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2章

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 視界が真っ白に覆われて、眩しくて私は目を閉じていた。目蓋を閉じていても分かるほどの眩しさ。目を開けていたら目が潰れていたのではと思うほどの強烈な光だった。

「無事着いたよ。もう目を開けても大丈夫だ」

 斜め上からリーンハルトの声が掛かる。リーンハルトは穏やかな声色で言うと、私の手を引いて歩き始めた。目を開ける間もなく、歩き始めたので足が縺れてリーンハルトの背中に飛び込んでしまった。

「抱きつくなんて、随分情熱的なんだね?」

 ぴたりと足が止まり、リーンハルトはぐるりと首だけ振り返る。

「なっ?!」

 顔を真っ赤にする私にリーンハルトはクスクスと笑う。

「リーンハルト、揶揄するのは止めておけ」

「結構、揶揄しがいがあるっていうかさ。いちいち挙動が面白くて」

 とても聞き捨てならなかった。

「女の扱いには注意しろと、侍従長にも言われたばっかだろ……」

「侍従長は耳年増だから仕方ないよ。何でもかんでもヒステリックに言い聞かせればいいと思っているんだし」

「――何か言いましたか?」

 ふと通り廊下を通りがかった青年がリーンハルトの後ろに立って、声を掛けてきた。

「いえ、何も言ってませんよ」

 片言になりつつ、侍従長を見ないリーンハルトに苦笑する。

 影でこっそり笑っているつもりだったのに、リーンハルトに見られていたようで。

「後でお仕置きした方がいい?」

「遠慮しておきます」

「そういや、彼女は? この城では見かけない顔ですね……」

 小袖を頭からすっぽりと被っている私は一見でもなく、とても怪しい人にしか見えない。

「彼女は……と、名前を聞いてなかったな。僕はこの国の国王を務めている、リーンハルトだ。正式名称はもっと長いが気軽にリーンハルトと呼んでくれ」

 王様を気軽に名前で呼べるほど、私は図々しく出来ていない。

「名越華蓮(なごしかれん)です」

「なごし、かれん……?」

「華蓮が名前で、名越が苗字です。えーと、名越がファミリーネームと言った方がわかりやすいですかね。カレン・ナゴシです」

「あぁ、なるほど。異世界から来た人にファミリーネームが先の人が何人かいたね。その人達とカレン――って呼んでいいよね?」

 こくりと頷けば、ヴェンデルは続いて話す。

「と、もしかしたら同じ一族なのかもしれないね」

 ヴェンデルが言う、私と同じ一族――というよりも日本人と称した方がいいのか。地球とはまた違う別の異世界(星)も苗字・名前の順で称している場合もあるから、その時はそちらの異世界からやってきたということにしておこう。

 ヴェンデルやリーンハルトは日本人が必ずしも魔法を使えるとは言っていない。

「ということは彼女がリーンハルトの魔法使いになるのですか?」

「他言無用だ。まだ魔法が使えるとは確定したわけでない」

 ぴしゃりと撥ね退けるリーンハルトの物言いに、侍従長は狼狽えた。

「異世界からやってくる人のほとんどは魔法どころか、魔力の存在すら知らない人が多いのは国民も知っています。彼女の存在を公表しないのはさすがに……」

 国民が知っているほどに、異世界の来訪者がこの国ではスタンダードのようだ。だったら私を公表しない理由は別にある。

「侍従長」

「すみません、出過ぎました」

「君が意見するのは珍しいからね。だけど、彼女の公表はまだ先だ。これからは僕の部屋付きの侍女として扱ってくれないか?」

「分かりました、彼女はリーンハルト様の部屋付きのメイドとして書類を作っておきましょう。名前はそのままで構わないですか?」

「んー、名前まで変えてしまうとなると本人の口からボロが出かけないからね。名前はそのままで通した方がいいだろう。カレン」

「何でしょうか」

「この国では名前も呪いの対象になる。僕やヴェンデル、侍従長だってそうだ。自分のファミリーネーム、ミドルネームは身内の者も含めて他人には言わないのが決まりだ。身内であったとしても、呪おうと思えば簡単に呪えてしまうからな」

