電脳ロスト・ワールド

万卜人

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電脳盗賊参上!

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「その公演は、中止したほうがいいな」
 不意に聞こえた若い男の声に、ターク首相と、エミリー皇女は、ぎくりと立ち竦んだ。
「誰だ!」
 厳しい声で誰何すると、いつの間にか執務室の隅に、一人の男が立っていた。すぐ側には真鍮製の金属球が、ふわふわ宙に浮いている。
 男は茶色の落ち着いたスーツを身につけ、手にはステッキを持っていた。目深に被った山高帽の下から、鋭い視線を二人に当てている。山高帽に付いている紋章を一目ちらっと見て、ターク首相は声を上げた。
「その紋章! おぬし、電脳盗賊か?」
「御明察……。客家二郎と申す、駆け出しの電脳盗賊でござい。以後、お見知りおきを!」
 首相の時代がかった口調に影響され、客家二郎も、やや芝居じみた返答になる。それが可笑しかったのか、二郎は、にやり、と笑い顔を浮かべた。
 首相は、きょときょとと落ち着きなく、執務室を見渡した。
「なぜ電脳盗賊が、こんなところに出没する? おぬしらは、ギルドに登録されたお宝だけを狙うのではないか? ここには、盗賊ギルドに登録されたお宝など一切ないぞ」
 様々な〝世界〟は盗賊ギルドと契約し、その〝世界〟特有のお宝を用意する。当然、厳重な警備をするが、ギルドに所属する盗賊は契約されたお宝しか狙わない規約になっている。
 盗賊に狙われたお宝がある、ということになれば、物見高いプレイヤーが押しかける。また盗賊にまんまと盗まれても、お宝は別の〝世界〟に持ち込まれ、再び別の盗賊に狙われることによって、話題を作る。
 盗賊はお宝を売りさばき、仮想現実通貨の〝ハビタット〟を手にする。お宝を盗まれたことにより、〝世界〟もまた話題を集める。また、お宝も、様々な〝世界〟を渡り歩くことにより、特有の〝物語〟が付与される。長年、様々な盗賊に狙われたお宝のいくつかは、それにまつわるストーリーによって有名なものもあった。その結果、皆、得をするというわけだ。これは、プレイヤーを引き付けるための、巧妙な仕組みであった。
 二郎は、肩を竦めた。
「今日は盗賊の用事で、のこのこ出張ってきたわけじゃないんでね。忠告するために、わざわざやってきた、というわけさ」
「忠告?」
 首相は不機嫌な口調になった。その口調に、電脳盗賊に対する首相の気持ちが顕わになる。
「なにが忠告だ! 盗賊の癖に……」
「あんたら、近々、国立劇場で公演をするんだろう?」
 首相の言葉に取り合わず、二郎は本題を、ずばりと切り出した。窓際に近づき、手にしたステッキの先を示す。指し示した先には《シティ》の大広場に聳える、国立劇場の建物があった。ステッキの先をちらりと見て、首相は答えた。
「そうだが、それが、何か?」
「国立劇場の空間が不安定になっている。知っていたかね?」
「何だと?」
 ぴょん、と二郎の側に浮かんでいた金属球が飛び出した。きんきんと甲高い声で、首相とエミリーに話しかける。
「《ロスト・ワールド》の一部が、あの国立劇場に出現しようとしています! もし、公演中にそんな状況になったら、大変な事態が起きますよ!」
「《ロスト・ワールド》!」
 首相は愕然と呟いた。
「なぜ、そんなことが判るの?」
 それまで黙っていたエミリー皇女が、口を挟んだ。表情には、押し殺した怒りが差し上っている。
 二郎は浮かんでいる金属球を指さした。
「そいつは、おれの相棒で、ティンカーって言ってね、仮想空間の様々な徴候を感じとる能力がある。そいつの予言することは、信用したほうがいいぜ」
 エミリーは猛然と、二郎に向けて言葉を投げかける。
「公演を中止しろ、と仰るの?」
 二郎は頷いた。
「できればね」
 エミリーは、たん、と足踏みをする。
「厭です! この公演は、わが《蒸汽帝国》十周年の記念すべき行事です! 断じて、中止することはできません!」
 首相が「皇女さま……」と、心配そうな声を掛ける。
 エミリーは頑固そうに頭を振った。
「わたくし、絶対に、この公演を中止することなど致しませんからね!」
 言い放つと、足早に壁の通話装置に駆け寄り、送受口に向かって叫ぶ。
「衛兵! 衛兵! 何をしているの? 曲者が現れました! すぐ逮捕なさい!」
 エミリーの通報に、すぐ反応があった。扉の向こうから、ばたばたという数人の足音が近づいてくる。
 二郎は「まいったな」と呟くと、頭を掻いた。
「それじゃ、一応、警告はしたからな。では、ご無事で……」
 軽く山高帽の鐔に手を掛け、会釈をすると、すっと二郎は後じさる。
 そのとき、ばあーんっ! と派手な音を立て、執務室の扉が開け放たれた。どどっと、数人の衛兵が雪崩れ込んでくる。
「皇女さま! 曲者は?」
「そっちです!」
 皇女の指さした方向を見て、衛兵たちは「あっ」と小さく叫んだ。
 なんと、執務室の壁に二郎の身体が溶け込んでしまっている。背中が、足が壁にめり込み、遂には首だけが壁から突き出している。
 二郎は、にやりと笑うと、そのまま壁の中へと消えていった。後には痕跡すら、残さない。
 慌てて衛兵たちは壁に殺到した。目を皿のようにして、壁に何か隙間がないか、仕掛けがないかと探り回る。だが、虚しい作業であった。
「皇女さま! 壁は、まったく異常なしです。あやつは、どこへ?」
 一人が振り返り、叫ぶ。皇女は、ぽっかりと目を見開いたまま、力なく首を振った。
「何が起きたのでしょう?」
 首相を見つめるが、タークもまた何が起きたのか、さっぱり判らないことでは同じであった。唇を湿し、首相は皇女に話しかける。
「皇女さま……公演は、やはり……?」
 皇女は強く首を振る。
「いいえ! 何としても、公演は行います! 盗賊などに脅され中止など、わたくしが許しません!」
 首相は、微かに肩を落とした。
「左様ですか……」
 ふと顔を手で撫で上げ、手の平が冷や汗にべったりと濡れていることに気付く。
 不安が込み上げる。
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