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1章
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それはヴァンが生まれるよりも前の話。
当時、冒険者に成りたての新米であったエリシアは特にこれといった伝手もなく、ソロで活動していた。
だが、ソロでの冒険者活動というものは非常に危険だ。
人というのは存外簡単なことで死に至る。
依頼中に受けた小さな傷が悪化し、そのまま動けないほどの熱病となってしまえば、それだけでも致命的。
戦闘中に麻痺などになってしまえばソロであれば最早命はないだろう。
その危険性をエリシアはよく理解していた。
しかし、理解しているのと行動ができるかどうかはまた別の話。
小さな村から一人出てきた彼女にとって、王都には知り合いもいなければ、伝手などあるはずもない。
まして彼女は女性だ。
成りたての女性の冒険者がうかつにパーティーの誘いに乗り、そのまま彼らの慰み者にされてしまうといった話は少なくない。
それなら、女性をパーティーメンバーにすればいいだろうという話になるが事はそう簡単ではない。
そもそも、彼女の様に何の便りもなく冒険者になろうという女性はそう多くはない。
普通はどこかに何らかの伝手を作っておくか、あるいは自身が特化した何らかの技能を有しているかだ。
もっとも、ここまでしても先のような話は絶えないのだから難しいものである。
さて、話を戻すと彼女にはそのような特技も伝手もない。
ただ小さな村から飛び出してきた彼女が生きる術が冒険者になるという道しかなかった。
ただそれだけの話。
そんな彼女に都合のいいメンバーをそう簡単に見つけ出せるわけもなく。
故に、彼女は冒険者になってある程度時間が経過しているいうというのにも関わらず、未だにパーティーメンバーを見つけ出せずにいた。
―――そんな最中、恐れていた事態は起こった。
彼女が森で薬草採取の依頼をこなしていたところ、運悪くパラライビーの群れに遭遇。
しばらく逃走を図りながら、応戦していたものの、敵の数は多く多勢に無勢。
隙を突かれたエリシアはパラライビーの麻痺毒の影響で身動きが取れなくなってしまった。
“もうだめか……”そうして死を覚悟したその時だった。
『―――はぁぁぁぁッ!!』という砲声とともに、突如現れた男性によって横薙ぎに振るわれた剣が数体のパラライビーを纏めて両断した。
男性の剣閃は烈火の如く。
そのまま群れを成していたパラライビ―を続く斬撃により次々と撃墜して行く。
気が付けば、群れを成していたはずのパラライビ―の姿は、周囲に一体も残ってはいなかった。
「……すごい」
気が付けばエリシアはそう呟いていた。
やがて、男性は生き残りがいないかを確認すると、ゆっくりと事らへと歩み寄ってきて、
―――――大丈夫? 立てるかい?
と、つい先ほどまでのパラライビ―に対する豪胆な立ち回りを感じさせない優しげな声で言った。
これがエリシアとヨハンの最初の出会いだった。
ヨハンも彼女と同じような過程で冒険者となった男性であり、偶々覚えがあった剣の技術を駆使して冒険者としての生活を営んでいたという。
似た境遇を持つ二人、打ち解けた二人はやがてパーティーとしてともに活動するようになる。
鍛錬の果てに、魔法を覚えたエリシアが後衛、持ち前の剣術で近接戦闘を担えるヨハンが前衛。
ヨハンが前衛で時間を稼ぎ、その隙にエリシアが魔法詠唱、高火力で殲滅する連携攻撃。
依頼を重ねるごとに二人のコンビネーションは上達し、難しい依頼もこなせるように成長して行く。
少しずつ、しかし、順調にランクを上げていく二人。
そして、そんな二人が恋仲になるのも時間はかからなかった。
この時期、この時間。エリシアはとても充実した幸せな時間を過ごしていた。
―――だが、その幸せが長く続くことはなかった。
恋仲となってからも二人は冒険者としての活動を続けていたが、やがて、ヨハンがエリシアへとプロポーズし、それをエリシアが承諾。
恋仲から夫婦へとその関係を変化させるにあたって、やがてできる子供の為にも冒険者を引退しようと、そう決意して出発した依頼。
その先での事だった。
受注した依頼は二人の出会いのきっかけとなったパラライビ―の盗伐。
