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第四章 初夜
三
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いよいよ、誾千代の初夜が近づいた。
空には月が掛かり、夜気はひんやりとして、吐く息が白かった。
だが、誾千代にとっては、ぴーんと張り詰めた冷気が、逆に心地よかった。もし、これが、春の、暖かな空気に包まれていたら、落ち着き払って、聟を迎えられないだろうと、思った。
室内を、灯明皿が周囲に光を投げかけている。灯心が揺らぐと、欄間の浮き彫りが、奇怪な影を作った。
誾千代は、縁台近くに座っていた。室内の真ん中には真綿布団が延べられ、否応にも、これから迎える試練を主張していた。つい、布団のほうへ、視線が動きそうになると、誾千代は慌てて顔を背け、夜空を見上げた。
これから聟殿と、夜の語らいになる──。
そこまで考え、誾千代は何か滑稽な状況だと、吹き出しそうになった。
あの彌七郎と、しんみり夜長を語らうなど、想像もできなかった。相変わらず、彌七郎は、どこか調子外れで、道雪が誾千代と彌七郎を呼び寄せ「今宵から、二人は夫婦になる!」と宣言しても、きょとんとした表情のまま、両目を落ち着かなく彷徨わせるだけだった。
誾千代は男女の営みについては、十五歳の娘にしては、詳しい。何しろ、他人の心が読める。侍女たちの中には、すでに男と経験している者もいるし、城内でも密かに下働きの男女が、誰にも見られていないと、暗がりで睦みあっている想念を、読み取った経験が、何度もあった。
知識としては豊富だが、実際の経験はない。
破瓜の痛みは、酷いのだろうか──。
待ち受ける誾千代の胸が、どきどきと激しく打っている。
不意に、誾千代は、ぶるっと顔を左右に振った。胸元から湧き上がる、自分自身の、女の匂いを振り払った。
はたして、上手くできるだろうか?
徐々に、誾千代の胸に、怒りが込み上がってきた。なぜ、自分が、彌七郎ごときに、このように思い悩まなければならぬのかと、理不尽に思えてきた。
誾千代は、膝立ちになった。
足音が聞こえる。
ひたひたと規則正しい足音は、彌七郎のものだ。
誾千代は動けなかった。
襖が、ほんの少し、開いた。僅かに開いた隙間から、こちらを覗き込む目玉が見えた。
彌七郎だ!
誾千代はごくりと唾を飲み込み、声を上げた。
「御入りくださいませ」
喉はからからだったが、何とか声を上げられた。
襖の向こうで、彌七郎がもじもじ逡巡している気配がする。隙間から、細い指が二本だけ突き出された。
躊躇いがちに、指は動いている。まるで蛆虫が動いているようだ。
「御入りください!」
今度は、誾千代は、やや、強い調子で命じた。
彌七郎の手が動き、ぴしゃんと大きな音を立て、襖を開いた。
誾千代は「ちっ!」と小さく舌打ちした。
まったく、この聟殿は、お床入りをどう、考えておるのだ? 襖を開くにも、もう少し気配りがあろう……。
彌七郎は、ぴょこりと首だけ突き出して、誾千代を窺った。表情には、怯えが見える。
「御入りなさい」
三度、誾千代は彌七郎に命じた。彌七郎は「うん」と一つ頷くと、ひょこひょこと頭を不安定に動かし、室内に入って、誾千代の目の前に、ぺたりと座った。
彌七郎の視線が、延べられている真綿布団に、ちらちらと、動いた。気になっているようだ。
誾千代は膝をにじらせ、彌七郎に向かい合った。
「彌七郎殿。元服、お目出度く申し上げます。これで誾千代と、彌七郎殿は、正式な夫婦と相成りました。末永く、可愛がって下さいませ」
自分でも、しおらしいと思える仕草で、誾千代は彌七郎に向かって、頭を下げた。
顔を上げると、彌七郎は誾千代をまともに見ようともせず、きょときょとと、あちこちに視線を彷徨わせている。
むかむかと、誾千代の怒りが募った。しかし、誾千代は己の怒りを、ぐっと堪え、唇を舐めて話し掛けた。
「彌七郎殿、少々、お話など伺いとう、御座います。よろしゅう、御座いますか?」
「ん? お話? 儂とか? ん? 何を話すのじゃ?」
彌七郎は、途切れ途切れに返事をした。
誾千代は彌七郎の想念に、自分の裸体が浮かんでいる場面を読み取り、頬に血が昇る感覚を覚えた。
こやつの頭にあるのは、女の裸だけか!
