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Chapter3
第22話 決闘の掟、国の頂点に立つ者となるために
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角や鱗を持つ竜や、魚のエラのような特徴のある耳の者、兎と思われる長い獣の耳を持つ者……と、その種も様々。
その上、四、五歳と思われる幼子から十歳程度の少年少女と、年齢層もバラバラだ。そんな子どもたちに、ベルティーナとミランは瞬く間に囲まれてしまった。
「ミラン兄ぃちゃん、遊ぼうぜー!」
「とーっても良い匂いがたくさんする! お菓子だ、お菓子だ!」
「わー! 綺麗なお姉さん! すごいすごい! お姫様みたい! ドレス可愛いの!」
「ねえねえ、お姉さん、抱っこして!」
まるで小鳥が一斉に囀るかのよう。子どもたちがどっと同時に話しかけるので、ベルティーナはたちまち目眩を覚えてしまった。
イーリスとロートスもまだ子どもの部類に入るだろうが、彼女らが落ちついて見えてしまうほど。彼らの方がずっと幼いだろう。
当然、ベルティーナは子どもなんて相手にしたことがない。子どもたちが次々と発する自由気ままな言葉にベルティーナが困窮し、こめかみを押さえたそのとき──
「おいおい……お前ら、一気に話しかけると困るじゃねえか。大人しくできねえと、貰ってきた菓子をやらねえぞ」
ミランがやれやれと言葉を挟むと、子どもたちは皆ぴたりと黙った後、元気よく返事した。
「そうですよ。お客様が来たらどうするか、教えましたよね? さあ、どうするんです?」
続けてマルテが言うと、子どもたちは「お行儀良くします!」と口々に言い、踵を返してすたすたと部屋に入っていった。
「さあさ、玄関で立ち話もいかがなものかと思いますからね。少しばかり散らかっていますが、どうぞ、お家に入ってください」
マルテはベルティーナに優しい笑みを向けて言うが、ミランはすぐに首を振った。
「いや。今は荷物を軽くするのを手伝って欲しくて来たようなもんだ。街を歩いて食い物をたくさん貰ったからな。さすがにこんなに食い切れないし要らない。多分、菓子類ばかりだろうし。チビどものおやつにしてやってくれ」
そう言うなり、ミランは両手を塞いでいた紙袋をマルテに手渡した。
「あら、そうなの、残念ね。ミランちゃんは番人さんだもの。やっぱり忙しいのかしら」
「別に。今日は暇を取ったからそうでもないが……まあ、せっかくだから二人で出かけようって約束しただけで」
ベルティーナの方を一瞥して、ミランは少しばかり照れくさそうに言った。それを見ていたマルテはぱちりと手を合わせて、「あらまあ~」なんて嬉しそうに笑みをこぼした。
「そういうわけだ。本当に用事はこれだけで悪い。また暇ができたときでも顔を出しに来るし、チビどもの相手もする」
「ええ。ミランちゃんならいつだって大歓迎よ。またいつでも待っているわ」
マルテがにこりと嬉しそうに笑んだまま、ベルティーナの方に視線を移す。だが、ベルティーナを見た途端、マルテは目を丸くして口元を覆った。
「やだわぁ……あまりに騒がしかったせいで、私、王女様のお名前を伺ってなかったわ」
「ええ、ベルティーナよ」
──以後、お見知りおきを、とベルティーナはドレスの裾をつまんで会釈した。するとマルテは人の良さそうな笑みを浮かべてベルティーナを見つめた。
「そうなの、ベルちゃんなのね。ベルちゃんも是非一緒にいらっしゃい」
──ベル、ベル様。この愛称にはさすがにもう慣れてきたものだが、まるで可愛らしいものを呼ぶような「ちゃん」付けは初めてだ。
呼ばれたベルティーナは唖然としてしまう。だが、自分よりも圧倒的に年上の初老の女性に言われると、あまり嫌な気はしないもので、ベルティーナは「ええ」と肯定し、唇を綻ばせた。
「そういうわけだ。じゃあ、また近いうちにでも顔を出す」
ミランは会釈し、ベルティーナの手を取り、その場を去った。