森の中、当初殺されそうになった程だったパラライビ―をあっさりと殲滅し、あの頃の余韻に浸りながら王都に帰ろうとしていたその時だった。
奴が現れたのは……。
―――――初めは静寂だった。
本来、森という場所において、完全な静寂はない。
木々の揺れる音、森に住まう生物の鳴き声、そして彼らが出す音、何らかの音が聞こえてくるものだ。
それが唐突に途絶えた。
訪れたのはあり得ない筈の完全なる静寂。
まるで森そのものが何かの存在に怯え、沈黙するかのような、そんな異様な静けさ。
そして、直後。
ガサッガサッと、木々を蹂躙する音と主に、その元凶は困惑する二人の元にその全貌を現した。
初めに見えたのは“角”だった。
木々の隙間から僅かに見えた一対の“角”は赤黒く、悍ましい。
否、悍ましいのはその“角”だけではなかった。
その全長は二メートル、いや、三メートルに近い。
全身は赤黒く、まるで脈打つかのように胎動している。
視界にとらえるだけ、それだけで全身から冷汗が噴き出すかのような悪寒に襲われ、体はその恐怖を前に地に縫い付けられたかのように動けなくなってしまう。
彼の者の手足は巨大な爪となっており、それに引き裂かれればもはやこの世に存在し続けることはかなわないだろう事を否応なく予感させる。
―――――それは人々から殺戮鬼と呼ばれ、その出現は天災や災害だとすら言われた化け物、殺戮鬼そのものだった。
動けない二人。
その二人を殺戮鬼が遂に視界に捉える。
直後、殺戮鬼はまるでいい獲物を見つけたとでも言うかのようにその悍ましい表情を歪め、
―――“ニヤリ”と、笑った。
瞬間、ヨハンの中で恐怖が臨界を超え、体を動かす炉に牧がくべられる。
ようやく動けるようになった体で、彼はエリシアの、愛する人の手を掴み叫ぶ。
「逃げるぞッ!! 逃げるんだ、今直ぐにッ!!
死ぬ気で走れぇぇぇ―――ッ!!」
その声でようやくエリシアの体も動き出す。
全力疾走で、あちこち薄暗い森を駆け抜ける二人。
二人の目標は王都、王都には一応魔物除けの結界が張られている。
果たしてあの化け物そんなものが効くのかどうかが怪しいが、今はその希望に縋らざる負えない。
そんな必死な二人を弄ぶかのように、殺戮鬼は少しづつ、追い立てるように迫ってくる。
まるでその姿は逃げ回る獲物見て楽しむかのようで、それが二人に抗いようがない事を強制的に意識させた。
―――どうして、どうして今日、今、この時間、この場所に……
そんな思いが二人の頭を過る。
無理はない。
何しろ二人はこの依頼が終われば冒険者を引退し、慎ましく暮らすつもりだったのだ。
それがなぜ、最後と決めたこの依頼で、死の危険に晒されなければならないのか!
―――――走る、走る、走る。
木々に覆われた道をひたすら走り続ける。
死はそこまで迫っている。この足を止めた瞬間、自分達は死に捕らわれるという確信がある。
だから、走る、走り続ける。
淡い淡い、生という名の希望を掴むために。
幸せという名の未来を掴むために。
……しかし、現実とは非常である。
走り続ける自分達、されど縮まらない殺戮鬼との差
その事実が二人の脳裏にある決定的な事実を浮かび上がらせる。
先に口にするのは男である自分の役目だろうと、意を決し、覚悟を決め、ヨハンは二人が無意識の内に考えないようにしていたその現実を口にした。
「エリシア、聞いてく―――」
「―――嫌よッ!! 聞きたくないわッ!!」
エリシアもヨハンが何を言おうとしたかを察した、否、わかっていたのだろう。
だが、頭ではわかっていてもエリシアの理性がそれを認めない。
故に、それだけは言わせまいと、即座にヨハンの言を遮る。
それを言葉にしてしまったが最後、その現実から目を逸らすことはできなくなってしまう。
このどうしようもない現状を認めざる負えなくなってしまう。
二人で夢見た幸せな未来を生きていくことはできなくなってしまう。
ならば、認めるわけにはいかない。
それを認めるということは、それを全て諦めるということに他ならないのだから……。
だが、それは所詮一時しのぎの逃げに過ぎない。
エリシアがそれを拒絶したところで、現実が彼女にそれを拒むことを許さなかった。
「だめだエリシア聞いてくれ……。
このままじゃ二人とも無事とはいかないだろう。だから僕が囮に、」
「嫌よッ!! 絶対に嫌ッ!! そんなの聞きたくないわッ!!
