電脳ロスト・ワールド

万卜人

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仮想現実のルール

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 いつまでも歩き続けることに、ほとほとタバサは、うんざりしていた。歩きながら、ぶちぶちと不平を漏らす。
「ねえ、いつになったら、シャドウのところへ行き着けるの? もう、歩き飽きたわ!」
 玄之丞も、タバサに賛意を示す。
「ふむ。吾輩もタバサの意見には、全面的に賛成するな! なんだか、当てもなく歩いているようにも思える。二郎君、シャドウの本拠地は、それほど遠くにあるのかね?」
 二郎は立ち止まった。
「我慢しろ。もうすぐ乗り物が見つかる」
 二郎の言葉に玄之丞は目を引ん剥いた。
「乗り物だぁ? 《ロスト・ワールド》に、そんなご大層な代物があるのかね?」
 二郎は玄之丞の質問には答えず、鋭い視線を辺りに配っている。何か探しているのか。
 二郎の瞳がきらりと煌いた。じわりと頬に笑みが浮かぶ。
「あった、あった! ここまで歩いてきた甲斐があったぜ!」
 腕を挙げ、彼方に指を一本、真っ直ぐに伸ばした。全員、二郎の指差した方向に注目した。
 二郎の指し示したのは、金属の丘に横たわる、一本のチューブのような物体だった。丘には結晶の森がごちゃごちゃと立ち並び、指摘されるまで、そんな物体があるとは、気付きもしなかった。
 チューブは、地面からほっそりとした脚で支えられ、空中に高々とどこまでも伸びている。チューブはかなり太く、直径は三メートルはある。
「なに、あれ?」
「電車だよ。線路だ」
 二郎の答えに、タバサは首を傾げる。
「からかっているの?」
「まさか! さあ、行くぞ!」
 二郎はタバサの質問に全く取り合わず、とっとと歩いていく。無視され、タバサはちょっと「むっ!」となったが、それでも僅かな期待を胸に、従った。
 近づくと、チューブは見上げるような高さにある。表面は雨風に打たれ、薄汚れ、とても鉄道の線路とは思えない。そっと表面に手を当てたタバサは「どくん! どくん!」という微かな脈動に気付いた。
「生きているみたい……」
「その通り! これは、生き物の身体の一部だ」
 驚いてタバサは手を離した。なんだか、やたら気持ち悪い!
 タバサの表情を見て、二郎は「くくっ」と笑った。
「噛みつきはしないよ。さあ、登らないとな……」
 見上げながら二郎は呟く。ゲルダ少佐は難しい顔つきになって、一緒に見上げた。
「どうやって? 階段すら、ないのに」
「こいつが、ある!」
 二郎が手を空中に浮かすと、ポケットからティンカーがぴょん、と飛び上がり、手の平にすっぽりと収まった。
「ティンカー! 頼むぞ!」
「了解!」
 ティンカーの身体が変形して、発条スプリングの形に変形した。二郎は脚を挙げ、ティンカーの上へ立つ。ぐっと上を見上げ、叫んだ。
「行くぞ!」
 びょーん! とティンカーが変身した発条は一気に跳ね上がる。二郎は先端に立ち、そのまま上空へ飛び上がった。
 一瞬、ふわり、と空中で静止したと見るや、すでに二郎は、チューブの上へ飛び移っていた。チューブから身を乗り出し叫ぶ。
「さあ! 続いて来い!」
 地面に残された全員は、驚きに顔を見合わせる。しばし、探るような視線が、お互いの顔を交叉する。
「では、わたしから」
 ゲルダが意を決し、片足を上げてティンカーの上へ登る。上昇し、放物線の頂上に到達すると、見事なスワン・ダイブでくるりと回転し、チューブに乗り移る。
「ふむ。文明的とは言いかねるが、他に代替手段はなし、と……」
 ぶつぶつ文句を言いながら、それでも玄之丞はゲルダに続き、飛び上がった。空中でばたばたと見っともなく手足を動かしたが、それでも無事、乗り移る。
「なるほど……面白れえ!」
 にやにや笑いながら、知里夫も続く。
 晴彦はまるで頓着することなく、躊躇いもなくティンカーの上へ飛び上がった。びょーん、と空中に飛び上がった晴彦は、コートからぱっと黒い雨傘を取り出し、空中で素早く開く。
 なぜか、ふわふわとした動きで、チューブの上へと降り立った。邪気のない、天真爛漫な笑顔は、そのままである。
 二郎が下を覗き込み、タバサに叫んだ。
「何している? 君の番だぞ!」
「う……」
 どっと背中に汗が噴き出すのを感じる。タバサは拳をぎゅっと握りしめた。脚が震え、上を見上げるだけで、くらくらと眩暈がしてくる。
「だ……駄目! あたし、高いところ、弱いの……!」
 二郎は顰め顔になった。
「高所恐怖症か! しかし、いつまでも愚図愚図していると、置いていってしまうぞ! それでもいいのか?」
「置いて行ってしまう」との言葉に、タバサは一大勇気を振り絞る。怖々と片足を上げ、発条の形に変形したティンカーの上へ立った。
 ぎゅっと目を瞑り、覚悟を決める。
 出し抜けに、ぎゅーん、とタバサの身体が持ち上がる。
「きゃあああああっ!」声を限りに絶叫した。
 目を開くと、自分の身体が空中に浮かんでいることを認める。足下にチューブが見え、表面に立った仲間が、ぽかんと口を開き、タバサを見上げていた。
 すとん、とタバサの身体は落下し始める。
「厭──っ!」
 どう見ても、タバサの落下地点はチューブから明後日の方向を向いている。このままでは、空中に放り出されてしまう!
「ティンカー!」と二郎が叫んだ。
 ひゅっ、と空中を飛び上がったティンカーは、全体をロープの形に変形させ、タバサの腰に巻き付いた。ロープの端を二郎は握りしめ、ぐいっと力の限り引っ張る。がくんっ、とタバサの身体は二郎に引っ張られ、チューブへ引き寄せられる。
「おっと!」
 玄之丞が腕を伸ばし、タバサの腕を掴んだ。
 どすん、とタバサの身体はチューブに落下した。タバサの身体は玄之丞の上に圧し掛かり、玄之丞は「ぐえっ」と奇妙な悲鳴を上げた。
「おっ、重い! 圧死する! 早く、どいてくれっ!」
「失礼ねっ! あたし、そんなに重くありませんっ!」
 それでもタバサは大急ぎで立ち上がる。玄之丞は「ふいーっ」と溜息をつくと、指で額の汗を拭った。
 二郎を見ると、にやにやと笑いを浮かべている。
「何よ?」
「いや、別に……」
 喧嘩腰で睨みつけると、二郎は笑いを浮かべたまま、そっぽを向く。
 チューブは中空で、筒を半分にした形をしている。巨大な雨樋の内側に、タバサたちは立っていることになる。
「これが、どこが鉄道なの?」ぼんやりとタバサは呟く。
 二郎はチューブの内側に蹲り、耳を表面に当てて何か、聞き耳を立てている。二郎は「しっ」と指を口に当て、静かにするように合図する。にやり、と二郎の唇が会心の笑みを浮かべた。立ち上がり、チューブの彼方を見つめている。
「来るぞ……。列車の登場だ!」
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