電脳遊客

万卜人

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第一回 鞍家二郎三郎の闇の本拠地への侵入と、悲劇的な結末の巻

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 ひょこひょこと、漂うような歩き方で、男は俺の目の前を案内していく。
 通路を何度か曲がるうちに、照明は暗く、剣呑な雰囲気が周囲に漂ってくる。壁は地下水が洩れているのか、じっとりと湿り、薄汚れた筋が、何本もまだら模様を描いていた。
 俺は背後から声を掛けた。
「おい、いつまで歩くつもりだ?」
 ぴた! と、男の足取りが止まった。ひょい、と振り向くと「ひひひひ……」と掠れた笑い声を上げた。
 不意に見せた男の変貌に、俺は立ち止まり、無言で睨みつけた。
 男はうっすら、頬に笑いを張り付かせたまま、横目で俺を睨んだ。厭な目付きだ。悪企みが、はっきりと目に出ている。
「おい……!」
 一歩、前に出ようとした瞬間、男はいきなり前方に弾かれたように跳躍した。出し抜けの変化に、俺は面食らっていた。
 男の表情が「してやったり!」と言いたげなものに変わる。
「わあっ!」
 俺は叫び声を上げていた。
 男の姿が、目の前から消えうせる。突然の落下の感覚に、俺は完全に頭の中が空白になっていた。
 反射神経のみが、俺を救っていた。
 俺は空中で身を捻り、落下の衝撃に全身の筋肉を緊張させていた。足先が床に当たる感覚があって、俺は膝を曲げ、着地していた。
 顔を上げると、ぽっかりと空いた天井の穴から、男が細長い顔を見せ、俺の姿を確認している。
「ちっ! 無事だったか……」
 舌打ちして、悔しそうな顔になる。
 みすみす、罠に引っ掛かってしまったのだ! 何と言う醜態! 床は落とし穴になっていたとは、全然、これっぽっちも気付かなかった!
 俺は素早く、自分の置かれた状況を見定めた。と言うより、どれほど酷い状況になっているのか、確かめたのだ。
 三メートル四方ほどの、四角い箱型の穴に、俺は落ち込んでいた。
 上は跳ね蓋になっていて、男が通過した瞬間、俺をぱっくりと呑み込む仕掛けだった。
 高さも同じくらいはあった。壁はつるつるの平面で、手懸り一つ、見当たらない。登るのは無理だ。
「どうした? 鞍家二郎三郎ともあろうお人が、こんな間抜けな罠に掛かるとは、まったく、お笑い種だなあ!」
 男は悪意たっぷりに俺に向かって嘲笑し、言い終わると仰け反って笑い声を上げた。
「珍しい客人ですなあ……」
 別の声が割り込み、俺を覗き込んでいた男は、ぎくりと身を強張らせる。
 新しい声の口調は、ビロードのように滑らかで、抑制の効いた、知性を感じさせるものだった。俺を覗き込んでいる男とは、格段の違いを感じる。
「検校様! 鞍家二郎三郎とかいう、お節介野郎を捕まえましたぜ! 俺が誘い込んでやったんだ!」
「判っておる……」
 新たな声は、五月蠅うるさそうに、男の説明を一蹴した。男は叱られた子供のような表情を見せて、項垂うなだれた。
 そうか、この声が《検校様》とか呼ばれている、陰謀団の頭目なのだ! 俺は、声を張り上げた。
「検校とか言うのは、お前か? ここは何をする場所だ? 企みは何だ?」
 ──ほっほっほ……。
 検校は、さして可笑しくもなさそうな笑い声を上げた。
「お主の名前は、ちょくちょく耳にする。現実世界のヒーロー気取りの、お調子者だ。江戸で小悪党を相手にしていれば良かったものを、わざわざこんな所まで飛び込むとは、身の程知らずも極まったな!」
 検校の台詞に、俺は眉を顰めた。
「ヒーロー気取り」とは、江戸のNPCの発想ではない。明らかに、現実世界の《遊客》の口振りだ。
 が、そうとも言い切れない。検校の口調には、はっきりと江戸NPC町人の口調が木霊している。
 さらに謎は深まった。
 考え込んでいる俺に、検校は話し掛けた。
「儂の正体に思いを馳せているのであろうな……。知りたいか、儂の正体を?」
「ああ、お前さんが、教えてくれるなら」
 俺は頷いてやった。
「儂は《暗闇検校》と自称している。なぜ、このような異名を自称しているのか、判るかね?」
「さっぱりだな。俺は、謎解きが苦手でね。検校とは、江戸で、ピーッ!」
 俺の言葉は、途中で警告音で遮られた。俺は思わず口に出そうになった罵り言葉を押し殺す。
 仮想現実では、身体的、あるいは精神的欠陥がある人間を貶めるような言葉は制限されている。言葉に発した瞬間、警告音が鳴り響く仕掛けになっている。俺は唇を舐め、言い換えた。
