苺月の受難

日蔭 スミレ

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Study16.災難の結末

16-4

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 ──どうして現実は残酷なのだろう。神さえも呪いたくなった。その途端、聞き取る事も出来ない掠れた声が響き、牙を剥く犬を割ってオブを横取りにした人の青年が映った。

 ラケルだ。牙を剥いて犬はラケルを襲おうとするが、彼は一匹の犬の口を掴み、仰向けにさせると威圧的な声を上げた。すると、野良犬達は怯み一目散に逃げ去った。

 ラケルはオブを大事に抱えて、ストロベリーの前まで歩み寄ると目の前にそっと渡す。

 ……オブは以前の怪我より酷い有様だった。もう、どこで息をしているかも分からなかった。妖精はしぶといが不死身ではない。それは知っているが、どう見たって助かる訳がないとは目に見えて分かる。ストロベリーは声にもならない嗚咽をしゃくり上げた。

 自分の所為でこうなったのだ。自分が取り乱して逃げたりしなければこうならなかったのだ。とんでもない責任感に苛まれて、ストロベリーは唇でオブを揺すって名を幾度も呼ぶ。

『……やだよ、オブ。嫌! 死なないでよ。二回もお別れとか嫌だよ。ごめんなさい、お兄ちゃんごめんなさい。オブシディアン死なないで』

──大好きよお兄ちゃん。と、虫の息となったオブにしゃくり上げてストロベリーは思いのままを言葉にした。ぽたりと落ちた涙の一滴がオブの身体に滴った──すると瞬く間に彼の黒い身体が白い光を放つ。それは、まるで花弁が散るよう。白い光の粒子が溢れ漂った。

 それは大きな光の渦となり、やがて横たわった人の姿を形成する。

『え……』

 しゃくり上げたままストロベリーは驚嘆した。
 オブはやがて釣り上がった精悍な瞳を持ち上げて、ジットリとした瞳でストロベリーの方に視線を向けた。

「馬鹿だな。勝手に殺すんじゃねぇ。ありがとなストロベリー。俺も妹の幸せをいつも願っている。大好きだ」

 オブの声は確かに聞き取る事が出来た。身を起こし上げて額に口付けを落とすとオブは少し渋ったような顔をする。

「ちっ……俺じゃダメか。じゃあ後はお前の王子様とやらに頼むしかねぇな」

 ケッと悪態を垂れるように言ってオブはストロベリーの身体を摘まみ上げると、ラケルに押しつけるように手渡した。

「あとは頼んだ。この阿呆な妹にちゃんと言葉で言ってやれ」

 そう告げた後、オブは何かをラケルに耳打ちを入れると、彼の肩を叩く。
 それに対してラケルが何と返したのか分からなかった。
 直ぐにラケルはジッと自分を見つめて何かを切り出した。しかし、やはり話している内容も言葉さえも理解出来ない。
 けれど不思議なもので、彼が唇を動かす都度、確かな言葉が心の奥に穏やかに響き始める。

『苺ちゃん。どうか元の姿に戻って。来年も夏至のお祭りに行こうね。約束だから必ず。何としてでも僕は君を奪いにいくから』

 ──ルームメイトとしてもそう。僕は一人の女の子としての君が好きだから。
 確と聞こえた言葉、それと聞いたと同時に唇にしっとりとした感触が触れた。



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