苺月の受難

日蔭 スミレ

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Epilog.人生最強の恋愛運

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 卒業式を終えた翌日。ストロベリーは王都の方面に向かう列車に揺られていた。
 車窓からは穏やかな初夏の陽光が降り注ぐ。隣の席でファラはうとうとと舟をこいでいた。

 あれから一年が経過してしまった。

 その一年が過ぎ去るのは思ったよりも早かったものだと、ストロベリーは回想する。

 ──昨年の夏期休暇。ラケルと王都に戻った際、ストロベリーは精霊の報復を受けて兎の姿にされてしまった。それを解いたのはラケルだったが……その時の記憶はあまりにも朧気で、目が覚めた時には豪奢な宿屋の中に居た。何やら二日も眠っていたそうで人の姿に戻ったオブがずっと付きっきりで見ていてくれたらしい。

 一方ラケルは、オブが一足先に領地に帰らせたらしい。そう、人が妖精と化する呪いを断ち切る方法が分かったのだから……。

 解呪の条件は思ったよりも単純なものだった。だが、未だ詳しい条件は分からない。  

 恐らく、対象に素直な想いや感謝を言葉で贈る事や口付けだろうとオブは推測した。  

 思えばアゼリャも言っていただろう──御伽噺みたいに馬鹿げたものだけど真実の愛や偽り無き真の言葉とでも言えばいいのか……と。

 その真相を確かめるべく、後日オブとアゼリャの店を裏口から尋ねれば、彼は相変わらず気さくに迎え入れてくれた。

 ──言霊ことだまほど呪いを断ち切る武器として強いものは無い。と、アゼリャは言う。それもその相手に対して強い思いを持つ相手となれば、どんな呪術師の呪文や言葉よりも強靱な力を持つ。と、彼は淡々とした調子で語った。 

 そこでストロベリーは納得してしまった。だから二度しか会った事も無いアゼリャは”力になれない”と言ったのだと。しかし、何故オブがストロベリーの呪いを解けなかったかにおいては一切不明のままだった。血と魂を分けた双子の兄弟だ。仲は良くも悪くもなく──まぁ普通だとは思うが、それでも兄弟愛くらいは持っていただろう。
 それをオブがアゼリャに問う。すると、アゼリャはニンマリと笑んだ。

「……ラケル君っていったっけ。多分、ストロベリーちゃんは思いを寄せる相手の言葉が一番欲しかったからじゃないの?」

 なんて、茶化されるものだからストロベリーは顔を真っ赤にして狼狽えてしまった。一方オブはと言えば『だろうと思った……』なんて鼻を鳴らしてせせら笑うものだから尚更に羞恥が込み上げてしまった。

 後日。ストロベリーは一人ペタルミル地方へ戻り、オブはシードリングズの屋敷に戻った。

 ……言うまでもなく、その後のオブはまさに時の人となった。三年の神隠しから戻ってきた狩猟青年の話題はペタルミル地方の新聞にまで出る程だった。しかし、オブは事実を語る事もなかった。

 確かに妖精になっていただなんて誰も信じないだろう。オブが語った偽りの理由は遭難した森の奥地で山賊の世話になっていたと”大人がいかにも信じやすい上手な嘘”を吐いていた。

 しかし、夏期休暇が開けて新学年が始まろうが、秋が深まりやがて冬となって年を越そうがラケルは一度もストロベリーに会いに来る事は無かった。
 日々は一年目と比べようがない程に多忙だった。滅多な事では外出もしていないのだからストロベリーも同じ領地内にあるラケルの屋敷にも行っていない。

 どうしているのだろうか。何をしているのだろうか……片時にそんな事を考える事もあったが、あまりの多忙とピリピリとした雰囲気の中ではそれどころでは無かった。

 そうして卒業の日を迎えて今現在……今も尚、彼からの音沙汰は一切無かった。

 奪いに来る。確かあの時、そう言っただろう。けれど今思うと、それは優しい嘘だったようにさえ思えてしまう。
 何せ、どう考えたってお家柄が違いすぎる。伯爵家の子息が商人の娘を娶るなどありえない。そんな事を黙々と考えて過ごしていれば、間もなくシードリングズが迫っていた。

「ファラさん起きて。もうすぐ王都だよ寝過ごして、田舎にまた戻っちゃったら大変」

 ストロベリーは自分の肩に頭を預けてスヤスヤと眠っていたファラを揺すり起こすと、彼女は気の抜けた声で返事した。
 一応目を覚ましたから大丈夫だろう。ストロベリーは大きなトランクを持って立ち上がると、ファラは大きな欠伸をして瞼を擦る。

「ん、苺さんまたね。そうだ。良いドレス作る事あるならうちのお店の布を使って欲しいな。凄腕のお針子さん紹介するよ。私、暫くは王都でお家のお手伝いしてると思うから」

 そう言って、ファラはコートから小さな紙を取り出してストロベリーに手渡すとふんわりと笑んだ。

「絹、仕立てブルメローサ……?」

 渡された紙の文字を読み、ストロベリーは目を丸く開いた。
 それはあまりにも有名な店だった。王都に絹商なんて腐る程にある。彼女の家が絹商とは知っていたが、まさかそんなに有名店のお嬢様だったなんて思いもしなかった。ストロベリーは紙とファラを交互に見ていると彼女は苦笑いを浮かべた。

「うん。私のおうち。苺さんとレビィさん来たら特別に割引しちゃう」

「ん。ありがとう。良いドレス作る機会あれば絶対お願いしちゃう!」

 少しばかり別れは名残惜しい。だけど、きっとこれはまた会えるとの約束で──シードリングズのホームに列車が着くとストロベリーは明るい面持ちで下車した。終点まで向かうファラをホームで見送った後、彼女は一人大きなトランクを抱えて屋敷までの帰路を歩んだ。
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