「だから、名乗り出る時は名前だけにしてほしい。愛称があるならその方がいい。名前だけでも効果は出やすいからな」

 背筋がぞっとした。

 言葉に気をつけろと水流に言われたばかりだというのに。

 陰陽道をベースに魔法が構築されていると聞いていたにも関わらず、知識が抜け落ちていた。陰陽道は呪術的な要素も少なからず含んでおり、他人を呪う時に一番手っ取り早い方法が名前を用いる方法だ。名前は己の魂そのものであり、自己を名乗る上で一番重要だ。名前を知るということは、その本人を縛るということと同義。

 私の場合、漢字までは伝えてないので完全に私を縛ることは出来ないが、漢字まで伝えてしまったら最後。魔法や呪術を使われたって文句の一つも言えなくなってしまう。

 リーンハルトが私の名前を使って、地球に帰らせないようにするとか、この国から一歩も出られなくするなど動作なく簡単に行えてしまう危険性だってあるのだ。

「じゃ、じゃあ、リーンハルト、様も本名じゃないんですか?」

「カレンには様付けで呼ばれたくないな。リーンハルトでも構わないし、リーンでも構わない。一応、国王の身だからな。本名は別にある」

「そうなんですか」

 そこまで隠さないといけないくらいにまだ、自分の身も保証されてないのか。

 まだまだ城の中でも危険ということなのだろう。

「もうちょっと、君と僕が仲良くなったら教えてあげなくてもいいけど?」

「お断りします」

「えー、国王からの誘いを断る人なんているんだね」

「ここにいるじゃないですか」

 信じられない!と言わんばかりの表情をするが、非常に胡散臭い。

 リーンハルトはさほど気にしていないのか、まぁいいかと呟き、

「ヴェンデル、さっき言ってた彼女を僕の部屋まで連れてきてくれないか?」

 ヴェンデルに頼んでいた。切り替えの早い人だ。

「分かった」

 こくりと頷き、ヴェンデルは侍従長と話し始めた。

「侍従長、女官長と侍女服を持ってきてくれ。採寸はまぁ後で行うとして、サイズは適当に見繕ってくれ」

「畏まりました」

 侍従長は一礼してから去っていく。

「で、彼女は何処の部屋で寝泊まりするんだよ」

「僕の部屋だけど」

「えっ?!」

「何を言っているんだ! それこそ、彼女の立場が悪くなるだろうが!」

「何か問題でもある? 魔法が使えるか分からない。自分で結界が張れない。城内とはいえ、馬鹿がまだうようよするのにこの世界のことを知らない彼女を客室に置くのは危険だと思わない?」

「いやいやいや!! 問題あるだろうが! 女の『お』の字も寄せ付けないほどで、衆道とか男色とか噂が流れるほど、女の気がなかったお前が?!」

 その言い方は酷いが噂が流れるほどに女っ気がなかったのはどうなのか。

 国王として、子孫を残す義務があるのに。

「政務が忙しかっただけで、ちゃんと女が好きだから勘違いするな。あの量で女に割く時間がなかっただけだ。食欲と睡眠欲が性欲よりも勝っただけで、性欲はちゃんとある」

 疲れ果てて、自室には寝るだけ。ヤるだけの体力もなかったらしい。

「とんでもない言い訳だな。忙しい時にこそ、癒やしを求めるんだろうが」

 真顔で力説するヴェンデルにリーンハルトは顎に手をやり、少々考える仕草を見せた後、こう言い放った。

「じゃあ、今度から彼女が僕の癒やしになるのかな?」

「は?」

 何言ってるんだとヴェンデルはリーンハルトを見る。

 リーンハルト本人は対して気にすることなく、私の肩を掴んで引き寄せた。ぐっと近くなり、私はリーンハルトを見上げて、こうなった原因を問い詰めるべくリーンハルトに質問を繰り出す。

「あのーどうなったらそんなことに発展するのか説明してほしいのですが……」

「説明したじゃないか。僕もいい加減、立后しろと各所方面から押し付け――じゃない、要望があってね。立后するにしても相応しい人がなかなか見付からなくて。そこで、カレンが異世界からやってきた。一気に魔法使いと后の両方を獲得出来るなんて僕はとても運が良い」