このまま、頑張って二人で王都まで逃げるのよ。
そうすればきっと―――」
「―――――“エリシアッ!!”」
「―――ッ……」
必死に現実から目を逸らそうとするエリシアにヨハンの叱声が突き刺さる。
叱声はエリシアを強制的に現実に引き戻した。
「エリシア、君と過ごした日々は本当に楽しくて、幸せだった。
できるならばこれからも君と幸せな未来を紡いで行きたかったけど、どうやらそれは無理みたいだ。
……でも、せめて、せめて君だけは……君だけは生きてほしい」
「いや、いやだよぉ……ヨハン……そんなこと、いわないでよぉ……」
とても悲しげな笑顔を向けながら自分の思いを吐露するヨハンを前に、エリシアは滂沱の涙を流しながらその考えを否定しようとする。
だが、ヨハンの悲しい決意は既に固く、むしろ皮肉なことにヨハンを止めようと必死になるエリシアの姿は彼の決意をより強固なものとした。
現実は絶望的、だが、それでもヨハンはエリシアに笑顔で語りかける。
「ごめんね、これは僕の我が儘だ。
確かに、このまま最後の時まで二人で逃げ続けるという道もあるのかもしれない。
でも、それでも僕は、君に生きていて欲しいんだ。
たとえ……たとえ僕の命がここで終わってしまうとしても、君が生きて、僕のことを覚えていてくれる限り、僕は君の中で生き続けることができるのだから……」
「ひぐっ……いや、ヨハン……いかないでぇ……」
「ッ……」
涙を流しながら訴えるエリシアを前に、微かに気持ちが揺らぎそうになる。
つい先ほどまで彼の気持ちを後押ししていたそれは今逆に、彼の決意を揺らがせるものへと反転していた。
今、自分は彼女に最もさせたくなかった表情をさせている。
こんな表情をさせるくらいなら、いっそ……。
そんな考えがヨハンの頭を過る。
―――だが、
「―――*********ッ!!」
殺戮鬼の最早声とも呼べない唸りが、ヨハンを一瞬にして現実に引き戻す。
そうだ、自分がここで残らなければ、エリシアは間違いなく奴によって物言わぬ肉塊へと変えられてしまう。
それは、それだけは許すわけにはいかない。
諦めるわけにはいかない。
―――であれば、するべきことなど決まっている。
泣きながら首を振るエリシア。
そんな彼女に、ヨハンも目に涙を浮かべながら、しかし、最高の笑顔で告げた。
「―――今までありがとうエリシア、愛してるよ」
その言葉を最後に、ヨハンは一人殺戮鬼の元へと向かって行った。
後日、王都へと奇跡の生還を果たしたエリシアが意を決し、仲間を引き連れ、最善の準備を整えた上でヨハンと別れた場所まで戻るとそこには―――かつてヨハンであったであろう“何か”が転がっていた。
―――――発見されたヨハンは最早人の形すら保っていなかった。
それからエリシアは絶望の中、一人無為な日々を送っていた。
その姿は生きながらにして死んでいると言っても過言ではない。
夢も希望も、その全てを失った彼女。
エリシアはいっそのことこの命を投げ出し、彼の元へと行こうかとすら考えていた。
……その時だった。
彼女がヨハンの子供を身ごもっていると発覚したのだ。
それは全てを失った彼女にとっての最後の希望だった。
ヨハンはその命尽きてなお、エリシアの命を救ったのである。
そうして彼女は王都を出て、辺境である今の村へと移り住んだ。
彼の残した子供と、ただ静かに暮らしていくために……。
そうして彼女は辺境の村へと移り住んでまもなく、一人の男の子を出産する。
彼女はその男の子に“ヴァン”という名をつけた。
当時、冒険者に成りたての新米であったエリシアは特にこれといった伝手もなく、ソロで活動していた。
だが、ソロでの冒険者活動というものは非常に危険だ。
人というのは存外簡単なことで死に至る。
依頼中に受けた小さな傷が悪化し、そのまま動けないほどの熱病となってしまえば、それだけでも致命的。
戦闘中に麻痺などになってしまえばソロであれば最早命はないだろう。
その危険性をエリシアはよく理解していた。