「大友の殿様──宗麟様より、彌七郎殿には、立花の姓を名乗れと、思し召しが御座いましたが、御存知で?」
口にしてから「しまった!」と思った。もう少し、雑談をしてから、様子を見るつもりだったが、こう切り口上になるとは、予想外だった。
誾千代の言葉に、彌七郎の両目がぐっと、見開かれた。じろり、と横目になって、彌七郎は誾千代を睨んだ。
「儂は知らぬ!」
彌七郎は、怒ったように呟くと、プイッと横を向いた。取り付く島もない様子だった。
しかし誾千代は、彌七郎の脳裏に浮かんだ想念に、凝然となっていた。
彌七郎の脳裏には、一瞬、宗麟と対話している記憶が蘇っていた。対話している内容は判らないが、同時に浮かんだ想念に、島津の紋所が見え、無数の兵士が、島津軍に襲いかかっている景観が浮かんでいた。
戦!
彌七郎の記憶に、宗麟の嬉しげな様子が浮かんでいた。相当に上機嫌らしく、何度も全身を揺すって、笑い声を上げていた。
大友の殿は、島津攻略を考えているかもしれない。彌七郎が宗麟の下問に答え、島津攻略の戦略を企画したと、読み取れる。
宗麟が彌七郎に、立花の姓を名乗るよう提案した理由は、これだったのか……。
いずれ、彌七郎は、島津征伐の重要任務を帯びるため、戸次一族から切り離す企みがあると、考えられた。
なぜならば、誾千代の父親の道雪は、島津攻略には、絶対反対の立場だからだ。今まで何度も、宗麟が道雪に、島津攻略の相談を持ち掛けたが、その度に、道雪は反対の立場を鮮明にしていた。
もし、誾千代の推測が正しければ、大変な事態が持ち上がる。
これは何としても、父親に相談せねば……。
彌七郎に向かって「大友の殿は、島津攻略をお考えですか」などと質問はできない。恐らく、島津攻略は秘中の秘であり、他人に漏らせない種類の話だろう。なぜ、誾千代が知っているか、彌七郎は理由を知りたがる。
どうすべきか……と、誾千代が忙しく考えを巡らせていると、彌七郎の心理に変化があった。
彌七郎は顔を真っ赤にさせ、両目に、ぎらぎらと、貪欲な光を帯びさせていた。
ぐいっ、と彌七郎は、上半身を倒して、誾千代に迫ってきた。
「詰まらぬ話はよして、誾千代殿。子作りをするのじゃ! 拙者は、お主と、子を作るぞ! やり方は存じておる……さ、早く、こちらへまいれ……!」
息せき切った口調で、彌七郎は誾千代に迫った。
空には月が掛かり、夜気はひんやりとして、吐く息が白かった。
だが、誾千代にとっては、ぴーんと張り詰めた冷気が、逆に心地よかった。もし、これが、春の、暖かな空気に包まれていたら、落ち着き払って、聟を迎えられないだろうと、思った。
室内を、灯明皿が周囲に光を投げかけている。灯心が揺らぐと、欄間の浮き彫りが、奇怪な影を作った。
誾千代は、縁台近くに座っていた。室内の真ん中には真綿布団が延べられ、否応にも、これから迎える試練を主張していた。つい、布団のほうへ、視線が動きそうになると、誾千代は慌てて顔を背け、夜空を見上げた。
これから聟殿と、夜の語らいになる──。
そこまで考え、誾千代は何か滑稽な状況だと、吹き出しそうになった。
あの彌七郎と、しんみり夜長を語らうなど、想像もできなかった。相変わらず、彌七郎は、どこか調子外れで、道雪が誾千代と彌七郎を呼び寄せ「今宵から、二人は夫婦になる!」と宣言しても、きょとんとした表情のまま、両目を落ち着かなく彷徨わせるだけだった。
誾千代は男女の営みについては、十五歳の娘にしては、詳しい。何しろ、他人の心が読める。侍女たちの中には、すでに男と経験している者もいるし、城内でも密かに下働きの男女が、誰にも見られていないと、暗がりで睦みあっている想念を、読み取った経験が、何度もあった。
知識としては豊富だが、実際の経験はない。
破瓜の痛みは、酷いのだろうか──。
待ち受ける誾千代の胸が、どきどきと激しく打っている。
不意に、誾千代は、ぶるっと顔を左右に振った。胸元から湧き上がる、自分自身の、女の匂いを振り払った。
はたして、上手くできるだろうか?
徐々に、誾千代の胸に、怒りが込み上がってきた。なぜ、自分が、彌七郎ごときに、このように思い悩まなければならぬのかと、理不尽に思えてきた。
誾千代は、膝立ちになった。
足音が聞こえる。
ひたひたと規則正しい足音は、彌七郎のものだ。
誾千代は動けなかった。
襖が、ほんの少し、開いた。僅かに開いた隙間から、こちらを覗き込む目玉が見えた。
彌七郎だ!