***
葡萄畑の麓を通り過ぎ、菩提樹の生い茂る林道へ。果たしていったいどこに向かっているのか、依然として分からないまま、ベルティーナはミランの後をついて歩んでいた。
「さっきのお宅は……貴方の叔母様の家だったのね」
「ああ、そうだな」
「ナハトベルグでは王族の親族も王城に住んでいるわけではないのね?」
自分の住んでいたヴェルメブルグ城は、王族とその血縁者のほとんどが皆あの王城に住んでいると聞いていた。
それに、本の中で見る物語でも、王族は血縁者を含め多くが王城で暮らしている。だから、そういうものだと思い込んでいたものだが……規律が違うように、このあたりの文化も違うのだろうか。ベルティーナは不思議に思って、隣を歩むミランを一瞥した。
「そうだな。王城は基本的に現在の王の直系に当たる血縁者しか住んでいない。叔母は、王族ではなく一般民だ。だけど、俺の母親の手伝いで、ああして身寄りのなくなった子どもたちを引き取っている」
「身寄りのない子……」
ベルティーナは彼の言葉を復唱し、眉を寄せた。確かに種族はバラバラだっただろう。見るからに彼女の子どもや孫ではないとは思った。
なお、彼の叔母と知った時点で、城の使用人の子どもたちという憶測もよぎったものだが、見当違いだった。
「王城周辺を見る限り、一見穏やかそうに見えるナハトベルグだけどな……。実は、森林地帯で前触れもなく自然発火で山火事が発生したり、大きな地震が起きたり、つむじ風が吹き荒れて家屋が倒壊したり……なんて、色んな天災に見舞われることがあるんだ」
──今ではその頻度もかなり少なくなったものの、それでも時折、森林火災やつむじ風等の天災は割と起きる、とそんな言葉を添えて、ミランは言葉を続けた。
「つまり、叔母のマルテさんは、そういった災害に見舞われた地域の親を亡くした子どもたちを保護して育てているんだ」
「そう……だったのね」
天災の件も初めて聞いたことだった。だが、〝王都は治安が良い〟と双子の猫侍女たちが言う本当の意味を、ベルティーナは改めて理解した。
それは人ではなく、災害的な意味なのだと……。
「それで、王の直系血縁者しか王城にいない理由だっけ。王を決める方法が、多分人間とはまったく違うっていう部分もあるだろうな……」
ミランはベルティーナの質問を掘り起こして静かに切り出した。
「多分ここは人間と同じだろうが、直系は王位継承権が当たり前みたいにある。だけど、次期王は即位式までの一年ほどは決闘の繁忙期なもんでな……」
「……え? どういうことなの」
ミランの言葉がいまいち理解できず、ベルティーナは眉を寄せた。
「簡単に言えば、ナハトベルグの王に就く権利は割と誰にでもあるってことだ。次期王に決闘を申し込んで、それに勝てば誰だろうが王位継承権を剥奪できる。そして最後、即位の儀で次期王は現在の王と戦うこととなる」
──まず直系の次期王が負ければ、王城追放が決まってる時点でかなり手厳しいけどそういう掟、と彼は苦笑いを浮かべた。
言われた言葉にベルティーナの思考が追いつかなくなり、完全に停止した。いや、言っていることは分かるが、さすがにあれこれと過激すぎるのだ。
それでも、つい最近、前例があっただろう。あのイノシシ牙の男が王位継承の話をしていた気もするもので……。
「つまり、結婚までに時間がかかるというのは……」
「そういうこと。俺の決闘繁忙期ってこと。でも、思ったより忙しくないけどな」
そりゃ、番人の長に就くほどの男だ。誰も勝ち目がないと想像がつきやすい。ベルティーナはこめかみを揉んで情報を整理した。
……つまり、即位の儀という場で彼は自分の母親と戦うのだと。それで負ければ王城追放と。
「貴方、ヴァネッサ女王と戦うの?」
「ああ、そうだが」
「こう聞いたら失礼だけど、女王のご年齢はおいくつで……?」
「……五十ほどだな」
「……年齢や性別を考慮すると、貴方、あまりに有利すぎるでしょう」
きっぱりとベルティーナが言うと、ミランは即座に首を振った。
