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32.ほんとを教えて(前編)

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 バルコニーからロープを回収した後、俺は窓が良く見えるサイドテーブルにランプを置き、椅子に掛けて本を開いた。
 大して読む気はしなかったけど、そのままだと寝てしまいそうだったからだ。
 おあつらえ向きに、本は『犬の飼い方、躾け方について』。俺がまだ幼かった頃、母上に犬を飼うことを許して頂きたくて買った本だ。

(普段はお利口でも、興奮すると暴走してしまう犬は珍しくありません。セルフコントロールのために基本的なしつけを……か。ふふ、読めば読むほど、アイツみたいじゃん)

 俺が冒頭の10ページほど読み終わった頃、バルコニーで僅かな物音がした。
 月明りに照らされて、その人影はアーネストだとはっきりとわかる。
 アーネストは自分で窓に手を掛けることはせず、外から俺に呼びかけた。

「レニたん……」

 俺は本を閉じて、窓辺まで歩いた。鍵のかかっていない窓を開けるとキィ、と微かな音がする。

「来たな。……入れよ」

 促すと、アーネストはゆっくりとした足取りで部屋に入ってきた。俺はアーネストに背を向けて、客用のテーブルに向かう。
 テーブルの上にはサンドイッチやナッツ、クッキーやチョコレートなんかが並べられている。晩餐を殆ど摂らずに中座した俺のために、伯母上が用意させたものだ。

「座れよ。特別サービスでお茶淹れてやる。つっても、アイスティー注ぐだけだけど。お前、腹減ってない?晩餐に来なかっただろ」

 アーネストが大人しく俺の向かいの椅子に腰を下ろした。俺はグラスにお茶を二人分注ぎ、テーブルに運ぶ。

「俺は大丈夫。お茶、ありがとう」

「そう?俺はさー、今になってなんか腹減ってきたよ。夜食ってなんかうまそうにみえるよな」

 らしくなく辛気臭い顔をしているアーネストを気にせず、俺はサンドイッチをつまんでバクバクと食べた。
 こっちまで同じテンションになったら、雰囲気に呑まれて多分聞きたいことの半分も聞けずに終わってしまう気がする。
 アーネストはそんな俺を、黙って見ていた。

(こうしてると、昔のアーネスト様みたいだな。当たり前か、本人なんだし)

 昔のアーネストのことは、何となく様付けで呼んじゃうな、と俺は何だかおかしくなった。俺はコイツに積年の恨みがあるはずなのに、どこかでは別人みたい分けて考えているんだろうか。

「あ、言っとくけどさ。鍵開けてたからって別にセックスしようってわけじゃないぞ」

「……それは、さすがにわかってる。どうしようか迷ったけど……呼ばれてるのかなって思ったから」

 なるほど、俺の意図は一応的確にコイツに伝わったわけだ。それは結構。

「お前さ、俺がお前に引導渡そうとしてるって思ってる?」

 あんまりにも表情が暗いので、俺はストレートにそう訊いた。あんまり思いつめて自棄を起こされると堪らないからな。

「渡されても、諦めないよ」

 アーネストは硬い声で答える。昼間にも同じことを言われたけど、その時の人を食ったような余裕も明るさもなくなっていた。
 例えるなら、咥えたボールを離したくなくて、目で訴えかけてくる犬。

「それはもう聞いたよ。別に今すぐそうしようってわけじゃないから、

「今すぐじゃなくても、いずれはそうしようと思ってるってこと?」

「それは、お前と話してから考える」

「大体、お前謎過ぎ。11年間のこと含めて、色んな事隠しすぎだろ。俺は、全部知りたい。お前が何を考えて俺をずっと拒絶してきたのかとか、マリクとはほんとのとこどうなってるのかとか、どう考えても俺を断罪する寸前だったお前が、なんでいきなり俺に好きとか言い始めたのかとか、全部。それがわかんなきゃ、俺だって決められない」

