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第四章 初夜
二
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年も暮れる頃、宗麟から立花城に、使者が遣わされた。使者の口上に、道雪と誾千代は呆気に取られた。
宗麟は、彌七郎を元服させよと、使者の口を通じて、命じてきた。
「彌七郎殿の元服、のう……?」
使者が宗麟の下へ戻ると、道雪は誾千代と顔を見合わせ、首を捻った。誾千代も、同じ考えだった。石坂での戦いで、彌七郎が重蔵の手柄を横取りし、表向き名を上げた格好になったが、裏では宗麟の指図があったためとは、公然の秘密であった。
なぜ、これほどまでに、彌七郎を優遇するのか、それが道雪にも、誾千代にも想像がつかなかった。何やら主君の宗麟には、思惑がありそうであった。
「まあ、彌七郎殿も、来年は十三歳になられる。元服しても、おかしくはないが……」
言い淀んで、道雪は誾千代を見た。誾千代は、父親の視線に、つい俯いた。
彌七郎の父親、高橋紹運との約束では、誾千代と彌七郎の同衾は、彌七郎が元服してからと決まっている。
つまりは誾千代は、彌七郎が元服してからは、本当の夫婦として生活する。
誾千代は、自分が彌七郎の奥方として暮らす日々が、まるで想像ができなかった。
その時、誾千代は、自分を見つめている視線に気付いた。そちらにそーっと心を伸ばすと、案の定、彌七郎が物陰に潜み、熱心に部屋に端座する誾千代を見詰めている。
誾千代は自分を抑え、視線は動かしていない。彌七郎は誾千代が気付いていないと思ったままだ。
誾千代は、うんざりとした。
彌七郎のこのような振る舞いは、近頃、頻々として、誾千代が城内を歩くと、後ろからひそひそと、付き纏う。
誾千代付きの侍女たちも、彌七郎の奇矯な行動には、閉口していた。侍女たちも、気がつくと、彌七郎が背後から近づいてくる事態に、何度も出会っていた。
「気味が悪う御座いますわ。足音を忍ばせ、ひっそりと隠れてこちらを見ておられます。何が御用で御座いますか、とこちらからお声をお掛けしますと、プイと横をお向きになられます」
侍女の一人、お寅が誾千代に訴えた。お寅は侍女の中で、ふくよかな身体つきをして、城の足軽、侍に愛想が良く、人気のある娘だった。
「でも、彌七郎様が元服なされ、誾千代様と一緒にお暮らしになられば、落ち着かれるのでは御座いませぬか?」
お寅は言い終えて、含みのある目付きをした。お寅の想念に、誾千代と彌七郎が夜の営みをしている場面が浮かんでいた。お寅の心根には「これで厄介払いできる」と安堵の心情が流れていた。
他の侍女たちの心を探った結果、誰もが同じような気持ちを抱いていた。彌七郎が奇妙な振る舞いを止めない理由は、誾千代にあるのだと、言わんばかりだった。
冗談ではない、と誾千代は密かに腹を立てていた。彌七郎が想念で誾千代を辱め、甚振る想像を、誾千代は絶対に許すつもりはなかった。
年が明け、立花城には年賀の客が押しかけた。道雪は、それらの客に、一人一人、愛想良く年賀の挨拶を受けていた。
いよいよ立花城において、彌七郎の元服の儀式が執り行われた。
烏帽子親として道雪が任じられ、彌七郎の前髪を切り、艶々とした月代に、烏帽子を被せた。
「宗茂」と諱が贈られ、正式に道雪の後嗣となった。
彌七郎の元服が済むと、宗麟からさらなる提案が、立花城に舞い込んだ。
「まさか! 宗麟殿は、何をお考えじゃ!」
使者の持ってきた便りを目にし、道雪は怒りのあまり、息を荒げた。誾千代は父親の怒りに、恐る恐る、問い掛けた。このように、道雪が取り乱すとは、只事ではなかった。
「どのような、内容で御座います?」
