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第五章 急使
四
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道雪の忠告があったのか、誾千代はその夜、いつもの就眠儀式を省き、夜更けまで起きていた。
自分の心を、立花城全域に行き渡らせ、家臣らの想念を受け取っていた。この頃では、城内だけでなく、近隣に住む百姓らの心さえ、ぼんやりと感知できるようになっていた。
小机に目をやり、用意の喫煙道具を見る。
眠らなくては……。
きちんとした睡眠を摂らないと、翌朝の執務に応えられない。ぼんやりとした頭では、殺到する様々な問題を、処理できないだろう。
しかし、誾千代は、喫煙道具に手を伸ばそうとはしなかった。
一人、また一人と、城内の人々が眠りに落ち、誾千代の心にもやもやとした、夢を送り込んでくる。
その中で、夜更けまで、まだ、目覚めている心が二人。彌七郎と、お寅だ。
お寅は、もはや誾千代に憚る態度も見せず、飽きずに彌七郎と夜の営みに励んでいた。
誾千代は、微かに眉を顰めた。
お寅の、彌七郎に対する痴態に、誾千代は嫌悪感を覚えた。お寅の行為に比べれば、都で春をひさぐ白拍子すら、顔を赤らめるであろう、淫蕩な交わりだった。
お寅は、彌七郎のものを吸い、咥えている……。何としても、彌七郎を昂ぶらせ、子種を受けようと思っていた。
彌七郎にとっては、お寅の行為は、理解不能だ。遂に彌七郎が、自分のものを咥えているお寅を足を挙げて蹴り飛ばし、何か怒鳴っていた。言葉は判らないが、相当に酷い内容を口にしたらしい。彌七郎の視界に映るお寅の両目に、見る見る涙が膨れ上がった。
お寅は彌七郎が口にした命令に、のろのろと身動きし、自分の着衣を脱ぎ始めた。
彌七郎の視界に、お寅の、ふくよかな裸体が顕わになった。
誾千代は、そこで彌七郎に伸ばした自分の心を、引き剥がした。
付き合っていられない。勝手に獣のような交わりをすれば良いのだ!
誾千代は立ち上がり、からりと障子を開け放った。
夏の夜は、深夜になっても、まだ熱気を残している。
誾千代は、あまり夏の季節は、好きではない。むしろ秋から冬にかけての、身がぴりりと引き締まる、冷気を好んでいた。
空を見上げると、月に暈が掛かっている。もしかすると、翌日は雨が降るかもしれなかった。
その時、誾千代は、新たな心の感触を受け取った。誾千代は、一度でも経験した他人の心は、決して忘れない。
誾千代は、夜の闇に向かって、小さく声を上げた。
「彦四郎。参ったのか?」
じわじわと、闇の中から、ほっそりとした人影が滲み出た。
佐田彦四郎の姿だった。闇の中から、月明かりに踏み出した彦四郎は、誾千代に向かって、ゆっくりと上体を折り曲げ、挨拶をした。
「姫様に御目文字したく、参上いたした……。今宵は御機嫌麗しく……」
「五月蝿い! そのような無駄話、聞きとうないわ! 彦四郎、なぜそなたは、半年も沙汰なくしておったのじゃ? とくと、説明をいたせ!」
誾千代は、彦四郎に対する自分の態度に、密かに驚いていた。まるで想い人に対して、不実を詰るようではないか……。
「これは手厳しい……!」
彦四郎は、にゅっと笑った。
誾千代は彦四郎の笑顔を目にして、慌てて顔を背けた。彦四郎の顔を見ていると、自分の気持ちがぐらぐら揺らいできそうで、怖かった。
「何の用じゃ?」
「姫様に、ある御報告が御座いまして」
「報告とな?」
誾千代は、好奇心を刺激された。
「本能寺での出来事、お聞きあそばされたと思いますが?」
背中に浴びせられた彦四郎の言葉に、誾千代はぐいっ、と向き直った。急速に、誾千代は、立花城主の立場を思い出した。
「聞いておる。織田右府殿が、明智日向守に弑されたそうじゃな」