「…………それは」

 アーネストは困ったように黙り込んだ。言うべきかどうか、迷っている感じ。だけど、話してもらわないとこっちだって困る。

「話してくれないなら、お前とはここで終わりだ。俺は一生この屋敷から出ずに暮らす。お前は出禁にする」

 最後通牒を突き付けられて、アーネストは頭をガシガシと掻き、あーとかうーんとか暫し唸った。
 そして、おずおずと口を開いて言った。

「あのね。こんなこと言ったら、ウソつきって即刻追い出されるかもしんないけど、どんだけわけわかんなくてもとりあえず最後まで聞くって約束してくれる?」

 俺は一瞬既に『は?』と思ったけど、アーネストの変わりようから考えるに、荒唐無稽な成り行きがない方がかえって不自然かもと思った。

「わかった。約束する」

「めちゃくちゃややこしいから、レニたんに理解してもらいやすいように、ちょっとだけ比喩的表現使うけど、根本のとこはまんまで、ウソじゃないから」

「お、おう……」

 めっちゃ確認するな。何聞かされるんだよ、マジで。俺は喉が渇くのを感じて、グラスに口をつけた。

「あのね。俺――――――生まれた時から呪いみたいなのがかかってて」

 ブ―――――――――――――――――ッ!!!!!!!

「うわ、ちょっきたなっ、いや、これは浴びに行くべき?」

「ブァッ、ほっ、えっ、はあっ!?」

 あまりの重大なカミングアウトに、俺は口に含んでいたアイスティーを思い切り噴出していた。あやうく噴射器のように正面のアーネストにぶっかけてしまうところだったが、アーネストは素早い瞬発力で身を躱し、何故かそれを残念がってる。なんでだよ!

「の、呪いって……大変じゃないか!体とか大丈夫なのか!?」

「あ、命縮めるとかそういうのじゃないから、そこは平気。ただ、そのせいで俺昔から割と感情死んでてさ。何でもできる代わりに何やっても楽しくないし、誰からも褒められる代わりに誰も好きになれないし、これはマイナス面でもおんなじで、楽しくないけど嫌でもない。好きじゃなくても嫌でもないって感じで、常にフラットな状態になっちゃってね」

 何だかすごい話を聞かされているけど、納得の方が大きかった。それぐらい幼いアーネストの顔は、表情を崩さなかったから。
 どんな状況でもけして不快感や不平を訴えたりしない、暑いとか寒いとか、疲れたとか空腹だとか、これがいいとかあれがイヤとか、一切の我儘を言わない子供。
 それは王族の受ける教育や、アーネスト自身の強い自制心と忍耐力から来ていると思っていたのに、まさか呪いのせいだったとは。

「でもね、初めてレニたんに会った時は違った。なんかこう、心臓をぶん殴られるみたいな感じのすっごい衝撃でさ。ニコニコしてるレニたんを見てると、胃のとこがぎゅーってなって叫びだしたくなるし、自分で自分を抑えられなくなるような感情初めてで、俺ビビっちゃってさ」

 えっ、そこで俺?でもあの時のアーネストはそんなことおくびにも出さなかったよな。
 
「今思えば、それは俺の呪いが解ける前兆みたいなものだったんだけど、そんなことわかんなくて、そもそも自分に呪いがかかってるってことも知らなかったから、自分がおかしくなっちゃったんだと思って怖かった。ずーっとレニたんの顔が頭から離れないし、寝る時は出会った時のほんのちょっとの出来事がエンドレスリピートされる」

 それって、何だか心当たりがあるような。俺も初めてアーネストに出会った時はそんな感じだった。俺はアーネストに恋したって自覚してたから、そういう自分を変だとはおもわなかったけど、こいつはそうじゃなかったっていう解釈でOK?

「マジで自分おかしくなった、何ならレニたんに変な呪いかけられたぐらいに思って、もう会わないようにしないとって思ったよ。一瞬会っただけでこうなのに、また会って話したりしたらどうなっちゃうかわかんなかったから。なのに、レニたんは婚約者になっちゃうし、どうしようって動揺した。動揺するのも怯えるのも初めてで、感情ぐちゃぐちゃになった。実際、王宮に遊びに来たレニたんと会った時、ほんとどうにかなりそうだった」

「で、うるせぇってなったと」

「…………ごめん。キラキラしてるレニたんの目、やばくて。俺のこと好き好きって話し掛けてくるのとか、超かわいい声とか、今ならわかるけど俺、もうめちゃくちゃ萌えで、心臓出ちゃいそうになってて、このままじゃ死ぬんじゃないかと思って」



 『―――――――君は、うるさいな』


 
 あの時のアーネストが、そんなことを考えていたなんて、俺はちっともわからなかった。あの不快感を堪える表情は、そういうやつだったのか。





 
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