しかし、理解しているのと行動ができるかどうかはまた別の話。
小さな村から一人出てきた彼女にとって、王都には知り合いもいなければ、伝手などあるはずもない。
まして彼女は女性だ。
成りたての女性の冒険者がうかつにパーティーの誘いに乗り、そのまま彼らの慰み者にされてしまうといった話は少なくない。
それなら、女性をパーティーメンバーにすればいいだろうという話になるが事はそう簡単ではない。
そもそも、彼女の様に何の便りもなく冒険者になろうという女性はそう多くはない。
普通はどこかに何らかの伝手を作っておくか、あるいは自身が特化した何らかの技能を有しているかだ。
もっとも、ここまでしても先のような話は絶えないのだから難しいものである。
さて、話を戻すと彼女にはそのような特技も伝手もない。
ただ小さな村から飛び出してきた彼女が生きる術が冒険者になるという道しかなかった。
ただそれだけの話。
そんな彼女に都合のいいメンバーをそう簡単に見つけ出せるわけもなく。
故に、彼女は冒険者になってある程度時間が経過しているいうというのにも関わらず、未だにパーティーメンバーを見つけ出せずにいた。
―――そんな最中、恐れていた事態は起こった。
彼女が森で薬草採取の依頼をこなしていたところ、運悪くパラライビーの群れに遭遇。
しばらく逃走を図りながら、応戦していたものの、敵の数は多く多勢に無勢。
隙を突かれたエリシアはパラライビーの麻痺毒の影響で身動きが取れなくなってしまった。
“もうだめか……”そうして死を覚悟したその時だった。
『―――はぁぁぁぁッ!!』という砲声とともに、突如現れた男性によって横薙ぎに振るわれた剣が数体のパラライビーを纏めて両断した。
男性の剣閃は烈火の如く。
そのまま群れを成していたパラライビ―を続く斬撃により次々と撃墜して行く。
気が付けば、群れを成していたはずのパラライビ―の姿は、周囲に一体も残ってはいなかった。
「……すごい」
気が付けばエリシアはそう呟いていた。
やがて、男性は生き残りがいないかを確認すると、ゆっくりと事らへと歩み寄ってきて、
―――――大丈夫? 立てるかい?
と、つい先ほどまでのパラライビ―に対する豪胆な立ち回りを感じさせない優しげな声で言った。
これがエリシアとヨハンの最初の出会いだった。
ヨハンも彼女と同じような過程で冒険者となった男性であり、偶々覚えがあった剣の技術を駆使して冒険者としての生活を営んでいたという。
似た境遇を持つ二人、打ち解けた二人はやがてパーティーとしてともに活動するようになる。
鍛錬の果てに、魔法を覚えたエリシアが後衛、持ち前の剣術で近接戦闘を担えるヨハンが前衛。
ヨハンが前衛で時間を稼ぎ、その隙にエリシアが魔法詠唱、高火力で殲滅する連携攻撃。
依頼を重ねるごとに二人のコンビネーションは上達し、難しい依頼もこなせるように成長して行く。
少しずつ、しかし、順調にランクを上げていく二人。
そして、そんな二人が恋仲になるのも時間はかからなかった。
この時期、この時間。エリシアはとても充実した幸せな時間を過ごしていた。
―――だが、その幸せが長く続くことはなかった。
恋仲となってからも二人は冒険者としての活動を続けていたが、やがて、ヨハンがエリシアへとプロポーズし、それをエリシアが承諾。
恋仲から夫婦へとその関係を変化させるにあたって、やがてできる子供の為にも冒険者を引退しようと、そう決意して出発した依頼。
その先での事だった。
受注した依頼は二人の出会いのきっかけとなったパラライビ―の盗伐。
森の中、当初殺されそうになった程だったパラライビ―をあっさりと殲滅し、あの頃の余韻に浸りながら王都に帰ろうとしていたその時だった。
奴が現れたのは……。
―――――初めは静寂だった。
本来、森という場所において、完全な静寂はない。
木々の揺れる音、森に住まう生物の鳴き声、そして彼らが出す音、何らかの音が聞こえてくるものだ。
それが唐突に途絶えた。
