蒸汽帝国~真鍮の乙女~

万卜人

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首都

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 夜明け前、線路の向こうにボーラン市の威容が見えてきた。
「は、は、は、博士え……や、や、やっぱり、き、き、き、汽車に乗ったほうが良かったんじゃないのかなあ……」
 がちがちと震えながらパックは音を上げた。
「ば、ば、ば、馬鹿を言え……! う、う、う、運賃を払わずに来れたんだぞ! と、と、と、得したと思わんか!」
 ニコラ博士もまたぶるぶる震えつつ強がっている。
 この時間、気温は零度ちかくに下がってきていた。吹きすさぶ寒風はまともにムカデに吹きつけ、四人は寒さに震え上がっていた。平気なのはロボットのマリアだけである。
 なにしろムカデの操縦席は吹きさらしで、風除けなどなにもない。
 強い向かい風に、パックの目に涙が滲んでいる。かれはまっすぐ進行方向を見据え、近づいてくるボーラン市を見つめた。
 古い城塞都市の特徴をボーラン市は残し、山の斜面に幾重にも構築した城壁にかこまれ中心に王宮がそびえている。
 まわりに皇帝につかえる臣下の屋敷、さらにそのまわりを貴族の屋敷がとりかこんで王宮を守る構造になっている。
 そのまわりを取り囲んでいるのは商業、工業に従事する平民の家々である。ボーラン市の食料を調達するため、かつては市のまわりを広大な農地が取り囲んでいたが、それらはいまや低所得者むけの住宅に変わっている。食料はボーラン市が支配する農業専門の町、村から毎日届けられるのである。
 その低所得者むけの住宅地には、ぽつんぽつんと学校や病院などの公共施設が点在し、ひろい公園が住民に開放されている。
「すげえ……ロロ村とはぜんぜん違うなあ……」
 パックはぽかんと口を開けたままつぶやいた。
 その時、山肌をさっと朝日が染め上げた。
 地平線から昇った朝日は、見る見るボーラン市を輝かせていく。
 王宮の外壁に使われている大理石の化粧板が、その朝日にまぶしく反射し、五彩の色にきらめいた。
 夜明け前から活動していたのだろうか、市の中心部近くからもくもくと大量の煙が噴きあがっている。さらに市のはずれにも、巨大なレンガ積みの建物がそびえ、そこの煙突から大量の黒煙が噴きあがっている。
「博士、あれはなんです? すっげえ、煙出ているけど」
「すっげえ……なんて言うでないぞ。お前が田舎ものだというのが一発でわかるわい。まあ、答えてやる。あれは発電所じゃ」
「発電所?」
「ロロ村では電気がほとんど使われておらんから知らんのも無理はない。ボーラン市では、各家庭に電気を送っているのじゃ。そのための発電所じゃよ」
 それを聞いて、ホルンは目を怒らせた。
「あんなに大量の煙を吐き出しているんじゃ、ひどく空気を汚しているに違いないでしょうな。市の人間は、あんな煙の中、どうやって暮らしているのです」
 博士は肩をすくめた。
「どうしようもないわい。電気なくして、市の生活は一日も過ごせん。煙はおもに平地に住む住民の地帯に流れ込んでいるから、毎年、多くの肺を病んだ患者が出ておる。わしがボーラン市を逃げ出したのも、あれが一因なのじゃ」
 そういう目でボーラン市を見ていると、うっすらと市を灰色の煙が覆っているのがはっきりと判る。
 ぽーっ、とかすかに汽笛の音が風に乗って聞こえてくる。
 パックは博士をふりかえった。
「博士!」
「そろそろ鉄道が再開したようじゃな。どれ、わしらもここから離れることにしようか」
 博士はレバーを操作し、ムカデを停止させた。
 がちゃ、がちゃんと派手な音を響かせ、ムカデの腹部から足が飛び出し、それまで線路に乗っていた車輪がはずれた。
 がちゃ、がちゃと横歩きでムカデは線路から離れていく。
 と、線路の向こうからがしゅがしゅと蒸気機関の音を響かせ、機関車が接近してきた。
 ぼおーっ、とけたたましい警笛を鳴らし、機関車はムカデのすぐ横を通過していく。疾走して行く機関車の動輪がパックの目の前を横切っていった。
 パックは噴き出した汗をぬぐった。
「あっぶねえ……あのままあそこにいたら、轢かれているところだった!」
 博士もうなずいた。
「まったくじゃ……!」
 ふうーっ、とホルンとホルスト老人がため息をついた。かれらはあやうく命を落とすところだったことに、ようやく気づいたのだった。
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