電脳遊客

万卜人

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第七回 悪党弁天丸の追跡の巻

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 石川島人足寄場は、火付盗賊改方頭としてあまりに有名な、長谷川平蔵宣以が設立した無宿人、犯罪者の更生設備である。今の刑務所と同じく、収容者は社会復帰のため、様々な職業を経験し、出所の際は、ちゃんとそれまで働いた手当てを受け取る。正式名称は加役方人足寄場。
 現在の地名で言えば、中央区佃島にあたり、「島」の名前で判るように、石川島には渡し船が出ている。
 渡し船を利用する客はあまりおらず、辺りは閑散としていた。
 俺たちが渡し船に乗り込むと、船頭はむっつりとそれまで口に咥えていた煙管の灰を、ぽんと叩いて水面に落とすと、無言で腰にしまいこみ、立ち上がった。
「四人かね?」
 塩枯れた声で聞いてくる。俺が頷くと、黙って艪を漕ぎ始める。
 きいー……きいー……という艪を漕ぐ単調な音を聞きながら、俺たちも黙って座っていた。
 風はあまりなく、ただ、かんかんと照りつける日差しだけが眩しい。
 沈黙に耐え切れなくなったのか、晶が玄之介に話し掛けてきた。
「ねえ、玄之介さん。一度、聞いておきたかったんだけど?」
 もし俺なら「女は今のところ足りてるよ」とか何とか混ぜ返すところである。
 だが、玄之介はあくまで几帳面に、晶に向き直った。
「何で御座ろう?」
「どうして、この江戸に来る気になったの?」
 玄之介は、晶の素朴すぎる疑問に、面食らった様子だった。
「どうして、と申されても、返答に困り申すな! それがしは、江戸時代に生まれたかったと言えば、お判りになられますかな?」
 晶は、ぶんぶん、と勢い良く首を振る。
「判んない。だから、どうして、幾つもある仮想現実の江戸のうち、この江戸に住む気になったのか、って聞いてるのよ!」
 玄之介は、しばらく視線を空に向け、熟考していた。
 あくまで、四角四面に、真面目に返答するつもりらしい。やがて、頭の中に返事が纏まったと見え、口を開いた。
「先日、鞍家殿に看破されたように、拙者は東京都肝煎りの、最も時代考証を重視した江戸で、百姓として生活しておった。生活の大部分は、畑を耕す毎日で、時折、暇を見つけては、市中に遊ぶ、そんな日々を暮らしておりました。しかし……」
 玄之介の瞳が、苦悩に曇った。
「鞍家殿の仰る通り、あの江戸は、あまりに窮屈で、町人たちも、それがしにはどうにも生き生きと生活しているようには、思えなんだ。まるで、毎日が、江戸時代再現のための、台本通りの芝居で御座った。そのうち、この江戸の噂を聞きつけたので御座る」
 玄之介は、にやっと笑った。今まで見せなかった、奇妙な笑い顔だった。
「時代考証を無視しているに拘わらず奇妙にもこの江戸は、仮想現実で、一番、《遊客》の訪問が多いと、評判で御座った。拙者は正真正銘の江戸で暮らしたいと、それだけを念頭に置いておりましたが、この江戸の評判は聞き捨てならんと、確かめに参ったので御座る。いずれ、拙者の夢の実現に役立つかと……」
 晶は、好奇心を刺激された様子だった。両目が一杯に見開かれている。
「夢? 夢って、何?」
 玄之介は微かに照れ、視線を逸らした。小さく、返答をする。
「それは……いつか、拙者も、仮想現実に江戸を再現したいという夢で御座る。もし拙者の夢が実現した暁には、この江戸で暮らした体験が役に立つと、考えておるので御座る」
「へえ……」
 晶は、玄之介の意外な告白に、すっかり感心した様子だった。手を挙げ、ぱんと音高く玄之介の肩を叩く。
「できるわよ! あんたなら!」
 おいおい、晶。お前の前にいるのは、火盗改の、与力だぞ。つまりは、上役だ。そんな気軽な調子でいいのかね?
