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一章:異世界へ行くまでのあれこれ

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「欲張りですね。結局はこちらの世界でもあちらの世界でも充実した日々を送っているんですもの。だけど、今の旦那は面影だけじゃなく、言動も彼に似ているんです。たまに私に知らない世界の物語の中に私と彼にそっくりの人が登場したりして。だけど、私と彼はいくらでも登場するのに、娘と息子の話が出てこないのです。それがもどかしくて」

 彼の記憶の中での幸せのピークは子どもが生まれる前の出来事。彼女と一緒に過ごした日々が強く印象付けられていたのだろう。

 涙を拭いて、くしゃりと苦笑する彼女は、後悔と子を心配する気持ちが入り混じっていて、とても複雑な顔だった。

「母親が子を心配する気持ちは痛いほどよく分かります。私が魔法使いであれば、あなたを別世界に飛ばせることが出来るのですが、私にはこれしか出来ません」

 水流はそう言って立ち上がると、壁にぴったりと置かれている箪笥の引き出しから一枚の鏡を取り出してきた。古ぼけていた鏡は何処かで見たことがあるような造形で、私は必死に記憶の中から持っている鏡の知識を引っ張り出した。

「銅鏡、ですか……?」

「まぁ、博物館にあるような発掘された物とかではなくて、レプリカに近い物ですが。鏡の歴史は古く、身だしなみを整えるための化粧道具ではなくて、祭祀のための神秘的なアイテムとして日本だけでなく、世界中で使われていたものなのですよ。銅鏡ももちろん、祭祀のために使われていた物になります。
 あぁ、今はただの鏡なので安心してくださいね」

 ゴクリと息を飲んで、はっと現実に戻される。食いるように鏡を見ており、鏡を見ていると吸い込まれそうな気分に陥ったのは私だけじゃなく、女性も同じだったようだ。

「鏡は陰が強いですからね。よく陰陽は男性と女性に例えられますが、女性のマークは手鏡をもとにデザインされたものと伝わっています。女性と鏡は一心同体と考えていいでしょう。鏡にあなたが映したい物を願ってください。鏡はあなたが望むものを映してくれますよ」

 これが水流が導き出した解決策なのか。水流は女性の話をただ聴いていただけで、女性に質問することは一切なかった。話し終えてから話しかけるのを待っていたかのように水流は、女性に話し始めたのだ。

「私は……」

 女性はテーブルに置かれた銅鏡を覗き込む。

「別に声に出さなくても鏡は応えてくれますよ。あなたの心の底から願うものを」

 願うものを叶えてくれるなんて、フィクションの世界でよくあることだ。胡散臭そうに女性は水流を見つつも、恐る恐る銅鏡を見た。

 相談所の噂は信じたいが、不可思議な現象をこの鏡が叶えてくれるのか疑心暗鬼になっているのだろう。私自身も、いざ鏡を前にして願うものが本当に見えるのか疑問に思ってしまうし、何より私は科学的に証明出来ない物は基本的に信じたくない方だ。

 だから私も女性が覗き込んでいる鏡を遠目から見た。自分の姿が映り込んでしまえば、女性が願ったものではなく、自分の願ったものが映り込んでしまうのではと考えたからだった。

 銅鏡が電飾の明かりに反射された人工的な光でもなく、青銅独特の青みがかかった色合いでもない。青銅製の鏡からは絶対に出ることはないだろう、赤の色みが鏡から反射される。

 青と真逆の赤。それは現実離れしていることを物語っている。

「……あっ!」

 鏡の中で何かが見えたのか、女性は驚きに目を見開く。口元に手をやり、息を飲んだ女性は食いるように鏡をみて、涙を流していた。

「リーシェ、リール……!」

 涙を流しつつ、鏡の中に映る娘と息子の姿に安堵したのか、ふぅっと深い溜息を零した。

 私も女性の娘さんと息子さんを見ようと遠目から鏡を見たが、鏡は赤い色を出しているだけで何も映っていない。

「息子さんと娘さんはどうでした?」

「元気に暮らしていました……優しい子だったリールがクーデターを起こして、国を取り返して。リーシェは隣国の王太子と婚約して、ちゃんと子どもも育てているようで。安心しました」

「でも、ちょっと息子は困っているようだったのに、私は何もしてやれない……」

「困っている?」

 不思議そうに首を傾げる水流に女性は、

「私がいた国は魔法使いを従えるのですが、息子には後ろ盾となる魔法使いがどうやらいないようです。あの国は魔法が使える者を後ろ盾にして、権力を保持します。仮にも国王が信頼における魔法使いがいないと以ての外です」

 女性が言うには魔法使いと二人三脚で国の上層部が成り立っていると言う。魔法使いは王の次に権力を保持し、王の代行を行う。魔法使いの権限は王より制限されており、王が政府だとすると魔法使いは軍部を担当する。

 魔法使いの力が強ければ強いほど、隣国に与える影響力は強く、魔法使いを従えている王の権力は内外に知らしめられ、国がより安定するのだと言う。魔法使いがいるかいないかでは自身の安全も保証されるから、なくてはならない存在のようだ。

「つまり、魔法使いがいないと駄目だと?」

「えぇ、あの国では王族の伴侶となる人を魔法使いとする義務があるのです。子孫により強い魔法が使える者が出るようにと。もちろん、魔法が使える者は限られてきますので、異世界から魔法が使えそうな人を召喚しては王族の伴侶とする、ようです。私もそれで呼ばれたようですね」

