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苦楽魔{くらま}の巻
三
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部屋を出て、天狗は長々と伸びた廊下に二人を案内した。廊下の片側にはいくつも小部屋が並び、各小部屋では、床机の前に座った天狗がなにやら忙しげに書類を作成している。どの床机にも文字打出鍵盤が置かれ、天狗は目まぐるしく指を動かして打鍵を叩いていた。
廊下には小部屋から溢れ出た書類が散乱し、ひっきりなしに書類の束を抱えた天狗が行き来していた。
「ここで何やってんだい?」
時太郎は思わず案内してくれる天狗に質問した。質問された天狗は、思いもかけないことを訊ねるものだと眉を上げた。
「何をって、書類を作っているに決まっておろう?」
「何の書類なんだ?」
「あらゆることだ! すべて我らが何事かすべきとなると、書類を作成しなくてはならぬ! 漫然と、ただこうしよう、とするだけでは何事も効率的に動かんからな。効率だ! 協力だ! そのために、こうして書類仕事が必要なのだ」
自慢げに言う天狗に、時太郎とお花は首をかしげた。なんだか、ひどく間違っているような気がする。
父さんが「天狗は変わっている」と言ってたのは、これか、と密かに時太郎は頷いた。
天狗は廊下を何度か曲がって、一つの部屋に案内した。
部屋の壁一面には、奇妙な機械が据えつけられていた。細い導線が巻きついた、小さな輪が無数に並べられ、それらは細かく震動して「ざーっ」という雨音のような音を立てている。
部屋には一人の天狗……口が烏の嘴になっている烏天狗が作業していた。
大きな、度の強い眼鏡を掛け、舐めるように機械の様子を見守っている。天狗にしてはひどく太っている代謝症候群体型だ。ふっくらとした指で、いと愛おしむようにして機械の調子を試している。
烏天狗は、時太郎たちが入ってきたのに気付き、眼鏡をずらして「なんでしょう?」と口を開いた。背が低く、時太郎の胸ほどしか背丈はなかった。
「翔一! 河童の三郎太という名前を調べてもらいたい。十何年前、この苦楽魔に立ち寄ったと申しておるのだが、記録は残っているかな?」
「三郎太……ははあ、少しお待ちを……」
翔一と呼ばれた烏天狗は、頭を下げると、ちょこちょこと部屋の隅に歩いていく。
そこにも文字打出鍵盤が置かれ、翔一はその前に座ると、打鍵をかちゃかちゃと打ち出した。
途端に壁の機械から「ざーっ、ざーっ」という音が聞こえてきた。時太郎が壁に近づいて見ると、爪先より小さな輪っかがぶるぶると震えているのが見える。
二人を連れてきた天狗が説明した。
「これは電磁誘導磁界素子というものだ。これまで作成されたあらゆる記録がこの機械に収められておる。今、翔一が行っているのは、三郎太という名前の河童がいつ、この苦楽魔に立ち寄ったかを機械に質問しているところなのだ」
説明している間に、文字打出鍵盤が一枚の紙を吐き出した。それをびりっと破いて、翔一が天狗に渡した。天狗はその紙に目を走らせ、頷いた。
「なるほど……確かに十数年前、三郎太という河童が訪ねてきているな。その河童が、お前の父親だと申すのか?」
「そうだ!」と時太郎は胸を張った。
天狗は質問を重ねた。
「で、母親は?」
「人間だ。京の信太従三位の娘、時子っていうんだ」
「人間の女?」
天狗は素っ頓狂な大声を上げた。
「お前は、ひょっとして、人間の女と河童の男の間に生まれた、とでも主張するのか?」
時太郎が頷くと、天狗はいきなり笑い出した。
さすがに時太郎は、むっとなった。
「何が可笑しい?」
「馬鹿なことを……人間と河童の間に子供が生まれるなど……金輪際ありえぬ!」
「なんでだ? おれは現に、ここにいるぞ!」
天狗は哀れむような目付きになった。
「あまりに種が違いすぎる。人間と河童は似てはいるが、まったく違う種なのだ。犬と猫の間に子供が生まれないのと同じだ。お前は騙されているのだ」
「そんな……」と、時太郎は声も無く口を動かしていた。天狗の言葉は、時太郎の足下を突き崩すものだった。
「間違いない。お前の父親は人間だ。おそらく、三郎太という河童は、お前を自分の子供として育てたのだろうが、産みの親ということは断固ありえぬな。他に人間の男で、お前の父親となりうる人物に心当たりはないのか?」
源二、という名前が時太郎の心に浮かんだ。
三郎太が言っていた、最後まで自分と母親の時姫を守って死んだと言う男の名前である。
しかし、そんな、まさか……。
おれの父親は……三郎太ではないのか?