「左様で。主君を殺した明智日向守は、中国から急行した羽柴筑前守により、天王山、山崎において討ち果たされ申した」
周囲の空気が、ぴしりっ、と音を立て、裂けたようだった。
「まことか? 今の言葉、嘘はないか?」
誾千代は掠れ声で、彦四郎に問い掛けた。あまりの衝撃に、絞り出すような声になっていた。
彦四郎は真面目な顔つきになって、頷いた。
「嘘では御座いませぬ。筑前守殿は、毛利に対し、降伏を勝ち取り、城主は切腹。そのまま京に取って返し、日向守を討ち果たし申した。明日頃には、この立花城にも、同じ内容の報せが舞い込むでありましょう」
誾千代は顔を挙げ、高々と尋ねた。
「なぜ、そのような、重大な報せを、妾に教えるのじゃ? 其方の狙いは、何じゃ?」
彦四郎は一歩、前へ進み出た。縁台に立つ誾千代の顔をまともに見上げ、口を開いた。
「姫様に、京にお越し願いたいと、熱望しておるからで御座います。筑前守が日向守を討ち果たしたとなれば、織田右府の残せし天下を握るは、必ずや、筑前守でありましょう。宗麟殿は、自己の保全のため、筑前守に誼を通じたいと考えるはず。姫様は、京に宗麟殿の名代として名乗りを上げて頂きたい」
誾千代は、事態の急展開にくらくらと頭が混乱する気分を覚えた。
「ま、待ちや! なぜ、妾が京へ向かわねば、ならぬのじゃ?」
「姫様と同じ、〝サトリ〟がお待ちになられております」
彦四郎は、ズバリと切り出した。
「以前、申し上げたでありましょう。拙者が再びお目にかかるときは、姫様と同じ、他人の心を覗ける人を紹介いたすと……。今回が、好機で御座います。この時を逃し、姫様が京へお越しできる機会は、御座いませぬ」
誾千代は、ごくりと唾を呑み込んだ。
「本当に、おるのか? 妾と同じ、他人の心を感じ取れる人間が生きておると、其方は申すのじゃな?」
「嘘は申しませぬ……」
するりと、彦四郎は闇に引き下がった。彦四郎の全身が、闇に溶け、姿が誾千代の視界から消え去った。
「待て! 彦四郎……!」
誾千代は、思わず縁台から、素足で地面に飛び降りていた。
しかし彦四郎は、すでに気配を消していた。
自分の心を、立花城全域に行き渡らせ、家臣らの想念を受け取っていた。この頃では、城内だけでなく、近隣に住む百姓らの心さえ、ぼんやりと感知できるようになっていた。
小机に目をやり、用意の喫煙道具を見る。
眠らなくては……。
きちんとした睡眠を摂らないと、翌朝の執務に応えられない。ぼんやりとした頭では、殺到する様々な問題を、処理できないだろう。
しかし、誾千代は、喫煙道具に手を伸ばそうとはしなかった。
一人、また一人と、城内の人々が眠りに落ち、誾千代の心にもやもやとした、夢を送り込んでくる。
その中で、夜更けまで、まだ、目覚めている心が二人。彌七郎と、お寅だ。
お寅は、もはや誾千代に憚る態度も見せず、飽きずに彌七郎と夜の営みに励んでいた。
誾千代は、微かに眉を顰めた。
お寅の、彌七郎に対する痴態に、誾千代は嫌悪感を覚えた。お寅の行為に比べれば、都で春をひさぐ白拍子すら、顔を赤らめるであろう、淫蕩な交わりだった。
お寅は、彌七郎のものを吸い、咥えている……。何としても、彌七郎を昂ぶらせ、子種を受けようと思っていた。
彌七郎にとっては、お寅の行為は、理解不能だ。遂に彌七郎が、自分のものを咥えているお寅を足を挙げて蹴り飛ばし、何か怒鳴っていた。言葉は判らないが、相当に酷い内容を口にしたらしい。彌七郎の視界に映るお寅の両目に、見る見る涙が膨れ上がった。
お寅は彌七郎が口にした命令に、のろのろと身動きし、自分の着衣を脱ぎ始めた。
彌七郎の視界に、お寅の、ふくよかな裸体が顕わになった。
誾千代は、そこで彌七郎に伸ばした自分の心を、引き剥がした。
付き合っていられない。勝手に獣のような交わりをすれば良いのだ!