「……目が不自由な連中が就ける地位の最高位だ。それを自称するとは、あんたは、目が見えない不幸を背負っているのか?」
 相手は、微かな溜息を吐いていた。
「いいや、儂は、ちゃんと目も見えるし、耳も達者だ。しかし、儂は見えていて、見ていない。聞こえているが、聞いてはいない。つまり、本物ではない。そこでお前さんを覗き込んでいる男と、同じだよ」
 検校の説明に、俺の頭の中に天啓が閃いた! まさか、検校の正体とは……!
「さて、お喋りもお終いにしよう。お前さんと話せて、楽しかったよ……」
 検校の口調が、急に平板なものに変わった。もう、俺に関しては、興味の一欠片もないという口調だ。
 俄かな不安に、俺は叫んでいた。
「おい! 俺を、どうするつもりだ?」
「死んで貰う。ここまで忍び込まれるとは、儂も不覚だった。今は大事な時期なのでな……お前さんに邪魔されたくない……」
 検校が言い終わると、一瞬にして、俺を呑みこんだ撥ね上げ蓋が戻った。落とし穴を闇に包む。俺は、完全な暗闇に閉じ込められた。
 どうするつもりだ……?
 俺は唇を噛みしめ、闇の中で立ち尽くしていた。闇の中で、俺の耳が微かな変化を捉えていた。
 ちゃぷちゃぷちゃぷ……。
 水音だ!
 やがて水音は、はっきりとした轟音となって、俺を呑み込んだ暗闇に響いていた。気がつくと、足下に冷たい水を感じていた。
 水責めだ! 検校の奴、俺を溺れさせるつもりなのだ!
 逃げなくては……。
 俺は必死になって、周りの壁を手探りしていた。
 明かりのあった時に確認していた通り、何の手懸りもない。手は、すべすべした表面を虚しく撫でるだけだった。
 水は、すでに俺の胸まで達している!
 が、俺には最後の手段があった!
 俺は目を閉じ、暗闇で、ある暗号を思い浮かべた。緊急脱出のための、暗証である。
 俺の視界に、仮想現実接続装置の、ウインドウが開く。ウインドウに「仮想現実の接続を切断して、現実に目覚めますか?」と表示が浮かび、「はい」「いいえ」の選択肢が出現する。
 俺は、にんまりと、闇の中で笑いを浮かべた。
 これがあるため、俺は江戸で〝抜け参りの二郎三郎〟という称号を得ているのだ。どんな危急に直面しても、俺は悠々と仮想現実から逃げ出し、現実に目覚める特技を持つ。
 俺は選択肢の「はい」を選んだ。ところが……。
 何も起きない!
 相変わらず、俺は落とし穴に閉じ込められたまま、押し寄せる水に、全身を浸している。もう、水面は首まで達している!
 ──はっはっは……!
 検校の高笑いが、闇に響いていた。
「今、お前さんは、仮想現実の接続を断ち、目覚めようとしていたな? 無理無理! 廃寺の地下は、結界になっておる。あんたたち、《遊客》が、出現するのも、脱出するのも不可能なのだ! お前さんは死ぬのだ! この地下でな……!」
 水面は口許まで達していた。俺は必死になって水面をばちゃばちゃと掻き分け、立ち泳ぎを続けていた。
 いずれ、水面が上がって、俺の頭は、撥ね上げ蓋に着くだろう。その後は、上がってくる水面に、完全に没してしまい、溺れるだけだ。俺は途切れ途切れに、検校に向かって叫んでいた。
「俺を殺しても……無駄だぞ! 俺の本体は……、現実で眠っているだけだ……。今、俺が死ねば……、本体は……現実で目覚め、また同じ対決の繰り返しになる……」
 検校は物憂げな返事をした。
「左様……。確かに、お前さんは、五体無事で目覚めるだろう。が、ここ数日間の、江戸での記憶は失われる。確かにあんたは、自分が江戸で死んだのは判る。しかし、理由までは判らないだろう。再び、儂の目の前に現れるまでは、時間の余裕が生まれるのでね。ま、それまで、気長に待つさ。あんたが又ぞろ、のこのこ間抜け面を下げてくるのをね」
 最後の部分は、もうはっきりとは聞き取れなくなっていた。すでに水面は、落とし穴のほとんどを占め、俺の身体は、水中にぷかぷかと漂っているだけだ。
 微かな空間に、俺は必死に鼻を突き出し、最後の足掻きに、酸素の残滓を、貪るように吸い込んでいた。
 がばり……と、完全に水中に俺の身体は没していた。もう、一息の空気すら、存在しない。俺は、ぐっと息を堪え、蓋の裏側をがりがりと爪先で抉っていた。
 頭が、がんがんと割れるように痛んだ。肺が酸素を求め、爆発するように膨らんでいる。ごおごおと耳の中で、血液が轟いているのを感じて、遂に俺は水中で口を開いていた。
 どっと俺の口に、水が溢れ、肺に冷たい水が、わっとばかりに侵入した。
 意識が遠ざかり、なぜか俺の耳に、検校の高笑いが木霊していた。
 俺は、死んだ。
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