時太郎は茫然と虚脱し、立ち尽くしていた。
廊下には小部屋から溢れ出た書類が散乱し、ひっきりなしに書類の束を抱えた天狗が行き来していた。
「ここで何やってんだい?」
時太郎は思わず案内してくれる天狗に質問した。質問された天狗は、思いもかけないことを訊ねるものだと眉を上げた。
「何をって、書類を作っているに決まっておろう?」
「何の書類なんだ?」
「あらゆることだ! すべて我らが何事かすべきとなると、書類を作成しなくてはならぬ! 漫然と、ただこうしよう、とするだけでは何事も効率的に動かんからな。効率だ! 協力だ! そのために、こうして書類仕事が必要なのだ」
自慢げに言う天狗に、時太郎とお花は首をかしげた。なんだか、ひどく間違っているような気がする。
父さんが「天狗は変わっている」と言ってたのは、これか、と密かに時太郎は頷いた。
天狗は廊下を何度か曲がって、一つの部屋に案内した。
部屋の壁一面には、奇妙な機械が据えつけられていた。細い導線が巻きついた、小さな輪が無数に並べられ、それらは細かく震動して「ざーっ」という雨音のような音を立てている。
部屋には一人の天狗……口が烏の嘴になっている烏天狗が作業していた。
大きな、度の強い眼鏡を掛け、舐めるように機械の様子を見守っている。天狗にしてはひどく太っている代謝症候群体型だ。ふっくらとした指で、いと愛おしむようにして機械の調子を試している。
烏天狗は、時太郎たちが入ってきたのに気付き、眼鏡をずらして「なんでしょう?」と口を開いた。背が低く、時太郎の胸ほどしか背丈はなかった。
「翔一! 河童の三郎太という名前を調べてもらいたい。十何年前、この苦楽魔に立ち寄ったと申しておるのだが、記録は残っているかな?」
「三郎太……ははあ、少しお待ちを……」
翔一と呼ばれた烏天狗は、頭を下げると、ちょこちょこと部屋の隅に歩いていく。
そこにも文字打出鍵盤が置かれ、翔一はその前に座ると、打鍵をかちゃかちゃと打ち出した。
途端に壁の機械から「ざーっ、ざーっ」という音が聞こえてきた。時太郎が壁に近づいて見ると、爪先より小さな輪っかがぶるぶると震えているのが見える。
二人を連れてきた天狗が説明した。
「これは電磁誘導磁界素子というものだ。これまで作成されたあらゆる記録がこの機械に収められておる。今、翔一が行っているのは、三郎太という名前の河童がいつ、この苦楽魔に立ち寄ったかを機械に質問しているところなのだ」
説明している間に、文字打出鍵盤が一枚の紙を吐き出した。それをびりっと破いて、翔一が天狗に渡した。天狗はその紙に目を走らせ、頷いた。
「なるほど……確かに十数年前、三郎太という河童が訪ねてきているな。その河童が、お前の父親だと申すのか?」
「そうだ!」と時太郎は胸を張った。
天狗は質問を重ねた。
「で、母親は?」
「人間だ。京の信太従三位の娘、時子っていうんだ」
「人間の女?」
天狗は素っ頓狂な大声を上げた。
「お前は、ひょっとして、人間の女と河童の男の間に生まれた、とでも主張するのか?」
時太郎が頷くと、天狗はいきなり笑い出した。
さすがに時太郎は、むっとなった。
「何が可笑しい?」
「馬鹿なことを……人間と河童の間に子供が生まれるなど……金輪際ありえぬ!」
「なんでだ? おれは現に、ここにいるぞ!」
天狗は哀れむような目付きになった。
「あまりに種が違いすぎる。人間と河童は似てはいるが、まったく違う種なのだ。犬と猫の間に子供が生まれないのと同じだ。お前は騙されているのだ」
「そんな……」と、時太郎は声も無く口を動かしていた。天狗の言葉は、時太郎の足下を突き崩すものだった。
「間違いない。お前の父親は人間だ。おそらく、三郎太という河童は、お前を自分の子供として育てたのだろうが、産みの親ということは断固ありえぬな。他に人間の男で、お前の父親となりうる人物に心当たりはないのか?」
源二、という名前が時太郎の心に浮かんだ。
三郎太が言っていた、最後まで自分と母親の時姫を守って死んだと言う男の名前である。
しかし、そんな、まさか……。
おれの父親は……三郎太ではないのか?
時太郎は茫然と虚脱し、立ち尽くしていた。
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