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大極殿の巻
三
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義明は御所の奥深く、ひっそりと静まり返った一角にある大極殿に来ていた。
上総ノ介による二輪車揃えの喧騒は、ここには届かない。
大極殿の大屋根の向こうに〈御舟〉のすらりとした形が夜空を切り裂くように聳えている。
義明は大極殿を通り抜け、〈御舟〉へ続く渡り廊下をひそひそと歩いた。
行き止まりが〈御舟〉内部へ通じる入口になっている。すべすべとした〈御舟〉の壁に、四角い入口が口を開けていた。入口には警備のため、検非違使が立っている。
その側をすり抜け、義明は内部へと踏み込む。
壁にはちかちか、ぴかぴかと様々な色合いの明かりが瞬いている。〈御舟〉の内部は、大極殿とも御所の他の場所ともまったく違う構造になっている。
木材でも石材でもなく、金属でも焼き物でもない奇妙な素材でできていて、それらには無数の釦や、把手がついていた。
あたりには検非違使がうろうろしていて、時折ちらほら壁の機械を眺めたり、幾つかの釦を押したりしている。
それらに義明が手を触れようとしただけで、有無を言わさず放り出されることになるだろう。〈御舟〉内部の機械は検非違使のみが操作できるのである。
窮屈な廊下を歩き、義明はようやく時姫のいる場所へと辿り着いた。
円形の台の上に、時姫の姿があった。時姫は静かに端座し、目を閉じている。
あいかわらず美しい……。
密かに義明は賛嘆していた。
時姫がここへ連れてこられて十数年が経つが、その頃の娘盛りのまま、まるで年を重ねていないようである。しっとりとした白い肌、豊かな黒髪。卵形の頤に、瞑った瞼から長い睫が頬に影を落としている。
ごくりと唾を飲み込み、義明は語りかけた。
「時姫殿……藤原義明で御座る。麻呂の言葉が聞こえているであろう。目を開けよ」
義明の声に、時姫の瞼がゆっくりと開いた。
双つの瞳が真っ直ぐ義明を見つめる。
思わず義明は内心、たじろぎを覚えていた。時姫の瞳を覗き込むと、いつもそうだ。真っ黒で、底が知れないぬれぬれとした黒い瞳は、義明の総てを見透かすようであった。
「時姫殿、そちには息子がおるな?」
微かに時姫の唇が開く。両目は一杯に見開かれている。その様子に、義明は力づけられた。
「名前は時太郎。どうじゃ、図星じゃろう」
「どこで、その名前を!」
初めて時姫は言葉を発した。義明は、にんまりとした笑いが頬に浮かぶのを感じた。
「どこでもよい。麻呂はそちの息子がどこにいるか、知っておるぞ。これを見い」
移動行動電話の画面を開き、差し出す。画面を見入る時姫の頬が赤く染まった。
「この小僧の両目にある痣、間違いなく信太一族の徴じゃな。そちの父親の信太従三位も、そうじゃった。信太一族の男には例外なく、この徴が現れるのじゃったな?」
ずい、と義明は一歩前へ出た。
「さあ、喋るのじゃ! 〈御門〉の求める〈鍵〉は、どこか。息子の命が惜しくないのか?」
時姫は、ゆっくりと頭を振る。
「あなたには判らないのです。〈鍵〉を〈御門〉に渡すことはできませぬ」
時姫の瞳に浮かんだ、義明を哀れむような視線に、つい義明は、もう一歩、す、と前へ歩き出す失策を犯した。
びりっ!