 説明になってないとリーンハルトに言うのも億劫になってくるほど、ぶっ飛んだ提案に私は唖然とするしかなかった。

 各所方面というのは貴族や元老院の人達だとか、自分の娘を立后することによって自分の地位を確立したい人達のことだろう。

 そんな初めから地位を持っている人達を跳ね除けて、私が立后していいのか。その前に私は立后することも、魔法使いになることも認めるわけにはいかない。

「だから何で異世界から来た人がこの世界にいる人達よりも立場が良いんですか! 普通、何かしら文句が出るはずでしょう?!」

「君の世界では異世界から来た人達を異端者として扱うのが普通だろうが、この国・この世界は違う。この国は異世界からやってきた人達が齎してきた技術や知恵を元に発展してきた。つまり僕達からしてみれば、異世界からの住民は未来人のようなものなんだ。その人達の立場が偉くなるのは当然だろう? 勿論、この世界での住民もまた納得するシステムを構築しているから大きな問題は起きない」

「だからと言って、納得しない人だって確かに出てくるじゃないですか。その人達の反発心はどうやって諌めるんですか?」

「それはカレンが気にしなくていい。カレンが今すべきことはこの世界を知ることだ。と、その前に外見をこの世界に相応しいものに変えないと、ね」

 ニヤリと笑うリーンハルトに、私はゆっくりと後ろに下がる。

「逃げよう、なんて浅はかな考えは止めた方がいいよ。抵抗する気持ちもなくした方がいい」

 退路は絶たれてしまった。退路を探す前に釘を打たれてしまったという形だが。

「それにカレン、僕に隠していることもあるよね? 夜じっくり聞かせてもらうからちゃんと要点よく纏めておいてね」

 どきりとした。魔法を使ったことがバレてしまったのだろうか。
 リーンハルトは私の腕を引き、強引に歩き始める。
 中庭の廊下を抜け、奥宮へと進んでいく。

 廊下の一番奥の扉の前に立つとリーンハルトは扉の前の機械に手のひらを翳した。

「この部屋は何なんですか……」

 奥宮の一番奥、重厚な扉と厳重なセキュリティ。

 考えられるのはただ一つしかないのに。

「自己完結しているのに再び僕に質問してくるなんて。そんなまどろっこしいのは止めにしようか。君の考えで合ってるよ。この部屋は僕の部屋であり、これから君が生活する部屋でもある。カレンの立場はまだ侍女という扱いだけど、婚約者だとか内后と同じ扱いだから。もちろん、カレンは拒否権は持ち合わせてない。僕の部屋が宮中では一番安全だからね。命を狙われたくなければ、部屋の外に出ない方がいい」

 いつの間にか部屋から出るなとまで言われてしまった。

 大人しく部屋にいるつもりは一切なく、リーンハルトが部屋を執務室へ行ったら宮中を散策する予定だった。短い期間であったとしても、暮らすのだ。どの部屋が何処にあるのか知っておきたい。

「もし、出たら……?」

「ん~そうだね、二度と外に出るのを拒否したくなる思いをさせるのは勿論だけど、カレンも生き抜きがしたいだろうし、僕も息抜きしたいから僕と一緒だったら外に出てもいいよ」

 どちらにしても私に自由は与えられないようだ。誰かに案内されるのは別に構わないのだが、監視として誰かが一緒にいるのだと考えようによっては気分が落ち込んでしまう。

 扉を開けて、リーンハルトが中に入るよう促してくる。

「そんな顔しないで? いい子にしてたら一人でも外に出してあげるから。カレンが今やるべきことはこの世界に慣れて、魔法を習得することだ」

 リーンハルトは対面式のソファに私を誘導し、腰掛けると隣に私を強引に座らせた。

「……私がもし、初めから魔法が使えるとしたら貴方はどうするの?」

「教える手間が省けるからね。早速実践で活躍してもらうように手配をするだけだよ。それでも、どれだけの実力があるか分からないから実力を計測してからかな」

 リーンハルトという男は何に対しても疑いの精神を持っているのか、ただ単に人が言うことを信用していないだけなのか。

「数字を見るまでは信用しない、ということですか?」

「別に敬語じゃなくてもフランクに話して構わないのに。カレンには、ただのリーンハルトとして接してほしいんだよね」

「ただの貴方に……?」

 どういう意味だろうと思い、首を傾げる。

「この部屋から出れば、僕は国王として他の人に接しなくてはいけない。だが部屋に帰ってプライベートの時間はただのリーンハルトだ。何の価値もない、ただの一人の男でしかなくなる。この部屋にいるカレンはただのリーンハルトとして、接してほしいんだ。この部屋以外の僕を知らないのだから」