「戸次宗茂彌七郎改め、立花と姓を変えよとの、思し召しじゃ!」
「何と……!」
誾千代は絶句した。
道雪は、宗麟の手紙をぐしゃぐしゃと、手の中で握り潰した。
父親の怒りを、誾千代はひしひしと感じた。彌七郎は誾千代の聟と決まって、姓を高橋から戸次へと変えた。宗麟は、さらに立花に姓を変えろと、要求している。
元々、立花の姓は、ここ立花城を築いた、立花氏からきている。道雪が苦労して、立花城を攻略し、今では領民も、戸次の殿として馴染んでいる。
「誾千代。戸次の姓を、捨てよとお主に命じておるのじゃぞ。お主は、戸次の姓を捨て、立花誾千代と名乗るつもりか?」
「厭で御座います! 妾は生まれてから、ずっと戸次誾千代で御座いました。今さら、他の姓に変わりとうは、御座いませぬ!」
誾千代は即答した。
父娘は「戸次」の姓に誇りを持っていた。
「宗麟殿は、立花の姓に変えれば、領民も安堵すると申しておる。立花の姓は由緒ある名前ゆえ、誾千代も誇れるだろうと、な」
宗麟の手紙を放り投げ、道雪は不満一杯の表情になった。眉が狭まり、禿頭の天辺まで、真っ赤に染まった。
道雪は何事か考え付いた表情になり、誾千代に視線を当てた。
誾千代は、ぎくりとなった。父親が、このような目つきになった時は、危ない。
「彌七郎殿と、今宵、同衾する予定じゃな? 夫婦としての語らいの時、彌七郎殿に聞いてみるのじゃ。立花の姓を名乗るつもりがあるか、どうかを……」
誾千代は固い表情を作って、道雪に問い返した。
「それで──、彌七郎殿が立花の姓を名乗る場合は、どうするのです?」
「そこじゃて……」
道雪は薄笑いを浮かべた。
「彌七郎殿は、お主に執心じゃ。誾千代、お主がうまく話を運べば、この宗麟殿の御提案、躱せるかも、しれぬな」
どこまで行っても、父親は武将なのだ、と誾千代は落胆した。敵を攻略するつもりで、夫婦の営みを利用するつもりだが、そう、うまうまと行くだろうか?
「頼む! 戸次の姓を守ってくれ!」
父親の願いに、誾千代は承服せざるを得なかった。
だが、勝算はまるでなかった。
宗麟は、彌七郎を元服させよと、使者の口を通じて、命じてきた。
「彌七郎殿の元服、のう……?」
使者が宗麟の下へ戻ると、道雪は誾千代と顔を見合わせ、首を捻った。誾千代も、同じ考えだった。石坂での戦いで、彌七郎が重蔵の手柄を横取りし、表向き名を上げた格好になったが、裏では宗麟の指図があったためとは、公然の秘密であった。
なぜ、これほどまでに、彌七郎を優遇するのか、それが道雪にも、誾千代にも想像がつかなかった。何やら主君の宗麟には、思惑がありそうであった。
「まあ、彌七郎殿も、来年は十三歳になられる。元服しても、おかしくはないが……」
言い淀んで、道雪は誾千代を見た。誾千代は、父親の視線に、つい俯いた。
彌七郎の父親、高橋紹運との約束では、誾千代と彌七郎の同衾は、彌七郎が元服してからと決まっている。
つまりは誾千代は、彌七郎が元服してからは、本当の夫婦として生活する。
誾千代は、自分が彌七郎の奥方として暮らす日々が、まるで想像ができなかった。
その時、誾千代は、自分を見つめている視線に気付いた。そちらにそーっと心を伸ばすと、案の定、彌七郎が物陰に潜み、熱心に部屋に端座する誾千代を見詰めている。
誾千代は自分を抑え、視線は動かしていない。彌七郎は誾千代が気付いていないと思ったままだ。
誾千代は、うんざりとした。
彌七郎のこのような振る舞いは、近頃、頻々として、誾千代が城内を歩くと、後ろからひそひそと、付き纏う。
誾千代付きの侍女たちも、彌七郎の奇矯な行動には、閉口していた。侍女たちも、気がつくと、彌七郎が背後から近づいてくる事態に、何度も出会っていた。