義明の全身を、怖ろしいほどの衝撃が貫く。
「わあっ!」と悲鳴を発し、義明は尻餅を衝いた。
時姫を囲む円の内側に触れる、という失態である。円の外側には不可視の力場が張り巡らされている。
ぜいぜいと喘ぎながら義明は立ち上がった。
怒りに我を忘れた。
「そこで、何時までも強情を張るがよい! 息子の時太郎めは、麻呂が捕えてやる! そうして、そちの目の前で一寸刻みに嬲り殺しにして進ぜる! 後悔しても遅いわい!」
息を弾ませ、くるりと背を向け歩き去った。
後には時姫が残された。
上総ノ介による二輪車揃えの喧騒は、ここには届かない。
大極殿の大屋根の向こうに〈御舟〉のすらりとした形が夜空を切り裂くように聳えている。
義明は大極殿を通り抜け、〈御舟〉へ続く渡り廊下をひそひそと歩いた。
行き止まりが〈御舟〉内部へ通じる入口になっている。すべすべとした〈御舟〉の壁に、四角い入口が口を開けていた。入口には警備のため、検非違使が立っている。
その側をすり抜け、義明は内部へと踏み込む。
壁にはちかちか、ぴかぴかと様々な色合いの明かりが瞬いている。〈御舟〉の内部は、大極殿とも御所の他の場所ともまったく違う構造になっている。
木材でも石材でもなく、金属でも焼き物でもない奇妙な素材でできていて、それらには無数の釦や、把手がついていた。
あたりには検非違使がうろうろしていて、時折ちらほら壁の機械を眺めたり、幾つかの釦を押したりしている。
それらに義明が手を触れようとしただけで、有無を言わさず放り出されることになるだろう。〈御舟〉内部の機械は検非違使のみが操作できるのである。
窮屈な廊下を歩き、義明はようやく時姫のいる場所へと辿り着いた。
円形の台の上に、時姫の姿があった。時姫は静かに端座し、目を閉じている。
あいかわらず美しい……。
密かに義明は賛嘆していた。
時姫がここへ連れてこられて十数年が経つが、その頃の娘盛りのまま、まるで年を重ねていないようである。しっとりとした白い肌、豊かな黒髪。卵形の頤に、瞑った瞼から長い睫が頬に影を落としている。
ごくりと唾を飲み込み、義明は語りかけた。
「時姫殿……藤原義明で御座る。麻呂の言葉が聞こえているであろう。目を開けよ」
義明の声に、時姫の瞼がゆっくりと開いた。
双つの瞳が真っ直ぐ義明を見つめる。
思わず義明は内心、たじろぎを覚えていた。時姫の瞳を覗き込むと、いつもそうだ。真っ黒で、底が知れないぬれぬれとした黒い瞳は、義明の総てを見透かすようであった。
「時姫殿、そちには息子がおるな?」
微かに時姫の唇が開く。両目は一杯に見開かれている。その様子に、義明は力づけられた。
「名前は時太郎。どうじゃ、図星じゃろう」
「どこで、その名前を!」
初めて時姫は言葉を発した。義明は、にんまりとした笑いが頬に浮かぶのを感じた。
「どこでもよい。麻呂はそちの息子がどこにいるか、知っておるぞ。これを見い」
移動行動電話の画面を開き、差し出す。画面を見入る時姫の頬が赤く染まった。
「この小僧の両目にある痣、間違いなく信太一族の徴じゃな。そちの父親の信太従三位も、そうじゃった。信太一族の男には例外なく、この徴が現れるのじゃったな?」
ずい、と義明は一歩前へ出た。
「さあ、喋るのじゃ! 〈御門〉の求める〈鍵〉は、どこか。息子の命が惜しくないのか?」
時姫は、ゆっくりと頭を振る。
「あなたには判らないのです。〈鍵〉を〈御門〉に渡すことはできませぬ」
時姫の瞳に浮かんだ、義明を哀れむような視線に、つい義明は、もう一歩、す、と前へ歩き出す失策を犯した。
びりっ!
義明の全身を、怖ろしいほどの衝撃が貫く。
「わあっ!」と悲鳴を発し、義明は尻餅を衝いた。
時姫を囲む円の内側に触れる、という失態である。円の外側には不可視の力場が張り巡らされている。
ぜいぜいと喘ぎながら義明は立ち上がった。
怒りに我を忘れた。
「そこで、何時までも強情を張るがよい! 息子の時太郎めは、麻呂が捕えてやる! そうして、そちの目の前で一寸刻みに嬲り殺しにして進ぜる! 後悔しても遅いわい!」
息を弾ませ、くるりと背を向け歩き去った。
後には時姫が残された。
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