 女性が軍部を任されていたとは到底思えない。だけど、単身戦場に乗り込んでしまうほどの魔力を持っていて魔法を使いこなしていたのは間違いないようだ。

 おどおどした外見からは想像が付かないほどの行動派らしい。
 同時に魔法使いは伴侶となる人と同等の扱いを受けていたため、魔法使いは必然的に女性になる。王妃兼魔法使いの場合が多いが、王妃の他に魔法使いがいる場合もあるようだ。

 つまり、女性の息子さんは王妃もいなければ、魔法使いもいないのだろう。

「困りましたね。日本中、いや世界中を探したとして、魔法が使える人は早々いません。平安時代には陰陽師とかいう、魔法に似た類のものを使えた人はいましたが、現代においては陰陽師を生業として活動している人は極々少数にしかいません。地域文化として根付いている地域も若干はありますが。先祖に使えた人がいて、先祖返りという形で使える人がいたとしても、能力値は低いでしょう。向こうに行ったとしても、王族――ましてや、国王と並ぶほどの魔力と使いこなせるかが微妙なところですね」

「もし、王様に伴侶が現れなかったらどうなるの?」

 疑問を投げかけてみる。

「王の次に力を持つ王族に権利が移ることになりますね」

「それだけは絶対に駄目よ。あの人の魂を後世に残さなきゃ。そうでもしない限り、あの人がいた証がなくなってしまう……」

 ここまでくると女性の執念を感じてしまう。確かに夫となる人の血を残したい気持ちは分かるが、住んでいる世界が違うとなると打つ手がない。

「落ち着いてください。あなたの願いは分かりました。もちろん、解決策もです」

「どうすればいいの? 私はあの子達に何をしてあげられる?!」

「あなたがこの世界で幸せになることを。あなたが子を思う気持ちと同じように、子もまたあなたの幸せを願っています。だからあなたはこの世界で幸せになってください。向こうに残してしまった子ばかり案じて、この世界での子に愛情を注ぎましたか? 寂しい思いを強いてしまったのではないですか?」

「そ、それは……」

 狼狽する女性。この様子だと、向こうの世界の娘と息子を心配してばかりいて、今いる家庭を顧みなかったのだろう。それを水流に指摘され、顔を真赤にして俯いてしまった。

「ご安心してください。あなたの願いはこちらの助手が担当します。偶然にも助手は魔法が使えます。同世代の中では一番の力を持っていますし、息子さんの力になりえましょう」

「はっ?!」

「えっ」

 ぐるりと水流を見る。

 はっと、顔を上げる女性。にこりと微笑む水流。

「なっ、いきなり何を言い出すんですか!」

「私は彼女以上の魔法使いを見たことはありません。彼女が一番適任だと思いませんか? 彼女に息子さんの伴侶となれと言っているわけではありません。彼女に息子さんの――王の手助けをしてこいと言っているだけにすぎません」

 そこは安心してください、と続ける水流。
 水流が女性に言っていることがいまいち飲み込めない。

「でも、彼女に息子の手助けが出来るとは到底思えません! 知り合ったばかりの人に息子を手伝ってほしいとは……」

「私とも初対面ですよ?」

 水流は自分も初対面だと強調する。

 忘れていたのか女性は、

「すみません。決してあなたを疑っているつもりは一切ないのです。ですが、未成年の女の子を巻き込んでいいのか……」

 ちらりと私の顔を見てから水流の顔を伺い見る。

「彼女なら大丈夫です。上手くこなしてやり過ごしてくれますよ」

 私の何を知っているのか、水流は大嘘を吐いて女性を説き伏せようとしていた。

「ちょっと待って! さっきあなたは向こうに行く術がないと行っていたじゃない! 私が向こうに行くとしたらどうやって向こうまで行くの?!」

「そうですねぇ。時間軸の操作は簡単に出来ますが、時空間を操作して人一人飛ばせとなると準備が必要になります。申し訳ありませんが、準備期間を設けてもいいですか? その間に息子さんや娘さんに宛てる手紙を書いていただけないでしょうか。この者が責任を持って届けるので」

 顎に手をやり、少々思案した後で水流は女性に提案し始める。

「はっ?!」

 ぎぎぎと首をゆっくり動かして水流を見る。何を言っているのだろうか。さっき相談所に初めて入ってきた人を使い走りに使う神経がわからなかった。

「構わないです。準備期間はどれ位を予定しているのでしょうか」

「三日の猶予をいただければ可能です」

 笑みを崩さず準備期間を告げれば、女性が予測していた時間より大幅に短かったのか。

「そんな短期間で構わないんですか? 時間軸の操作は魔法の中でも最も難しいとされているのに……」

 女性にも魔法の知識はあったのだろう。女性の言い分だと、時間軸操作の魔法は使ったことがないように聞こえた。

「あなたの体験談を聞かせていただいた対価だと思っていただければ。今回はたまたま適任がすぐ近くにいましたが、本来ならばあなたの体験談は無に消えてしまうところでした。あなたは向こうの世界でもこちらの世界でも十分苦労されてきました。その苦労の分を今後は取り返さないといけないのです。あなたが向こう世界に飛ばすことも考えたのですが、それでは息子さんのためには一切なりません。だからこそ、第三者のウチの助手を変わりに行かせるのです」


 決め手だった。

「分かりました。少し手紙の量が多くなっても大丈夫ですか? 多くのことを、あの子達に伝えたいのです。あの人の思いと一緒に……」

 こくりと頷いた女性。

 私は反論一つ言えずに、女性が帰るまで放心状態だった。

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