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膺懲{ようちょう}の巻
二
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藤四郎の危惧した通り、河童淵に到着したのは、夕刻近くだった。
空気はひんやりと冷たく湿り、聳え立つように生えている海岸紅杉が暗い影を投げかけている。
遠くから、どうどうと滝の音が聞こえている。
「この辺りでございます……」
微かに震え声で作蔵が甚左衛門に話しかけた。甚左衛門は無言で頷いた。
河童淵攻略の使命は甚左衛門が請けているので、手には軍配を持っている。藤四郎は投石器と、軍鑑の役目である。
二輪車からひらりと地面に足を降ろし、甚左衛門は軽い足取りで滝壺を目指した。藤四郎も慌てて、その後を追う。
岩がちの獣道を辿ると、不意に眼前が開け、滝壺が視界に入ってきた。
「これは……!」と、思わず藤四郎は声を上げていた。
滝壺に巨大な河童の像が刻まれている。高さは、約十丈。見上げるほど巨大な石像は、滝の水飛沫を浴び、静かにこの場所を守っているようだ。
甚左衛門は腰に手を当て、いきなり声を張り上げた。
「この辺りの河童に物申す! 先日、我らの配下の山師三名、うぬらによって幻術を掛けられしと聞く。そのような怪しの術、この木戸甚左衛門には通用せぬと知れ! 直ちに降伏して余の下知に従えばよし、もし逆らうなら、後悔することになろう!」
なろう……
なろう……
甚左衛門の語尾が、滝壺に木霊した。
藤四郎は伸び上がって甚左衛門に話しかけた。
「さて、河童どもが聞いておるのかのう……」
「聞いている。近づいた辺りから、気配がびんびんと感じられたわい!」
おぬしには感じ取れなんだか? という意味が言外に籠められている。
藤四郎は面白くない。武芸は、藤四郎の苦手であった。
それに、甚左衛門のざっかけない口調も。かつては自分に対し、謙{へりくだ}った言葉遣いであったのが、同格になると、途端にこれだ!
と、滝壺から声が響いた。
ここは水虎さまの聖域じゃ──!
性懲りも無しに、またぞろ、やって来おった──
水虎さまの恐ろしさを知れ──
藤四郎が背後を振り返ると、作蔵ががたがたと震えている。
「霧が……」
作蔵が呟いた。
藤四郎が辺りを見回すと、その言葉どおり、濃密な霧が立ち込めている。
さっと甚左衛門は、軍配を上げた。
「構えよ! 油断するでない!」
しかし、兵たちは甚左衛門の命令を聞いていない。みな、青ざめた顔で、辺りをきょろきょろと見回すだけだ。
甚左衛門は、苛立った声を上げた。
「ええい、みな何を臆しておるか! ただの霧ではないか!」
一人の兵が震える指先を甚左衛門の背後に突き立てた。
「あ、あれ……!」
「何?」と、甚左衛門と藤四郎は振り返る。
まじまじと二人の目が見開かれた。
霧の中から、滝壺の河童像が、ゆったりとした歩みで現れる。霧を掻き分け、巨大な河童は、ずしり……と重々しい足音を立てた。
ひえええ……と、兵たちは悲鳴を上げていた。
わっ、とばかりに浮き足出す。今にも背を向け、逃げ出しそうだ。
口許を引き結び、甚左衛門は素早く兵たちの前に回り、すらりと腰の刀を抜き放った。
「もし、逃げる者があれば、この場で切り捨てる!」
口調は真剣だった。
兵たちの、足がひたっと止まった。
しかし目は巨大な河童に向けられている。
ずしり……また一歩、河童は近づく。
甚左衛門は大声を上げた。
「みな、弓を持て!」
兵たちは顔を見合わせた。おずおずと弓を手にすると、矢を番{つが}える。
甚左衛門は首を振った。
「そうではない! 矢弦{やつる}を鳴らせ!」
堪らず、藤四郎は声を掛けた。
「甚左衛門、何を言うておる?」
甚左衛門は怒りに満ちた顔を藤四郎に向けた。
「幻術破りには、これが一番なのじゃ!」
兵の一人から弓を奪い取ると、自ら弦を引き絞り、びいんと弾いた。
「さあ、同じようにせんか!」
兵たちは、さっぱり訳が分からないまま、見様見真似に甚左衛門の仕草を真似る。
びいん!
びいん!
びいん!
