迷える機甲と赦しの花

日蔭 スミレ

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Chapter5.真意と終わりの音

5-7.明かされた事実、最期の時

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  ──その日の夕食後、テオファネスはひどく眠たそうだった。眠いのなら眠れる時にしっかりと寝た方が良い。それに昼間の件で少しばかり気まずさを感じて、アルマはラベンダーの精油を焚くと直ぐに彼の部屋から出た。
 そうしてアルマも宿舎に戻り、湯浴みを済ませてからゆったりとその日を振り返りつつ、いつものように日記を綴った。

 何度思い返しても昼間の件は酷く恥ずかい。本当にテオファネスらしくなかったかのように思う。誰かがこの日記を読む訳でないが、鮮明に書き残すのも恥ずかしい。
 それよりも、あまり彼の状態が改善されないが気がかりだ。果たしてどうすれば良いか……。

 いつも通り当たり障りの無い事を綴り終えた頃、丁度消灯時間を迎えてしまった。
 それからベッドに入るものの、やはり今日の出来事を思い出してしまい、寝付けそうになかった。

 ……手の甲に口付けをされた。しかし思い返せば、彼に口付けされたのは初めてではない。以前双子の投げた石が当たって怪我した時に額にキスをされた事もあった。
 だが、ただの友人関係の男女は普通そんな事をしない。

 けれど、出会えて良かったとは……。

 軽々しく口にするような言葉ではない。一つ一つ彼を思い出し、はんすうするほどに嫌に頬が熱くなる。

 ────同じ気持ちなのかな。テオも私の事、好きなのかな。

 しかし、どう考えても、この思いは永遠に出来ない事をアルマは直ぐに悟った。
 大戦が終われば、彼は亡命する。亡命先は永久中立国である隣国フェルゼン公国とは見当が付くが……。
 隣国とはいえ、離れてしまえば二度と関わる事も無い。

 元特殊兵、最前線に立つ……という点で彼は間違いなく人を殺めた経験はあるだろう。しかし、彼がどんな罪を背負ってあの身体になったのだろうとアルマは思う。

 国や家族を奪われなければあんな身体にならずに済んだ筈だ。機甲マキナにならず、海を間近に臨む故郷で平凡に暮らしていた筈だ。
 果たして彼が何をしたというのか。しかし、それをどんなに考えても〝戦争が悪い〟という結論しか結び付かない。
 無慈悲だ。惨すぎるだろう。そして、どうする事も出来ない。救えやしない。それを思うと、酷く切なく思えてアルマの瞳は僅かに潤った。

 ────私、火曜の天使って称されるのに、テオを救ってあげる事は出来ないのかな。こんな立場じゃなくて……戦争も無い世界で、彼が機甲マキナじゃなかったら、素直に好きだって言えたのかな。 

 育つなと願った想いは、膨らんだ挙げ句に破裂した。ただの情は愛情に変わり果ててしまったのだ。間違いなく手遅れだ。だからこそ、彼が衰弱する程に不安に思い彼の抱える全ての苦しみから救いたいと思った。
 しかし、エーデルヴァイスでいる以上、恋は禁忌。想いなんて言えやしない。きっと優しい彼の事だ。想いを伝えれば、きっと聞いてくれるだろう。だが……自分達の未来が全く見えないのだ。そう、永遠なんてありえない。

 ────だめだ。考えすぎると、泣きそう。瞼を固く閉ざしたアルマは、ベッドの中で膝を抱えて丸まった。

  ❀

 そうして幾何か。宿舎の一階に置かれた柱時計が一つ鐘を打った。もう二時間も経過してしまった。ぼんやりとそんな事を思って、寝返りを打った時だった。さくさくと雪を踏みしめる音が外から僅かに聞こえたのだ。

 修道女の見回りにしては遅すぎる。不審者でも踏み入ったか。或いはこんな真夜中に懺悔に来た人でもいるのか。
 何事か。と、アルマはベッドから起き上がり、怖々とカーテンを捲って窓の外を眺める。

 雪明かりで外はいやに明るかった。その所為もあって、直ぐに歩行者の姿が見えるが、その姿を確認してアルマの表情はたちまち強ばった。
 縦に長細いシルエット。その頭頂部は銀色。薄水色の患者衣──と、随分寒々しい装いの男が湖に向かって歩いていたのだから。

 間違いなくテオファネスだ。
 彼は、未だかつて無断外出なんてしていない。それに今現在体調が酷く悪い筈。なのに、なぜに……。

「テオ……」

 アルマは直ぐにもんけに掛けられた真っ白ながいとうを羽織る。机に上に置かれた紅玉の祈り用具を首から提げ、靴を履くと急ぎ部屋を飛び出した。
 なぜに、どうして、何のつもりで……。だが考えた所で分からない。アルマは宿舎のドアを荒々しく閉めて、彼の後を追い掛けた。 
 しかし既にそこに彼の姿は無い。それでも雪の上に足跡が残っているので簡単に後を追うことが出来る。相当おぼつかない足取りだろう。足跡は酷く横にぶれており、今にも倒れそうな事は目に見て取れる。

 そうして追うこと間もなく──湖畔に辿り着く。 
 薄く凍り付いた水面の上には白々とした雪が降り積もっており、まるで世の果て──白一色の極冬の夜景が広がっている。
 頬をくすぐる夜風は氷のように冷たい。夜着にがいとうを羽織っただけの薄着なので当然寒い。アルマは底冷えに背を震わせるが、畔に佇む彼を見つけて急ぎ駈け出した。

