戦国姫城主、誾千代の青春

万卜人

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第六章 上洛

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 多岐屋主人の尽力が実り、ほどなく誾千代らのもとへ、吉報が届いた。誾千代は多岐屋の顔を一目見て、甚兵衛と彌七郎を同席させた。呼ばれた二人が同室し、誾千代の背後に着座すると、多岐屋は深々と頭を下げた。
「筑前守様は、大坂にいらっしゃいます」
 頬をてらてらと輝かせ、多岐屋主人は、開口一番、丸い顔をいっそう丸々とさせて報告した。表情は得意さに溢れていた。
 誾千代は、多岐屋が口にした「大坂」という地名に首を傾げた。
「大坂とは、どこの地名なのです?」
 多岐屋は「あっ!」と一声小さく叫んで、ぴしゃりと丸い額を叩いて見せた。
「これはうっかりしておりました。大坂とは、本願寺が御座いました、石山の辺りを指す名前で御座います。最近、そのように呼ぶようになりまして……」
 石山本願寺は、織田信長との長年の戦いの後、正親町おおぎまち天皇の仲介で和睦している。が、和睦後、天正八年、原因不明の出火により、焼失していた。当時放火ではないかと、噂された。
  誾千代の隣で、甚兵衛が急き込んで尋ねた。
「では、大坂にて、筑前守様と、お目通りは叶うのか?」
「はい! 筑前守様も、彌七郎様、誾千代様のお名前にいたく感心いたしたご様子。お二人がここ、堺におられると耳になされ、是非、顔を見たいと仰ったよし。いずれ、吉日を選んで、お目通りなさいます」
 二人の会話に、誾千代は首を傾げた。
「なぜ筑前守様が、大坂におわすのか?」
 多岐屋は得々と答えた。
「大坂の、石山本願寺跡地に、筑前守様は大きな城を築くおつもりと聞いております。築くのは来年で御座いますが、縄張りの下見に参っておられるようで……」
 甚兵衛は首を捻った。
「それは随分、気の早い話じゃのう。右府様がお亡くなりになられて、一月ではないか。なぜ、そのように、早々と話が進んだのであろう?」
 甚兵衛の疑問に、多岐屋は淀みなく答えた。
「右府様御存命の頃より、石山本願寺跡地に、城を築く計画があったと、耳にしております。本願寺跡地に大きな城を築き、安土城と同じような、城下町を作るおつもりだったとか。手前どもにも、新たな城下町に店を開くよう、内々の誘いが御座いました」
 多岐屋の答えに、甚兵衛は納得した様子だった。
「なるほどのう……それでは筑前守様は、右府様の計画を肩代わりしたというわけじゃな。それなら周りから、不遜であろうなどと陰口も叩かれまい」
 羽柴筑前守が、本願寺跡地に城を築くのは、翌年、天正十一年からだが、以前から織田信長が計画していたのでは、という説が、後世唱えられている。
 後年、羽柴筑前守から、豊臣秀吉となる過程で、信長の築城計画の証拠は、抹殺されたのだろう。
 多岐屋の報告があって、数日後、遂に筑前守との目通りが決まり、誾千代らは、堺から大坂を目指した。
 甚兵衛と彌七郎は騎乗だが、誾千代は駕籠をしたてて、大坂へと出発した。本当なら、誾千代も男装の上、騎乗で行きたかったのだが、甚兵衛の頑固な反対にあった。
「なりませぬ! これは正式な面会で御座いますから、姫様も、女らしい姿形で同道なさりませ!」
 甚兵衛の反対に、誾千代はむかむかとなったが、甚兵衛の心を読むまでもなく、一切、妥協はしまいと予想されたので、黙って従った。陣羽織、袴を脱ぎ、内掛け姿になると、改めて動きづらい感触に、さらに不機嫌は募ったが、誾千代は強いて表情を板のようにして、やり過ごした。
 一行は夜明けとともに、旅立った。
 宿を出る直前、誾千代は多岐屋主人から、贈り物を手に入れていた。
 印籠だった。ごく普通の、女物らしい、朱塗りの印籠で、だがその中身は煙草であった。
「嗅ぎ煙草で御座います。これは火を使わず、煙草の葉を鼻の孔より吸い込むことにより、一服喫いこむと同じことで御座います」
 多岐屋は誾千代に向かい、得々と説明した。誾千代が無言で問い掛けの表情を浮かべると、多岐屋は出立の指示をしている甚兵衛を目顔で示し、顔を近づけ囁いた
「これなら煙など、出さずにすみます」
 多岐屋の答えに、誾千代は「ああ、そうか」と、頷きを返した。
 甚兵衛は誾千代の喫煙の習慣を、あまりこころよくは、思っていない。それは、誾千代が甚兵衛の前で、煙草を取り出すたびに、甚兵衛の心を読んで判っていた。いや、心を読む前に、甚兵衛の顔色で判っている。
 当時、喫煙は悪い習慣、という常識はなかった。甚兵衛が快く思わないのは、喫煙にかかる費用が高額にのぼるからだ。
 今回の旅は、街道をたどることになるため、多くの人の、好奇の目にさらされる機会があるだろう。誾千代にとって、それは多くの人間の心の声を聴く状態になり、あまりにも負担が大きすぎた。心に〝蓋をする〟術は心得ているが、それにも限界がある。
 煙草を喫っておけば、他人の心が誾千代に触れることがなく、無用な疲労を重ねることはない。
 この嗅ぎ煙草なら、駕籠の中でこっそりと、喫いこめる。
 誾千代は試しに、駕籠に乗り込むと、印籠から一回分の嗅ぎ煙草を取り出し、多岐屋が教えてくれた通りに、手の甲に一振りして、鼻の穴を近づけ、勢いよく吸い込んだ。

──!

 強烈な嗅ぎ煙草の匂いが、誾千代の鼻腔に一気に押し寄せ、誾千代はむせた。
 声を必死に押し殺し、誾千代は耐えた。こんなものとは、思ってもいなかった!
 しかし煙草の効果は覿面で、それまで誾千代の心に溢れかえっていた他人の想念が、拭い去ったように消えていくのが感じられた。
 ともかく煙草には変わりない。
 今までの経験で、筑前守との会見が予定されている昼過ぎには、煙草の影響も消え、誾千代の〝サトリ〟の能力も復活していると判断できた。大事な面会の場では、筑前守の本心を、誾千代一人だけが読めるはずだ。
 甚兵衛、彌七郎が馬を連ねて列の先頭を往き、その後に誾千代の女駕籠が続いた。駕籠の前後には、足軽が護衛となって列を固めた。護衛の足軽は、堺で雇った雇足軽で、このような職を求める足軽は、堺、大坂、京などに多かった。
 日が昇り、大坂が近づくと、街道を往来する人々が多くなってきた。
 多くは商人らで、その他に旅芸人、托鉢僧、さらには、全国を武者修行する武芸者なども、見かけるようになった。誾千代は、武者修行の武芸者など、今まで目にした経験がなかったので、珍しく思った。
 街道を進むうち、長時間駕籠に揺られ、誾千代は、背中に疲労がずっしりと圧し掛かる感覚を覚えた。
 誾千代は、普段、駕籠には乗り慣れていない。絶えずゆらゆらと揺れる駕籠は、誾千代にとって、難行苦行を意味した。外を覗き見る気力も失い、誾千代は駕籠の中でぐったりとなっていた。
 誾千代の試練が、ようやく終わったのは、昼頃だった。
「到着いたしましたぞ」
 外から、甚兵衛の野太い声が聞こえて、誾千代は駕籠の御簾を持ち上げ、外を覗きこんだ。
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