「王に就くほどだ。俺の母親は強い。正直、この国一番の俺の強敵だと言って過言じゃない。ついでに言うと、俺の父親は母親に負かされた雄竜だ。一応、現在三位。前代の翳の番人。まあ、俺が番人になったの、割と最近で……父親を倒して踏襲したもんで……」
「貴方、父親とも戦っていたのね……」
「まあな。一応は女王の夫だからこそ王城にいる権利もあるもんだが……どうにもこうにも意固地な父親でな。王城の外で一般人に混じって生活している」
本気で頭が追いつかなかった。即位式と言ったら……本で描かれたような厳粛な場で祝典を行うものだと思っていたもので……。
「貴方、結構大変なのね。でも負けた場合は王城追放でしょう? そうなったらどうするの。私もだけど……」
思ったままの言葉を投げかけると、ミランはまた苦笑いをこぼした。
「……そうさせないために、負けるわけにはいかない。だから命を賭けてでも頑張るしかないな? むしろ、勝たなきゃ俺としても困る」
ミランがそう言ってから間もなくだった。ちょうど菩提樹の林を抜け、視界は鮮明になった。
その眼下にあった景色……瞳に映したベルティーナは、返事さえ忘れて息を呑んだ。
月明かりに照らされて映るのは、果てしなく遠くまで繋がる巨大な水たまりだ。風に乗って、涙にも似た塩辛い匂いが仄かに漂う。
「……これは、海?」
ベルティーナは目を瞠ったまま、その圧巻の景色を望んだ。
「ああ……もしかして、じゃなくても……ベルは海を見るのは初めてか?」
戸惑うようにミランに聞かれ、ベルティーナはすぐに頷いた。
「ええ、本の中では知っているわ。途方もなく大きな塩辛い水たまりだって。でも、翳りの国……ナハトベルグにあるなんて」
呆然としたまま、ベルティーナがそんな言葉を出すと、隣に立つミランはくすくすと笑い声をこぼした。
「何がおかしくて? 初めて見たのよ?」
──その程度の知識しかなくて当然じゃない、と付け加えて睨んでやると、ミランは笑いながらも否定した。
「何だろうな? ベルって、たまに言葉の選び方が可愛いなと思っただけ。これじゃあ、色んな場所を見せてやりたくもなる。浜に降りて間近で見よう」
──おいで、と甘やかに言い添えて。
一歩先に進んだミランはベルティーナに手を差し出した。
その上、四、五歳と思われる幼子から十歳程度の少年少女と、年齢層もバラバラだ。そんな子どもたちに、ベルティーナとミランは瞬く間に囲まれてしまった。
「ミラン兄ぃちゃん、遊ぼうぜー!」
「とーっても良い匂いがたくさんする! お菓子だ、お菓子だ!」
「わー! 綺麗なお姉さん! すごいすごい! お姫様みたい! ドレス可愛いの!」
「ねえねえ、お姉さん、抱っこして!」
まるで小鳥が一斉に囀るかのよう。子どもたちがどっと同時に話しかけるので、ベルティーナはたちまち目眩を覚えてしまった。
イーリスとロートスもまだ子どもの部類に入るだろうが、彼女らが落ちついて見えてしまうほど。彼らの方がずっと幼いだろう。
当然、ベルティーナは子どもなんて相手にしたことがない。子どもたちが次々と発する自由気ままな言葉にベルティーナが困窮し、こめかみを押さえたそのとき──
「おいおい……お前ら、一気に話しかけると困るじゃねえか。大人しくできねえと、貰ってきた菓子をやらねえぞ」
ミランがやれやれと言葉を挟むと、子どもたちは皆ぴたりと黙った後、元気よく返事した。
「そうですよ。お客様が来たらどうするか、教えましたよね? さあ、どうするんです?」
続けてマルテが言うと、子どもたちは「お行儀良くします!」と口々に言い、踵を返してすたすたと部屋に入っていった。
「さあさ、玄関で立ち話もいかがなものかと思いますからね。少しばかり散らかっていますが、どうぞ、お家に入ってください」
マルテはベルティーナに優しい笑みを向けて言うが、ミランはすぐに首を振った。
「いや。今は荷物を軽くするのを手伝って欲しくて来たようなもんだ。街を歩いて食い物をたくさん貰ったからな。さすがにこんなに食い切れないし要らない。多分、菓子類ばかりだろうし。チビどものおやつにしてやってくれ」
