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2章

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 一抹の不安を胸に抱えつつ、私は考える。最悪な過程と結果しか脳裏に浮かんでこなかった。

 ふと、それまで穏やかだった風が吹き荒れる。肩甲骨を越す辺りまで伸ばされたまっすぐの黒髪を抑えた。上空を見上げると青年が二人立っていた。険しい顔で、眉間に皺を寄せている青年とにこやかに笑顔を浮かべている青年は真逆の雰囲気を醸し出していて、印象が良いのは明らか笑顔の青年だ。

 空中に立っているのに青年は地面と変わらずに直立の姿勢を保ち、私を見下ろしていた。青年達が身に纏っている服は紺色の詰め襟の軍服で、左胸には沢山の勲章が下げられていた。
 間違いない、この青年のうちのどちらかが国王だ。

 だけど、国王自らこんな場所まで来るのか。

「――お前が今回召喚された奴で間違いないのか?」

 眉間に皺を寄せている険しい顔をした青年が低く、威厳のある声で問いかけてきた。

「は、はいっ」

 萎縮した声でそうだと言えば、笑顔の似合う青年が

「ヴェンちゃん、威圧感たっぷりで言ったら誰も質問に答えてくれないと思うんだけど?」

「ちゃん付けするなっ! 俺の名前はヴェンデルだ!」

 ヴェンデルと呼ばれたのが険しい顔をした青年のようだ。ということは。

 笑顔の似合う青年が国王のリールと女性に呼ばれていた青年のようだ。女性の面影は一切残っていないから、青年は父親似なのだろう。

「自己紹介遅れてごめんね。僕が国王のリーンハルトだ。リンと呼んでくれたら嬉しいな」

 女性が呼んでいたリールという愛称ではないのだろうか。家族間の愛称と親しい間柄での呼び方は別物と考えているのか。どちらにしても、国王と親しい間柄でいるわけにもいかない。

 当分は陛下呼びした方がいいだろう。

 リーンハルトとヴェンデルは空中からゆっくりと降りて来て、着地すると私の前に立った。

 私の身長が百五十八センチなので、ちょうど頭一つ上の身長だ。だとすると、彼らの身長はおおよそ百八十センチ台になる。

 紺色の軍服の上に赤い勲章と、右側の太股には拳銃が下げられていた。拳銃の意匠は若干私が知っているものとは違うが、構造は同じものだろう。私が不審な動きをして魔法を発動する前に彼らは銃を撃ってくるだろう。

 魔法の発展だけでなく、科学の発展もしているのに魔法使いを他星から召喚する意味が全く分からなかった。

「貴方が国王さまですか。何で私は召喚? されたのでしょうか」

 召喚された理由は初めから知っている。あえて聞くなんて趣味が悪いが、知らないフリをして、自分から此処に来たという事実は隠さなくてはいけない。

「あぁ、本当に別の国からやってきたんだね。君は何処の国の出身だい? この国では珍しい服装と髪の色と顔立ちだね。……問いかけが違ったね。別の国ではなくて、何処の星からやってきたんだい? と聞いた方が正解なのかな?」

「おいおい、コイツが異星人だと言いたいのか?」

「この顔立ちは母上に似ている。もしかしたら同じ星から来た可能性だって捨て切れないだろう?」

 可能性論だけでリーンハルトは私の出身を地球の、日本だと断定しているようだ。

 記憶を飛ばして、自分の名前しか知らず、出身地が何処だがわからないと言い訳した方がいいのか。同じ統一言語を話せている段階で、記憶が飛んでいるなんて言い訳出来ない。それだったら初めから彼らの言葉が理解出来ないフリをした方が良かったのか。そもそも何で自分は異世界(星)に来たにも関わらず通常と変わらず話せているのか。

