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一章:異世界へ行くまでのあれこれ
1;相談所に入ってみましょう
しおりを挟む何時頃到着するとはいえ、駅から自宅までは徒歩で十五分ほどの立地にあった。逆算してしまえば、何分頃に到着する電車なのかさえ分かってしまう。
それだと、どこかで寄り道することも難しくなってしまうため、三十分から一時間の範囲内の多くとった帰宅時間をメールするようにしていた。
家に帰る道は全部覚えている。首都高の真下を走る国道を、神奈川県との境界線の一級河川を目指して直進し、大学のある交差点を曲がらずに進み、次の交差点を過ぎて少し静かになった一本路地を入れば、もう家はすぐそこだ。
碁盤の目のようにきっちりと整備されているのかと思えば、蛇行している道もあったりと、いかにも方向感覚を失いがちになりそうな地形をしていた。小さい頃、通ったことのない道を真っ直ぐ歩いていたら、遠くの街に来てしまい、日が暮れても帰ってこない私を両親が捜索届を出そうか出さまいか一歩手前まで行った話は内緒だ。
「なんだろう、此処」
毎日、朝晩通っている慣れた通り道。新しいお店があれば、すぐにチェックしていた。私立大学の近くに住んでいるため、大学から最寄り駅までの国道沿いには多くの飲食店が立ち並ぶ。飲食店の多くは四月に開店したお店は大体、大学生のいなくなる七月から八月に掛けてが勝負時。勝てなかった飲食店は閉店し、別のお店が入る。
そして、二学期が始まる九月頃に開店するのだ。九月に開店したと思ったら、学生が冬休み・春休みの長期休み期間に突入した途端、閉店に追い込まれる。
入れ替わり立ち代わりも早い飲食店だが、潰れるお店は大体決まったテナントだ。今年の夏もまた、同じテナントで四月に出来たテナントが潰れて、別の飲食店が開店準備に追われている最中だった。
今度は長続きするといいねと開店していない飲食店にエールを送りつつ、通り過ぎた。
家近くの大学へ進学するのは親が反対していたが、何となく興味を持ってオープンキャンパスへ行ってみた。昔から変わらぬ古ぼけた建物と、講義内容。何となく自分が目指しているものと思い描いていた大学生活は送れなさそうだったので、私は此処へは絶対に入学しないと決めた。
そんな私立大学を横目に通りすぎ、途中コンビニに寄って、百円で五百ミリリットル入っている紙パックを買う。家に帰ってからの勉強のお供にするのだ。コンビニの新商品チェックも欠かさない。大体のコンビニは水曜日に新商品が並ぶらしく、私は必ず水曜はコンビニへ行くようにしている。真新しいもの、期間限定のもの。どれを買うか吟味して買うのも楽しい。
今日は別のコンビニへ行こう。休み時間中に見た新商品があれば買って食べてみたい。
そう思って、私は交差点を渡る。
行くコンビニを日毎に変えている私は、自分の家から最も離れたコンビニへ向かっていた。ちょっと遅れて家に入れないというのは絶対にない。遅れた事情なんて、通勤・帰宅ラッシュの度に遅れが出る、公共交通機関のせいにしてしまえばいいのだ。
きょろきょろと何か変わり映えがないかと周囲を見渡しながら歩き、コンビニへ向かう途中で見かけないお店があるのに気が付いた。
新しくオープンしたなら、大体的にオープンしたと衆知にと店先に花輪が飾ってある。ただ視点がいつもコンビニへ一直線だったせいで見落としてしまっていただけか。
いや、このコンビニへは三日前に来たばかりだ。コンビニへ行くにはこの道を必ず通らなくてはならない。繁華街と離れている住宅地に近いコンビニなので、お店の数も少ないのだ。だから何のお店がオープンしたかはすぐに分かる。
「こんなお店あったかなぁ?」
ふと足を止めてお店の前に立つ。そもそもお店なのか、ただの民家なのか、ただの貸しギャラリーの一つなのか。お店の上に立っているのは十階建ての普通のビルなので、民家という説はすぐさま無くなった。
「気に、なるけど……」
ここで中に入ってしまおうか、それともコンビニに寄ってから帰ろうか迷った。
個人経営のお店に入ることはしばしばあっても、カフェやギャラリーであって、いかにも怪しそうなお店に入るには抵抗がある。
意を決して、ドアノブに手を掛けた。
「ごめんくださーい……」