訪れたのはあり得ない筈の完全なる静寂。
まるで森そのものが何かの存在に怯え、沈黙するかのような、そんな異様な静けさ。
そして、直後。
ガサッガサッと、木々を蹂躙する音と主に、その元凶は困惑する二人の元にその全貌を現した。
初めに見えたのは“角”だった。
木々の隙間から僅かに見えた一対の“角”は赤黒く、悍ましい。
否、悍ましいのはその“角”だけではなかった。
その全長は二メートル、いや、三メートルに近い。
全身は赤黒く、まるで脈打つかのように胎動している。
視界にとらえるだけ、それだけで全身から冷汗が噴き出すかのような悪寒に襲われ、体はその恐怖を前に地に縫い付けられたかのように動けなくなってしまう。
彼の者の手足は巨大な爪となっており、それに引き裂かれればもはやこの世に存在し続けることはかなわないだろう事を否応なく予感させる。
―――――それは人々から殺戮鬼と呼ばれ、その出現は天災や災害だとすら言われた化け物、殺戮鬼そのものだった。
動けない二人。
その二人を殺戮鬼が遂に視界に捉える。
直後、殺戮鬼はまるでいい獲物を見つけたとでも言うかのようにその悍ましい表情を歪め、
―――“ニヤリ”と、笑った。
瞬間、ヨハンの中で恐怖が臨界を超え、体を動かす炉に牧がくべられる。
ようやく動けるようになった体で、彼はエリシアの、愛する人の手を掴み叫ぶ。
「逃げるぞッ!! 逃げるんだ、今直ぐにッ!!
死ぬ気で走れぇぇぇ―――ッ!!」
その声でようやくエリシアの体も動き出す。
全力疾走で、あちこち薄暗い森を駆け抜ける二人。
二人の目標は王都、王都には一応魔物除けの結界が張られている。
果たしてあの化け物そんなものが効くのかどうかが怪しいが、今はその希望に縋らざる負えない。
そんな必死な二人を弄ぶかのように、殺戮鬼は少しづつ、追い立てるように迫ってくる。
まるでその姿は逃げ回る獲物見て楽しむかのようで、それが二人に抗いようがない事を強制的に意識させた。
―――どうして、どうして今日、今、この時間、この場所に……
そんな思いが二人の頭を過る。
無理はない。
何しろ二人はこの依頼が終われば冒険者を引退し、慎ましく暮らすつもりだったのだ。
それがなぜ、最後と決めたこの依頼で、死の危険に晒されなければならないのか!
―――――走る、走る、走る。
木々に覆われた道をひたすら走り続ける。
死はそこまで迫っている。この足を止めた瞬間、自分達は死に捕らわれるという確信がある。
だから、走る、走り続ける。
淡い淡い、生という名の希望を掴むために。
幸せという名の未来を掴むために。
……しかし、現実とは非常である。
走り続ける自分達、されど縮まらない殺戮鬼との差
その事実が二人の脳裏にある決定的な事実を浮かび上がらせる。
先に口にするのは男である自分の役目だろうと、意を決し、覚悟を決め、ヨハンは二人が無意識の内に考えないようにしていたその現実を口にした。
「エリシア、聞いてく―――」
「―――嫌よッ!! 聞きたくないわッ!!」
エリシアもヨハンが何を言おうとしたかを察した、否、わかっていたのだろう。
だが、頭ではわかっていてもエリシアの理性がそれを認めない。
故に、それだけは言わせまいと、即座にヨハンの言を遮る。
それを言葉にしてしまったが最後、その現実から目を逸らすことはできなくなってしまう。
このどうしようもない現状を認めざる負えなくなってしまう。
二人で夢見た幸せな未来を生きていくことはできなくなってしまう。
ならば、認めるわけにはいかない。
それを認めるということは、それを全て諦めるということに他ならないのだから……。
だが、それは所詮一時しのぎの逃げに過ぎない。
エリシアがそれを拒絶したところで、現実が彼女にそれを拒むことを許さなかった。
「だめだエリシア聞いてくれ……。
このままじゃ二人とも無事とはいかないだろう。だから僕が囮に、」
「嫌よッ!! 絶対に嫌ッ!! そんなの聞きたくないわッ!!