霧の中に、兵たちの矢弦を鳴らす音が響いた。
藤四郎は迫り来る河童像を見つめていた。
呟く。
「河童の石像が消えるわ……!」
信じられぬ、と首を振る。
巨大な河童の石像が、じわりと空中に溶け込んでいった。同時に、あれほど立ち込めていた霧も、急速に薄れていく。
空気はひんやりと冷たく湿り、聳え立つように生えている海岸紅杉が暗い影を投げかけている。
遠くから、どうどうと滝の音が聞こえている。
「この辺りでございます……」
微かに震え声で作蔵が甚左衛門に話しかけた。甚左衛門は無言で頷いた。
河童淵攻略の使命は甚左衛門が請けているので、手には軍配を持っている。藤四郎は投石器と、軍鑑の役目である。
二輪車からひらりと地面に足を降ろし、甚左衛門は軽い足取りで滝壺を目指した。藤四郎も慌てて、その後を追う。
岩がちの獣道を辿ると、不意に眼前が開け、滝壺が視界に入ってきた。
「これは……!」と、思わず藤四郎は声を上げていた。
滝壺に巨大な河童の像が刻まれている。高さは、約十丈。見上げるほど巨大な石像は、滝の水飛沫を浴び、静かにこの場所を守っているようだ。
甚左衛門は腰に手を当て、いきなり声を張り上げた。
「この辺りの河童に物申す! 先日、我らの配下の山師三名、うぬらによって幻術を掛けられしと聞く。そのような怪しの術、この木戸甚左衛門には通用せぬと知れ! 直ちに降伏して余の下知に従えばよし、もし逆らうなら、後悔することになろう!」
なろう……
なろう……
甚左衛門の語尾が、滝壺に木霊した。
藤四郎は伸び上がって甚左衛門に話しかけた。
「さて、河童どもが聞いておるのかのう……」
「聞いている。近づいた辺りから、気配がびんびんと感じられたわい!」
おぬしには感じ取れなんだか? という意味が言外に籠められている。
藤四郎は面白くない。武芸は、藤四郎の苦手であった。
それに、甚左衛門のざっかけない口調も。かつては自分に対し、謙{へりくだ}った言葉遣いであったのが、同格になると、途端にこれだ!
と、滝壺から声が響いた。
ここは水虎さまの聖域じゃ──!
性懲りも無しに、またぞろ、やって来おった──
水虎さまの恐ろしさを知れ──
藤四郎が背後を振り返ると、作蔵ががたがたと震えている。
「霧が……」
作蔵が呟いた。
藤四郎が辺りを見回すと、その言葉どおり、濃密な霧が立ち込めている。
さっと甚左衛門は、軍配を上げた。
「構えよ! 油断するでない!」
しかし、兵たちは甚左衛門の命令を聞いていない。みな、青ざめた顔で、辺りをきょろきょろと見回すだけだ。
甚左衛門は、苛立った声を上げた。
「ええい、みな何を臆しておるか! ただの霧ではないか!」
一人の兵が震える指先を甚左衛門の背後に突き立てた。
「あ、あれ……!」
「何?」と、甚左衛門と藤四郎は振り返る。
まじまじと二人の目が見開かれた。
霧の中から、滝壺の河童像が、ゆったりとした歩みで現れる。霧を掻き分け、巨大な河童は、ずしり……と重々しい足音を立てた。
ひえええ……と、兵たちは悲鳴を上げていた。
わっ、とばかりに浮き足出す。今にも背を向け、逃げ出しそうだ。
口許を引き結び、甚左衛門は素早く兵たちの前に回り、すらりと腰の刀を抜き放った。
「もし、逃げる者があれば、この場で切り捨てる!」
口調は真剣だった。
兵たちの、足がひたっと止まった。
しかし目は巨大な河童に向けられている。
ずしり……また一歩、河童は近づく。
甚左衛門は大声を上げた。
「みな、弓を持て!」
兵たちは顔を見合わせた。おずおずと弓を手にすると、矢を番{つが}える。
甚左衛門は首を振った。
「そうではない! 矢弦{やつる}を鳴らせ!」
堪らず、藤四郎は声を掛けた。
「甚左衛門、何を言うておる?」
甚左衛門は怒りに満ちた顔を藤四郎に向けた。
「幻術破りには、これが一番なのじゃ!」
兵の一人から弓を奪い取ると、自ら弦を引き絞り、びいんと弾いた。
「さあ、同じようにせんか!」
兵たちは、さっぱり訳が分からないまま、見様見真似に甚左衛門の仕草を真似る。
びいん!
びいん!
びいん!
霧の中に、兵たちの矢弦を鳴らす音が響いた。
藤四郎は迫り来る河童像を見つめていた。
呟く。
「河童の石像が消えるわ……!」
信じられぬ、と首を振る。
巨大な河童の石像が、じわりと空中に溶け込んでいった。同時に、あれほど立ち込めていた霧も、急速に薄れていく。
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