「気味が悪う御座いますわ。足音を忍ばせ、ひっそりと隠れてこちらを見ておられます。何が御用で御座いますか、とこちらからお声をお掛けしますと、プイと横をお向きになられます」
侍女の一人、お寅が誾千代に訴えた。お寅は侍女の中で、ふくよかな身体つきをして、城の足軽、侍に愛想が良く、人気のある娘だった。
「でも、彌七郎様が元服なされ、誾千代様と一緒にお暮らしになられば、落ち着かれるのでは御座いませぬか?」
お寅は言い終えて、含みのある目付きをした。お寅の想念に、誾千代と彌七郎が夜の営みをしている場面が浮かんでいた。お寅の心根には「これで厄介払いできる」と安堵の心情が流れていた。
他の侍女たちの心を探った結果、誰もが同じような気持ちを抱いていた。彌七郎が奇妙な振る舞いを止めない理由は、誾千代にあるのだと、言わんばかりだった。
冗談ではない、と誾千代は密かに腹を立てていた。彌七郎が想念で誾千代を辱め、甚振る想像を、誾千代は絶対に許すつもりはなかった。
年が明け、立花城には年賀の客が押しかけた。道雪は、それらの客に、一人一人、愛想良く年賀の挨拶を受けていた。
いよいよ立花城において、彌七郎の元服の儀式が執り行われた。
烏帽子親として道雪が任じられ、彌七郎の前髪を切り、艶々とした月代に、烏帽子を被せた。
「宗茂」と諱が贈られ、正式に道雪の後嗣となった。
彌七郎の元服が済むと、宗麟からさらなる提案が、立花城に舞い込んだ。
「まさか! 宗麟殿は、何をお考えじゃ!」
使者の持ってきた便りを目にし、道雪は怒りのあまり、息を荒げた。誾千代は父親の怒りに、恐る恐る、問い掛けた。このように、道雪が取り乱すとは、只事ではなかった。
「どのような、内容で御座います?」
「戸次宗茂彌七郎改め、立花と姓を変えよとの、思し召しじゃ!」
「何と……!」
誾千代は絶句した。
道雪は、宗麟の手紙をぐしゃぐしゃと、手の中で握り潰した。
父親の怒りを、誾千代はひしひしと感じた。彌七郎は誾千代の聟と決まって、姓を高橋から戸次へと変えた。宗麟は、さらに立花に姓を変えろと、要求している。
元々、立花の姓は、ここ立花城を築いた、立花氏からきている。道雪が苦労して、立花城を攻略し、今では領民も、戸次の殿として馴染んでいる。
「誾千代。戸次の姓を、捨てよとお主に命じておるのじゃぞ。お主は、戸次の姓を捨て、立花誾千代と名乗るつもりか?」
「厭で御座います! 妾は生まれてから、ずっと戸次誾千代で御座いました。今さら、他の姓に変わりとうは、御座いませぬ!」
誾千代は即答した。
父娘は「戸次」の姓に誇りを持っていた。
「宗麟殿は、立花の姓に変えれば、領民も安堵すると申しておる。立花の姓は由緒ある名前ゆえ、誾千代も誇れるだろうと、な」
宗麟の手紙を放り投げ、道雪は不満一杯の表情になった。眉が狭まり、禿頭の天辺まで、真っ赤に染まった。
道雪は何事か考え付いた表情になり、誾千代に視線を当てた。
誾千代は、ぎくりとなった。父親が、このような目つきになった時は、危ない。
「彌七郎殿と、今宵、同衾する予定じゃな? 夫婦としての語らいの時、彌七郎殿に聞いてみるのじゃ。立花の姓を名乗るつもりがあるか、どうかを……」
誾千代は固い表情を作って、道雪に問い返した。
「それで──、彌七郎殿が立花の姓を名乗る場合は、どうするのです?」
「そこじゃて……」
道雪は薄笑いを浮かべた。
「彌七郎殿は、お主に執心じゃ。誾千代、お主がうまく話を運べば、この宗麟殿の御提案、躱せるかも、しれぬな」
どこまで行っても、父親は武将なのだ、と誾千代は落胆した。敵を攻略するつもりで、夫婦の営みを利用するつもりだが、そう、うまうまと行くだろうか?
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