ドアノブを引く。上半身だけ店内に入り、見渡した。
白と黒のモダン調にインテリアが揃えられ、ちょっと自分には届かない大人の雰囲気を醸し出した店内。インテリアを見ただけでは此処のお店が何なのか分からないが、凝ったインテリアが置いてあるのだから家具屋か何かだろうか。
彼女のイメージだと家具屋はオープンスペースで、ドアが開け放たれた開放的な空間を演出しているはずだ。だが店内はモダンなイメージとは裏腹にどんよりと空気が淀んでいるようにも思えた。今日は雨が降ったわけでもないから、元々持っているこの店内の空気なのだろう。
家具屋の次に思いついたのが、占い屋だった。店内の真ん中に置かれたのがソファとガラステーブル。店内の奥側のソファは一人がけ用で、道路側が二人掛け。その他のインテリアは壁際に戸棚とテレビ、その反対側にはカウンターがあり、バーが開けそうだ。
コンビニ周辺は個人経営のお店が多く、個人的なバーが開かれていてもおかしくない立地にある。元々このお店もバーだったのか。カウンターの奥には壁一面の棚が備え付けられており、リキュールや日本酒やワインなどお酒の瓶が並べられていた。
もしかしたら、制服のまま入ってはいけないようなお店なのかもしれない。
ドアを閉めようとした時、後ろから声が掛かった。
「いらっしゃいませ」
「ひっ!?」
ビクリと体が跳ね、慌てて後ろを振り返るとノンフレームの眼鏡を掛けた男性が立っていた。男性の服装はVネックの白いTシャツに紺色のジャケット、七分丈のズボンに革靴となんだかミスマッチ。だがミスマッチを感じさせないルックスだ。
「おっと、驚かせてすみませんでした。店先にいるのもなんですし、時間が大丈夫でしたら中へどうぞ」
そのまま促されるまま私は店内に入る。
「どうぞ、そちらのソファに座ってください。今お茶淹れますから」
店内のど真ん中に置かれたソファに座るよう言われ、男性はそのままカウンターへ向かってしまった。
「あのっ!」
男性はティーセットを用意し紅茶を入れ始める。後ろの備え付けの棚から紅茶葉が入った缶を取り出し、ティースプーンで掬って、温めてあったポットに注ぎ入れる。あまりの手際のよさに本職かと疑うほどだ。ステンレスケトルからポットにお湯が注がれ、次第に茶葉の良い薫りがしてくる。
この薫りは私でも知っている匂いで、私自身もよく自分で入れる紅茶の一つだ。
「カモミールティは飲めますか?」
「はい、大丈夫ですけど……って!」
「まぁ、座ってゆっくり話しましょう? ね?」
お盆にティーセットを乗せた男性はソファへと私を強引に連れて行き、有無を言わせてもらえずに、にっこりとした笑顔で座るよう勧められた。何故か男子の笑顔に逆らってはいけないような気がしたのだ。
「さて、何から話しましょうかねぇ……」
カップに一口付けて、男性は何から話そうか考えあぐねているようだ。
私としては話をさっさと切り上げて帰りたかった。
「どうぞ? 毒は一切入ってませんから気にせず飲んでください」
「根拠はなんですか」
毒が入ってない確証なんてないのだ。ほいほい流されるまま飲んで、死ぬわけにはいかないのだ。
「茶葉が入った缶から茶葉を取り出してポットに入れる前は君は見ていますね。水はさっき冷蔵庫から開けたばかりのミネラルウォーターを使用していますし、ステンレスケトルは殺菌消毒済のものだけです。私が不在の間、私をよく思っていない人が店内に侵入するのは困難なので、間接的に毒を入れることは不可能です。ここまでで質問はありますか?」
「茶器に毒が仕込まれているという可能性は否定していません」
「そうですね。茶器に毒が塗られている可能性は否定出来ません。私が今使っているカップに毒が塗られていなくて、君が使っているカップに毒が塗られている可能性は拭えませんし、私が疑わる余地はあります。ですが、私と君は今初対面です。さすがに私も初対面の人に毒を盛ろうとするなんて考えません」
「必死に弁論するんですね」
「君はカモミールティを飲む必要がありますからね。カモミールの効用は知っています?」
「詳しくは知りませんが、リラックス効果があって、寝る前に飲むと良いんじゃなかったでしょうか」
