戦国姫城主、誾千代の青春

万卜人

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第七章 筑前守

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 目に入ったのは、無数の人足たちが行き交う、作事場の景観だった。半裸の逞しい男たちが、忙しく動き回り、あちらこちらで土塊を運んだり、材木を挽いたり、あるいは地面を掘り返していた。作業をしているのは、男ばかりではなく、ほぼ同数の女たちも、男たちと同じような作業をしていた。
 喫煙の影響で、誾千代の〝サトリ〟の力は封じられ、駕籠の外が何やら、騒々しい状態だとは思っていたが、これほど多くの人々が立ち働く場面だとは、想像もしていなかった。
「甚兵衛、いったい、これは何事です?」
 まるっきり予想もつかない事態に、誾千代はつい、甚兵衛に対し、切り口上になっていた。
「多岐屋の申した、本願寺跡地に建つ、城の縄張りで御座ろう」
 意外と平静に、甚兵衛は答えた。
 追及する気力を失い、誾千代は黙って駕籠から降りて、地面に足をつけた。背中を伸ばすと、めりめりと背中の筋肉が悲鳴を上げているように思えた。甚兵衛の隣に立って、目の前の作事場の景色を眺めた。
 誾千代の駕籠を担いできた雇足軽たちは、珍しいものを見るという表情になって、お互いの顔を見合わせた。
 普通、姫君と呼ばれる身分の女性は、建物の外で、駕籠から出たりはしない。着物の裾が汚れるからだが、そのほかの理由として、身分が高い女性は、下々の人間の目に触れる機会を極力、避けるよう気を遣うのが、普通だ。
 さらに今日の誾千代は、前髪の白髪をそのままにしている。いつもなら白髪染めを使って隠すのだが、出発の慌ただしさで、つい忘れた。
 だが誾千代は、自分の前髪の白髪が、作事場で働く土工の好奇の視線に晒されても平気だし、なにより狭い駕籠の中は息が詰まった。
 こうして見回すと、作事場の活気は、中々興味深かった。
 皆、てんでんばらばらに動いているようで、よく見ると、お互い無言の打ち合わせがあるのか、全体に調和がとれていた。
 彌七郎は騎乗から降りて、誾千代の傍らに立ち、剥き出しの好奇心を顕わし、作事場を熱心に眺めていた。彌七郎が馬から降り立つと、重蔵が近づいて、馬の手綱を取った。重蔵は彌七郎の傍にいて、常に細々とした世話を焼いていた。その様子は、まるで従者のようだった。
 誾千代は、彌七郎が今にも作事場のど真ん中に跳び出していくのではないかと、ひやひやとした。
「お待たせ申し上げる」
 背後から声をかけられ、誾千代はびくっと全身を強張らせた。
〝サトリ〟の能力が戻っていない今、こうして思いがけないところから声をかけられるのは、誾千代の好まないところだ。
 振り向くと、そこには二人の侍が立っていた。一人は中年で、年のころ、三十半ば。もう一人は若く、ようやく二十歳を越えたころかと思われた。
 二人の侍は一同に向かい、深々と頭を下げた。口を開いたのは、年上のほうだった。
「羽柴小一郎と申す。以後、ご懇意を願いとうたまわる」
「おお!」
 と、甚兵衛は破顔した。さっそく小一郎と名乗った相手に、慇懃に礼を返した。
 これが筑前守の片腕と言われる、羽柴小一郎か……と、誾千代は関心を覚えた。
 今回の会見の前に、誾千代らは筑前守について、様々な事柄を耳に入れていた。羽柴小一郎についても、多岐屋から名前が挙がっていた。
「筑前守様が異数の出世をなされたのは良いことで御座いますが、信頼できる家臣が、ほとんど御座いません。それで弟ぎみの小一郎様を召し出し、もっとも信頼できる家臣としたので御座います。なにしろ血を分けたご兄弟、筑前守様にとっても、もっとも気の置けないお方でしょう」
 と、多岐屋は解説をしていた。
 羽柴小一郎は重厚、慎重を絵に描いたような性格で、突っ走りがちな兄の羽柴筑前守の手綱を引き留める、重石のような役割を担っていた。また今回のような、他国との応接においても、小一郎は案内係を任じられることが多かったと、誾千代は聞いていた。
 誾千代は噂ではあるが、筑前守の容貌について、色々、小耳にはさんでいた。
 それによると、筑前守はきわめて小柄で、その顔は猿に似ているという。織田信長に召し抱えられたきっかけの一つが、人間離れした醜い容貌のせいだと噂は語っていた。
 目の前の小一郎は、どこといって特徴のない、平凡な容姿の持ち主で、噂を信じるなら、兄の筑前守とは似ていないようだった。後年、小一郎と、筑前守との血縁関係について、疑問視がなされている。
「兄は少々、遅れておりますれば、しばしお待ちを願います。それまで、この石田佐吉なる者が、御一同をお相手をいたします」
 小一郎は軽く手を挙げ、背後で黙ったまま立っていた、若侍を指し示した。若侍は軽く頭を下げ、口を開いた。
「どうぞ佐吉とお呼び下され。未熟者では御座いますが、精いっぱいあい努めます」
 石田佐吉、後の石田三成だった。この頃、佐吉は二十歳をようやく越えた頃だったが、筑前守に従って、応接係を重ねた結果、年には似合わない落ち着いた物腰を身に着けていた。
 佐吉は、片手を挙げ、やや小高い場所にある建物を指さした。
「あれは作事小屋で御座います」
 小屋、というより誾千代の目には堂々たる館に見えた。新築らしく、柱は真っ白で、屋根は檜皮葺ひわだぶきで、清潔な印象を放っていた。
 小一郎を先頭に、甚兵衛、誾千代、彌七郎の順で、緩い坂道を作事小屋へ向かった。誾千代は前を向いていたが、背後の彌七郎の気配を探った。ちらっと背後を振り向き、様子をうかがうと、案の定、彌七郎は上の空で、しきりと作事場の様子に好奇心を刺激されているようだった。
 作事場でいるのは、先に述べたように、男ばかりではなく、女も働いていた。その女たちのいでたちは、上半身をはだけ、胸を露出させている者も見かけられた。彌七郎の関心が、その女たちの中で、豊満な体つきの女に向けられているのに、誾千代は気づいた。別に心を読む能力がなくとも、彌七郎の顔つきを見れば、関心がどこに向けられているか、誾千代には、一目瞭然だった。
 ふらふらと彌七郎は、その女に向かって歩き出そうとした。誾千代は素早く腕を伸ばし、彌七郎の袖を引っ張った。
「彌七郎殿、どこへ行かれます? 筑前守様がお待ちで御座いますぞ」
「んあ? さっき、遅れておると聞いたぞ」
 誾千代は「ちっ!」と小さく舌打ちした。この屁理屈男!
「来るのです!」
 彌七郎の手首を掴み、誾千代はぎりっと捻った。捻りあげると同時に、指先を思い切り、彌七郎の細い手首に食い込ませる。
「おほほほほほっ!」
 彌七郎は、笑い声のような悲鳴を上げながら、よたよたと誾千代に引っ張られた。
 誾千代の指の力は強い。日頃の修練の賜物だ。
 彌七郎は、素直に誾千代に従った。
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