 大体は水流の差金で同じ言語を話せるようにしているのだろう。

 だけど、今はそれどころじゃない。

「かー! またか! お前なーいい年してマザコンかよ」

「マザコンと言われる筋合いはないな。離れている家族の心配をして何が悪い」

「家族と言っても、ほとんど面識はないし、生きている情報もない。お前の母親は本当に生きているのか?」

 ここで私がリーンハルトの母親は生きている、私は彼女に頼まれてこの星にやってきたと言ってしまえば、リーンハルトの反応はどう変わるのだろうか。

 別に期待しているわけでもなんともない。母親の生存を信じているようだし、少しだけ情報を与えるだけでいいのだ。

 遠い地球という星で、幸せに暮らしているのだと。ただ心配をしていたと。
 ここまで言うのはお節介だと思い、私は打ち明けるのはやめた。

 自分で地雷原を構築するつもりは一切ない。

 時期が来たら、打ち明ければいいのだ。

 今言う必要はない。

「生きてるよ。生きてると信じていれば、必ず会える。この星では言霊は絶対だ。言霊は僕を裏切ったことなんて一度もないんだからな」

「………言葉で、『絶対』はないです」

「何か言った?」

 リーンハルトが頬笑みを全て消して真顔で訊いてくる。

 走る悪寒と、恐怖と。

 どうやら私は彼の地雷を踏んでしまったようだ。

「いえ、何も」

 何も言わなかったフリをするしかない。一度急降下してしまった機嫌は簡単に直るものではないが、ひとまずはこれで彼の出方を伺い立てるしかなかった。

「そういうことにしておくよ。今はね」

 どうやら何も聞かなったことにしてくれたようだ。

 ほっと一息吐く。

「そろそろ戻らないと親衛隊の奴らとか上のジジイ共が騒がしくなるな」

 ヴェンデルは空中に映像を映し出して、リーンハルトに見せる。

「仕方ないな。戻るしかないな。帰ったら机に山積みに書類やら溜まっているんだろうね」

 はぁ、と軽く溜息を吐いて、ぼんやりと遠くを見やる。

「それがお前の仕事だから仕方ないだろうよ。上のジジイ共に認証の権限を渡した日にゃ何されるか分かった試しはないぞ」

 彼らの言う、『上のジジイ共』が何なのか私には想像しにくいが、彼らにとってかなり不都合な存在でしかないようだ。彼らは鬱陶しがっているが柵(しがらみ)が多いのか、怪訝そうにリーンハルトは顔を歪めた。

「認証の権限なんて誰が渡すものか。彼らから発言権を奪ったのにまた奪われたらたまったもんじゃないからな。自分達の利権重視にしやがる政策なんか良いわけない」

 利己主義の人達のようだ。

「彼女の召喚の成功を知っているのは?」

「此処に来てから人払いは済んでいる。周辺に来た人は無しだ」

「つまり、君の存在を知っているのはこの星で僕達だけだね」

 ニヤリと口角を上げるリーンハルトに背筋に悪寒が走ったのが分かった。

「ヴェンデル、確か君の部隊に変装が得意な子いたよね?」

「いたけど、それがどうした?」

「ん? 彼女に魔法を掛けてもらうんだよ。この髪と瞳の色はすぐにこの星の者でないとバレてしまうからね。偽装するんだ。勿論、彼女が魔法使えるようになったら自分で偽装をするなりしてもらえばいい」

 とんだ爆弾発言をする人だ。

「ちょ、ちょっと待って! 何で私の存在がバレたらマズいの?! 国王が召し抱える魔法使いとして私が召喚されたんでしょ?! そしたら私の存在は貴方にとって有益になるし、私が邪魔になるなんて有り得ない!」

「リーンハルトは国王に即位してからそんなに月日が経っている場合じゃないし、上に立つ者として妥当ではないと判断されると即刻退位させられる。君が思っている以上にこの国は甘く出来てないんだ。幸い、君は異世界から来たにも関わらず、この国の言語を理解しているし、この国の風習やら文化を理解してしまえば、すぐにこの国の国民として紛れ込ますのは簡単だ。もちろん、魔法使いとしての知識も合わせて教えてあげるから安心してね。大丈夫、王宮の教授達は皆親切かつ丁寧に教えてくれるよ」

 やけに『親切かつ丁寧に』に力が込められていたように思えるが気のせいだと思いたい。もしかすると、魔法が使えないフリをするのは止めておいた方が逆に良かったのかもしれない。教授達には自分が初めから魔法が使えることを話しておいて、学んでいるフリをすればいいのか。

 どちらにしても、私に不利な状況には変わりないのだ。

「そうだな、俺の侍女として扱うか侍従として扱うかにした方が新任を迎える上では楽になるな。本当は親衛隊に入れた方が手っ取り早いのだが、俺らとしても君にしても彼らとの衝突は避けたい」

 彼らのリーンハルトへの猜疑心は除去しておきたいというのが本音なのだろう。リーンハルトは即位してそんなに日が浅くないと言っていたし、完全に彼らを信じきっているつもりはないと推測出来た。

「侍女はともかく、何で侍従なんだ? 性別を偽る必要性が見出だせないのだが」

「この子が本当に魔法を使えるかなんて分かってないし、使えなかった時のリスク回避のためだよ。タダ飯食らいでのうのうと暮らしていけるなんて、この国じゃ有り得ないことだし」