「そう、カモミールの花に含まれている精油に神経を鎮めてリラックス作用する成分が含まれているから安眠に導いて疲労回復に効果があります。古代エジプトや古代ローマの時代から薬効が活用されていたので、とてもメジャーなハーブティの一種です。今の君にはぴったりの飲み物だと思いませんか?」
笑みを崩さずに話してくる男性。
どうやらこれを飲むまで帰してもらえなさそうだ。
私が諦めるしかないようだ。性分上、諦めることは絶対にしたくないが、家に帰るためだと自分に言い聞かせて納得させた。
カップに手を伸ばして口に付ける。カモミール独特の酸味が鼻を擽る。ジャスミンティなど匂いの強い飲み物は受け付けなかったが、リラックス効果があるのだからと自分にも言い聞かせて飲んだおかげで、カモミールは飲めるようになった。効果があるのかはよく分からないが、効いていると思いたい。
喉を潤して、ほうっと息を吐く。
「大分落ち着かれたようで安心しました。リラックスされたところで、本題に移りましょうか」
「本題? 長居はするつもりがないので、早めに切り上げて欲しいんですけど。家に帰る時間を連絡してしまったし」
「多くの時間は取らせませんよ。なんせ、このお店の時間と外の時間は違うので」
「はい? 店内と外の時間が違うってどういう意味ですか……?」
「今、君が考えていることは半分不正解で、半分正解ですね。携帯、もしくは時計を持っていますか?」
携帯――というかスマホと時計は必ず持っていた。時計は試験中に時間を確認するために毎日付けていたし、スマホは寝る時以外見ていると言っても過言ではないくらいに使っていた。当然、充電は持たないので反復電池対応のモバイルバッテリーを二つ常備している。電池パックはフル充電されたものを予備に鞄に入れ込んでいた。
私は制服のポケットからスマホを取り出して時間を確認する。
時刻は十八時半を差している。
「店内に置かれている時計がこちらです」
テーブルに置かれたデジタル時計は二十時を差していた。
「もちろん、電波式なので狂っているわけではありません。この店内は現実時間よりも一時間半早い時間で進んでいるのです。この店内の時空間が少々歪んでいるせいもありますが」
「時空間が歪んでいるって何を一体根拠に……」
胡乱げの男を見れば、営業スマイルは一切崩さない顔で、にこやかに応えた。
「あ、少しずつですが興味を持っていただけました? 最近の青少年の興味関心を抱かせるには結構悩みますね。ただこのお店の主旨としては時間が狂っていた方がありがたいんですけど」
「全く持ってないです、胡散臭いお店という第一印象からは全く正の感情には至ってません」
男はカップを持ち、紅茶を一口飲んでから顎に手を宛てて思案した。
「第一印象が悪くても、中身が良いものは必ず評価されてきます。負の感情から正の感情へ移行するためには努力が必要ですが、結構簡単に正の感情へシフトする時もあるんですよ。ジェットコースター並の速度で、ね」
「言っている意味がよくわかりません」
即答すれば、面食らった男はぽかりと口を開けた後。
「ならば恋愛に例えてみましょうか。本当は主人公の女の子が好きなのに、嫌いと罵ったり、嫌なことをする。本人が嫌がることをして、自分の印象を強烈に色づけすることによって主人公にとっては嫌な奴、つまりは負の感情を持ちやすくなります」
例え話で興味を持ってもらおうと語り始める。
「それをどうやって、正の感情にシフトさせるんですか」
「簡単ですよ。嫌な部分を見せた後は良い部分だけを、相手に見せればいいだけです。正の感情が飴ならば、負の感情は鞭ですね。飴と鞭を使い分けて会話するだけで、一気に形勢は逆転するんです。もちろん靡かない人はいますから、そこは臨機応変に対応しなくてはいけませんが」
嫌味なことを言ったとしても、後から良いことを言ってしまえば良いことの方しか印象に残らない。ネガティブに捉えてしまう人はそう簡単に良い印象が残らないが。
「へぇ、思春期の男特有の発言を負から正の感情のシフトと考えるんですか。ツンケンしている人ほど、甘くデレた時が可愛いと思う、ツンデレの容量ですね」
「ギャップ萌えもそれは該当すると思いますが。そういえば、このお店の主旨を話してなかったですし、自己紹介をしていなかったですね。始めにお会いした時点で名乗ればよかったです。
改めまして、私はこういう者です」
そう言って男性はジャケットの胸ポケットから名刺ケースを取り出して、一枚差し出してくる。