「何してるの!」

 雪に足を取られつつもアルマが彼に近付こうとするが……「来るな!」と、テオファネスはいつになく荒々しい口調で言い放つ。

「……何してるの馬鹿! 早く戻りなさい!」

 アルマが叫び近付いた途端だった。
 彼の背から夥しい影が噴き出した。それは無数の手の形を形成し、彼の首に全てが絡みつく。

「ダメだ。お願いだ……アルマ、帰ってくれ。こんな情けない所は見られたくない」

 そう告げた彼はゆったりとアルマの方を向く。その顔を見て、アルマはゾッとしてしまった。

 ──双眸は強膜が黒く濁った機械仕掛けのものに変わり果てていた。菫色の瞳は煌々と妖しく光り、ひどく瞳孔を収縮させている事が少し離れてもよく分かる。

「テオ、その目……」

「ダメなんだ。俺、治らないんだこれ。言えなかった。ごめんアルマ」

「何、言ってるの……」

 全くもって彼の言わんとしている事の意図が理解出来ない。しかし治らないとは……それを知っていたとは。不穏に思ってアルマは唇を震わせる。

「俺、余生をここで穏やかに過ごす為にここに連れられて来られた。機甲マキナってな、寿命が来ると体温が低くなって段々と衰弱する。呪いみたいに身体の中を機械に食い潰されてるんだ。そして最期は痛みに自我を失って暴れ回る」

 だから万が一の為、俺を壊せるかも知れないアルマの居る修道院に来たんだよ。そう告げて彼は背を向けた。

「幸いにもここには湖がある。俺の身体は水に浮かない。暴れる前に簡単に溺死出来る。寿命を迎えた俺達の死骸はただの鉄屑だ。原形も分からない完全な異形になる。水底に沈めば間違いなく誰にもバレやしない」

 俯き続けて告げた彼の声が酷く震えている様から泣いている事が分かった。

 だが、テオファネスの言葉でアルマはカサンドラの対応が直ぐに結び付いてしまった。
 そうか。だから何も言わなかったのかと。それは頭では理解出来るが、心では納得出来る筈も無い。
 万が一とは言われていたが、こんな万が一なんて知らされていない。

「なんで、どうして……そんな事!」

 ──教えなかったのか。なぜ隠したのか。あまりに惨いではないかとアルマはせきを切らしたように怒り叫ぶ。

「万が一ってそういう事。こんな役目は背負わせたくない。だってアルマは人を殺した事なんて無いだろ。嫌な悪い思いなんかさせたくないし、危険に晒したくない。傷付けかねないのも分かってるし」

 だから一人にさせてくれ。と、言うなり彼はよろよろと湖に歩を進める。

「ふざけないでよ! 何が、ありがとうよ! 出会えて良かったよ! 勝手な事ばっか言って……! みんな、みんな私の気持ちなんて何にも考えてなかったんだ!」

 こんなのあんまりだ。最低だ。アルマは彼に近付き怒り叫ぶ。先程の寒さが嘘のように顔が熱かった。視界は滲み、彼の姿だってろくに見えやしない。

「酷いよ! どうして! テオの馬鹿! なんで隠してきたのよ! 万が一は私の役目だって分かってたけど、そんな事の為にって……」

 嫌だ。嫌だと首を横に振り乱し、アルマはどうこくする。
 さも自分は平気だという風に、〝来年の十二月に居たら〟に答えてくれた。きっと良くなる、大したこと無いと言った筈だ。

 ──嘘吐き! と、アルマが歪んだ彼の背に叫んで数拍後──振り向いた彼に腕を引かれた。かと思えば包み込まれるような冷ややかな感触に包まれた。

 抱きしめられた事は直ぐに分かる。しかし、こんな事をするなんて益々狡い。やめてとアルマは暴れ藻掻くが、彼は更に力を強めてしなる程きつく抱き寄せた。

「……ごめん。俺だって生きてたい。アルマともっと一緒に居たい」

 今にも消えそうな震えた声でテオファネスはそう告げた。
 そのしゆ、彼の影──無数の手のうちの一つがゆるりとアルマの頬を撫でたのである。
 彼の影を見るのは二度目だ。他者に向けてくるなど、初め見た時は恐ろしく凶暴なものとは思ったが……今まじまじと見ると、決して怖く無かった。

 まるで涙を拭うように、まなじりに指を這わせるもので……。そんな優しさまで反映されているとは、本当にこの影も彼自身に違いないと思えてしまった。そして、他の手もアルマを抱き寄せるようにやんわりと纏わり付く。

 ……今こそ彼に赦しの力を使えるのではないのか。と、アルマは直ぐに思った。しかし、今は一人だ。赦しの力を使う際、二人で行う事が通例。一人は危険に違いない。それに、彼を救える保証なんてどこにも無い。それでも、何もしないよりもマシなように思えてしまった。

「……テオ、お願い。もう少しだけ自我を保って。我慢して。少しだけ私の話を聞いてほしい。お願い、お願いだから私に従って……」

 嗚咽を溢しつつアルマが告げると、アルマを腕に閉じ込めたまま、テオファネスはゆったりと頷いた。

「……テオ、目を瞑って欲しいの」

 そう告げて数拍後──「テオの心の中に入る隙を与えて」とアルマは祈るように囁いた。
 その途端、アルマの意識はゆったりと引き剥がされた。
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