 理屈は分かった。分かったのだが、リーンハルトに接する態度は変えない。

「だからと言って、私は貴方と身分が違いすぎます。いくら国王の貴方も、ただの貴方を知っていたとしても、私は前者の国王の貴方として接します」

「命令、だと言ったら?」

「それに従うまでの話ですね。この国を統治しているのは貴方でしょう? その人の命令なら従うのが国民でしょう。……ただし、あまりにも無謀な命令は遠慮したいです」

「結構、物言いははっきり言うんだね。もっとお淑やかと思っていたよ」

「上流階級じゃなくて、庶民なので。お淑やかという言葉とは縁もない所で暮らしていたので。その時点で貴方と差ができているのではないでしょうか」

 リーンハルトの顔が曇る。

 少々言い過ぎたかと思い、リーンハルトを恐る恐る見遣った。

 リーンハルトと会ってからというものの、顔色一つ変えず、笑顔をキープしていたのだが今は違う。それまでの笑顔を全て消し去り、能面の如く無表情だった。

 怒っているのかもすら感情すらも読み解くのも出来ずに私は困惑した。

「……いずれ身分制を廃止して、貴族も庶民も関係ない国を作りたいんだよね。差別のない世界だ」

 急に何を言い出すのかと思いきや、リーンハルトは自分の目標を語り始めた。

「どうして、そんな世界を作りたいんですか?」

「僕の父は国王をしていてね。この国じゃなくて、十年以上前に滅んでしまった国の国王だったんだ。
 ある日、クーデターが起きた。理由はなんだと思う? 僕の父が強引に戦争を推し進めて、国内の反発を買ったんだ。疲弊しきった国民感情は一気に爆発し、王宮に攻め込んできた。戦争を進めた貴族は殺され、王宮は焼かれた。

 僕は母の魔法で何とか他国に亡命出来たけど、それからは地獄だったよ。自分の身分を全て隠し、庶民として暮らしていかなくてはならなかったのだからね。王族は成人になるまで顔を公開しない決まりだったから僕は亡命した国で顔を隠さず生活出来たが、その生活をするのに苦労した。当然だよね、王宮にいた時の僕は傅かれ、侍かれ、食事の世話から風呂の世話まで全て侍女や侍従が行っていたんだから。自分でやるというのは一切考えてなかったんだ。火の起こし方も、包丁の持ち方も、お金の扱い方すら僕は知らなかった。僕は自分の無知さを知ったよ。僕は何一つ分かっていなかったと」

 テーブルに準備されていた紅茶のカップを持ち、一口飲んでからリーンハルトは続けた。

「一般庶民の生活が長かったせいか、上から分かったように言われるのも、じっとしているのも苦手でね。魔法も森の奥に住んでいた魔女に何とか頼み込んで教えてもらったし。誰かに頭を下げて頼むというのもあんなに屈辱的だとは思わなかったなぁ」

 プライドは高そうに見える。

 誰かに世話をされて暮らしていた生活から、自分で何もかもしなくては生きていけない生活。彼は想像を絶する苦労をしながら生きてきたのだろう。

 だけど、一つ疑問が残った。

「何で他国の王子がこの国の国王になれたのか、疑問に思っているよな? 前の国王は跡目がいなくてね。たまたま前の国王と会っていて僕を覚えていたんだ。彼は僕をお忍びで城下へ行った時に恋に落ちた女性との間に出来た子として、迎え入れてくれた。勿論、彼には正室も側室もいたが、どちらにも子は授かれなかったし、僕を自分の息子のように接してくれたよ」

 疑問はすぐに話してくれた。

 彼はテーブルに置かれている皿を取り、砂糖菓子を食べるかと進めてくる。色とりどりや意匠のお菓子が皿に置かれていて、彼は手に取り食べ始める。

「毒は入ってないんだけどね……」と彼が言うくらいだから、彼は私が毒を心配して食べなかったのだと思い込んだようだ。実際には食べるお腹が空いていなかったのだが。

「彼らは僕の野望は知っていたし、僕が成人すると退位してしまって今は離宮にいるんだ。そのうち会いに行こうか、君が異世界からやってきたことは彼らの耳にも入っていると思うし。この国をより盤石になるのを祝ってくれるはずだ」