そう言うなり、ミランは両手を塞いでいた紙袋をマルテに手渡した。
「あら、そうなの、残念ね。ミランちゃんは番人さんだもの。やっぱり忙しいのかしら」
「別に。今日は暇を取ったからそうでもないが……まあ、せっかくだから二人で出かけようって約束しただけで」
ベルティーナの方を一瞥して、ミランは少しばかり照れくさそうに言った。それを見ていたマルテはぱちりと手を合わせて、「あらまあ~」なんて嬉しそうに笑みをこぼした。
「そういうわけだ。本当に用事はこれだけで悪い。また暇ができたときでも顔を出しに来るし、チビどもの相手もする」
「ええ。ミランちゃんならいつだって大歓迎よ。またいつでも待っているわ」
マルテがにこりと嬉しそうに笑んだまま、ベルティーナの方に視線を移す。だが、ベルティーナを見た途端、マルテは目を丸くして口元を覆った。
「やだわぁ……あまりに騒がしかったせいで、私、王女様のお名前を伺ってなかったわ」
「ええ、ベルティーナよ」
──以後、お見知りおきを、とベルティーナはドレスの裾をつまんで会釈した。するとマルテは人の良さそうな笑みを浮かべてベルティーナを見つめた。
「そうなの、ベルちゃんなのね。ベルちゃんも是非一緒にいらっしゃい」
──ベル、ベル様。この愛称にはさすがにもう慣れてきたものだが、まるで可愛らしいものを呼ぶような「ちゃん」付けは初めてだ。
呼ばれたベルティーナは唖然としてしまう。だが、自分よりも圧倒的に年上の初老の女性に言われると、あまり嫌な気はしないもので、ベルティーナは「ええ」と肯定し、唇を綻ばせた。
「そういうわけだ。じゃあ、また近いうちにでも顔を出す」
ミランは会釈し、ベルティーナの手を取り、その場を去った。
***
葡萄畑の麓を通り過ぎ、菩提樹の生い茂る林道へ。果たしていったいどこに向かっているのか、依然として分からないまま、ベルティーナはミランの後をついて歩んでいた。
「さっきのお宅は……貴方の叔母様の家だったのね」
「ああ、そうだな」
「ナハトベルグでは王族の親族も王城に住んでいるわけではないのね?」
自分の住んでいたヴェルメブルグ城は、王族とその血縁者のほとんどが皆あの王城に住んでいると聞いていた。
それに、本の中で見る物語でも、王族は血縁者を含め多くが王城で暮らしている。だから、そういうものだと思い込んでいたものだが……規律が違うように、このあたりの文化も違うのだろうか。ベルティーナは不思議に思って、隣を歩むミランを一瞥した。
「そうだな。王城は基本的に現在の王の直系に当たる血縁者しか住んでいない。叔母は、王族ではなく一般民だ。だけど、俺の母親の手伝いで、ああして身寄りのなくなった子どもたちを引き取っている」
「身寄りのない子……」
ベルティーナは彼の言葉を復唱し、眉を寄せた。確かに種族はバラバラだっただろう。見るからに彼女の子どもや孫ではないとは思った。
なお、彼の叔母と知った時点で、城の使用人の子どもたちという憶測もよぎったものだが、見当違いだった。
「王城周辺を見る限り、一見穏やかそうに見えるナハトベルグだけどな……。実は、森林地帯で前触れもなく自然発火で山火事が発生したり、大きな地震が起きたり、つむじ風が吹き荒れて家屋が倒壊したり……なんて、色んな天災に見舞われることがあるんだ」
──今ではその頻度もかなり少なくなったものの、それでも時折、森林火災やつむじ風等の天災は割と起きる、とそんな言葉を添えて、ミランは言葉を続けた。
「つまり、叔母のマルテさんは、そういった災害に見舞われた地域の親を亡くした子どもたちを保護して育てているんだ」
「そう……だったのね」
天災の件も初めて聞いたことだった。だが、〝王都は治安が良い〟と双子の猫侍女たちが言う本当の意味を、ベルティーナは改めて理解した。
それは人ではなく、災害的な意味なのだと……。
「それで、王の直系血縁者しか王城にいない理由だっけ。王を決める方法が、多分人間とはまったく違うっていう部分もあるだろうな……」
