呪われし復讐の王女は末永く幸せに闇堕ちします~毒花の王女は翳りに咲く~

日蔭 スミレ

文字の大きさ
7 / 37
Chapter1

第6話 ラベンダーの霧の向こう、紫水晶の城

しおりを挟む
 ──翳りの国は、人の世界とは真逆の生活と女王は言う。

 つまり、明るくなり始めるこれからが、人の世界で言う夜の時間に当たるそう。「遠出したのもあるがね。私も少し眠たいのさ」なんて、女王は欠伸混じりに言った。

 そうして、馬車に揺られることしばらく。空が白み始める寸前──空間が藍に色づき、景色の輪郭が見え始めた頃、馬車はハンナの故郷付近の針葉樹林に辿り着いた。

 木々が生い茂る道を進んで間もなく、外の景色は一寸先も見えない闇に包まれた。
 だが、すぐに車窓の外の視界がぱっと開け、その肥沃な地の輪郭が映し出された。

 青々と茂る肥沃な地に、朝霧がわずかに煙っていた。しかし、ミルク色の霧ではない。その色は薄いラベンダー色をしていた。

 ……しかし、丘陵地帯一面の葡萄畑といい、どこか既視感のある景色だと思う。そう思った矢先、同じく外の景色を眺めていたハンナがぽつりと「ヴェルメブルク城周辺と同じ地形」とこぼした。

「そうなの?」

 思わずくと、ハンナはすぐに頷く。

「木々や道、建物などは違いますが、地形に関してはほとんど同じで……」

 ハンナが言うや否や、正面に座した女王がくすくすと笑いをこぼし、窓の外に視線をやった。

「何を、当たり前のことさ。こちらはヴェルメブルクと鏡合わせ。裏にある世界だからな。ほら、少し前方を見てみるがいい」

 言われるがまま、ベルティーナとハンナは視線を向ける。すると、小高い丘の上には、黒砂岩に紫水晶の結晶を混ぜて積み上げたかのような立派な城が見えた。

「ヴェルメブルク城と同じ位置に……お城が。ヴェルメブルク城と姿はまったく違いますが……」

 驚いたハンナがぽつりとこぼすと、女王は唇を綻ばせる。

「そうさ。あれが我が城、ナハトベルグ城さ」
「……ナハトベルグ?」

 眉をひそめてベルティーナが復唱すると、女王は頷いた。

「人間はこの世界を“翳りの国”と呼ぶな。だが、美しき夜に祝福されて生きる魔性の者たちは皆……この国をナハトベルグと呼ぶのさ」
「現地ならではの呼び方みたいなものかしら?」

 ベルティーナがそっけなくけば、「そうとも言える」と女王は頷いた。

「さて、もう空が白み始める頃だ。我が息子も帰ってきているだろう」

 自分の城を見ながら、女王は少しばかり眠たそうに告げた。

 息子……つまり、自分の婚約者だが、果たしてどんな人物か。ベルティーナには想像できなかった。だが、この女王の子息と考えると、きっとおぞましい怪物ではないだろうと推測は容易い。

(大丈夫、きっと顔は悪くない。私は彼とうまくやって、上手に立ち回りながら、報復の糸を紡がないと……)

 ベルティーナは心の中で小さく呟き、近づく紫水晶の城を鋭い瞳で見据える。その冷たいアイスブルーの眼差しには、秘めた決意が揺れていた。


 ***

 予定通り、空が白み始めた頃合いに、ベルティーナたちはナハトベルグ城に辿り着いた。

「長旅ご苦労様です」

 労いの言葉を言って、御者の男は馬車のドアを開け、女王に手を差し出す。
 女王は優雅な所作でその手を取り、馬車から降りた。
 そうして御者は今度はベルティーナに手を差し出すが……。

「いいえ、結構よ。降りられるわ」

 すぐに拒んだベルティーナは、すとんと馬車から降りた。

「これまた失敬」

 それだけを告げると、御者は今度はハンナに手を差し出し、彼女を下ろした。

「さて。細々とした話は後日でいいか。お前たちも疲れているだろうから、今日は早めに休むといい。だが、我が息子とお前につけるこちらの侍女だけは……」
 と、女王が話している最中だった。

「女王様ー! おかえりなさいませー!」

 随分と元気溌剌とした少女の声が二つ重なって聞こえた。

 ベルティーナとハンナは、声がした方に同時に顔を向ける。だが、その声の主たちの姿を見て、ベルティーナの思考はぴたりと止まってしまった。

 ぶんぶんと手を振って駆け寄ってきたのは、漆黒のエプロンドレスを纏った二人の少女だった。

 ──ふわふわと長い髪は、夏の夜空に似た藍色。それを緩く二つに結っており、星屑のような白銀《ぎん》の瞳を輝かせて、彼女たちはやって来た。喩えるのであれば、まるで愛らしい人形のよう。

 年齢は自分より四つ五つも年下と思われる、まだ稚さを残す可憐な少女たちだった。
 だが、ベルティーナの目を一番に惹いたのはまったく別の部分だった。

 彼女たちの頭頂部には獣の耳らしきものがつんと立っており、臀部からはモフモフとした尾が揺らいでいるのだ。何の生き物を主体としているのかはベルティーナには分からない。だが、この得体の知れぬモフモフがとてつもなく愛らしいと思えてしまう。

(な、な……なにこの生き物は!)

