の、特待寮生で編成されているAクラスの生徒だ。あの容姿だというのにショーンがこれまで全く存在を知らなかったのは、彼が授業を受ける時間以外はどこかへ姿を隠してしまう幻の生徒であるかららしい。滅多に見られないとなると、益々あの麗しい人に近付きたいと思ってしまうのが人心というもので、学園の密かなアイドルである彼を、ショーン自身もなんとなく注目して行動を追ってしまうのだった。

はじめは、彼の背中に見た寂寥感の正体を知りたいと思っていた。けれど美しくて不思議で興味深い彼の存在を感じる事が毎日の楽しみになり、生活の張りになり、その姿を求めてやまなくなっていった。彼と同じ空気を吸えると思うと、これまで以上に学園にいる時間が意味を持って色めいた。

どんどん彼にハマっていく自分を、面白いとさえ感じていた。


ショーンは今日も、休み時間に雲隠れするレイを見守る。今日の彼は少し顔色が悪いようだ。飽くなき好奇心で観察を続ける内に、彼が時折酷く具合が悪そうにしている事には気が付いていた。辛い場所は何処なのか聞いて何とかしてあげたくて仕方がない。けれど、その為に二階から飛び降りて声をかけたなら、レイに正気を疑われてしまう。大声で呼び止めるのも宜しくない。誰だって体調不良の時に呼び咎められたくはないだろう。彼に不快感と共に記憶されるなどもっての外である。

見ているだけの日々が限界を迎え、暑さがジワジワと体力を奪う初夏のある晴れた日に、ショーンは遂に行動を起こした。期待と不安に少し手が震えた。


落ち着いた鈍色の瞳を華やがせ、昼食を後回しにして颯爽と歩を進めるショーンは、宙を踏むような心地で先を急ぐ。

レイを追って踏み入った旧校舎へと続く雑木林は、若葉が繁茂して頭上を覆い瑞々しい空気がいっそ非現実で、不思議の国で白いウサギを追いかけるアリスになった気分だった。

「こっちかな?」

高揚するショーンから知らず呟きが漏れる。

老朽化して機能を移した古典主義様式の旧校舎は、緑の天蓋の中に眠って居た。ひさしが守る長椅子に横たわったその人の、100年の眠りが覚めるまで。

——ふふっ……スリーピングビューティーだ。

眠りの森に隠された姫君の、まだ見ぬ瞳を閉じて縁取る金色の睫毛、光を集めて仄かに輝く滑らかな輪郭、透き通る肌を綾なす薔薇の唇。近づいてみるとその美しさは尚以って神々しい程に煌めいて見えた。

——ああ、違った。……彼は天上の星・美の女神。

「ヴィーナス……」

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