ミランはベルティーナの質問を掘り起こして静かに切り出した。
「多分ここは人間と同じだろうが、直系は王位継承権が当たり前みたいにある。だけど、次期王は即位式までの一年ほどは決闘の繁忙期なもんでな……」
「……え? どういうことなの」
ミランの言葉がいまいち理解できず、ベルティーナは眉を寄せた。
「簡単に言えば、ナハトベルグの王に就く権利は割と誰にでもあるってことだ。次期王に決闘を申し込んで、それに勝てば誰だろうが王位継承権を剥奪できる。そして最後、即位の儀で次期王は現在の王と戦うこととなる」
──まず直系の次期王が負ければ、王城追放が決まってる時点でかなり手厳しいけどそういう掟、と彼は苦笑いを浮かべた。
言われた言葉にベルティーナの思考が追いつかなくなり、完全に停止した。いや、言っていることは分かるが、さすがにあれこれと過激すぎるのだ。
それでも、つい最近、前例があっただろう。あのイノシシ牙の男が王位継承の話をしていた気もするもので……。
「つまり、結婚までに時間がかかるというのは……」
「そういうこと。俺の決闘繁忙期ってこと。でも、思ったより忙しくないけどな」
そりゃ、番人の長に就くほどの男だ。誰も勝ち目がないと想像がつきやすい。ベルティーナはこめかみを揉んで情報を整理した。
……つまり、即位の儀という場で彼は自分の母親と戦うのだと。それで負ければ王城追放と。
「貴方、ヴァネッサ女王と戦うの?」
「ああ、そうだが」
「こう聞いたら失礼だけど、女王のご年齢はおいくつで……?」
「……五十ほどだな」
「……年齢や性別を考慮すると、貴方、あまりに有利すぎるでしょう」
きっぱりとベルティーナが言うと、ミランは即座に首を振った。
「王に就くほどだ。俺の母親は強い。正直、この国一番の俺の強敵だと言って過言じゃない。ついでに言うと、俺の父親は母親に負かされた雄竜だ。一応、現在三位。前代の翳の番人。まあ、俺が番人になったの、割と最近で……父親を倒して踏襲したもんで……」
「貴方、父親とも戦っていたのね……」
「まあな。一応は女王の夫だからこそ王城にいる権利もあるもんだが……どうにもこうにも意固地な父親でな。王城の外で一般人に混じって生活している」
本気で頭が追いつかなかった。即位式と言ったら……本で描かれたような厳粛な場で祝典を行うものだと思っていたもので……。
「貴方、結構大変なのね。でも負けた場合は王城追放でしょう? そうなったらどうするの。私もだけど……」
思ったままの言葉を投げかけると、ミランはまた苦笑いをこぼした。
「……そうさせないために、負けるわけにはいかない。だから命を賭けてでも頑張るしかないな? むしろ、勝たなきゃ俺としても困る」
ミランがそう言ってから間もなくだった。ちょうど菩提樹の林を抜け、視界は鮮明になった。
その眼下にあった景色……瞳に映したベルティーナは、返事さえ忘れて息を呑んだ。
月明かりに照らされて映るのは、果てしなく遠くまで繋がる巨大な水たまりだ。風に乗って、涙にも似た塩辛い匂いが仄かに漂う。
「……これは、海?」
ベルティーナは目を瞠ったまま、その圧巻の景色を望んだ。
「ああ……もしかして、じゃなくても……ベルは海を見るのは初めてか?」
戸惑うようにミランに聞かれ、ベルティーナはすぐに頷いた。
「ええ、本の中では知っているわ。途方もなく大きな塩辛い水たまりだって。でも、翳りの国……ナハトベルグにあるなんて」
呆然としたまま、ベルティーナがそんな言葉を出すと、隣に立つミランはくすくすと笑い声をこぼした。
「何がおかしくて? 初めて見たのよ?」
──その程度の知識しかなくて当然じゃない、と付け加えて睨んでやると、ミランは笑いながらも否定した。
「何だろうな? ベルって、たまに言葉の選び方が可愛いなと思っただけ。これじゃあ、色んな場所を見せてやりたくもなる。浜に降りて間近で見よう」
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