 「働かざるもの食うべからず」が脳裏に過った。

「ともかく、こんな所で呑気にしている場合じゃないからひとまず王宮に戻ろうか」

 リーンハルトはポケットから札を三枚取り出すと、一枚を渡してくる。

 札を見れば、陰陽師の映画で見たことがある文字が書かれていた。この世界でいう魔法とは陰陽道をベースにしているのか。

 聞くのは今じゃなくてもいい。

 考えるのを止め、札とリーンハルトを交互に見遣った。

「転移魔法式を行う呪符だよ。これを持って座標を指定すれば、座標に転移出来るんだ。これは城下に住んでいる国民も使っている呪符だ。これの他にも簡単に魔法が使えるような呪符が一般流通している」

「呪符が一般流通していていいものなの? 魔法は極小数の人しか使えないとさっき言ってません?」

「確かに言ったな。この国では潜在的に魔法が使える人が多いにしても、思うままに使いこなせる人は極小数。言い換えようか。呪文を唱えて、魔法を使える人が少ないんだ。呪符は日常生活に困らない程度の魔法が行使出来るようにリミッターを掛けているし、人々が魔法を行使しようにも呪文は全て登録されている。この国の各地には魔法と魔力を感知出来るシステムも構築されている。登録されている魔法とは別の魔法を使った場合、すぐに捕まる仕組みだ。お前も魔法が使えるようになれば、勿論登録対象だ」

 使える段階で私の魔力パターンはすぐに登録される。この国で魔法を使えば、私の現在位置がすぐに分かるということ。

 私の場所がすぐに知れた理由がそのシステムを利用したから、のようだ。

 プライバシーなんてあったものじゃない。そもそも私の身柄は王宮に引き渡されるし、どのみち、そう簡単に王宮から出られそうにない。

「さて、と。そろそろ王宮に戻るとするか」

 リーンハルトはそう切り出すと、腰ベルトに下げていた剣とは別に杖を取り出した。ファンタジー映画でよく見かける形状の杖だ。リーンハルトは杖の先を空中に向けて、描き始める。

「国王様が魔法使えるなら何で……」

「国王が使えるのは前提条件だけど、護身術を含めた簡易なものしか使えないからね。攻撃魔法を初めとする高度な魔法を使うのは禁じられているんだ」

「ヴェンデルさんでは駄目なんですか?」

「魔法だけは習得出来なくてね。知識だけは持っているんだけども、魔力がゼロに等しい。呪符の力を頼って何とか行使出来るレベルだ。魔法の技術は一般人と一緒だが武術は一流だから安心しろ」

 自分で一流と言ってしまうほど武術の腕があるのか。

 私は相当胡散臭そうにしていたらしく。

「信じてねぇな! どうせ武術訓練もあるから俺直々に教えてやるから覚悟しておけよー?」

 私はどうやら墓穴を掘ってしまったようだ。

「え、遠慮しておきますよ。運動はからっきし駄目なんで……」

 体育の成績は五段階評価で万年『三』だった。昔、魔法少女をしていたが、その時は魔法の力に頼っていたので、イカサマをして自分の体力を底上げしていたものも同然。

 それ以来、運動は体育しか行ってこなかった。そんな奴がいきなり武術訓練なんてしたら翌日の筋肉痛どころか、運動直後の筋肉痛に見舞われる。動けなくなるのは目に見えている。

「運動出来ないと受け身を取る時に大変だと思うから習得しておいた方がいいぞ。アイツの身辺警護もあるから暴漢に襲われる、なんてザラじゃねぇし。まぁ俺も一緒にいるけど、護身術として身に付けておいた方がいい」

「お喋りはその辺にして帰るよ。あ、そうだ。一応コレ、被っておいて」

 描き終わったのか、リーンハルトは持っていた布を私に被せてくる。紺色の、私の足元近くまである大きな布――というよりも、小袖と称した方が的確か。小袖を私は頭からすっぽり覆うと、リーンハルトに手を引かれた。

 ひんやりと冷たい手は女性のように肌理の細かい肌をしていたが骨格は男性そのもの。リーンハルトの手と違って、私は子供体温で少し平均よりも高めで、丸い手をしていた。

「お前の手、温かいな。子供みたいだ」

「人の気にしているところを……!」

 人のコンプレックスをずけずけと言ってくるリーンハルトの手を振り払おうとした。

 が、ぐっと強く握り締められて、離れてくれない。

「失敗して、どこか時空空間に飛ばされたら君が此処に帰ってくる保証は一切ないから、王宮に着くまで僕の手を離さないでくれないかな。二人以上の転移をするのは初めてなんだ」

 とても安心出来ない。

 振り払うのを止めて大人しくなった私に、リーンハルトはにこりと微笑んだ。

「じゃ、行くよ」

 転移陣の真ん中に私とリーンハルト、ヴェンデルの三人が立ったのを確認すると、リーンハルトは呪文を呟いた。
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