誾千代はごくりと唾を飲み込み、声を上げた。
「御入りくださいませ」
喉はからからだったが、何とか声を上げられた。
襖の向こうで、彌七郎がもじもじ逡巡している気配がする。隙間から、細い指が二本だけ突き出された。
躊躇いがちに、指は動いている。まるで蛆虫が動いているようだ。
「御入りください!」
今度は、誾千代は、やや、強い調子で命じた。
彌七郎の手が動き、ぴしゃんと大きな音を立て、襖を開いた。
誾千代は「ちっ!」と小さく舌打ちした。
まったく、この聟殿は、お床入りをどう、考えておるのだ? 襖を開くにも、もう少し気配りがあろう……。
彌七郎は、ぴょこりと首だけ突き出して、誾千代を窺った。表情には、怯えが見える。
「御入りなさい」
三度、誾千代は彌七郎に命じた。彌七郎は「うん」と一つ頷くと、ひょこひょこと頭を不安定に動かし、室内に入って、誾千代の目の前に、ぺたりと座った。
彌七郎の視線が、延べられている真綿布団に、ちらちらと、動いた。気になっているようだ。
誾千代は膝をにじらせ、彌七郎に向かい合った。
「彌七郎殿。元服、お目出度く申し上げます。これで誾千代と、彌七郎殿は、正式な夫婦と相成りました。末永く、可愛がって下さいませ」
自分でも、しおらしいと思える仕草で、誾千代は彌七郎に向かって、頭を下げた。
顔を上げると、彌七郎は誾千代をまともに見ようともせず、きょときょとと、あちこちに視線を彷徨わせている。
むかむかと、誾千代の怒りが募った。しかし、誾千代は己の怒りを、ぐっと堪え、唇を舐めて話し掛けた。
「彌七郎殿、少々、お話など伺いとう、御座います。よろしゅう、御座いますか?」
「ん? お話? 儂とか? ん? 何を話すのじゃ?」
彌七郎は、途切れ途切れに返事をした。
誾千代は彌七郎の想念に、自分の裸体が浮かんでいる場面を読み取り、頬に血が昇る感覚を覚えた。
こやつの頭にあるのは、女の裸だけか!
「大友の殿様──宗麟様より、彌七郎殿には、立花の姓を名乗れと、思し召しが御座いましたが、御存知で?」
口にしてから「しまった!」と思った。もう少し、雑談をしてから、様子を見るつもりだったが、こう切り口上になるとは、予想外だった。
誾千代の言葉に、彌七郎の両目がぐっと、見開かれた。じろり、と横目になって、彌七郎は誾千代を睨んだ。
「儂は知らぬ!」
彌七郎は、怒ったように呟くと、プイッと横を向いた。取り付く島もない様子だった。
しかし誾千代は、彌七郎の脳裏に浮かんだ想念に、凝然となっていた。
彌七郎の脳裏には、一瞬、宗麟と対話している記憶が蘇っていた。対話している内容は判らないが、同時に浮かんだ想念に、島津の紋所が見え、無数の兵士が、島津軍に襲いかかっている景観が浮かんでいた。
戦!
彌七郎の記憶に、宗麟の嬉しげな様子が浮かんでいた。相当に上機嫌らしく、何度も全身を揺すって、笑い声を上げていた。
大友の殿は、島津攻略を考えているかもしれない。彌七郎が宗麟の下問に答え、島津攻略の戦略を企画したと、読み取れる。
宗麟が彌七郎に、立花の姓を名乗るよう提案した理由は、これだったのか……。
いずれ、彌七郎は、島津征伐の重要任務を帯びるため、戸次一族から切り離す企みがあると、考えられた。
なぜならば、誾千代の父親の道雪は、島津攻略には、絶対反対の立場だからだ。今まで何度も、宗麟が道雪に、島津攻略の相談を持ち掛けたが、その度に、道雪は反対の立場を鮮明にしていた。
もし、誾千代の推測が正しければ、大変な事態が持ち上がる。
これは何としても、父親に相談せねば……。
彌七郎に向かって「大友の殿は、島津攻略をお考えですか」などと質問はできない。恐らく、島津攻略は秘中の秘であり、他人に漏らせない種類の話だろう。なぜ、誾千代が知っているか、彌七郎は理由を知りたがる。
どうすべきか……と、誾千代が忙しく考えを巡らせていると、彌七郎の心理に変化があった。
彌七郎は顔を真っ赤にさせ、両目に、ぎらぎらと、貪欲な光を帯びさせていた。
ぐいっ、と彌七郎は、上半身を倒して、誾千代に迫ってきた。
「詰まらぬ話はよして、誾千代殿。子作りをするのじゃ! 拙者は、お主と、子を作るぞ! やり方は存じておる……さ、早く、こちらへまいれ……!」
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