誾千代は立ち上がり、からりと障子を開け放った。
夏の夜は、深夜になっても、まだ熱気を残している。
誾千代は、あまり夏の季節は、好きではない。むしろ秋から冬にかけての、身がぴりりと引き締まる、冷気を好んでいた。
空を見上げると、月に暈が掛かっている。もしかすると、翌日は雨が降るかもしれなかった。
その時、誾千代は、新たな心の感触を受け取った。誾千代は、一度でも経験した他人の心は、決して忘れない。
誾千代は、夜の闇に向かって、小さく声を上げた。
「彦四郎。参ったのか?」
じわじわと、闇の中から、ほっそりとした人影が滲み出た。
佐田彦四郎の姿だった。闇の中から、月明かりに踏み出した彦四郎は、誾千代に向かって、ゆっくりと上体を折り曲げ、挨拶をした。
「姫様に御目文字したく、参上いたした……。今宵は御機嫌麗しく……」
「五月蝿い! そのような無駄話、聞きとうないわ! 彦四郎、なぜそなたは、半年も沙汰なくしておったのじゃ? とくと、説明をいたせ!」
誾千代は、彦四郎に対する自分の態度に、密かに驚いていた。まるで想い人に対して、不実を詰るようではないか……。
「これは手厳しい……!」
彦四郎は、にゅっと笑った。
誾千代は彦四郎の笑顔を目にして、慌てて顔を背けた。彦四郎の顔を見ていると、自分の気持ちがぐらぐら揺らいできそうで、怖かった。
「何の用じゃ?」
「姫様に、ある御報告が御座いまして」
「報告とな?」
誾千代は、好奇心を刺激された。
「本能寺での出来事、お聞きあそばされたと思いますが?」
背中に浴びせられた彦四郎の言葉に、誾千代はぐいっ、と向き直った。急速に、誾千代は、立花城主の立場を思い出した。
「聞いておる。織田右府殿が、明智日向守に弑されたそうじゃな」
「左様で。主君を殺した明智日向守は、中国から急行した羽柴筑前守により、天王山、山崎において討ち果たされ申した」
周囲の空気が、ぴしりっ、と音を立て、裂けたようだった。
「まことか? 今の言葉、嘘はないか?」
誾千代は掠れ声で、彦四郎に問い掛けた。あまりの衝撃に、絞り出すような声になっていた。
彦四郎は真面目な顔つきになって、頷いた。
「嘘では御座いませぬ。筑前守殿は、毛利に対し、降伏を勝ち取り、城主は切腹。そのまま京に取って返し、日向守を討ち果たし申した。明日頃には、この立花城にも、同じ内容の報せが舞い込むでありましょう」
誾千代は顔を挙げ、高々と尋ねた。
「なぜ、そのような、重大な報せを、妾に教えるのじゃ? 其方の狙いは、何じゃ?」
彦四郎は一歩、前へ進み出た。縁台に立つ誾千代の顔をまともに見上げ、口を開いた。
「姫様に、京にお越し願いたいと、熱望しておるからで御座います。筑前守が日向守を討ち果たしたとなれば、織田右府の残せし天下を握るは、必ずや、筑前守でありましょう。宗麟殿は、自己の保全のため、筑前守に誼を通じたいと考えるはず。姫様は、京に宗麟殿の名代として名乗りを上げて頂きたい」
誾千代は、事態の急展開にくらくらと頭が混乱する気分を覚えた。
「ま、待ちや! なぜ、妾が京へ向かわねば、ならぬのじゃ?」
「姫様と同じ、〝サトリ〟がお待ちになられております」
彦四郎は、ズバリと切り出した。
「以前、申し上げたでありましょう。拙者が再びお目にかかるときは、姫様と同じ、他人の心を覗ける人を紹介いたすと……。今回が、好機で御座います。この時を逃し、姫様が京へお越しできる機会は、御座いませぬ」
誾千代は、ごくりと唾を呑み込んだ。
「本当に、おるのか? 妾と同じ、他人の心を感じ取れる人間が生きておると、其方は申すのじゃな?」
「嘘は申しませぬ……」
するりと、彦四郎は闇に引き下がった。彦四郎の全身が、闇に溶け、姿が誾千代の視界から消え去った。
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