 しかし、玄之介は、晶の励ましに嬉しそうに頬を染めている。
 ちぇっ! 呑気なもんだぜ。
 玄之介の話を聞き終えた晶は、今度は俺に視線を向けてきた。表情で、何か尋ねたいのだと判る。
 やれやれ、この娘の好奇心は、際限がないのかね?
「あんたは、江戸の創設メンバーだったわね?」
 俺は、ふん、と顎を上げた。
「せめて、鞍家さんとか言えないのか? 俺は仮にも、お侍だぞ!」
 晶の言葉に、玄之介も俺に向き直る。
「左様で御座った! 拙者も、鞍家殿の江戸創設の苦労など、伺いたいもので」
 晶は無邪気な笑みを浮かべ、口を開く。
「それで、あんたが果たした役割って、何よ? あんたは江戸を造るとき、どんな仕事をしたの?」
 俺は、絶句した。
 確かに俺は、江戸の創設メンバーだ。しかし、俺の果たした役割となると……。
 俺は、ぷい、と顔を背けた。黙り込んだ俺に、玄之介がぎこちなく声を掛ける。
「どうなさったので御座る? 何か、拙者が鞍家殿のお気に障るような質問をしたので御座ろうか?」
 俺は水面を見詰め、もごもごとした喋りで返事をした。
「そんな大した役割はしてねえよ……。俺の役割は……その……」
 後が続かない。苦い思いが込み上げる。
 それまで黙って、鼻毛を抜いていた吉弥が、顔を上げた。
「渡し場が近づいたよ!」
 俺は顔を上げた。
 渡し船の舳先の向こうに、石川島の人足寄場が近づいてくる。巨大な建物は、石川島灯台だ。寄場に集められた人足によって、建てられた施設である。
 渡し場に船が接岸すると、小屋の戸が開き、番人が出て来て、船頭から舫い綱を受け取って、舳先を固定する。
 俺、晶、玄之介、吉弥の順で上陸する。
 晶と吉弥を目にし、番人は困惑した表情を作る。吉弥はともかくとして、晶は明確に女である。
 玄之介は、威儀を正して声を張り上げた。
「火盗改方与力、松原玄之介である! 御用により、取り調べたい儀あり、これなる三名を連れて参った!」
 番人は、玄之介のいかにも侍らしい物腰に、すっかり恐縮した様子だった。「へっ」と小腰を屈め、案内に先に立つ。
 人足寄場といっても、全島総てが授産所になっているわけではない。町奉行の配下にあり、寄場奉行という役職も設けられている。
 当然、与力、同心、寄場差配人がいる。この中で寄場差配人は、人足の中で模範囚が充てられている。
 俺たちは番人に案内され、寄場奉行所の建物に近づいた。
「火盗改方与力、松原源之助様御一行、ご到着で御座ります!」
 番人は、建物の中に向かって叫び声を上げた。
 中から「どうれ」と応答があり、暗がりからぬっと、侍が姿を表した。
 服装から推測すると、寄場同心らしい。ぬめるような肌をしていて、凹凸の少ない、平板な顔つきをしている。
 僅かに開いた瞼の下から、同心は胡乱気な視線を、俺たちに注いだ。
「火盗改が、何の用で御座る?」
 明らかに、迷惑そうな口振りだ。町奉行と火盗改という、治安維持の、同じ役割を果たす役人として、対抗心があるのかもしれない。名前すら、名乗ろうとはしない。
 俺は、ずい、と一歩前へ進み出た。
「何をマゴマゴしてやがる! 俺たちは、授産所の人足にお尋ねがあるのよ! さっさと案内しねえと、おめえの役職など、俺の胸先三寸で、どうにでもできるんだぜ!」
 俺の迫力に、同心は顔色を真っ白に変えた。
 もちろん、俺は《遊客》特有の気迫を発動させたのだ。厭な瞬間だが、仕方ない。あまり、これを使いたくはないのだが。
 気迫を最大に働かせたため、背後で控えていた番人が煽りを受け、尻餅をついた。大きく開いた股の辺りから、じわじわと地面が濡れて、異臭を放つ。失禁している。
「お、お待ちを……」
 同心は、震えながら応えた。
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