名刺を受け取ると、そこにはこう書いてあった。
「水流相談所、所長。水流大幟(つるたいし)。相談所……? 何の、です……?」
両手で名刺を持ち、胡乱げに目の前の男性――水流を見た。
「そのままですよ。何でも相談出来るのがこの相談所の特徴です。主に科学的に証明出来ない不思議な体験を相談に乗ったり、不思議な体験を元に普通の生活を送れなくなっている人にはアドバイスをしたり……おや、どうしました?」
「何を言っているのか理解しがたいんですが。理解したくないので、帰ってもいいですかね?」
「君は少なからず、このお店に興味関心を持っていただけたようなので、もてなしをしたいだけですよ。あと君はカモミールで癒されるなり、誰かに相談するという甘えを知った方がいいと思うんですよ。他人の私だからこそ、君の周りにはいない観点で君を評価出来ます。どうですかね?」
「いや、たった今し方知り合った人に相談しないといけないんですか?」
「今知ったばかりだからこそ、ですよ。今知ったばかりで何の先入観もない人だからこそ、気安く話せる内容もあるのです。
君の体験はとても興味深いと思うのですが」
「何のことです?」
「あぁ、君の体験は思春期を過ぎた人から言わせれば、闇に葬り去りたい過去の出来事。黒歴史、と表現するんでしたよね。言ったでしょう。君みたいな黒歴史体験はもちろん、私は科学的に証明不可能な体験の相談に乗っていたと。君のような体験は結構多いのですよ」
「私の何を知って話そうとしているのか全く理解しがたいんですけども」
「君の口から語らないというのであれば、私の口から語り出した方がいいんですよね?」
「だから貴方に話す理由が分からないと」
「理由ですか。君の体験してきた内容に興味関心を抱いたからですよ」
もちろん話してくださいますよね? と続き、水流は話すよう促してくる。
「長くなるというならば、時間軸を余計に動かしますよ。もちろん、君が此処に滞在した時間は店の外の時間軸だったら本の十分足らず。店の中で何時間話したとしても、君が望む時間に戻しましょう」
「なんかさっきから時間軸の話がいまいち違う気がするんですけど」
ふと感じる違和感。
先ほどの話と今水流が言った話は少しでもなく、大分差が出ていた。
「あぁ、言い忘れてましたね。先ほどの店の中の時空間が歪んでいると話しましたが、それは君に少しでも興味を持ってもらうように言った方便であり、事実です。実際には私が時間軸を動かしています。昔、君が使えた時間軸操作の魔法と同じですよ」
「どこで知って……」
「時間軸の魔法って便利ですよね。自分がやり直したいと思った時間に巻き戻せますし。ただ魔法を習得した後の時間はいくらでもやり直しは効きますが、前は効かないのが難点ですよね」
魔法が使えることを当然のように話し始める水流。
「魔法が使えるという証拠は……そんな非科学的で現実味もない。時間を動かせること自体、科学的にもタブー視されているというのに」
「もちろん、時間軸操作の魔法以外にも前は使えましたけど、杖を持ってないので今は使えませんよ」
「何で杖を持っていないんです?」
「それがこの相談所を始める条件の一つだったからですよ」
これ以上、何を質問したとして男は答えないだろう。この件は聞くなと男は貼り付けた笑顔で私に質問をぶつける余地を与えなかった。
自分のことは水流に話すつもりは一切なかったし、この店にいる用事も無くなってしまったところで隣に置いていた鞄を持ち立ち上がった。
「どちらへ向かうのですか?」
「どちらって、帰るに決まっているでしょう。他に何処へ行くと言うんですか」
「まだ君の話を一切聞いてません」
「私の話は別に貴方が聞かなくても別に問題の一つも起きません。貴方に相談したところで、何も変わらない」
誰かに話したところで、何かが解決するという期待はとっくの昔に捨てた。
話しても、話の内容を信じた人は一人もいなかったし、精神的におかしいと認定されてしまい、心療内科に連れて行かれた。
それで治ったら私はこんなに悩んだりしていない。
そんな時。
からり、と木製のドアが引かれ、三十代くらいの女性が顔を覗かせた。
応援ありがとうございます!
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