電脳ロスト・ワールド

万卜人

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ロスト・プレイヤーの町

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 ギャンという面会相手がいるのは、町の奥まったところにあるレストランであった。
 意外と本格的な造りで、席は半分がた埋まっていて、プレイヤーが出された料理をガツガツと食らっている。それを見て、タバサは「あっ、そうか!」と合点した。プレイヤーたちは全員が〝ロスト〟したプレイヤーである。従って、生身の身体を気にすることもなく、旺盛な食欲を満足させているのだろう。
 六人は丸い大きなテーブルに案内された。案内した給仕は、NPCではなく、人間のプレイヤーであった。真っ白いお仕着せを身に着け、優雅な仕草で、給仕は全員を席に着かせ、片手にメニューを持って口を開く。
「本日、当レストランがお客さまにお出しするのは、ガレガレ鳥のシチュー、フンボルト蛙と、モート特産レンズマメ煮込み、サラダなど〝のようなもの〟になっております!」
 ふんぞり返って玄之丞は口を開いた。
「それでは吾輩は〝のようなもの〟を注文するぞ!」
「へっ?」
 給仕はポカンと口を開けた。目が驚きに虚ろになっている。玄之丞はニヤリと笑って、追い討ちをかける。
「お前さん、言ったではないか? 〝のようなもの〟と。吾輩は、それを食したい」
「へっへっへっ……」
 給仕は脂汗を掻きながら、それでもなんとか立ち直ろうと悪戦苦闘する。
「ご冗談を……」
「冗談ではないっ! なんだ? 〝のようなもの〟は出せんのか?」
「生憎と、品切れになっております」
「それでは、吾輩は、トチメンボーを召し上がるぞ!」
 給仕は顎を引き、上目遣いになった。
「あのう……メンチボールのお間違いでは?」
「トチメンボーだよ、トチメンボー。なんじゃ、それも出せんのか?」
 知里夫が割り込む。
「おれは、アカチバラチを頼む! アバカラベッソンも忘れるなよ」
 玄之丞は歯を剥き出し、ニタニタ笑った。
「そうそう、それがないと、ベケンヤにならんからなあ!」
 徐々に給仕は忍耐の限界に達したようだ。表情が険しくなり、ぴくぴくと頬の筋肉が痙攣し、蟀谷{こめかみ}からびっしりと汗がたらーり、たらりと流れている。
「少々お待ちを……」
 言い捨て、くるりと背を向けると、早足になって店の奥へと駆け込んでいった。
 二郎は笑いを堪え、首を振った。
「玄之丞、あまりからかうなよ。給仕の奴、店の主人に御注進に走ったぜ」
「ふん!」と玄之丞は鼻を鳴らす。
「ちょうど良いではないか! 店の主人とは、おぬしの言うギャンとか申す奴だろう? こっちから探す手間が省ける」
 言い放つと、おもむろに葉巻を咥える。
 玄之丞がマッチを探していると、ぬっと背後から腕が伸びた。指をぱちりと鳴らすと、親指にぽっ、と炎が点火される。玄之丞は葉巻を指に近づけ、吸いつけた。
「こりゃ、すまんな」
「お客さまにはサービスを――が、当店のモットーで御座いますから……」
 声は気だるく、囁き声に近かった。玄之丞は顔を上げる。
 背後に立っている男は、指先の炎を口元に近づけ「ふっ」と息を吹きかけ、火を消す。
「わたくしが、この店の主人で御座います。何か、うちの店の者がご迷惑をお掛け致しましたでしょうか?」
 タバサは仄かに、香水の芳しい香りを嗅ぎ取っていた。現れたのは、十頭身はあろうかと思われる、ほっそりとした身体つきの、青白い顔をした男であった。
 身に纏っているのは、真っ白なスーツに、ピンクのシャツ。しかも盛大なフリルが首許から、手首から出ている。肩に掛かるほど長い漆黒の髪の毛をはらりと顔に垂らし、憂鬱の国から、憂鬱を広めに来たような雰囲気を漂わせている。
 驚くのは、男の背後にわんさかと薔薇の花が咲き誇っていることである。薔薇の花は空中に浮かび、男の身動きに合わせて漂っている。
 男は背中の薔薇を一本、ひょいと摘み取ると、優雅な仕草で胸のポケットに差した。気障もここまで徹底すると、いっそ清々しい。玄之丞は、おずおずと尋ねた。
「あんたは?」
 男は微かに頭を下げる。
「ギャン、とこの辺りの人間は、わたくしを呼びます……」
 ギャンと名乗った男の目が、テーブルの向こうに据わる二郎の顔に止まった。
 驚きが、ギャンの顔に弾ける。長い手足を折り曲げるようにして、空席に座る。
「どういう風の吹き回しですか? 客家二郎とは、何とお珍しいお客人!」
 二郎は、にやにや笑いを浮かべ、返事をする。
「シャドウと対決するため、来たんだ。いよいよ《ロスト・ワールド》の正常化に手を着けようと決意してね。あんたの助力を当てにしてやってきた。協力してくれないか?」
 ギャンは両手を組み合わせ、目を光らせた。
 タバサは、ギャンの目が光った瞬間「キラーン!」という効果音が、どこかで聞こえたような気がした。
「お断りします……。あなたのお手伝いなど、金輪際、断固として御免蒙りたい!」
「おいおい……」二郎の両目が、驚きに見開かれる。
 さっとギャンは右腕を振った。まるで手品のように、右手に拳銃を握り締めていた。
 拳銃の銃口をぴたりと二郎の胸に擬し、ギャンは素早く忠告する。
「おっと! 動かないで下さいね。こいつは引き金が軽くて、あなたがちょっと動いた途端、間違えて撃ってしまうかも知れません。知っての通り《ロスト・ワールド》では倫理保護規定は働いておりません。もし撃たれたら、あなたでも冗談ごとでは済まなくなりますよ!」
 二郎は両手を挙げ、口を引き結んだ。食い縛った歯の間から、言葉を押し出す。
「ギャン……貴様!」
「客家二郎、一巻の終わり……かな?」
 ギャンは銃口の狙いをつけたまま、薄い唇を持ち上げ、軽く笑った。
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