 初めて見る生き物だ。眠い目を限界まで持ち上げたベルティーナは、慌ててハンナの方に視線をやる。

「ね、ねえ貴女。あのモフモフの耳と尾の生き物って……」

 ──何かしら、と小声でくと、ハンナは小首を傾げた。

「どう見ても猫だと思いますが……」

「……ね、猫ですって?」

 その名は幾度も本の中で見かけたことだろう。
 気分屋ではあるが、甘えると喉を鳴らす愛らしい仕草を見せる生き物で……。一度でいいから見てみたいと思い続けていた生き物で……。

(猫、猫。これが猫ですって?!)

 興味が高ぶり、鼓動が高鳴るが、それでも表情には出さないように。ベルティーナは彼女たちをじっと見据える。
 しかし、その視線にすぐに気づいたのか、彼女たちはすぐにベルティーナとハンナの方に視線を向け、にっこりと無垢な笑顔を咲かせて控えめに手を振った。

「見てよロートス! 本当に人間の王女様なの! 私たちよりもお姉さん! とても綺麗!」
「すごいわイーリス! 王女様だけじゃなく、もう一人、人間のお姉さんがいる!」

 キャッキャと無邪気にはしゃぐ二人を見て、ベルティーナはすぐにまたハンナの方を向く。

「ベルティーナ様、どうなさったのですか。なんだかそわそわして……」
「……どんな反応をしたらいいか分からなくて、妙に不快に思って困っているのよ」

 こんな胸が高鳴ったことなどあっただろうか。落ち着け……とベルティーナは自分に言い聞かせながら俯いた──そのときだった。

「こらこら、はしゃいでいないで、部屋に案内しておあげなさい! 王女と付き人はろくに眠ってさえいないわ。急ぎ入浴と就寝の準備をなさい!」

 女王は呆れつつもぴしゃりと言う。すると、二人の少女は慌ててベルティーナとハンナの元に駆け寄ってきた。

 ***

 それから、双子の猫の少女たちに案内され、ベルティーナは一つの部屋に通された。
 そこは、漆黒と紫を基調とした部屋。天蓋付きのベッドのほか、棚やソファなど最低限の調度品が設置されていた。
 色使いは暗めだが、ベルティーナはすぐにこの部屋が気に入った。単純に、部屋を基調とする紫が自分が一番好きな色ということもあるだろう。

「お気に召しました?」なんて双子の少女たちにキャイキャイと問われ、ベルティーナは素直に頷く。

 ……どうやら、この少女たちがベルティーナの侍女らしい。
 彼女たちは「姉のイーリス」「妹のロートス」と自らを名乗ったが、顔も声も装いだって何もかも同じ。まったく判別がつかなかった。

 しかし、このかしましさにはさすがに目眩を覚えてしまい、ベルティーナはここでも誰の手も借りず一人で入浴を済ませた。
 そうして入浴を終え、部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。テーブルの上を見ると、ハンナからの置き手紙があり、綺麗な書体で「お休みなさいませ」と綴られていた。

 その隣には、湯気の立つ温かい飲み物が添えてあり、ベルティーナはソファに座してカップに手を伸ばした。

 ハーブティーだろうか。すんと鼻を鳴らすと、林檎によく似た甘い芳香が漂っていることから、カモミールティーだと分かる。
 カモミールは安眠や鎮静効果がある。随分と気を利かせてくれたものだと、ベルティーナがお茶を啜った途端──部屋の奥でガサリと物音がした。

 何事か……。
 慌ててベルティーナが振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。

 服装は首元に灰色の毛皮のついた黒のコート。簡素なシャツを下に着込み、黒の長靴を履いていた。毛皮のついた装いのせいもあるだろう。彼から、少しばかり荒々しい印象を感じてしまう。

 ──艶やかな濡羽色の髪に、深い森を彷彿させるビリジアンの瞳。その顔立ちは精悍で……。自分とは頭一つ以上も高い、長身な青年だった。

 女王同様に、彼の目元や手の甲には鱗らしきものが散らばっており、さらに似た点は巻き角だ。だが、それは女王の角よりも幾分か逞しく大きなものだった。しかし、異なる点が一つある。彼の臀部には硬そうな鱗に覆われた尾があった。

 ちょうど朝日が昇り始めた頃──その巻き角や鱗は、まるで黒曜石のように妖しい青い光を反射していた。
 きっと、彼が翳の女王の息子で王子……自分の婚約者と、ベルティーナはひと目見てすぐに理解した。なにしろ、顔立ちがまったく違うにしても、同じ色と形状をした角と鱗を持つ部分が女王と似すぎていたからだ。
   
第7話 夜明けの寝室と
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~

狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない! 隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。 わたし、もう王妃やめる! 政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。 離婚できないなら人間をやめるわ! 王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。 これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ! フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。 よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。 「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」 やめてえ!そんなところ撫でないで~! 夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

処理中です...