このまま、頑張って二人で王都まで逃げるのよ。
そうすればきっと―――」
「―――――“エリシアッ!!”」
「―――ッ……」
必死に現実から目を逸らそうとするエリシアにヨハンの叱声が突き刺さる。
叱声はエリシアを強制的に現実に引き戻した。
「エリシア、君と過ごした日々は本当に楽しくて、幸せだった。
できるならばこれからも君と幸せな未来を紡いで行きたかったけど、どうやらそれは無理みたいだ。
……でも、せめて、せめて君だけは……君だけは生きてほしい」
「いや、いやだよぉ……ヨハン……そんなこと、いわないでよぉ……」
とても悲しげな笑顔を向けながら自分の思いを吐露するヨハンを前に、エリシアは滂沱の涙を流しながらその考えを否定しようとする。
だが、ヨハンの悲しい決意は既に固く、むしろ皮肉なことにヨハンを止めようと必死になるエリシアの姿は彼の決意をより強固なものとした。
現実は絶望的、だが、それでもヨハンはエリシアに笑顔で語りかける。
「ごめんね、これは僕の我が儘だ。
確かに、このまま最後の時まで二人で逃げ続けるという道もあるのかもしれない。
でも、それでも僕は、君に生きていて欲しいんだ。
たとえ……たとえ僕の命がここで終わってしまうとしても、君が生きて、僕のことを覚えていてくれる限り、僕は君の中で生き続けることができるのだから……」
「ひぐっ……いや、ヨハン……いかないでぇ……」
「ッ……」
涙を流しながら訴えるエリシアを前に、微かに気持ちが揺らぎそうになる。
つい先ほどまで彼の気持ちを後押ししていたそれは今逆に、彼の決意を揺らがせるものへと反転していた。
今、自分は彼女に最もさせたくなかった表情をさせている。
こんな表情をさせるくらいなら、いっそ……。
そんな考えがヨハンの頭を過る。
―――だが、
「―――*********ッ!!」
殺戮鬼の最早声とも呼べない唸りが、ヨハンを一瞬にして現実に引き戻す。
そうだ、自分がここで残らなければ、エリシアは間違いなく奴によって物言わぬ肉塊へと変えられてしまう。
それは、それだけは許すわけにはいかない。
諦めるわけにはいかない。
―――であれば、するべきことなど決まっている。
泣きながら首を振るエリシア。
そんな彼女に、ヨハンも目に涙を浮かべながら、しかし、最高の笑顔で告げた。
「―――今までありがとうエリシア、愛してるよ」
その言葉を最後に、ヨハンは一人殺戮鬼の元へと向かって行った。
後日、王都へと奇跡の生還を果たしたエリシアが意を決し、仲間を引き連れ、最善の準備を整えた上でヨハンと別れた場所まで戻るとそこには―――かつてヨハンであったであろう“何か”が転がっていた。
―――――発見されたヨハンは最早人の形すら保っていなかった。
それからエリシアは絶望の中、一人無為な日々を送っていた。
その姿は生きながらにして死んでいると言っても過言ではない。
夢も希望も、その全てを失った彼女。
エリシアはいっそのことこの命を投げ出し、彼の元へと行こうかとすら考えていた。
……その時だった。
彼女がヨハンの子供を身ごもっていると発覚したのだ。
それは全てを失った彼女にとっての最後の希望だった。
ヨハンはその命尽きてなお、エリシアの命を救ったのである。
そうして彼女は王都を出て、辺境である今の村へと移り住んだ。
彼の残した子供と、ただ静かに暮らしていくために……。
そうして彼女は辺境の村へと移り住んでまもなく、一人の男の子を出産する。
彼女はその男の子に“ヴァン”という名をつけた。
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