「でもそう簡単に異世界から人を召喚していいものなの?」

「特別な事情があるからこそ、召喚するのであっておいそれと日常的に召喚をすることは禁じられている。だが召喚術は時間操作系と空間転移系の複合型の魔法だからな。使用するには結構な魔力レベルが必要だし、そう簡単に召喚出来るものでもない。召喚したとして、召喚者が魔力の適性があるかどうかなんて分からないわけだし。実際に適性がなく、一般人として生活している人も少なくない。その人達は異世界からやって来たという事実は消して生活しているから、カレンも魔法が使えなかったら記憶を消すだろうな」

 つまり。

「召喚したとしても、こちらから異世界に飛ぶのは難しいってこと?」

「そうなるな。こちらの世界から別の世界へ飛んだ人を聞いたことがない」

 リーンハルトは知らないだろうが、こちらの世界で地球に帰った人は実際にいる。リーンハルトの母親だ。彼女にどうやって地球に帰ってこられたのか話を聞いておけばよかったと後悔した。

 だが、それも今更聞いたところで帰れる保証は何処にもない。自力で方法を探すしかないのだ。

「僕も、一度異世界に行けるかどうか試したが無理だった」

「…………」

 自分の母親が異世界から来ていたと知っているなら、彼は異世界へ行こうとしたのか。

 でも、どうして? 母親に会いに?

「まぁ、母は母で生きてたら元気にやっていそうだからな。多少の心配はしているが、戦地まで簡単に来る人だから何があったとしても大丈夫だろうけど」

 戦地まで簡単に来る女性がいるのに驚いたし、私が会った人と本当に同一人物だったのだろうか。

 私が会ったあの女性は簡単に戦地へ来るような人には思えなかった。せいぜい、後宮から一歩も出ず終いだったり、部屋にいて読書を楽しんでいる人に思えたからだ。

「僕も父も驚いていたよ。後宮の庭で花を鑑賞したり、多くの歴史書を書き写したり、孤児院に赴いて子供達の世話をしている人がまさか戦地のど真ん中にまで来るとは誰も思わなかったからね。度肝を抜かれるとはああいう出来事を言うんだろうと逆に語り継がれているくらいだ。
 あ、僕の母もそれなりに力を持った魔法使いだったんだけども、力を振りかざすのは嫌いな人でね。戦地に自分から乗り込んで、敵の命を奪うというのは一度たりともしていないんだ。魔法使いの中でもとても稀有な人で有名だった。まぁ、母の魔法属性が回復系に特化していたから誰かを攻撃するというよりも、誰かを癒やす方が多かったかな。対象は父だけど」

 懐かしげに柔らかく話すリーンハルト。貼り付けたような笑顔しか見ていなかったので、とても新鮮に感じた。

「だから、母が異世界へ行ったのは信じがたいし、個人が持つ魔法属性によって異世界に帰還可能かと言えばそうとも言えない。言えない理由は簡単だ。異世界からやってきた人達が元いた世界に帰って行ったという記録が一切残されていない。この国にいれば、少なからず交流する機会があると思うから交流会には参加してもいいよ」

「外に出るなと言っている割には交流会に参加しろって言うんですね。矛盾してません?」

「交流会は息抜きのためであって、彼らと協力してこの世界を脱出する魔法呪文の確立する会ではない。彼らとの交流で、カレンの魔法出現が早くなる可能性だってあるし、彼らの中には特出した魔法を使える人もいる」

 交流会という名目の魔法を教える会だと考えた方が良さそうだ。魔法を使えないのを装うには彼らとの交流は障害物でしかない。

「さて、と。カレンと話していたいところなんだけど、さすがに公務が残っているからね。そろそろ、彼女も来る頃だろうし。あ、これから来る彼女も君と同じで異世界からやって来た一人だ。彼女と接する機会が増えるはずだから仲良くなっておいて損は無いと思うよ」

 タイミングよく、扉を叩く音が聞こえる。

「入っていいよ」


 扉の向こうにいるのが誰なのか聞かなくてもいいのか、と疑問が残る。
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